冠婚葬祭とキリスト者とは?
冠婚葬祭とキリスト者…
1.冠婚葬祭の意味<復> 2.聖書と冠婚葬祭<復> 3.祝い事とキリスト教<復> 4.死と葬儀について<復> 5.結び<復> 1.冠婚葬祭の意味.<復> 字義通りには,冠とは成人式,婚は婚礼,葬は葬儀,祭は先祖を祭ることから,人生における四大儀礼を意味する.しかし,このほか,誕生・入学・卒業・就職・婚約や,還暦・喜寿・米寿・白寿といった祝い事も含めた人生における慶事と,迷信的な厄払いや葬儀に続く死者の供養にかかわる諸習俗行事全般を意味するものと理解されている.<復> 2.聖書と冠婚葬祭.<復> 聖書には,結婚・長寿・死・葬りなどに言及している例は数え切れないほどあるが,ここでは,習俗的な行事としての面からのみ概観する.<復> (1) 成人について.<復> a.年齢についての聖書的言及.12歳になった少年イエスのエルサレム神殿におけるエピソードは,当時においても,ユダヤ教では男子が13歳で成人として扱われることを意味していたし,女子の場合は12歳で結婚適齢期と考えられていたことは知られている。旧約聖書時代においては,種々の目的のための人口調査の記事があるが,出エジプトした民のうち軍務につくことができる者としては「20歳以上の者」(民数1:3)が対象であった.会見の天幕で務めにつくレビ人は,「30歳以上50歳までの者」(同4:3)とか,「25歳以上の者」という規定もある(同8:24).ダビデ王が晩年にレビ人を数えた時も「30歳以上の者」であった(Ⅰ歴代23:3).それぞれ務めの性質上,調査対象となる年齢は異なっており、それらは必ずしも成人とされる年齢ということではない.特別誓願を立てる場合についての年齢区分は,1か月から5歳まで,5歳から20歳まで,20歳から60歳まで,60歳以上の4段階となっている(レビ27:2‐7).この規定に従うならば,やはり20歳以上が成人扱いということになる.いずれにしても,成人式なるものについての聖書的言及はない.<復> b.ユダヤ教の習慣.シナゴーグ制度が立てられて以後,12歳のイエスの場合に見られるように,ユダヤ教の伝承によると,「5歳で聖書,10歳でミシュナー,13歳で主の戒律,15歳でタルムード,18歳で結婚,20歳で召命,30歳で権威,40歳で分別,50歳で助言,60歳で長老,70歳で白髪,80歳で特別な力,90歳で曲がった背中,100歳でこの世を離れる」(父祖の格言5:21)と言われているように,13歳の誕生日を迎えた少年は,「バル・ミツヴァー」(律法の子)と呼ばれる成人式を祝う.安息日の朝,会堂でトーラーの指定聖句を朗読するためにバル・ミツヴァーの子が指名され,共同体の一員に加えられたことが告げられる.礼拝後,家庭では備えられた食事をして祝福を受けるのが習わしで、その週間に親族や友人たちを招待して披露が行われる.13歳から,礼拝では大人同様にテフィッリーン(経札)を額や腕に結び付けることになる.今日では,12歳の娘をバトゥ.ミツヴァー(律法の娘)とする儀式が採用されつつある.<復> (2) 結婚について.結婚が神的制定に基づくものであることは言うまでもない.従って,結婚に宗教的な側面があることは否定できない.特に今日,結婚の誓約は当事者間の誓いではなく,神に対する誓約と理解する立場から,キリスト教結婚式は特別な礼拝形式で行われることが一般的になっている.しかし,神的制定であるという主張は,結婚を秘跡に数えるカトリック教会の見解を正当化することにはならない.それにもかかわらず,その見解に基づいて,教会堂で結婚式が行われる欧米の習慣が,即キリスト教的な結婚式と同一視されることは検討されるべきであろう.今日の日本のように,ホテルなどが結婚式場としてのチャペルを建てる時代にあっては,一層本質的な検討が必要である.<復> a.聖書の言及.結婚に関する教え(Ⅰコリント7章.参照,Ⅰテモテ4:3,5:14)や,それを重んずべき勧告(ヘブル13:4)や婚礼の物語は多いが,結婚式が宗教的な儀式として行われた実例の記録は聖書にはない.もちろん,初代教会が独自の教会堂を持っていなかった時代であるから,教会堂で礼拝として挙式されたという記録もないのは当然のことである.イエスはカナの婚宴において水をぶどう酒に変えるという最初の奇蹟を行われたが,あらかじめ用意されていた酒がなくなった上,イエスの奇蹟によって備えられたのは1.8l瓶にして3百本を超える分量だったと思われる(ヨハネ2:6).このことは婚礼が何日も続いたことを裏付けるものである.通常は1週間と言われている.適齢期になった子供を結婚させることは特に父親の責任であったが,本人の意志は尊重された(イサクと結婚したリベカ).両親の配慮以前に恋愛関係にあったり(ダビデと結婚したミカル),結婚したりした(親を悩ましたヘテ人の娘たちと結婚したエサウ)例が,聖書にもある.結婚に際しては,花嫁本人に「金銀の品物や衣装」を贈ったり,両親に「貴重な品々」を贈ることさえも行われた.花婿側から花嫁料,支度金,結納金といったものが贈られたり,花嫁の父から花嫁に持参金を持たせたりもした.その時代における土地と種族の習慣に従って行われたのである.預言者エゼキエルは,主の愛を裏切った背信の民を責める主のことばを告げる中で,契りを結んだ民を「女王」のように飾り立てたことを比喩的に語っている(エゼキエル16:8‐15).それは当時の習慣を反映している.婚約が整うとおよそ1年間の準備期間があり,男性は結婚資金や新居の準備に入り,女性は糸紡ぎから衣装の準備をしたと言われている。<復> b.ユダヤ人の古い習慣.結婚式についての聖書的言及がないことは前述したが,ユダヤ教教師・ラビが司式したり,職業上の理由で出席したという記録もない.法的な手続きは必要であったと考えたとしても,この宗教的な民族が結婚を宗教儀式の一部であると考えていなかったこと,全く家庭的な祝い事としていたことは注目すべきことである.宗教的な祭日の期間に結婚することは禁じられていた.処女の結婚は水曜日,寡婦の再婚は木曜日というのが習慣だった.友人たちに付き添われた花婿が花嫁を迎えに行き,日没後に,同様に友人の乙女たちに付き添われた花嫁を伴って,新居に向かう.新居で早速に婚宴が始まるが,新郎新婦は特別に飾り立てられた席に着き,披露され,客をもてなす.1週間続く婚宴の席では,花嫁が処女であったことを証明する寝床が証人である招待客たちに披露されたりもした.こうして客たちは新婚生活に神の祝福を求めつつ去って行った.<復> 3.祝い事とキリスト教.<復> (1) 誕生から成人に至るまで.神の恵みの契約は,アブラハムと彼の子孫とに対して結ばれたゆえに,契約の子の誕生は神の賜物であり(詩篇127:3),特に旧約時代においては,不妊の女性の嘆きはハンナの例に見るように大きかった(Ⅰサムエル1章).8日目に割礼を施すことは,その子供が神の契約の民として覚えられている神の証印であった.聖書が舞台としているパレスチナの気候風土や衛生状態(神の律法がイスラエルを他に比較して高い状態にしたと言われているが)からして,子供たちが成長して,自覚的な契約共同体の一員となるということは,大きな喜びであった.新約時代の現在,幼児洗礼が割礼に代る契約のしるしであり証印であるとされるが,主が定められた礼典と家庭における宗教教育との軽視は,契約の子を神の契約に対する違反へと向かわせている.子供たちの成長段階における入学・卒業が家庭的な喜びであることには違いないが,神の契約の民として加えられることは,公的永遠的な喜びであり,感謝であることが表されるべきである.<復> (2) 結婚について.良い妻を持つことは主からの恵みである(箴言18:22).「麗しさはいつわり.美しさはむなしい.しかし,主を恐れる女はほめたたえられる」(箴言31:30).すでに述べたが,家庭的な行事である結婚を,牧師の司式によって教会堂あるいは他の式場で礼拝としての結婚式の形で行うことが果してキリスト教的であるということになるのかどうかを問い直してみる必要があるのではないだろうか.そうしたことよりも,主にあって,互いに主を恐れる者として結婚生活に入ること自体を重要視すべきである.親族・友人たちから神の祝福を受けるために披露宴がかなり盛大に催されることは,カナの婚礼にも見られることであるが,その模範は,今日わが国に見られる,あまりにも商業化された華美で豪勢な披露宴の流行と見栄とは全く異質のものである.祝福されて結婚生活に入るための準備を,新郎新婦がどのようにするか,親から独立した家庭を築いて,両親を子供たちに対する責任からいかに解放するか,すなわち「父母を離れて一体となる」ことを重点に考えるべきである.「神が結び合わせたものを人は離すべきではない」のは言うまでもないが,そうするのは,当人同士か,あるいは親たちである場合が最も多く,それ以外の者が引き離す役割を演じることはほとんどない.現代のわれわれの住まいからすると,披露宴を新居で催すことはとてもできないが,聖書時代でも同じ理由で1週間かけて,招待客を証人として,彼らが神の祝福を新家庭に祈り求めつつ去って行くような婚宴を催したのではないだろうか.<復> (3) 長寿の祝福について.旧約聖書において特に忠実な神との契約関係に対する神の祝福とされていることは明らかであるが,「死産の子のほうがましだ」と言われる「多くの年月を生きた」不幸な人(伝道者6:3)や,「まだいのちがあって生きながらえている人よりは,すでに死んだ死人のほうに祝いを申し述べる」(同4:2)と言われるようなみじめな人々もいる.旧約における契約の約束は,新約時代における霊的で永遠的な約束の地上的な型である.従って,長生きそれ自体が真の祝福というわけではない.神を恐れることを知らない人生を「千年の倍も生きても」(伝道者6:6),永遠のいのちを得なければ,むなしい人生である.<復> 4.死と葬儀について.<復> (1) 聖書の言及.聖書全体にわたる死についての言及は数え切れない.死についての一貫した聖書の見解は,①死は罪の刑罰としてすべての人に及ぶこと,②肉体的な死が死のすべてではないこと,③死が人間存在の消滅を意味していない,ことである.死人は,その悪しき生き様によって,しばしば先祖たちと同じ墓に葬られなかった(Ⅰ列王14:13).エジプトにいたヨセフは,父ヤコブの遺言に従って(創世47:29,30),彼を40日かかってミイラにし,70日間の喪に服した後,カナンの地に葬りのために出かけ,「荘厳な,りっぱな哀悼の式を行ない…7日間,葬儀を行なった」が,それは明らかに「エジプトの荘厳な葬儀」であった(創世50:2‐4,10‐13).そのヨセフ自身も,死を目前に控えて,「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから,そのとき」約束の地に遺体を携え上るように遺言した(同50:25).そしてモーセは,その遺言を果した(出エジプト13:19).モーセの姉ミリヤムは,ツィンの荒野で死に,そこに葬られた(民数20:1).大祭司であった兄アロンはホル山で召されたが,イスラエルの民が30日間の喪に服したことは記されているが,葬りについての言及はない(民数20:29).モーセもまた主に召されて,ネボ山のピスガの頂で死んだ.彼は「ベテ・ペオルの近くのモアブの地の谷に葬られた」が,その墓は誰にも知られなかった(申命34:5,6).民は彼のために30日間の喪に服した後,ヨシュアに率いられてヨルダン川を渡り,パレスチナに入植した.ペリシテとの戦いに敗れて死んだサウル王のために,ヤベシュ・ギルアデの住民たちは,ベテ・シャンの城壁にさらされていた彼の死体を自分たちの町に運び,7日間断食して喪に服した(Ⅰサムエル31:12,13).サウルとヨナタンの死を知らされたダビデは、哀歌を作ってユダの人々に教えるよう命じている(Ⅱサムエル1:17‐27).以上のことからもわかる通り,死者の葬りについて,これが聖書的であるという積極的な指示があるわけではない.服喪期間にしても,一定ではない.ヨセフのした父ヤコブのエジプト風の葬りが積極的な凡例になるとは思わないが,それが許されない葬儀であったとは誰も言えない.旧約時代の族長たちが,神の約束を信じて,地上に生きている間に約束のものを得なかったとしても,そのことによって,ついに得ることができずに死んだという見方を聖書はしていない.むしろ,ヘブル人への手紙の著者は,「信仰の人々として死にました」と言っており(ヘブル11:13),「信仰は望んでいる事がらを保証し,目に見えないものを確信させるもの」(同11:1)であることの証人として生き,かつ死んでいったと書いている.新約聖書から言えば,ナインの寡婦のひとり息子の死の場合も,ベタニヤのラザロの場合も,そして主イエスの場合も,死んだらすぐに墓に葬られるのが当時の習わしであった.ラザロの場合もイエスの場合も遺体は亜麻布で包まれており,イエスの埋葬について,特に使徒ヨハネは「ユダヤ人の埋葬の習慣に従って,それを香料といっしょに亜麻布で巻いた」と書いている(ヨハネ19:40).<復> (2) キリスト教の葬儀について.アブラハム・イサク・ヤコブの神は死人の神ではない.すなわち,族父たちは生きている.もちろん,生きている場所は異なるが,彼らの遺体は墓で朽ち果てたとしても,私たちの目の見るところが事実のすべてではなく,神とともに生きているというのが真実である.私たちの初穂としての復活のキリストに結ばれている者たちは,終りの日のからだの復活の希望を抱いて,死者を葬る.それゆえに,「他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのない」ように葬儀を執り行うのである(Ⅰテサロニケ4:13).キリスト者の葬儀の目的は,①主にあって召された者を丁重に復活の希望をもって葬るために,②彼に地上の生涯を与え,主の民とされた恵みを覚え,また彼の地上における奉仕にあずかった感謝を抱いて神を礼拝するために,③彼と地上の生涯における喜びと苦しみとを共にした遺族に対して主のみことばによる慰めを与えるために行われる.それゆえ,死者を礼拝の対象にしたり,すでに主のみもとにあって幸いな彼を悼んだりすることはない.しかし,そうした目的をもって行われる葬儀を普遍的に規定するような模範や命令が聖書に啓示されているわけではない.<復> (3) 異教的な仏事とのかかわり.仏壇を設け位牌を礼拝するという仏教的な宗教行為は,一つには仏教的な教えに基づいている死者礼拝であり,キリスト者は聖書の教えに基づいてそのような行為を行わないが,そのことはただちに先祖を軽視していることにはならない.一定の年忌を重ね供養することで,死者が成仏していくという根拠のない人間的な教えに惑わされず,主にあって死んだ人々の魂は死後ただちに主のみもとにあることを確信しているからこそ,供養の必要がないのである.異教的な信仰や無信仰のうちに死んだ人々については,私たちの感情の問題で論ずるわけにはいかない.キリストと信仰によって結ばれることなしに死んだ人について,私たちはいかなる意味においても救いの保証を与える権利を持ってはいないからである.その代りの集会のように記念会が,しばしば日本のキリスト者の間でも行われるが,血筋によるのではなく,霊的なアブラハムの子孫であること,すなわち,キリストによって神の契約の民とされたこと,キリストとともに御国の共同相続人とされた,天と地に住む聖徒たちとの交わりを強く覚えることがはるかに望ましいことなのである.<復> 5.結び.<復> わが国における冠婚葬祭の諸行事が異教的な要素を多く含んでいることは否定できない.しかしまた,他方,時代と環境とを超えて世界のキリスト教会に普遍化されるような冠婚葬祭の様式が聖書に明らかに示されているわけではない.従って,宗教と習俗の関係と区別とを,難しいことだが,できるだけ明らかにしなければならない.独断的で偏狭な姿勢をとることが,あたかもキリスト教的であるかのような判断を下すことは避けなければならない.結婚式を教会で行わないからといって,信仰が問題にされることもないし,披露宴がどのような形で行われたからキリスト教的であるとは断定できない.また,喪に服すことが,ただちに異教的な習俗への同化とは言えないだろうし,また,新約の時代に生きる私たちが全く喪に服すことから自由にされていることも確かなのである.ユダヤ人の習慣がキリスト教的であるとは限らないのと同じように,逆に日本の習慣のすべてが異教的であるということではない.事に臨んでキリスト教的な分別が求められる次第である.しかし,最も重要なことは,新約聖書が,キリスト者はいろいろな世の習わしから自由にされていることを強く主張しているということである(コロサイ2:20,Ⅰペテロ2:16).→結婚,葬儀,祖先崇拝とキリスト者.<復>〔参考文献〕ダニエル‐ロプス『イエス時代の日常生活』全3巻,山本書店(1964,1964,1965);小畑進『キリスト教慶弔学事典』全2巻,いのちのことば社(1978,1982);Gower, R., The New Manners and Customs of Bible Times, Moody,1987.(山崎順治)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社