《じっくり解説》ルーテル教会とは?

ルーテル教会とは?

スポンサーリンク

ルーテル教会…

ルーテル教会は,世界で7千万余の信者を擁し,プロテスタント最大の教派と言われる.しかし,現在でも北欧では国教会制,ドイツでは領邦教会制を残しており,その枠内での信徒数と,非キリスト教国での,成人になってから洗礼(バプテスマ)を受けることが多い状況での信徒数を比較することは無意味である。<復> デンマークの福音ルーテル国教会の信徒数は470万であるが,これは総人口510万の92%である.ノルウェーの国教会も信徒数370万であるが,これは総人口410万の90%に当る.また,スウェーデンの国教会信徒数794万人は総人口833万の95%,フィンランド福音ルーテル教会の信徒数436万は総人口486万の90%である.以上4か国だけで,ルーテル教会信徒数は2070万であるが,これに西ドイツのドイツ福音教会(EKD)に属するルーテル教会信徒数約2千万(西ドイツの人口は6100万,そのうちカトリックは2760万),その他,東ドイツのルーテル教会信徒数600万(人口1700万)を加えると,5千万に近い信徒数となる.北欧の国教会,ドイツの領邦教会及びこれに準じる教会,そしてこれらの地域からの北米移住者たちによって建てられた教会が,ルーテル教会信徒数の90%を占めている.このことは,創立者ルターの真意がどこにあれ,ルーテル教会が現状では民族的,領域的な教会であることを示すと言えよう.<復> 北米において最近合同してできた北米福音ルーテル教会580万人,ミズリー・シノッド290万人の母体も,北欧及びドイツからの移住者である.オーストラリアの40万,またブラジルの福音ルーテル教会15万も,ドイツ系の移住民を背景にした民族的,地域的教会である.それゆえ,ルーテル教会が民族の差別を越え,地域の中で散在するような形での教会形成は非常に難しく,アフリカにおけるタンザニアの福音ルーテル教会60万,マダガスカルのルーテル教会45万,アジアではインドのルーテル教会60万,さらにパプア・ニューギニアの福音ルーテル教会27万は例外と言える.また,インドネシアのバタク・キリスト教プロテスタント教会は104万の信徒数で,ルーテル世界連盟(LWF)に加盟しているが,アウグスブルク信仰告白を告白していない.<復> 国教会または領邦教会に属する信徒は,生れるとすぐ洗礼(バプテスマ)を受け,普通14,5歳で堅信礼を受ける.さらに,教会で結婚式を挙げ,教会で葬式を執り行い,教会墓地に埋葬される.しかし一般に信仰者としての意識は非常に低く,その世俗性は,平均的日本人のそれとあまり変りがない.成人信徒の毎週の礼拝出席は,国によって違うが平均3—4%と言われる.どこでも大都会での出席率は低い.世界のルーテル教会の信徒数が7千万と言っても,自覚的クリスチャンはせいぜい10%であろう.しかし,それならばそれ以外の人々はクリスチャンでないと言い切れるかというと,それも難しい.それゆえ「ルーテル教会」について叙述しようとするならば,日本ではなじみの薄い「国教会制」「領邦国家制」「北米における移住者の民族的教会」について理解しておかなければならない.それは,宗教改革期におけるアウグスブルク和議(1555年)以来の伝統を引きずっているのである.この和議において,ローマ・カトリック教会とルター派の教会の平等の権利が認められたが,それ以外の教派の信仰は認められなかった.諸侯はそれぞれの領土内でこの二つの信仰のいずれかを選ぶ権利を認められたが,住民は選択権を与えられなかった.これが「領主の宗教決定権」と呼ばれるものである.さらに30年戦争の結果,カトリックとルター派以外にカルヴァン派も認められたが,国民が個人の良心に基づいて礼拝する自由は大幅に制限されたままであった.今日,北欧やドイツでも信仰の自由は認められているが,実際にこのような国教会制,及び領邦制の地域で他の信仰を保持し,かつ,これを宣教しようとするならば非常な困難が予想される.そのような中でシュペーナー(1635—1705年)やフランケ(1663—1727年)による敬虔主義が起り,さらに19世紀になるとリバイバル運動,信徒運動,海外宣教運動が起り,国教会や領邦教会の持つ体制的性質を批判し,修正し,活性化してきたというのが現状であろう.以上のことは,聖公会や長老派教会にも当てはまるが,ルーテル教会の場合は,特に民族性,領域性の色彩が強いと言わなければならない.<復> 日本におけるルーテル教会の活動は他のプロテスタント諸教派より30年ほど遅く,1893(明治26)年,佐賀で最初の礼拝が持たれた日を出発点としている.それは,アメリカ南部一致ルーテル教会の外国伝道部が1888年に日本伝道を決議,シェーラーを宣教師として派遣したことから始まる.1898年には3番目の宣教師ウィンテル(ヴィンテル)が来日したが,彼はデンマークの宣教団体から派遣され,佐賀伝道に協力した.戦前のルーテル教会は,少数のフィンランドの宣教師を除き,主としてアメリカのルーテル教会より派遣された宣教師によって形成されたが,その中で,小さなデンマーク・ミッションに支えられたウィンテルは異色の存在であった.彼は足かけ72年の生涯を日本宣教にささげ,95歳まで元気で神戸ルーテル聖書学院及び神学校教授として活躍し,1970年召天,神戸の再度(ふたたび)山に葬られている.ルーテル教会の宣教地は九州を基盤とし,その後徐々に東京,京都,神戸などにも教会を建てていったが,第2次世界大戦が終るまで,おもな勢力範囲は九州に置かれた.教会成長も遅く,宣教開始後約30年の1929(昭和4)年にやっと久留米教会が自給するという有様であった.第2次世界大戦が始まる1940年頃に教会数約40,信徒数5千人に達したが,戦争中のキリスト教会への圧迫や,空襲による教会の焼失,牧師の召集などによって壊滅状態に陥った.1946(昭和21)年の統計によると教会数30,信徒数わずか1300名,礼拝出席者数600名に激減している.戦後になると,従来の北米を主としたルーテル教会以外に,特に中国で伝道していた北米系などの宣教団体が伝道に加わり,幾つかの新しいルーテル教会を生み出した.いろいろな経過を経て,現在,日本ではおもに六つのルーテル教会が存在する.戦前からの日本福音ルーテル教会(教会数140,信徒数2万1000),アメリカのミズリー派を母体とする日本ルーテル教団(教会数34,信徒数3千),北欧系のミッションを母体とする西日本福音ルーテル教会(教会数30,信徒数2700),同じく北欧系の近畿福音ルーテル教会(教会数30,信徒数2400),アメリカの北欧系移住民によるルーテル同胞教会を母体とする日本ルーテル同胞教団(教会数23,信徒数1100),ドイツのマールブルク・ミッションを母体とするフェローシップ・ディコンリー福音教団(教会数9,信徒数500),である.最初の四つの教会は,共同事業として日本ルーテル・アワーと聖文舎を経営している.また,東京に日本ルーテル神学大学,神戸には神戸ルーテル神学校があり,それぞれ教職の養成に当っているが,神戸ルーテル神学校は福音主義に立って,超教派的に神学生を受け入れている.この神学校はアジア神学大学院日本校の加盟校でもある.そして隣接の神戸ルーテル聖書学院は,北欧の流れを汲む信徒教育の学校である.<復> ここで領域的,民族的色彩の濃いルーテル教会とルターとのかかわりを見てみることにしよう.<復> もともと,ルター(1483—1546年)が1517年に免罪符に抗議して95箇条の提題をヴィッテンベルクの城教会の扉に貼り付けた時には,ローマ・カトリック教会から離れた別の教会をつくるつもりは全くなかった.ましてや自分の名前の付く教会づくりなど夢にも考えなかったのである.しかし1521年にヴォルムスの国会で,皇帝カール5世や列席する諸侯の前で,自分は聖書のことばと良心に縛られていると告白し,帝国追放刑に処せられてから,彼の立場を支持するドイツ諸侯たちにより,カトリック教会から離れた教会形成を目指さざるを得なくなった.1525年の農民戦争は,彼の立場をドイツ諸侯と,その体制下にある教会の側へ決定的に追いやることになった.そして,1530年にアウグスブルクで開かれた国会においてメランヒトンによって起草されたアウグスブルク信仰告白に署名したザクセン選帝侯はじめ9名の領域にある教会は,以後ローマ・カトリック教会と完全にたもとを分ち,ルター派の教会と呼ばれることになる.そしてこの信仰告白に基づいて,他の地域やデンマークなどの北欧にも宗教改革が起り,ルーテル教会が設立されていくこととなった.普通,ルーテル教会においては,このアウグスブルク信仰告白を基礎とし,それ以外に,アウグスブルク信仰告白の弁証,ルターの大・小教理問答,シュマルカルデン条項,和協信条(一致信条)の幾つかを信条として受け入れている.和協信条は,1555年のアウグスブルクの和議以後,ルーテル教会の中に強力な指導者がいなかったために,ルターの教会を固守しようとする人たち,メランヒトンの影響を受けた人たち,カルヴァン派の影響を受けた人たちの間でいろいろな論争が起り,それらの論争を調停した和協案についての公式の見解をまとめて1577年に発行されたものである.そのおもな論争点は「反律法主義論争」「アディアフォラ論争」「神人協力説論争」であった.<復> それでは,ルーテル教会の基盤となるアウグスブルク信仰告白とはどのようなものであろうか.これは全部で28条から成るが,22条からは二種陪餐,司祭の結婚,ミサの犠牲,修道誓願,司教権などについて述べ,当時のローマ・カトリック教会で行われていた″悪習″を是正しようとするものである.それゆえ,前半の条項は今日的意義を有していると言えよう.第1に見逃しがちなことは,ルター派の公同性の主張である.三位一体の神,原罪,キリスト論など中心的な教理は,公同信条をそのまま受け入れている.ローマ・カトリック教会と根本的に違ってきたのは教会論である.第7条で,教会の本質は「全信徒の集まりであって,その中で福音が純粋に説教され,聖礼典が福音に従って与えられる」と規定している.それゆえ,教会の教職制,監督の使徒権の主張,礼拝様式などは二次的なものとされる.「キリスト教会の真の一致のためには,福音がそこで純粋な理解に従って一致して説教され,聖礼典が神のみことばに従って与えられるということで十分である」とされている.このことは,例えばカルヴァン派のように教会の政治として長老制を絶対のものとしたり,教会の内部の装飾を排除する傾向には反している.ルーテル教会は,古い慣習や礼拝様式も,それが福音を説教するための妨げにならなければ無理には排除しようとしない.スウェーデンの監督制のように使徒伝承を主張してもよいし,アメリカの教会のように会議制の教会政治をとってもよい.またノルウェーの自由教会のように簡潔な礼拝様式を採用してもよいのである.第2に教職制であるが,第14条において「何人も正式に召された者でなければ,公に教えたり,説教したり,聖礼典を与えたりしてはならない」とある.これは,19世紀にハウゲなど信徒説教者が福音を自由に宣教しようとした時に,秩序を乱す者として投獄されたり,信徒運動が圧迫される根拠となった.<復> アウグスブルク信仰告白には,聖書の正典性,及び正典の範囲に関する条項はない.しかし,ルターとルター派の教会は絶えず聖書に基づいて説教し,教え,聖書を翻訳,出版し,宗教改革運動を進めた.聖書を一般には用いさせなかったローマ・カトリック教会では,これに対してトリエント公会議を開き,外典をも含むラテン語訳聖書(ウルガタ)を正典として権威付けた.<復> ルターの生涯を見ると,いわゆる「塔の体験」という福音の発見が,彼の信仰生涯の出発点でもありすべてであると言うことができる.自分の中でなく「自分の外に」,すなわち,キリストの十字架の中に見出される神との和解の福音を伝えざるを得ない衝動が,福音の書かれているみことばを直接,人々に読ませようという思いに駆り立て新約聖書の翻訳に向かわせた.1521年,帝国追放令を受けてヴァルトブルクの城にゲオルクという偽名で身を隠しながら,11週間で完成させ翌年9月に出版されたのが,「ゼプテンバー・ビーベル」(9月聖書)と呼ばれるものである.さらに,メランヒトン等の助けを借りて12年かかって旧約聖書の翻訳を完成させた.また,文字を知らないため聖書を読むことのできない人たちに読み書きを教えようとして,初等教育を普及させた.ルターにとって聖書は,人々に読まれ,福音が知られるための恵みの手段であった.<復> それゆえルターの精神は,キリストの十字架についての良いおとずれが地のすみずみまで伝えられることをすべてとしており,礼拝様式や教会組織は二の次,三の次であった.今日領域的,民族的色彩の強いルーテル教会が生れ,その体制が自由な福音の伝達を妨げるようなことがあれば,ルターの真意に反することになるのである.<復> ルターに対する評価は,「宗教的天才」から「国民的英雄」さらには「当時の政治状態のつくり出した教会政治家」,と様々であり,H・ボルンカムが『ドイツ精神史とルター』(聖文舎,1978)に紹介しているように,啓蒙主義者,観念論哲学者,歴史家ランケから共産主義者に至るまで,様々のルター像を描く.カトリック教会においても,最初は裏切り者,堕落した修道僧,野心家と最低の評価であったが,最近は見直されて高く評価されている.カトリックの有名な教会史家P・マンスは『宗教改革とルターの生涯』(聖文舎,1983)を次のことばで締めくくっている.「『プロテスタントは善く生きることを考え,カトリックは善く死ぬことを考える』と互いに言いかわしてきたことは,何世紀にもわたって,まことにぴったりしたことだと思われてきたが,この言い方は何と愚かなものであろうか.ルターに従う者は善く生き,もっと善く死ぬ.なぜならば,暗いトンネルの終わりに,われわれを愛し,われわれが喜びとするあのおかたが立っておられるからである…」.もしこのマンスのことばが当を得ているとすれば,日本のルーテル教会は,二次的なものに目を奪われずに,公同教会における福音がより強力に伝えられるために,領域的,民族的な枠を越えて,福音についてのあかしをすべき有利な立場にあると言えよう.→ルター,ルターの大・小教理問答,アウグスブルク信仰告白,シュマルカルデン条項,和協信条,プロテスタント宗教改革.<復>〔参考文献〕H・ジェーコブズ『キリスト教教義学』聖文舎,1970;C・F・ヴィスロフ『マルティン・ルターの神学』『ルターとカルヴァン』いのちのことば社(1984,1976);『一致信条書』聖文舎,1982.(鍋谷堯爾)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社