《じっくり解説》自由主義神学とは?

自由主義神学とは?

自由主義神学…

[英語]Liberal Theology.自由神学とも言われる.自由主義神学を定義することは容易ではない.一般的に,ルネサンス・ヒューマニズムの影響を受け,18世紀啓蒙主義思想に立って,伝統的教理や信条,聖書や教会の権威の束縛からの自由を建て前とする神学を表現するが,その中でも特に,リッチュル神学を表現する場合もある.<復> 自由神学([ラテン語]Liberalis theologia)という用語を最初に用いて自らの神学的立場を表現したのは,ドイツ・ルター派の合理主義神学者,ヨーハン・ゼムラー(1725—91年)であったと言われている.彼は,18世紀後半,原罪,永遠の刑罰,悪魔,充足説([ドイツ語]Satisfaktionslehre)などを否定し,キリスト教の道徳化を押し進めたネオロギーと呼ばれる立場を代表する神学者であり,啓蒙主義の原理に立つ合理主義,近代主義の祖であると言われてきた.このことから理解できるように,自由主義神学とは,近代主義神学と同義的に用いられる場合が多い.<復> 18世紀,啓蒙主義は,理性と,理性に基づく道徳がすべてであり,超自然的なもの,非合理的なものはことごとく排除された.従って,聖書の霊感と権威は否定され,高等批評(上層批評)と呼ばれる聖書の歴史的,批評的研究が,真の学問的立場として導入された.<復> 1.自由主義神学の父(カント,ヘーゲル,シュライアマハー).<復> 19世紀の神学は,啓蒙主義思想の克服という自覚のもとに起ってきたのであるが,実際は,啓蒙主義思想の継承であり,徹底であったと言うことができる.この世紀の神学に大きな影響を与えたのは,ドイツ観念論哲学を開花させた哲学者たち,特に,カント(1724—1804年),ヘーゲル(1770—1831年),シュライアマハー(シュライエルマッハー)(1768—1834年)の3人であった.19世紀,20世紀の自由主義神学は,これらの思想家のいずれかの影響を深く受けており,いずれもが,近代神学の父,自由主義神学の父と呼ばれてきている.<復> カントは,18世紀啓蒙主義の限界を鋭く見抜き,確実な理論認識を,現象の世界に限定し,現象界を超越している神の問題,永生の問題,自由の問題を理論認識の外側に置いた.このことは,神や信仰の問題を,理論の領域から,主体的実践的領域に移したということである.そして,宗教の問題を,実践理性,すなわち,人間の良心の意識に基礎付けた.このことは,宗教の倫理的還元と言われていることにほかならない.この思想は,その後の神学に大きな影響を与えた.<復> ヘーゲルもまた,19世紀自由主義神学に深い影響を与えている.彼は,宗教と哲学とは,有限者が無限者あるいは絶対者を把握する形式の相違にすぎないと考える.宗教は,絶対者を表象においてとらえるが,哲学はそれを概念においてとらえるのである.そして,宗教の最高の発展段階としての絶対宗教がキリスト教であり,哲学の最高段階としての絶対哲学がヘーゲル自身の哲学にほかならないと考える.この考え方によれば,宗教と哲学とは,同じものの異なった形式での表現にすぎないことになり,表象としての宗教は,概念としての哲学に吸収されてしまうことになる.宗教は徹底的に理性化されることになり,宗教独自の意義は見失われてしまうことになる.<復> シュライアマハーは,カントが宗教を道徳の領域に移したこと,ヘーゲルが,宗教を哲学に吸収させてしまうことに反発して,宗教の独自性を強調した.宗教にとって,重要なのは,理性でも道徳でもなく,感情であり,宇宙の直観である.宇宙に対して「絶対依存感情」を体験する時,真の存在者に出会うのである.シュライアマハーは,彼の教義学を「信仰の学」と呼んだ.彼にとって神学は,教理の記述ではなく,キリスト教信仰の記述であり,信仰者の内的体験の記録なのである.信仰体験,すなわちキリスト教的敬虔自己意識こそが問題とされなければならない.彼の神学が「意識神学」とも呼ばれるのはそのためである.彼は,神学を教義の学から信仰の学へとコペルニクス的転換をもたらした神学者として名をとどめている.彼の神学では,聖書は,信仰体験に吸収されてしまい,教理は単に体験の記述とされることになり,何を信じるかは問題ではなくなり,主観主義,神秘主義への傾斜は否めないものとなる.また,宗教の独自性を主張することができたとしても,キリスト教の独自性を主張することはできなくなってしまう.<復> 2.リッチュル学派.<復> シュライアマハー以降,19世紀後半のドイツにおいて,カント復興の気運に乗り,リッチュル学派の台頭を見ることになる.リッチュル神学の影響は,広く世界のキリスト教に及ぶところとなり,自由主義神学と言えばリッチュル神学を示す場合が多いほどである.<復> アルブレヒト・リッチュル(1822—89年)は,正統主義神学に見られる伝統主義と,ヘーゲルの思弁哲学と,シュライアマハーの神秘主義を排除し,ルターの信仰と,聖書とキリストの啓示性との回復を計った.その主著が,『義認と和解』と題するものであることから理解できるように,宗教改革の信仰の回復を願うものであった.そのために,聖書,特に,新約聖書を神学の資料として重視している.しかし,聖書が,私たちの信仰の規準としての価値を担い得るのは,決して,神の霊感といった超自然的働きによるものではなく,新約聖書が,最も純粋に原始キリスト教会の信仰を表明しているからにほかならない.<復> リッチュルは,事実判断と価値判断の二つに分け,キリスト教の真理をあくまで,価値判断の領域に属するものと考える.キリストの処女降誕,復活,昇天等の出来事は,歴史的出来事として判断される事柄ではなく,私たちの信仰,私たちの生に対してどのような価値を持っているかによって判断されるべき事柄とされる.これがリッチュルの「価値判断説」である.ここでは,歴史の事実と信仰の事柄とは分断され,信仰の意味だけが重要となる.イエス・キリストの神の子であることは認められるが,その場合も,イエス・キリストが,倫理的に偉大な教師であり,模範と仰ぐにふさわしい方であったからである.キリストが,愛である神の性質を私たちに啓示する限りにおいてのみ,キリストは,私たちに対して,神の価値を持つものである.だから,キリストが,私たちに対して,神の価値を持つということが,キリストの神性を証明する唯一の論証とされる.それゆえキリストの神の御子としての先在性,神人二性の教理などは,彼の神学において位置を占めるものではない.キリストの御子としての神性は認められない.従って,キリストは,信仰の対象として位置を占めるものではなく,信仰の模範者として位置を占めるにすぎない.<復> リッチュル神学は,倫理的色彩が強い.彼は,キリスト教を倫理的宗教として特徴付け,愛に動機付けられた道徳的再生の中にその目的を見出す.それによって実現される理想的な状態が,彼の神学のもう一つの特徴である「神の国理念」である.この神の国の啓示者であり,建設者としてキリストは位置付けられる.このキリストによって与えられる衝動により,神の国に対するキリストと同様な信仰を持つ時,同様な勝利を得るものとされる.この神の国実現のために共通の召命に生きる共同体が教会にほかならない.<復> リッチュルの後継者として,ハルナック,ヘルマン,カフタンの3人を挙げることができるが,その中でも,ハルナックの『キリスト教の本質』は,早くから邦訳されており,わが国でも,広く知られている神学者である.彼のキリスト教理解は,「二重福音」の思想に最もよく表現されている.彼によれば,福音は,「イエスの福音」と「イエスについての福音」と二重のものである.イエスの福音は,イエス自身の宗教であり,その内容は単純で,(1)神の国とその到来,(2)父なる神と人間の霊魂の無限の価値,(3)より優れた義と愛の戒め,である.これに対して,「イエスについての福音」は,イエス・キリストの十字架の死と復活による人間の贖罪を中心とするもので,パウロ的宗教である.「イエスの福音」こそキリスト教の本質であり,それが「イエスについての福音」「キリストの福音」と移行するプロセスは,「福音のヘレニズム化」と呼ばれるものであり,進歩ではなく後退なのである.従って,神学の課題は,福音を包み隠す外皮をはぎ取って,「イエスの福音」を明らかにすることにほかならない.このように,ハルナックの福音からは,十字架も,復活も排除されなければならないのである.<復> 3.テュービンゲン学派.<復> この学派は,年代的には,リッチュル学派より早く現れており,その意味で古自由主義神学と呼ばれることもある.リッチュルと異なってヘーゲル哲学の影響を受けて成立した学派であり,この学派の中心的神学者は,D・フリードリヒ・シュトラウス(1808—74年)である.彼を著名にした『イエス伝』(1835)において,福音書神話説を打ち出し,さらに,『イエス・キリストの使徒パウロ』(1845)で,パウロの書簡のかなりの部分の真正性を否定する所説を打ち出した.彼は,原始キリスト教会史,教理史を,弁証法的発展のプロセスとしてとらえた.このように,ヘーゲルの歴史哲学に依拠して,原始キリスト教会史を見直したシュトラウスのほかに,O・プフライデラー,ビーダマン等が彼らの属する大学にちなんで,テュービンゲン学派と呼ばれる.その中でも,中心的な役割を果しているのが,シュトラウスである.彼は,超自然主義的立場に立つイエス伝と,合理主義的立場に立つイエス伝とを共に排除し,そのいずれでもない第3の立場として,神話的解釈を提唱した.宗教と哲学とは,同一の真理の異なった形式での表現にほかならないとするヘーゲルの立場に基づき,福音書の神話的要素は,表象の形式で表現されている真理なのであるから,合理主義者のように,それらを除去してしまうのではなく,それも,真理の表現として,たとい歴史的に事実でなくとも,そこで表現されている永遠の真理は守らなければならないと主張,聖書の非神話化への道を開いた.<復> 4.宗教史学派.<復> テュービンゲン学派が,主として,ヘーゲルの歴史哲学に依拠しているのに対して,この学派は,カント,シュライアマハーの宗教理解に基づいている.テュービンゲン学派やシュライアマハーの影響は,キリスト教の絶対性の否定への傾向を強めた.その結果,諸宗教への関心が増大し,諸宗教研究は大きく前進した.聖書を,旧約の場合は古代オリエントの世界の背景で,新約の場合はヘレニズムの宗教や後期ユダヤ教の背景の中で,どのように成立したかを見るようになった.この立場に立って,聖書学の分野において,旧約では,ヘルマン・グンケルが,また新約では,ブセット,ヴレーデ,ヨハネス・ヴァイス,ハイトミュラー等の研究が注目された.しかし,この学派の立場を,宗教学,宗教哲学,教義学の多方面にわたって展開し,最も大きな影響を与えたのは,エルンスト・トレルチュ(1865—1923年)であった.彼は,リッチュル神学の不徹底を批判し,カント,シュライアマハーの批判主義に注目,その徹底を計った.彼の神学で,注目に値するのは,その宗教理解である.彼は,宗教的経験のアプリオリ性を追求,それによって,諸宗教に共通する規範性を見る.さらに,諸宗教との関連においてキリスト教の本質を規定する.この問題を取り上げた『キリスト教の絶対性と宗教史』(1902)の中で,キリスト教の卓越性は認めるが,その絶対性については,もはや主張することができないと言う.キリスト教啓示の相対化は,当然,イエスの神性,聖書の中の奇蹟的出来事の否定となる.トレルチュは,自由主義神学の立場を徹底することにおいて,自由主義神学の限界を見通した神学者と言われる.19世紀,20世紀自由主義神学は,トレルチュをもって区切りをつけることができ,その後,危機神学の登場により,一世紀の間,神学界を風靡したリベラリズムは衰退する.<復> クラレンス・バスは,自由主義の流れを,(1)哲学的自由主義(1840—90年),(2)神学的自由主義(1890—1910年),(3)体系としての自由主義(1910—35年),(4)衰退する自由主義(1935年以降)の4期に分けて考察している.1960年以降,自由主義神学は,聖書学の領域から組織神学の領域にまで,再び装いを改めて回復する兆しを見せ,新自由主義と呼ばれるようになっている.<復> 5.自由主義神学の特質.<復> 自由主義神学は,振幅の大きい神学的立場であり,共通の特質を列挙することは容易ではないが,以下の諸点を指摘することができる.(1)聖書の十全霊感と権威性の否定.(2)聖書の歴史的批判(高等批評)の導入.(3)超自然主義の排除.聖書の奇蹟の否定.(4)キリストの神性の否定.単に教師,模範者としてのキリストの強調.(5)人間の罪性の軽視.人間の自由,自律性の強調.(6)キリストの代替的贖罪の否定.(7)文化への近接と,楽観的な歴史の理解.(8)倫理,特に,社会的実践の強調等である.これらは,福音主義の立場と対立するものがほとんどであり,対決を避けがたいものにしている.自由主義神学と対決した神学者の一人,J・G・メイチェンは『キリスト教と自由主義』の中で,リベラリズムを,「全くキリスト教とは言えないものであり,キリスト教以外の範疇に属するものとして,全くキリスト教とは異なる宗教である」と批判している.<復> 6.日本における自由主義神学.<復> 日本には,19世紀の終りに「新神学」として紹介された.小崎弘道によると,「新神学」はユニテリアン思想と,独逸普及福音派の思想と,アンドーバー神学思想であったと言う.1885年,独逸普及福音教会のW・シュピナー(スピンネル)が来日,1892年には,米国ユニテリアン協会のナップが来日し,共に「新神学」の紹介に努めた.1892年には,プフライデラーの『自由神学』が,金森通倫によって翻訳されており,その影響は大きかったと言われる.この「新神学」問題の延長線上に,今世紀初頭に見られた,海老名弾正と植村正久の論争(福音主義論争)を見ることができる.これは,キリスト論を巡る論争であり,海老名は自由主義の立場に立ち,植村は正統主義の立場に立つ.植村によれば,海老名はキリストを師表と仰ぐのみであって,贖罪の事実を認めていないと言う.従って,キリストは,神か人か,信仰の対象か,信仰の模範かを巡る論争であった.日本キリスト教史における自由主義神学を巡る最初の論争として注目に値する.→根本主義,新プロテスタンティズム,新正統主義,神の死の神学.<復>〔参考文献〕宇田進『福音主義キリスト教とは何か』いのちのことば社,1984;C・F・ヴィスロフ『現代神学小史』いのちのことば社,1975;佐藤敏夫『近代の神学』新教出版社,1964;J・G・メイチェン『キリスト教とは何か—リベラリズムとの対決』聖書図書刊行会,1976.(橋本龍三)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社