《じっくり解説》仏教,ヒンズー教とキリスト教とは?

仏教,ヒンズー教とキリスト教とは?

スポンサーリンク

仏教,ヒンズー教とキリスト教…

1.インド仏教.<復> 仏教の発祥地は言うまでもなくインドである.一般に釈迦と言われている人物によって,その教えが広められた.釈迦には幾つかの呼称がある.「釈尊」とは釈迦尊者の意味であり,また「釈迦牟尼」と呼ぶ場合は釈迦族出身の聖者という意味である.「仏陀」とも言われる.これは悟りを開いた者のことである.<復> 釈迦はカピラバストゥ(現在のネパール,ターライ地方チロルコート)近郊ルンビニーで前6—5世紀に父スッドーダナ,母マーヤーの長子として誕生した.姓をガウタマ,名をシッダールタと言う.16歳で結婚,一子ラーフラをもうけたが,29歳で出家し6年間苦行した.しかしその苦行のむなしさを知り,他の5人の修行僧と別れてネーランジャラ河で沐浴し,娘のささげる乳粥(ちちがゆ)を受けガヤーのヒッパラ樹の下で静観し大悟した.当時六師外道と言われた6人の思想家(プーラナ・カッサパ,マッカリ・ゴーサーラ,サンジャヤ・ベーラッティプッタ,アジタ・ケーサカンバラ,パクダ・カッチャーヤナ,ニガンタ・ナータプッタ)とは異なり,釈迦の教えは酷暑・多雨のインドにおいて苦しい現実を解決することにおいて救済的な意味合いが強く,一般民衆の支持を十分に得ることができた.6人の思想家たちが述べるいわゆる「無道徳論,自然論,懐疑論,感覚的唯物論,因果否定論,ジャイナ教」とは違って,釈迦の教えは,いかにすれば人間は人生の苦しみから脱し得るかの,苦の解決方法に関する探求であった.これらの事柄を形而上学的認識によらずに実践的認識,すなわち四諦八正道(したいはっしょうどう)や縁起の理法によって成道(じょうどう)を得た.このような釈迦の実践がガンジス河流域の中インドにその教えの発展を見るようになった.都市の発達と,牧畜文化より農耕文化へと変容していくインド固有の進展と重なり合って,宗教としての仏教がここに著しく成長する.<復> 釈迦入滅(80歳)後,仏教は部派分裂を起し,理論や理屈の殻に閉じこもる傾向を示すが,マウリヤ王朝第3代王であるアショーカが出現するに及んで(前268年即位),仏教は飛躍的に発展する.それはアショーカ王の仏教を土台とした法(ダンマ)の政治によるもので,法の実践が仏教を生き生きとしたものに変えた.アショーカ王の治世はイスラエルでは中間時代に当る.仏教とキリスト教が最も古い時代にかかわりを持っていたと考えられる接点は,アショーカ王の碑文において求めることが可能となる.すなわち彼の摩崖詔勅14章刻文中に,プトレマイオス2世・フィラデルフォスを初めとして当時の5人のギリシヤ王に書簡を送り,自己のダンマの政治による倫理的な国家統一を堂々と吹聴している.プトレマイオス2世は伝承的には旧約聖書のギリシヤ語訳を72人の学者に命じて,いわゆる70人訳聖書を完成させた王であり(「アリステアスの手紙」を参照),何らかの影響が翻訳事業の中であったのではないか,少なくとも70人訳聖書そのものの必要性に対してある種の刺激となったのではないかと推定される.アショーカ王がダンマを敬虔([ギリシャ語]ユーセベイア)と訳していることと合せて考えると,新約聖書中に神に対する信仰が倫理的により鋭い意識で受け止められることになったと思われる.キリスト教が倫理的に高い水準を保っているのは,もちろん旧約聖書以来の絶対なる神ヤハウェヘの信仰に基づいているわけであるが,建徳的な意味においてはインドの仏教の影響,特にアショーカ王のダンマによる生活面での実践の影響が全くなかったとは断定できないのである.<復> 紀元前後に大乗仏教が成立する.それまでの仏教は戒律的でしかも修行が中心であった.出家僧団は声聞(しょうもん)とか縁覚(えんがく)または独覚と言われ,自らの力で努力して悟りを開く.しかし在家集団はもっと手近な救いを求めるようになった.それでこれまでの伝統的な立場を小乗と呼び,自分たちの自利・利他の幅広い立場を指して大乗と呼んだ.それはちょうどイエスが神の国を示し,救いは生ける神より来ることを表されて,キリスト教がユダヤ教から離れて新しい宗教が興ったことと軌を一にするものである.大乗仏教は逐次発展し,インドにおいて竜樹,無着,世親等によって中観派,唯識派が生起した.7世紀頃には両派を折衷する密教が生じるに至ったが,次第にヒンズー教に吸収されていった.<復> 13世紀初頭にイスラム教徒によって寺院が破壊され,インド内部の仏教は事実上終りを告げた.しかし仏教はむしろ他の地域で発展する.すなわち,すでにアショーカ王の時代から国外への布教がなされており,南へはセイロン(現在のスリランカ)を初めとして東南アジア等に,北にはチベット,西域,中国,そして朝鮮,日本へと伝播した.現在ではヨーロッパ,アメリカ等世界中に広まっており,仏教人口は日本では実に9200万に及ぶ.もっともこの数値は日本人特有の宗教的信心タイプにより,総宗教人口を2億2400万としてのものであるが,それでも41パーセントに達する.<復> 2.仏教の教理.<復> 大乗仏教の教理的特徴は次の3点に要約できる.<復> (1) 仏身論.それまでの仏教が肉身の仏陀を崇拝することから離れられず,仏塔崇拝が盛んであったのに対して,般若経典では般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)(知恵によって彼岸に達すること)が真実の仏身であるとした.法華経によれば仏は時間を超越しており,久遠仏である.従って過去仏・未来仏等多くの仏を立てることになる.華厳経では多仏ではなく一仏が普遍的に全体を満たす(毘盧遮那仏〈びるしゃなぶつ〉).このような種々の仏の在り方から漸次教理的に発達したのが二身説(法身・生身),三身説(法身・報身・応身),四身説,十身説となり,次第に複雑化していった.中でも三身説は有名で,キリスト教の三位一体論と形としては似通っているが内容は全く違ったものである.法身(ほっしん)とは法性(ほっしょう)すなわち存在(法)が持つ真実の本性を表しており,あらゆるものを貫く真理面を表明している.報身(ほうじん)とは修行の結果悟りに達しそれ相応の仏の徳性,身体的特徴を持ち合せているものを言う.また応身(おうじん)とは衆生(しゅじょう)を教え導くために必要な仏のことである.キリスト教の三位一体では,三位が三つのペルソナ(原意は仮面)として,神自らが目的に応じて位格をとられる.この二つが似通っていることは否定できないが,三身説の場合は仏そのものをあえて人格化せしめた上での理論にすぎないので,根源的には比べようがない.<復> (2) 仏性論.仏性論が出て来る背景には華厳経の仏陀観がある.普遍的な仏陀が修行を実践する者と対座しているとすれば,衆生に内在する仏陀が考えられなければならない.これを如来蔵(仏の到来によって心中に宿している如来の母胎)とか仏性(ぶっしょう)と言っている.キリスト教での聖霊の働きとは,信じる者の内なる魂に積極的に呼びかける超越的な神の働きであると言うことができるから,ここでも根本的にはキリスト教の「動」に対して,仏教はあくまでも「静」として把握されるであろう.つまり仏性を定義することにより涅槃(ねはん)に達することへの理想の中に生きようとしている一面がうかがえる.<復> (3) 菩薩思想.菩薩とは「悟りを求める者」という意味である.成仏する前の釈迦は菩薩と言われるが,それにしても成道に達するにはあまりにも期間が短いので,生身を持った人間では無理だとの見解から,過去から何回にもわたって輪廻を繰り返し,そうしてやっと完成したのだという考えに立つ.この過去永きにわたって悟りを求めてきた釈迦の姿,これこそが菩薩だというわけで,ここに釈迦菩薩が提示される.大乗仏教では般若経の常蹄菩薩,法華経の善財童子,維摩経の維摩居士(ゆいまこじ)のように,悟りを求めて修行する者を菩薩(凡夫菩薩)と言っている.さらに以上のどれにも属さないものとしては弥勒菩薩,普賢菩薩,文殊菩薩,観音菩薩,法蔵菩薩等がある.これらの菩薩は願と行(ぎょう)を果すために利他行,すなわち衆生に対して利益をもたらすべく実践するのである.キリスト教においても「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(マタイ19:19,ローマ13:9)で明らかなように,表現は異なるが同様の利他行による奉仕の精神があると見なすことができる.<復> 3.中国仏教.<復> 中国では紀元2世紀頃に早くも経典がサンスクリットより漢語に翻訳され出した.しかし中国の思想傾向は自国の翻訳経典のみを重要視し,原本であるサンスクリット本を何ら顧みることをしなかった.この傾向はいわゆる教相判釈(きょうそうはんじゃく)という教理面での独善的解釈に及んでいる.そうした中で中国独自の撰述による経典としてここに教理的著述,高僧伝,訳典記録を挙げることができる.<復> (1) 教理的著述.僧肇(そうじょう)の『肇論』,天台大師の『法華玄義』『摩訶止観』,嘉祥(かじょう)大師の『三論玄義』『大乗玄論』,慧遠(えおん)の『大乗義章』,曇鸞(どんらん)の『往生論註』,賢首大師の『五教章』,さらに禅宗の『臨済録』『碧巖録』『無門関』など,中国撰述の書で日本仏教に影響を与えているものの数はすこぶる多い.<復> (2) 高僧伝.『梁高僧伝』『唐高僧伝』『宋高僧伝』『仏祖統紀』などがある.<復> (3) 訳典記録.『出三蔵記集』『歴代三宝紀』『大唐内典録』『開元釈教録』があり,これに基づいて漢訳経典の内面的な動きをつかむことができる.<復> 4.日本仏教.<復> 百済の聖明王によってわが国に仏教がもたらされたのは欽明7年戊午説(538年)が有力である.蘇我氏と物部氏の抗争は蘇我氏の勝利となり,崇仏が盛んとなる.当初呪術的な仏教として発展するが,聖徳太子によって仏教や儒教の教学研究がなされた.しかし大半は現世利益の信仰であり,造寺・造仏が盛んな時であった.<復> 奈良時代には国家仏教となり,官寺造営がなされた.元興寺(飛鳥寺),大安寺(大官大寺),弘福寺(川原寺),薬師寺等がそれである.<復> 白鳳時代に入ると経典講説が盛んとなり,次第に仏教教学の研究に傾いていった.世に言う南都六宗とは三論宗,法相(ほっそう)宗,成実(じょうじつ)宗,倶舎(くしゃ)宗,律宗,華厳宗のことである.<復> 平安時代には最澄と空海が出現し,新風を吹き込んだ.最澄は論の研究よりも経の実践に眼が開かれ,延暦23年(804年)唐に赴き,中国天台宗に触れた.在唐わずか9か月半で帰朝,比叡山に大乗戒壇を建立するために尽力し,その死後,弘仁13年(822年)に勅許を得,国家官僚の統制から分離させた.日本天台宗は中国天台宗,真言密教,禅等を取り入れ,さらに大乗戒を加えて実践に励んだ.他方,空海は804年に入唐,2か年の間インド伝来の密教をことごとく学んで帰国した.最澄が比叡山を根拠にしたのに対して空海は高野山を賜り,そこに真言宗を開いた.著作の『十住心論』『即心成仏義』等は有名である.<復> 日本の仏教は鎌倉時代に入って大きく飛躍した.良忍の融通念仏宗,法然の浄土宗,親鸞の浄土真宗,一遍の時宗,日蓮の日蓮宗,禅では栄西による臨済宗,道元による曹洞宗が次々と出現し,仏教はここに至って真の意味で庶民の宗教となった.室町時代以後それぞれの宗派は逐次発展を遂げ,国全体に仏教文化の高まりを見るようになる.とりわけ寺院の建立,寺院都市の発達,社会事業の働きが目立つ.しかし民衆の仏教はやがてキリシタンに対する幕府の政策にからんで枯渇していく.檀家制度等による人別改(にんべつあらため)は人間の基本的な生活を脅かし,それが今日なお残ったままであるのははなはだ残念なことである.<復> 5.仏教とキリスト教.<復> 仏教はこのように長い歴史(時間)と領域(空間)を持っており,それだけに根の深い宗教だと言える.クリスチャンは福音を受け入れる際に必ず家の宗教である仏教や他宗教と衝突する.家族に対する福音の伝達が非常に大切となることがここに理解されてくる.仏教とキリスト教との根本的相違は神に対する絶対の信頼があるかないかである.結論的に言って,自己に頼ろうとする仏教の在り方は人間自身の向上とはなっても,人間の究極の救いとはなり得ない.この意味においてクリスチャン・ホームの形成こそ急務である.<復> 6.ヒンズー教とキリスト教.<復> ヒンズー教とは広義にはインド古来からの宗教のことであり,狭義には仏教,ジャイナ教,古いバラモン教を除いたインドの諸宗教全般を指す.またヒンズー教は宗教であって宗教ではなく,広くインドの風俗・習慣・思想・社会制度についてもヒンズー教の名で呼ばれたりする.菅沼晃によると,ヒンズー教の性格は次の六つに分類される.<復> (1) 神観念は基本的には多神教である.インド人たちはそれぞれ「家の神」「村の神」「自己の信仰する神」を持っている.<復> (2) 以上のほかに,「最高神」であるブラフマン,ヴィシュヌ,シヴァという三神一体の神を持つ.三神一体とは,ブラフマンが世界の創造をつかさどり,ヴィシュヌ神がこれを維持し,シヴァ神がこれを破壊すると言われていることである.しかし実際はヴィシュヌ神,シヴァ神及びその系統が中心となって祭られている.<復> (3) ヴィシュヌ神は権化という形をとり,神格,人格,動物になりこの世に化現する.例えば実在の人物であるクリシュナがクリシュナ神となり,ヴィシュヌ神と同一視される.<復> (4) ヒンズー教にはキリスト教のような神との契約思想はなく,ただバクティ(信愛・献身)をささげて救われるとする.一般にこの救いの道には三つあり,その三つとはバクティ・マールガ(信愛・献身の道),カルマ・マールガ(行為の道),ジュニャーナ・マールガ(認識の道)である.特にバクティは,事柄の善悪を超えて,存在を神的な最高の形に向かって導く.<復> (5) 神観念そのものが幅広く,信仰の形も多種多様であるから,一つの信仰が異端視されるというようなことは決してない.<復> (6) 逆に言えば徹頭徹尾ヒンズー教は寛容であり,決して対決しない.自らの殻に閉じこもるか,それとも他を同化・吸収してしまうかである.従って全体的にはヒンズー教の立場を失わずして独自の展開がなされ,インド的な展開,すなわち業・輪廻によって生きとし生けるものの生死が語られる.キリスト教はヘブライ思想に支えられているゆえにその時間論において不可逆性と質的観念に支えられ,初めと終りを持つ形をとるが,ヒンズー教は本来がベーダの経典の時代からの循環論的な思考に立脚している.それで時間を可逆性と量的観念に置き,キリスト教とは対称的な位置関係にあるということになる.最も肝心な神観念については,キリスト教の三位一体の神に対して,ヒンズー教のそれは一元論・一神教も,二元論・多神教も,唯物論・無神論さえも含んでいる.現在のインドにおいてヒンズー教のかような思考が,インド全体の在り方を複雑なものにしていることは否めない事実である.(→コラム「浄土真宗とキリスト教」「禅とキリスト教」),→諸宗教とキリスト教,日本の宗教,儒教とキリスト教,ヨーガとキリスト教,輪廻・霊魂の再生,比較宗教,宗教(神)学.<復>〔参考文献〕中村元『インド思想史』(改訂2版)岩波全書,1978;『インド思想』『仏教思想1・インド的展開』『仏教思想2・中国的展開』(講座東洋思想1,5,6)東京大学出版会,1967;宇井伯寿『仏教汎論』岩波書店,1962;菅沼晃『ヒンドゥー教—その現象と思想』評論社,1976.(久保田周)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社