聖書本文(旧約)とは?
聖書本文(旧約)…
旧約聖書本文は15世紀にグーテンベルクにより印刷術が発明されるまでは,書記([ヘブル語]ソーフェリーム)と呼ばれる人たち(エレミヤ8:8,36:10等.エズラ7:11等では「学者」.新約の律法学者に相当する)によって筆写され伝えられた.原本は失われて存在せず,すべては何回となく写本によって引き継がれたものである.筆写を繰り返す過程で,誤字が入るだけでなく書記たちの解釈,神学,思惑などが少しずつ反映されるようになり,写本間に幾つかの流れができるようになったと考えられる.とは言っても,ユダヤ人たちは彼らなりに聖書本文を守るために最大限の努力をしてきた.タルムードの伝えるところによるとエルサレムの神殿には聖書の写本の誤りを訂正する専門家がいて,そこには基準となる三つの律法の巻物があり問題の聖書の読みがこのうちの二つの巻物の読みに一致すれば合格としたとのことである.このタルムードの伝承はヘロデの時代にまでさかのぼるのではないかと言われる.紀元70年にエルサレム神殿が破壊され,ユダヤ教から神殿での祭儀的側面が奪われると,聖書とそれに関する伝承及び解釈などの教育面が一層強調されるようになったようである.神殿破壊後,ユダヤ指導部はヤムニア(テルアビブの南のヤブネ)に移るが,そこで2世紀の初頭にユダヤ教の指導者として脚光を浴びたラビ・アキバによって,このことはさらに強調された.モーセがシナイ山で律法を→受けた/・・・←(ma~sar)ように各世代は先祖から聖書本文を→受けて/・・・←きた.それが誤りなく引き継がれるために特別な注意と配慮が必要であり,そのために聖書の語や文字の数を数えたり,律法や詩篇の真中の文字に印を付けたりした.このような聖書本文が正しく保たれるための具体的な配慮工夫をマソラ(ma~so~ra~)と言い,「律法の周りの生垣」と呼んだ.このようにして伝えられた聖書本文がマソラのテキストである.この後ユダヤ教指導部は,135年のユダヤ滅亡を経てガリラヤとバビロンに移り,それぞれの地で独自の発展をすることになる.ところでこの時代の写本は,死海写本の例などからわかるように子音だけの本文であり,母音記号はなく,子音本文の読みは口伝によって伝えられていた.ヘブル語の母音記号は,クリスチャン・アラム語と言われるシリヤ語にヒントを得て5世紀頃から考えられるようになったもので,バビロンとパレスチナでそれぞれ独自の発達をした.9世紀頃までにバビロニヤ式,パレスチナ式の母音記号が形を整えたが,中でもガリラヤのテベリヤ学派の考案した母音記号が最も発達したものであったため,これが他のものに取って代る傾向があったようである.レニングラード預言者コーデックスにバビロニヤ式母音記号がテベリヤ式母音記号に書き換えられている頁があり,また両方の母音記号が並記されている頁さえあるのはこのことを物語っていると言われる.こうして聖書本文の写本は,本文の重要な部分である発音をも保存することができるようになったのである.テベリヤは780—930年頃ユダヤ学の中心地として栄え,ユダヤ教の一派カライ派の影響を受けて特にマソラ及びマソラ本文の学問が進み,他の学派を圧するようになる.そしてついには,聖書本文と言えばテベリヤ学派のもので占められるに至った.テベリヤ学派でも最も著名なのがベン・アシェル家であり,モーセ・ベン・アシェルとその息子アロン・ベン・アシェルが聖書本文の権威者と仰がれるようになった.このことは12世紀のユダヤ教の大教師マイモーニデスがアレッポ・コーデックスを最も権威のあるモデル写本と推奨したことにより,一層強化される.<復> さて旧約聖書本文はどこに求められるべきだろうか.一時代前までの批評的な見解では,旧約聖書本文は紀元90年のヤムニアの会議で正典が決定し(正典決定の会議であったとの説には大きな疑問がある),それに続くラビ・アキバの活躍で決った.それ以後マソラ本文として受け継がれ徐々に不純な綴りや読みが混入した.従って旧約聖書本文の探求は,マソラ本文からできるだけラビ・アキバの時代の本文にさかのぼることであった.しかし,ベン・アシェルによるマソラ・テキスト以前の写本の流れを考えると,標準的な本文があったとすれば,それはベン・アシェル家によって定められたものであり,それ以前は常に複数の型の本文が流布していた,とする考えも出てくる.またベン・アシェルのテキストは,当時存在していた本文の伝承をすべて学問的に研究して聖書本文を探ろうとした作業の結果生れてきたものではなく,当時の聖書本文の一つの流れを踏襲したにすぎない.それがたまたまベン・アシェル家のユダヤ学界での成功の結果,最も権威のある本文と見なされた.従って非ベン・アシェル系の本文も同等に評価されるべきだ,との見解もある.スペルバーという学者などはロイヒリン・コーデックス(→本辞典「聖書写本」の項)をこのように評価する.ところで1947年以後の死海写本の発見,それに続くユダの荒野での聖書写本の発見は,聖書本文を考えるのに大切な資料を提供してくれた.死海写本の中にはマソラ型の写本(第1洞穴イザヤ第2写本等),70人訳型の写本(第4洞穴からのサムエルa,申命記b,q,エレミヤb等),サマリヤ五書型の写本(第4洞穴出エジプト6:25‐37:15),そのいずれの型にも属さない写本があり,多様である.ユダの荒野に立てこもった一宗団の聖書にこのような多様性があったのをどうとらえるべきか,この宗団に見られる独特の現象なのか,あるいは当時の一般的な情況を反映している現象なのか,いろいろと難しい問題がある.死海写本そのものの価値を否定する学者,本文の型については断片的な写本を証拠にしている場合が多くいまだ証拠不充分とする学者,またクムラン宗団の非正統性を考慮してクムラン宗団の聖書に対する態度を疑う学者,マソラ型をバビロニヤに,70人訳型をエジプトに,サマリヤ五書型をパレスチナに結び付けて説明しようとする学者,さらにまた正統的なマソラ型写本の周りに正統的なものから脱落した幾つかの写本が共存する当時の情況を反映していると見る学者など,様々である.しかし一つだけはっきり言えると思われるのは,ラビ・アキバ以前のクムラン宗団の時代(紀元前後)にすでにマソラ本文の伝承が確立されていたということである.そしてラビ・アキバの時,聖書本文の純正化が企てられユダヤ教から70人訳型,サマリヤ五書型の本文が排斥されたと考えられる.ワディ・ムラバアトで発見されたバル・コクバ反乱時(132—135年)の聖書写本がマソラ本文に適合しているのは,ラビ・アキバの運動を反映していると見てよいだろう.しかしクムラン第1洞穴イザヤ写本bや,マサダの砦(73年陥落)で発見された聖書写本が示すように,ラビ・アキバ以前にもマソラ型の本文は存在していたのである.マソラ型の本文はいつ頃までさかのぼるのか,前2世紀か,前3世紀か.いや,聖書自身に記されている聖書本文への尊厳の思想(申命4:2,12:32,エレミヤ26:2,箴言30:5,6等)から考えると,榊原康夫が主張するようにそれよりずっと以前にさかのぼるはずである.死海写本以前の証拠は具体的には皆無であるが,マソラ本文はそれぞれの記者が聖霊の干渉のもとに記した各原書にまでさかのぼるとの見解は,満更的はずれでもなさそうである.<復> またベン・アシェルのマソラ本文は,実際的に言ってわれわれの手にすることのできる最も整った本文であり,他の幾つかの本文の流れもマソラ本文あってのものであることを考えると,われわれの聖書本文としてまずベン・アシェルのマソラ本文を選ぶのが最も順当と思われる.従って現在旧約聖書の標準的な本文として印刷されているものは,いずれもベン・アシェル系のマソラ本文である.最も一般的に用いられているのが,ドイツのシュトットガルト聖書協会から出版されているビブリア・ヘブライカ(BH)と呼ばれる本文で,レニングラード・コーデックス(B19A)を底本としている.新改訳聖書にはその第7版が用いられた.現行版はその第8版に当るが,第7版までの旧版と区別して特にビブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシア(略号BHS.これに対して第7版までの旧版をBHKと言う)と呼ばれている.この版では,特にB19Aの再現に努め,テキストの脚注(アパラタス)の改訂が行われ,小マソラの校訂と大マソラの追加(大マソラ自体は別巻で出版)がなされた.しかしテキストの脚注についてはまだ改訂の余地が残されているようである.1987年に出た新共同訳聖書にはこのBHSが旧約の本文として用いられた.このほかに英国の聖書協会から出版されているノーマン・スネイス編集の聖書本文がある.この本文は1482年にリスボンで筆写された写本(MS Or.2626—8)をもとにし,他の二つの写本MS Or.2375(1460—80年に筆写されたイエメン系の写本)とシェム・トブ・バイブル(1312年筆写のスペイン系写本)を補助に使って編集された.MS Or.2626—8は直接にはベン・アシェルの名とかかわりがないが,ベン・アシェルの伝統を引き継ぐ正確に筆写された優れた写本であることが証明されている.スネイスの本文は,結果的にパウル・カーレ(ビブリア・ヘブライカ第3版の編集者の一人.第3版からレニングラード・コーデックスを採用)の目指したベン・アシェルの本文に非常に近いものとなった.聖書写本の価値は必ずしも年代の古さによらずその質によることを物語る,一つの良い例であろう.この版の一つの問題はテキストの脚注がないことである.もう一つの聖書本文は,目下イスラエルのヘブル大学で刊行中の,アレッポ・コーデックスをもとにした本文である.この版は,まだイザヤ1‐24章が分冊として出ているだけだが,4段にわたって綿密なテキストの異同に関する脚注が付いている膨大な企画である.<復> さてこうした聖書本文を手にしても,なおかつ本文に問題を感じる箇所がある.ここで本文批評という学問が必要になる.マソラ本文を受け継いで筆写した書記たちも彼らなりに問題を感じており,そのような箇所に種々の印や注釈を付け加えて彼らなりの本文批評をしている.そのうちあるものはずっと古くラビ・アキバ以前にさかのぼるものもあるようである.しかし彼らにとって神聖な子音本文までも修正することはとんでもないことであった.こうした問題の箇所には,必ずしも筆写上の誤りだけでなく,いろいろな理由でわれわれの理解の届かなくなった箇所も多く含まれている.古い歴史的書字法,歴史的な語形,文法,破格表現,修辞法,等の知識が欠けているため,本文が奇異に見えることがある.現代の文献学や北西セム語学の発達によってこうした点が明らかになってきている.具体的な聖書釈義の発達とともに,聖書本文批評も発達する.従って,今の知識で理解できないからと言って勝手に本文の安易な修正をすることは厳に慎むべきである.問題の箇所が書記の誤りであるとの判断は慎重にされなければならない.そのために可能な誤りの型を知っておくのは有益である.<復> (1) よく似た文字の混同.アラムの角文字の場合と同時に古代ヘブル文字の場合も考慮する必要がある.<復> (2) メタセシス(metathesis,音位〔字位〕転換).音(字)の順序が変化する場合.例えば「はらつづみ」→「はらづつみ」.語の順序が間違えられる場合も考えられる.<復> (3) ハプログラフィ(haplography,重字脱落).同じ綴りが重なっている場合に一つを見落すもの.例えばphilology→philogyの類.同じ語または類似の語を見落す場合もある.<復> (4) ディトグラフィ(dittography,重複誤写).文字または語を誤って2度繰り返すこと.<復> (5) ホモイオテリュートン(homoeoteleuton).2行が同じまたは類似の語で終っているために1行目を落す誤り.<復> (6) ホモイオアルクトン(homoeoarcton).2行が同じまたは類似の語で始まっているために1行目を落す誤り.<復> (7) 連続書きの場合(死海写本の一部に見られる)には単語の句切りに誤りが起る可能性がある.本来二つの語であるものを一つの語のように筆写する誤り(フュージョン,fusion)や,逆に本来一つの語であるのに二つの語であるかのように筆写する誤り(フィッション,fission)も考えられる.<復> また聖書写本の場合は朗読上の配慮から不快語を避けて婉曲的表現を用いたり,教理的な意図による訂正をしたり,また教育的な意図から補足説明の書き込みをしたりしたが,そのことを知らずに筆写すると原文の意図しなかった誤った読み方や語が入ってくる.略号をそれとは知らずに何とか読もうとして起る誤りも考えられる.<復> このようにいろいろな誤りの可能性があり,マソラ本文と他の本文の違いはこうした観点から説明がつく場合がしばしばある.マソラ本文でどうしても意味の通じない場合は,以上のような点を考慮しつつ,他の写本や古代訳の助けを借りて文脈に一番合った文の復元が行われる.この場合,写本や古代訳は信頼度の高いものを優先させる.読みの選択については,このほか,(1)明らかにナンセンスな文でない限り,困難な読みのほうが原文に近い可能性が大きい(書記は困難な箇所を平易に書き直す傾向がある),(2)説明的な長い文よりも簡潔な短い文のほうが原文に近い可能性が大きい,(3)他の読みがそれに由来すると思われる読みのほうが原文に近い可能性が大きい,等の点が考慮される.最後に,聖書本文の修正は写本や古代訳の支持なしにはできるだけ行うべきではない,本文の修正は仮説的なものであり後にさらに良い解決の可能性がなきにしもあらず,の2点を強調してこの項を終えよう.→聖書写本,聖書批評学,聖書翻訳,聖書の言語.<復>〔参考文献〕名尾耕作「ヘブル語聖書の本文」『聖書・キリスト教辞典』pp.605—7,いのちのことば社,1961;榊原康夫「本文批評からみた旧約聖書の確かさ」『現代と聖書信仰』pp.69—98,いのちのことば社,1969;榊原康夫『旧約聖書の写本と翻訳』いのちのことば社,1972;鍋谷堯爾「聖書の本文(旧約)」『新聖書・キリスト教辞典』いのちのことば社,1985;E・ヴュルトヴァイン『旧約聖書の本文研究』聖文舎,1977(原著1973);Ap‐Thomas, D. R., A Primer of Old Testament Text Criticism (2nd ed.), Basil Blackwell, 1964 ; Klein, R. W., Textual Criticism of the Old Testament, Fortress Press, 1974 ; Roberts, B. J., “The Textual Transmission of the Old Testament,” Tradition & Interpretation (Anderson, G. W.〔ed.〕), pp.1—30, Clarendon Press, 1979 ; Soderlund, S. K., “Text and MSS of the OT,” The International Standard Bible Encyclopedia (Bromiley, G. W. 〔gen. ed.〕), Vol. 4, pp.798—814, Eerdmans, 1988 ; Thomas, D. W., “The Textual Criticism of the Old Testament,” The Old Testament and Modern Study (Rowley, H. H.〔ed.〕), pp.238—63, Clarendon Press, 1961.(松本任弘)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社