《じっくり解説》祭司,大祭司とは?

祭司,大祭司とは?

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祭司,大祭司…

1.用語.<復> 主(ヤハウェ)なる神に仕える祭司をヘブル語では「ko~he~n」と言う.祭司は一般的に「hakko~he~n」と定冠詞を付けて用いられるが,無冠詞のもの「ko~he~n」と定冠詞の付いたもの「hakko~he~n」とを区別して用いることにより,その意味の相違を示していると考えられるところもある(例えば,Ⅰ列王4:2と4:4,5を比較).旧約聖書はこの用語を異教の神々の祭司を呼ぶ場合にも用いているが(創世41:45,Ⅰサムエル5:5,Ⅱ列王10:19等),さらに異教の偶像に仕える祭司を表すことばとして「ko~mer」(Ⅱ列王23:5,ホセア10:5,ゼパニヤ1:4)という用語を使用する場合もある.<復> 2.祭司制度の始まり.<復> 族長時代にも祭司が現れているが,それはすべて他の国の祭司である(創世14:18—シャレムの王・祭司王メルキゼデク,41:45,47:22—エジプトの祭司).この時期にイスラエル=神の民にあっては祭司は存在せず,神へのいけにえ奉献や祭儀は「家長」によって執り行われていたと考えられる.(参照創世21:33,22:1‐l4,35:14等).それは,イスラエルがまだ「民族」ではなく,「家族」であったことがその理由であると考えられる.<復> やがてヤコブの子孫はエジプトで「民族」となった.出エジプトの後,神はシナイ山で,かつて先祖アブラハムと結ばれた契約をその子孫である「イスラエル民族」と更新された.その際,神はイスラエルの内に会見の天幕(幕屋)を造るよう命じ,その幕屋での儀式や祭儀にかかわる奉仕者として「祭司」を任命された(出エジプト28:1,40:12‐15,レビ8,9章).ヤハウェなる神の祭司は,「油そそがれた祭司」(<ヘ>hakko~he~n hamma~s▽i^ah∵—レビ4:3,5,16,6:22.参照出エジプト30:30,レビ8:12等)と呼ばれる.この祭司職はイスラエルの部族のうち,レビ人の中のアロンの子孫の世襲と定められ(出エジプト28:40‐43,29:9,民数3:10),また,レビを先祖とする他の子孫たちが幕屋にかかわる奉仕に当るものとされた(民数2‐4章,18:7).<復> 3.申命記における祭司.<復> 申命記が祭司に言及する場合,「レビ人の祭司」という名称を一般に用いる(17:9,18,18:1,21:5,24:8,31:9.参照ヨシュア3:3,8:33).批評学者は,申命記が出エジプト記,民数記がするようには「祭司」と「レビ人」の両者を区別せず,レビ人=「祭司」と呼んでいることから,その背後に時代の異なる宗教的(祭儀的)状況が反映されていることを想定し,イスラエルの祭司職に歴史的変遷を見ようとする.申命記には,「祭司」と「レビ人」を区別し,それぞれの役割に言及している箇所がないわけではないが(18:1‐8.参照10:6‐9,31:25),この両者を民数記がするほどに区別して語っていないのは事実である(例えば,民数1‐8章と申命33:8‐11を比較).しかし,このことから申命記の律法がイスラエルにおける祭司職の発展のある歴史的段階を反映したものと読むべきではない.ここで言えることは「祭司はレビ人であるべきである」ということであって,この点では出エジプト記,民数記との相違はない.申命記におけるこの表現は,申命記の著者が関心を持っている領域が,イスラエル民族の祭儀的領域ではなく,社会的領域であるということから説明されるべきである.それは,祭司についての言及が申命記にはあまり多くなく,たとい祭司やレビ人が語られても,祭儀,儀式の執行者,奉仕者というより,むしろ社会的(日常的)生活における役割や立場に焦点が当てられていることから推測される.申命記の律法部分(12‐26章)での祭司は,王,民事裁判とのかかわりにおいて(17:18,17:8‐13,21:1‐9.参照24:8,9),「レビ人」は,彼らが土地を所有しないゆえに,在留異国人や奴隷などと並んで配慮されるべき社会的弱者であるということで言及されているにすぎない(12:12,19,14:27,29,16:11,26:12等).祭司とレビ人を区別しないで語るこの傾向は,歴史書(ヨシュア記‐Ⅱ列王)においても見られるものである(例えば,ヨシュア3:6,13:14,21:1‐4,Ⅰサムエル6:15,Ⅱサムエル15:24等を比較).<復> 4.士師時代.<復> 士師17,18章に,イスラエルに王制が成立する以前のある「レビ人」のことが言及されている.そこに示されているレビ人の姿は,寄留者として生活し,ある家長によりその家の祭司に任命され(17:12,13),後に部族の祭司となったというものである(18:30).批評学者は,ここにイスラエル宗教・祭儀史におけるレビ人の起源や,王制以前のレビ人の立場を見ようとする.その際に注目されるのが,18:30から「ゲルショムの子ヨナタン」と推測されるこのレビ人が,17:7で「ユダのベツレヘムの出の,ユダの氏族に属する」と語られていることである.しかし,この「レビ人がユダに属していた」という表現が「家系的なもの」ではなくて「地理的なもの」であったと理解することにより,この種の問題は解決される.さらにサムエルも(サムエルの場合は民数6章のナジル人の規定との関連でも論じられるが)家系に関してこれと同様のことが論じられる(Ⅰサムエル1:1とⅠ歴代6:32‐34を比較).批評学者は,歴史書から祭司の起源・歴史を見ようとし,歴代誌にある祭司やレビ人の系図(Ⅰ歴代6:1‐49)について,「後代のもの」という理由でその信憑性を疑う傾向がある.しかし,歴史書(ヨシュア記‐Ⅱ列王)はイスラエルの祭儀的事柄に関して関心が薄く,歴史書から王制成立以前のレビ人の立場を推測することは方法論として問題がある.士師記におけるレビ人の言及から言えることは,その時代すでにレビ人が優先的に「祭司」とされるべき者として認知されていたという事実だけである.さらに,このレビ人の行動を評価する際,それがイスラエルに王がいず,政治的にも宗教的にも混乱した状況でのこととして伝えられていることが考慮されるべきである(17:6,18:1,19:1,21:25等).<復> 5.王制成立後の祭司.<復> エルサレムに神殿が建設される以前,イスラエルの祭儀の中心的場所はシロであったと考えられる.シロには,エリとその子ホフニとピネハスが「祭司」として仕えており(Ⅰサムエル1:3),後にピネハスの子アヒトブの子アヒヤが祭司職を受け継いだ(14:3).Ⅰサムエル21,22章によるとノブの町に祭司アヒメレクとその家族がいたとあるが,アヒメレクもシロの祭司エリの子孫であった(Ⅰ列王2:27.参照Ⅰ歴代18:16).このアヒメレクは後に,ダビデをかくまったかどでサウル王に家族もろとも殺害された(Ⅰサムエル22:19).しかし,その子エブヤタルが生き延びてダビデのもとに逃れ,祭司となった(同23:6,9,30:7).<復> ダビデのもとでは,エブヤタルの子アヒメレクだけでなく,アヒトブの子ツァドクが祭司となったが(Ⅱサムエル8:17),彼もシロの祭司の子孫(Ⅰサムエル14:3)である.サムエル記には,さらにダビデの子供も祭司であったと語られている(Ⅱサムエル8:18.参照Ⅰ歴代18:17「王の側近」).ダビデの死に際しての王位継承争いの中で,祭司エブヤタルはソロモンと敵対するアドニヤに味方したために祭司を罷免され,後,ツァドクがソロモンによって祭司に任命された(Ⅰ列王2:26,27,35).このことから王制時代に王が祭司の任命,罷免権を持っていたのかどうかが問題とされるが(参照Ⅰ列王13:33),これ以後,エルサレム神殿の祭司はツァドクの子孫による世襲とされる(Ⅰ列王4:2).歴代誌によれば,ツァドクの先祖はピネハスである(Ⅰ歴代6:3‐15.参照民数25:6‐13).またエゼキエル書は,その幻の中で見た神殿についての言及の中で,ツァドクの子孫が祭司であるべきことを語っている(43:19,44:15,48:11).<復> 6.大祭司.<復> モーセ五書で大祭司([ヘブル語]hakko~he~n hagga~d_o^l)ということばは,レビ21:10以外には,「のがれの町」との関連で数回現れるだけである(民数35:25,28.参照ヨシュア20:6).レビ21:10によると大祭司は「頭にそそぎの油がそそがれ,聖別されて装束(または記章.21:12)を着けている者」とあり,これを基に大祭司として任職されている者の性格を知ることができる.<復> 出エジプト29章,レビ8,9章にはアロンと彼の子たちの祭司の任職式のことが語られている.この任職式の中で,アロンだけが聖所に入ることのできる「聖なる装束」,すなわち「青服」,「エポデ」,ウリムとトンミムを入れる「胸当て」(さばきの胸当て),さらに聖別の記章の付いた「かぶりもの」を着用し(出エジプト28,39章,レビ8:7‐9),その頭に油を注がれた(出エジプト29:7,40:13,レビ8:12).ここには特に言及されていないが,これは「大祭司」の任職式である.ここでアロンの直系の息子たち(アロンの場合,ナダブ,アビフ,エルアザル,イタマル)が聖所に仕える「祭司」とされたが(出エジプト28:1,レビ21:1.参照Ⅰサムエル1:3),初代の大祭司はアロンであった.この職はアロンの後,エルアザルによって継承された(参照民数20:26‐28).<復> この大祭司の資格は,アロンの子孫であることはもちろんであるが,身に欠陥のないことであった(レビ21:16‐23).さらに大祭司には普通の祭司と比べてより厳格な祭儀的清さが要求された(レビ21:10‐15.参照21:1‐9,22:1‐9).<復> 批評学者は,モーセ五書の「大祭司」と「祭司」という区別は,捕囚後のエルサレム神殿への祭儀の集中を前提としたある祭司階級制度を反映したものとする(参照ネヘミヤ3:1,20).確かに王制の後期に関する記事の中に「大祭司」ということばがそれ以前と比べると頻繁に使用されていることから(Ⅱ列王12:10,22:4,8,23:4.参照25:18),王制成立後,すなわちエルサレム神殿の建設を契機として祭司制度においてある程度の階級制が導入されたのではないかと想像することはできる.しかし,モーセ五書の祭儀律法ではこの両者はさほど区別なく言及されており,そこに捕囚前後の時代のある程度序列化された祭司制度が反映されているという顕著なしるしを見ることはできない.<復> 7.祭司の職務.<復> 祭司の第1の職務は,聖所(祭壇)での奉仕である.祭司の職務とレビ人の職務の領域の詳細について明白ではないところがあるが,祭司は毎日,契約の箱の前の垂れ幕の外側にある燭台に「ともしび」を整え(出エジプト27:20,21,レビ24:2‐4),朝夕神の前に香をたき(出エジプト30:7),さらに,安息日ごとに新しいパンを整えた(レビ24:5‐9).しかし,祭司の聖所での中心的な働きは,祭壇で「いけにえ」を神にささげることである.レビ1‐7章には通常のいけにえ,ささげ物の方法が語られ,また民数28,29章には祭儀暦に従ってささげるべきいけにえの種類と順序(マニュアル)が記されている.祭司はこの奉仕を通して「贖い」をなした(レビ1:4,4:20,26,民数8:19等).レビ16章によれば,「贖罪の日」に祭司は至聖所の中に入り,会見の天幕の贖いを通してすべてのイスラエルを贖ったとあるが(16:33,34),祭司によるこの「贖い」を通して,聖なる神のイスラエルにおける臨在と神と人との交わり(礼拝)が維持され,回復されたのである.それは,儀式それ自体の効力によるのではなく,神のみことば(制定)のゆえにである.<復> 第2は,神託を告げることである.荒野時代には民の中に問題が起った時などに神の意思を尋ねる場合,モーセが直接神に伺いを立てた.後,制度化された祭司が立てられてからは,大祭司がその装束の胸当ての中にある「ウリムとトンミム」(出エジプト28:30.後にこれが「エポデ」という総称で呼ばれる—Ⅰサムエル14:18,19,36,37,23:9‐12.参照箴言16:33)によって神に伺いを立て,神の意思を民に伝達するようになったのである.<復> 第3に,神の律法を管理し,民に教えることがある.レビ10:10,11には「それはまた,あなたがたが,聖なるものと俗なるもの,また,汚れたものときよいものを区別するため,また,主がモーセを通してイスラエル人に告げられたすべてのおきてを,あなたがたが彼らに教えるためである」とある(参照エレミヤ18:18,エゼキエル7:26,ミカ3:11等).この「おきて」の具体的内容は明らかではないが,祭儀や儀式に関する律法に限らず,より広い範囲の宗教的・倫理的律法を含んでいたことは確かである(レビ18‐20章,申命17:18).このことは,聖書の宗教において祭儀(礼拝)と日常の生活(生活倫理)が不可分に結び付いたものであることを示している.「礼拝指針」と考えられるレビ記,民数記の律法から,祭司の律法的視点は「聖なる神の聖所における,臨在と神との祭儀による交わり(神礼拝)」にあり,聖・俗・浄・不浄の区別がその神学的基準とされたものではないかと考えられる(参照エゼキエル22:26,44:23等).申命記は民事裁判における祭司の役割について言及しているが,それはこの祭司の職務との関係で考えられるべきである(17:8‐13,21:1‐9).<復> 8.祭司についての神学.<復> 祭儀的に言えば,祭司は幕屋の祭儀器具と等しく考えられ,民にとって「聖」なるものである(出エジプト40:1‐16,レビ21:8,22:2).家畜のいけにえの血は民の「贖い」において重要な要素であるが(レビ17:11),しかし,贖いの儀式を実際に行うのは祭司であり,祭司は「贖い」の儀式に不可欠なものである(レビ16:32,33).この「贖い」によって生み出されるものは,神と人との交わり=礼拝,その回復であり,ここにいのちがある(同17:11).<復> 新約聖書のヘブル人への手紙は,キリストを大祭司と呼び,祭儀的視点からキリストによる新しい契約の卓越性を論じている.「しかしキリストは,すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ,手で造った物でない,言い替えれば,この造られた物とは違った,さらに偉大な,さらに完全な幕屋を通り,また,やぎと子牛との血によってではなく,ご自分の血によって,ただ一度,まことの聖所にはいり,永遠の贖いを成し遂げられたのです」(9:11,12,15.参照ヘブル2:17,ヨハネ14:6,エペソ3:12).このキリストこそ,神が人間を御自身に近付けるために立てられた,新しい契約における「唯一,まことの大祭司」である.<復>〔参考文献〕Orr, J., The problem of the Old Testament, Charles Scribners’s sons, 1914 ; Cross, F. M., Canaanite Myth and Hebrew Epic, Harvard Univ., 1975 ; Haran, M., Temple and Temple Service in Ancient Israel, Oxford, 1978.(三野孝一)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社