《じっくり解説》聖書批評学(新約)とは?

聖書批評学(新約)とは?

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聖書批評学(新約)…

ある文書について,その本文,文学的範疇,用いた資料,著者,成立年代,執筆の意図,構成や文体などを確定する作業が批評学であるが,18世紀以降啓蒙思想の合理主義精神の影響の下に,その方法が新約の諸文書に適用されるようになった.その研究の領域から本文批評(下層批評)と歴史・文献批評(上層批評)とに分けられる.<復> 1.本文批評.<復> 新約聖書の各書はその写本があるだけで原本は残っていない.16世紀に印刷術が発明されるまで手書きで写されたため,筆写上の間違いは避けられず,写字生が意図的に本文に手を加えることもあった.その結果今日残存している数千の写本の間に若干の違いが見出される.わずかの良質とは言えない写本に基づき17世紀に作成された「標準本文」に,教会は長い間依っていた.しかしその後古く優れた写本(シナイ写本やヴァチカン写本や多くのパピルス写本など)が発見された.そして写本がおのおのの特徴に従って本文型(系譜)に分類され,写本の質を判定する方法が確立されてきた.今日ではアレキサンドリア型,西方型,ビザンチン型といった本文型が確かめられている.そのうちアレキサンドリア型本文が最も有力で,それに西方型が続く.ビザンチン型は単独で受け入れられることがまれである.福音書に関してはカイザリア型本文も主張されてきたが,独立した型として認めることに対する反対がある.こうした外部証拠の考察とともに内部証拠も検討される.写字生の手が加わった可能性を見る転写の蓋然性,著者自身が書いた可能性を推測する本来的蓋然性が量られ,最終的には「どの読み方を原著のものとしたなら,すべての読み方の発生が説明できるか」という点から判定が下される.こうした方法で異読のある箇所についておのおの検討を加え,どれか特定の古い写本や,優れた系譜に全面的に依存しない「折衷主義」が広く受け入れられている.こうした16世紀以来の本文批評学の努力の結果,われわれは今日原著に極めて近いギリシヤ語新約聖書を持っていると言うことができる.<復> 2.歴史・文献批評.<復> (1) 18,19世紀.新約聖書を単なる一つの文献と見,理性によってその歴史的な価値の判断までする「上層批評」は18世紀のドイツに始まる.<復> a.自由主義のイエス伝.19世紀に入ると,多くの空想的な「イエスの生涯」が著された.奇蹟の合理主義的な解釈がなされ,中にはイエスの歴史的実在性も疑う極端な懐疑主義まで現れた.D・F・シュトラウスは,福音書の資料の大半は神話であるとし,その歴史性を否定した.自由主義の全盛期,20世紀への転換点において,H・J・ホルツマンやA・ハルナックらが示した「史的イエス」は,奇蹟を行わず神性も主張せず,人間の模範にすぎないイエスであった.こうしたイエス伝の誕生は,人間の理性の働きが科学的で客観的であると言われながらも,いかに時代の精神に左右されやすいかを物語っている.<復> b.共観福音書問題.19世紀の福音書研究は,ヨハネの福音書の歴史的信頼性を退ける一方,共観福音書の相互関係の探究に向かった.その結果,マルコの福音書と語録資料(後のQ)によってマタイとルカの二福音書が成立したという二資料説に達した.多くの者はこれをもって共観福音書問題は解決されたとし,その後の研究はこの二資料説を前提に進められることになった.しかし,果して資料として用いられたのはマルコの福音書それ自体か,それともマルコに最も近い使徒伝承のようなものがあったのか疑問は残るし,Q資料の仮説性も否定できない.そこで今なお一部に二資料説に同意しない者もいる.<復> c.テュービンゲン学派.ヘーゲル哲学の影響の下,F・C・バウアとテュービンゲン学派は,パウロの主要な手紙からペテロに代表されるパレスチナの教会とパウロに率いられた異邦人教会の対立を推論し,大半の新約文書は,対立が和らいだ70年以降の状況を反映していると論じた.特に「使徒の働き」は2世紀半ばの成立とされた.しかし「対立」は誇張であり,福音書や使徒の働きの成立はそれほど遅くないことを,J・B・ライトフットやW・ラムゼイらが立証した.それでも原始教会内の対立や新約文書の傾向性といった見方は今日の批評家の多くに受け継がれている.<復> (2) 20世紀の批評学.<復> a.メシヤの秘密.20世紀初頭に発表されたW・ヴレーデの「メシヤの秘密」は,ガリラヤの一教師にすぎなかったイエスが,死後弟子たちによって超自然的なメシヤにされたため,マルコの福音書には,自らのメシヤ性を隠そうとするイエスとそのメシヤ性を理解しない弟子たちといったモチーフが見出されるのだ,という仮説である.しかし,それではなぜイエスが十字架で処刑されたのか,十分説明ができない.<復> b.宗教史学派.新約聖書を同時代の宗教に見られる並行現象によって説明しようとする試みは,すでに1870年代から始まっている.今世紀に入ってからは,ギリシヤの密儀宗教が初代教会に影響を与えたとするR・ライツェンシュタイン,パウロの手紙の背後にグノーシス主義があると主張したW・シュミッタールス,ヨハネの福音書をエジプトのヘレニズム的文書と関連付けようとしたC・H・ドッドらの研究がある.しかしそれらによって依存関係が立証されたとは言いがたい.資料はしばしば不十分で,後代のものであったりするし,また並行現象が確認できても,それで即依存関係の証明にはならないからである.<復> c.様式批評(様式史).共観福音書の資料批判に続いて,批評家たちの関心は福音書の背後にある口頭伝承に向かった.こうして1920年前後にM・ディベーリウス,K・L・シュミット,R・ブルトマンが相次いで様式史の研究を発表した.民間伝承の様式を手がかりにして,彼らは福音書を口伝の断片の結合と見,おのおのの断片が幾つかの様式に分類できるとした.シュミットは断片をつなぐ枠としての要約のことばは福音書記者の創作であった歴史的なものではないとした.またブルトマンは,短いことばが状況とともに語られるアポフセグマタ,箴言,預言的・黙示文学的なことば,律法に関することばと教団規定,「私は」で始まることば,比喩などに言葉伝承を分類した.また物語伝承には奇蹟物語や歴史物語と聖伝などの様式があるとした.そしてこれらの伝承は原始教会の礼拝,教育,訓練,論争といった「生活の座」において形成されたもので,歴史的な価値はおおかた疑わしく,それらからイエスの生涯を構成することはできないとした.様式批評は福音書成立以前の伝承に光を当て,伝承が形成された当時の教会の状況を明らかにしようとするものとして評価できる.しかし,その極端な歴史的懐疑主義は受け入れがたい.様式史は本来伝承の様式を分析するものであり,その歴史的な価値判断は必然的なものではないと思われる.またシュミットが福音書記者の創作とした「枠」にしても,C・H・ドッドが反論したように,原始教会の宣教の骨格と類似しており歴史的である蓋然性はある.そもそも伝承の起源があいまいで,しかも長い年月にわたって形成されてきた民間伝承と,それと反対の性格を持つ福音書の伝承を類似したものと理解することが妥当かどうか疑問である.伝承がすべて口伝であったとすることや,様式の分類方法が一貫していないことに疑問が残るし,ユダヤ人の伝承の正確さを考えると,口伝だから容易に変化したはずだという主張にも反論の余地があろう.特にまた,イエスのわざとことばの性格や,多く残っていたはずの目撃者の存在を考慮する時,原始教会が伝承を創作したとする多くの様式史家の見方にくみすることは容易でなくなる.<復> d.編集批評(編集史).様式批評では単なる伝承の収集者であった聖書記者を,編集者と見てその役割を積極的に評価するのが編集批評である.それは1940—50年代にG・ボルンカムやH・コンツェルマンが,それぞれ第一福音書と第三福音書の著者がマルコの福音書を用いて,どのように自らの神学を表現したかを論じたことに始まる.それによって各福音書の際立った特徴が明らかにされてきた.しかし,結論が学者によってしばしば大きく異なるという事実は,この方法論の限界を示す.実際編集史の基礎的な作業である伝承と編集の区別からして明瞭でない.例えばマタイの福音書に多く見出される語がこの福音書記者による言い替えなのか,それとも資料に見出された語を継承したものか,判別は容易でない.それにたといそれがその福音書記者が好む表現だったとしても,編集史家がしばしばするように,それは「編集」の部分で歴史的価値が低いと論じるのは早計である.なぜなら福音書記者が伝承から受け取ったものを自らの表現で言い替えた可能性もあるからである.また編集批評は,それぞれの福音書の特徴に目を注ぐあまり,それらに共通した原始教会の使信を無視しやすい.むしろ違いは,福音書記者たちの間の基本的な一致のうちにある細かな相違として,理解すべきであろう.さらに最大の方法論上の欠陥は,編集即創作と理解する傾向,つまり神学的意図が存在すればその資料は歴史的でないと即断する傾向である.そのため,例えばルカが歴史家か神学者かと二者択一的に問われるが,むしろ歴史家であることと神学者であることがどのように総合されているかを問うべきではないか.<復> e.史的イエスの新しい探求.様式史から編集史に関心が移行するのとほぼ同じ時期,ブルトマンの極端な懐疑主義に対する反動がその弟子たちの間で起ってきた.E・ケーゼマン,E・フックス,ボルンカムらが史的イエスと原始教会の宣教の間に何らかの連続性がなければならないとしたのである.彼らはある部分において福音書の歴史的な真正性を認めるのであるが,ブルトマンの立場を基本的には継承している.<復> f.伝承史.様式史,編集史といった作業を中心に,伝承の発生から最終的な編集に至るまでの過程全体を考察するものとして伝承史がある.例えば伝承の発展が,史的イエス→アラム語を話すパレスチナのユダヤ人キリスト教会→ヘレニズム的なユダヤ人キリスト教会→異邦人キリスト教会といった図式でとらえられる.しかし早くからヘレニズム思想がパレスチナに浸透していた事実や,セム語的特徴の有無も伝承の古さの指標にならないことなどを考慮すると,図式化に限界があることがわかる.また同時代のユダヤ教と原始教会の教えに見出されないものだけをイエスに帰す「相違の基準」によって,多くのイエスのことばの真正性が否定されてきたが,それによって得られるものは,ユダヤ教や原始教会と連続性を持たず歴史的文脈から全く孤立した奇妙なイエス像である.確かに伝承の過程で新しい状況に適用されることもあったと思われる.しかしその展開を非連続的なもの,異質なものへの変化と理解することには無理がある.<復> g.書簡の批評学.福音書以外の新約文書については,批評家たちの関心は著者や資料,一体性といった問題に向けられてきた.例えば文体の変化,視点の展開,重複や論理的中断などを根拠に文書の一体性がしばしば否定されてきた.著者問題については特に牧会書簡の真正性が,他の書簡との教理上,文体上の違いを理由に否定されてきた.しかしそうした変化や違いの評価はしばしば主観的である.むしろそれらは同一著者内部の変化や,状況の変化,主題の違い,文体の変更といった見地から理解できるのではないか.<復> h.近年の新しい試み.以上のような展開の上に,近年幾つかの方法論が提唱されてきた.まず構造主義的な方法論がある.それは言語を通時的に,歴史発生的場面においてとらえず,共時的に,静止的場面において現れる言語の諸要素の関係において理解しようとする構造主義言語学の方法を新約聖書に適用したもので,本文の歴史的価値の判断に傾きがちな従来の歴史批評の欠けを補うものと言われる.構造主義後の動きの一つに応答批評(リーダー・レスポンス批評)がある.それは意味は本文と読者の相互作用によって生れるとする立場であるが,著者の意図を過小評価し,主観主義に陥る危険性がある.また「イエス運動」を社会学的に分析する文学社会学の方法もある.これは原始教団成立以前の伝承にも目を向け,イエス自身とその運動を連続したものとしてとらえる点で,従来の様式史の限界を超えるものだと主張されている.さらにジャンル批評がある.福音書,使徒の働き,書簡,黙示録とそれぞれが独自の文学類型を示しているが,同時代の諸ジャンルと比較することによって新しい光が投じられる.例えば当時の修辞法を知ることにより,パウロの手紙の統一性が確かめられたり,誤った解釈が正されることもある.保守的な批評学界に論議を呼んだ,マタイの福音書をミドラシュとするR・ガンドリの見解もジャンル批評の一つである.<復> (3) 聖書の権威と歴史・文献批評.歴史・文献批評は新約聖書の霊感と権威を否定し,それを他の資料と同列に置くところから始まった.従って,初めから奇蹟などの超自然的要素を否定し,しばしば歴史的な懐疑主義に陥った.歴史的な真正性は,それが証明されない限りは受け入れられないとしたのである.他方保守的な聖書観に立つ者は,そうした批評学の否定的現実のゆえに,その研究を初めから独断的に無視する傾向があった.しかし今日,新約聖書の霊感と権威を受け入れつつ,しかも批評学に取り組む者が少なくない.彼らは理性による新約聖書の歴史・文献批評に携わるが,同時に理性を絶対化せず,研究の対象である新約聖書が主張する権威に服する.聖書の真正性は反証がない限り受け入れるのである.また従来の批評学の結論と聖書の言明が食い違う場合,性急に二者択一的な選択をせず,よりよい解決を求めて研究を続けるのである.このように保守的な批評学は,対象である聖書の語るところから出発しようとする.確かにこの立場は,理性と聖書の権威の間の緊張にいつも自らを置いている.しかしいかなる批評学も何らかの前提に立つとすれば,聖書自体の主張する有神論的な世界観を前提にした批評こそ,対象に即したものとして,また理性に正しい位置付けを与えるものとして,健全な方法論と言えるのではないだろうか.→聖書本文,聖書の霊感,聖書の権威.<復>〔参考文献〕日本基督教団出版局編『聖書学方法論』日本基督教団出版局,1979;G・マイアー『歴史的=批評的研究の終焉』いのちのことば社,1978 ; Harrison, R. K./Waltke, B. K./Guthrie, D./Fee, G. D., Biblical Criticism, Zondervan, 1978; Blomberg, C., The Historical Reliability of the Gospels, IVP, 1987 ; Marshall, I. H.(ed.), New Testament Interpretation, Paternoster, 1977.(内田和彦)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社