《じっくり解説》皇帝礼拝(崇拝)とは?

皇帝礼拝(崇拝)とは?

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皇帝礼拝(崇拝)…

[英語]Emperor Worship (Cult).<復> 一般に,紀元前27年オクターウィアーヌスが元老院会議において[ラテン語]インペラトル・カエサル・アウグストゥス(Imperator Caesar Augustus)の称号を与えられ,初代皇帝に任命された時点で(参照ルカ2:1),皇帝礼拝が確立されたと理解されがちであるが,ローマにおける皇帝礼拝確立の過程はそれほど簡単ではない.<復> もともと皇帝という語はローマのものではなく,紀元前221年中国古代の秦の統一の時に初めて用いられた表現である.しかし,現在では「皇帝」を意味する英語Emperorもドイツ語Kaiserも,Imperator Caesarを語源としている関係上,逆にこのラテン語に初めから君主制的性格を持つ皇帝という意味があったと考えられ,それが固定観念になっている傾向がある.<復> カエサル(カイザル)という語は,ユーリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の養子オクターウィアーヌスに与えられた呼び名で,「カエサル家のもの」という意味であり,「君主権を備えた皇帝」という意味ではない.インペラトルの称号は「命令する人」を意味し,国法上の用語としては命令権を与えられた最高指揮官を指し,さらに転じて勝利を得て帰国した将軍に対して軍隊または元老院,国民が献ずる名誉称号に拡大されたものであって,やはり君主権を表すものではない.また,アウグストゥスは個人名ではなく,超人間的な神的な性質を表す語としてこの時初めて作られた語である.これら三つの言葉は,ローマ皇帝の正式名称となり,アウグストゥスに続くどの皇帝にも称号として用いられたが,この称号自体には現人神的概念は含まれていなかった.<復> 古く旧約の世界においては,神のほかに誰をも礼拝してはならない(出エジプト20:2,申命5:7)と明記されているように,皇帝または国王を神としてあがめ礼拝する宗教行為は決して見ることができなかったし,新約においても同様であった(マルコ12:29).<復> ローマ皇帝礼拝の起源は,イスラエル以外の異邦の世界に求められる.すなわち,東方的君主礼拝とヘレニズム的英雄崇拝(<英>Hellenistic Royal Cult)と,ローマの宗教意識などが段階的に結合し,ローマ皇帝礼拝を確立させるに至ったのである.<復> 1.ヘレニズム的君主崇拝.<復> 皇帝礼拝の風習は,古くからエジプト,バビロニヤを初め,オリエント世界では至る所で見られた.国王の前で臣下は,神に対する拝跪(はいき)の礼をしなければならなかった.この風習がヘレニズム世界に伝えられ,ローマ皇帝礼拝へと発展した.この過程の中で,ギリシヤ世界の英雄崇拝([英語]Hero Cult)との関連を見逃してはならない.すなわち,古くからギリシヤにあった,哲学者や政治家を死後に限って英雄化し崇拝した風習と,後に起った,国家的功労者を生前に神格化してあがめる風習とが古代オリエントの君主崇拝と統合され,アレクサンドロス大王とその後継者の時代に,国王を神の後裔(こうえい)として考えあがめるようになった.<復> かくしてプトレマイオス2世は,エジプト人の間でもギリシヤ人の間でも,神として君臨することが可能であったのである.またシリアのセレウコス王朝の王の中では,アンティオコス2世(Antiochos)が[ギリシャ語]テオス(Theos,神)と呼ばれ,4世が[ギリシャ語]エピファネース(Epiphanes,神の顕現)ととなえられた.このようにアウグストゥス帝出現以前に,地中海世界には君主または英雄を崇拝する習慣が存在していた.<復> ローマ帝国とキリスト教の問題を理解するためには,地中海世界におけるローマと東方属州の皇帝崇拝意識の差異に注目する必要がある.<復> 2.東方属州の皇帝崇拝.<復> 初代皇帝アウグストゥスがヘレニズム的君主礼拝の導入には慎重であったにもかかわらず,ヘレニズム的君主礼拝の強い東方属州においては,早くから彼に対する崇拝の意識が定着していた.例えば,東方属州民は早くからローマ女神とアウグストゥス自身のための神殿を,ペルガモとニコメディアに奉献している.そして,アジヤ州議会がアウグストゥスの誕生日(9月23日)を新年の開始と決議し,神の誕生日としたことは,プリエネ碑文に刻銘されている.またヘロデ大王は,前27年にオクターウィアーヌスがアウグストゥス([ギリシャ語]セバストス)の尊称を受けた時に,サマリヤの町をセバステと改名し,多くの豪華な建物の間にアウグストゥスの神殿を建てたとされる.さらに前22年ヘロデが,地中海岸に新しい港町を建造し,この町を皇帝に敬意を表してカイザリヤと名付けたことからも,東方属州においていかに皇帝崇拝意識が高かったかがうかがえよう.<復> 3.ローマにおける皇帝崇拝.<復> アウグストゥス皇帝は,決して「東方的専制君主」でも「現人神」でもなく,君主礼拝には慎重な態度で臨んでいたので,彼の功績をたたえてローマに神殿が建てられ,[ラテン語]divus(神)として祭られたのも死後のことであった.ローマ的思想圏においては,ヘレニズム的君主礼拝は無条件に受け入れられなかったのである.それは古く共和制時代から行われた勝利の祝祭行列に当って,勝利の女神ヴィクトリアとともにカイザルの像が出現した際,群衆の間に拍手喝采が全く起らなかったという事実からも明らかである.東方属州におけるような皇帝の神格化に,ローマ市民が潜在的に抵抗していた傾向が見られる.<復> 1世紀のローマにおいて,カリグラ帝,ドミティアーヌス帝を除いては,皇帝が現人神として取り扱われたことはなかった.治世中に自らを神と呼ばせたカリグラ帝は,死後間もなくこの称号を取り去られている.暴君ネロですら,法規定に基づいて自身を現人神とした記録はない.<復> 4.ローマ皇帝礼崇とローマ本来の宗教意識.<復> ローマにおいて,アウグストゥス的皇帝崇拝理念が2世紀まで現存していたにもかかわらず,なぜキリスト者が迫害されたのかについては,ローマ人が本来持っていた宗教意識との関連の中に,理解の糸口が求められる.<復> ローマ人の宗教の特質としてまず挙げられるのは,ローマ古来の神々ははっきりした個性を持たない非人格的な諸力であり,それぞれのヌーメンすなわち意志と力によって自らを現したと考えられ,その神々が国家に対してどのように「はたらく」かが重大事項であった,ということである.ローマ史1千年を迎える180年頃,すなわちアウグストゥス的皇帝崇拝理念が専制君主的理念に移行した時期は,ローマが危機に瀕した時であった.この衰退の原因を,ローマに古くから伝わる神々の怒り,「神々のはたらき」としてとらえ,キリスト教絶滅に精力的に手を伸し始めたと理解される.ローマ宗教の第2の特質は,個人的救いを第一義的な問題とするのではなく,あくまでも一国家の幸福と安寧を目的とした国家宗教であったことにある.従って一人のキリスト者の国家神拒否の行為は,個人的次元を超えて神々の怒りを国家に招くと考えられ,ローマ帝国全体の問題としてとらえられた.第3の特質は,神々の加護を信頼して神々にふさわしい祭儀,すなわち犠牲をささげる祭儀宗教であったことである.<復> 国家神を拒否することからくる神々の怒りを恐れる意識が,一般民衆の中にあったことを理解する時,ネロ皇帝が大火の原因をキリスト者に転嫁して迫害を強化した事情を理解することができる.これをローマ史家タキトゥスは,キリスト者は「隠れた罪と人類憎悪の罪によって罰せられた」と記した.<復> 東方的君主礼拝に対して比較的冷静であったローマも,帝国統一の歴史的必然の中で,ヘレニズム的君主崇拝,及び国家神を重視するローマ本来の宗教意識の影響を受けつつ,強力な皇帝礼拝を確立するに至った.ここに至って,アウグストゥスが築いた,死後においてのみ神格化される姿勢は崩れ,現人神的皇帝礼拝が強要されたのである.<復> ドミティアーヌス帝は,自らを古代ローマの主神ユピテルの御子,嗣子であると思わせ,1世紀のローマ世界に皇帝礼拝を確立し,帝国一帯の人々に一人残らずローマ皇帝礼拝式に参列する義務を課した.しかし,この時彼は,元老院からばかりでなく,多くのキリスト者から獣(黙示録13章)として反撃を受けた.皇帝礼拝の拒否から起きたこの時の迫害の模様を,初代の歴史家スエートーニウス・トランクィルス,エウセビオスは次のように記録している.スエートーニウスは,「キリスト者はイエスを主と呼ぶが,それと同時にドミティアーヌス皇帝がそう呼ばれるのを好んだように,皇帝をも主と呼ぶことはできない」とキリスト者迫害の根拠について述べている.またエウセビオスは「その当時我々の信仰の教えが相当に広がっていたため,われわれの宗教に関係のない著作者たちも,その時行われた迫害や殉教について記すことを躊躇しなかった」と迫害時の状況を記述した.<復> ドミティアーヌスの迫害がたとい強力なものであったとしても,最初の二世紀間で皇帝礼拝が帝国の古い宗教に代る新しい宗教として発展したとは考えられない.これは,ヘレニズムの影響を強く受けた上流階級及び哲学者セネカによる現人神ネロ皇帝存立の努力が成功せず,後継者ウェスパシアーヌス帝によって,伝統的なアウグストゥス的神格化(死後における)に引き戻されたことからも理解できる.この姿勢がドミティアーヌス帝の例外を除いて,マールクス・アウレーリウス・アントーニーヌス帝まで引き継がれたことは,特記すべきである.<復> しかし250年以降,特にディオクレティアーヌス皇帝の治下では事情は一変し,皇帝礼拝が滅び行くローマ帝国の統一と再建の手段として用いられ,大迫害が教会に加えられた.ここに至ってアウグストゥス的皇帝崇拝の理念は完全に消滅し,現人神として君臨する皇帝への礼拝が強要されるようになった.これは4世紀に入って,ついにコンスタンティーヌス大帝のミラノ勅令(313年)により信教の自由がもたらされるまで続いた.4世紀のテオドシウス帝の時代に,キリスト教はローマ帝国の国教となり,以後新しい形で皇帝崇拝はキリスト教化されたローマ帝国の中に存続することになる.<復> 5.ローマ皇帝崇拝とキリスト教.<復> キリスト教がヘレニズム・ローマの領域に伝播するに従って,キリスト者は皇帝崇拝の問題に直面せざるを得なかった.キリスト者がユダヤ教から受け継いだ最も重要な律法は偶像崇拝の禁止であり,皇帝の像を拝むことは,この律法を犯すことになる.まして皇帝礼拝は人間を神として拝むことであるから,赦されるべきではない.<復> キリスト教は,発展の初期の段階では,ローマ帝国から公認宗教([ラテン語]Religeo licita)として認められていたユダヤ教の一派と見なされたため,直接ローマと深刻な相克状態になることはなかった.しかし,第1次ユダヤ戦争で70年にユダヤが敗れ,その首都エルサレムが破壊されてからは,キリスト教はもはやユダヤ教に属さない新宗教であるとローマ当局に認識されるようになり,キリスト教徒にも,国家の一員としてローマの皇帝を礼拝する義務を次第に押し付けるようになった.特に皇帝礼拝を法的に確立したドミティアーヌス帝,及び250年以降の専制帝政的皇帝の治政下では,皇帝礼拝への参加は教会の死活問題となり,多くの殉教者を出した.<復> キリスト者は,国家に盲目的に服従したのではなく,何を拝むかを強要された時,その国家権力に対して毅然として立ち向かったのである.テルトゥリアーヌスは,「われわれがあなたに刈り取られることが多ければ多いほど,われわれの数は増える一方だ.キリスト者の血は福音の種子である」と述べ,邪悪な国家に対する姿勢を明確に示すと同時に,「皇帝の安寧とローマ帝国の繁栄を祈願することは,キリスト教徒の重要な義務である」とし,祈りによる国家への忠誠を訴えた.マクナブの「国家の命令が明らかに不法であり,聖書に反するとき,キリスト者はその命令に反することによって国家にさらに大きな忠誠を尽すことができる」との言葉は,初代キリスト者から現代へのメッセージであろう.<復> 「カイザルのものはカイザルに返しなさい.そして神のものは神に返しなさい」(参照マルコ12:13‐17)というイエスのことばは,「カイザルのもの」と「神のもの」を区別した有名なことばである.これは政教分離の原則を述べたもので,皇帝礼拝についてのものではないが,皇帝と神との関係が明確に示されている.たとい皇帝の支配権が神から出ているとしても,皇帝の働きはあくまでもこの世に属するものである.イエスは,両者の間にはっきりとした区別をつけ,キリスト者は国民として果すべき責任は全うしなければならないが,皇帝を礼拝の対象としてはならないと警告している.決して領域の混同があってはならないのである.<復> 313年コンスタンティーヌス大帝のミラノ勅令によって,キリスト教は国家から正当な宗教と承認され,信教の自由を勝ち取ったが,果して歴史における勝利であったかどうかは疑問が残る.<復> 380年のキリスト教国教化以来,「教会と国家」の連携が西欧の歴史の重要な軸となってしまった.政教分離の大原則は,ロジャー・ウィリアムズのニューイングランド神政政治からの分離によって,アメリカ史の中で確立された.4世紀以降のキリスト教化されたローマ帝国の中で,引き続き新しい形で皇帝崇拝が静かに発展していったことを見る時,民主主義体制の国家における政教分離の重要性を痛感する.<復> また,たとい皇帝自身が現人神的神格化に否定的態度を示しても,東方属州においてもローマにおいても一般民衆の皇帝崇拝意識が根強く,国家から皇帝礼拝が強要された時,抵抗なく受容できる素地を作ってしまっていたことに注目したい.ローマの皇帝崇拝と宗教意識の問題は,日本の現況に大きな指針を与えるだろう.時が良くても悪くても,絶え間ない宣教の努力が必要である.→ローマ,迫害,殉教・殉教者,国家と教会,神政政治,偶像崇拝(礼拝).<復>〔参考文献〕弓削達『ローマ皇帝礼拝とキリスト教徒迫害』日本基督教団出版局,1984 ; Hastings, J.(ed.), Dictionary of the Apostolic Church, T. & T. Clark, 1926 ; Koester, H., History, Culture and Religion of the Hel lenistic Age, Walter De Gruyter, 1982 ; Taylor, L. R., The Divinity of the Roman Emperor, American Philological Association, 1931.(湊 晶子)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社