《じっくり解説》契約,契約神学とは?

契約,契約神学とは?

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契約,契約神学…

聖書は,旧約(旧契約)聖書と新約(新契約)聖書の二つに分れている.このことは,契約という概念が,聖書全体を特色付けるほどに大切な概念であることを物語っている.この場合,契約とは,神と神の民(旧約ではイスラエル,新約では教会)とを結び合せる関係締結を言う.キリストにあって新しく結ばれる神と神の民(教会)の契約に対し,それ以前の神と神の民(イスラエル)との契約を「旧約」(旧い契約)と呼ぶのである.<復> 1.旧約聖書における契約.<復> 重要なのは,神と神の民との契約であるが,人と人との契約も旧約聖書には見られる.<復> (1) 人と人との契約.王対族長(創世21:27),王対王(エゼキエル17:16),民対民(申命7:2),王対臣下(Ⅱ列王11:4)等々の間で,友好関係,臣従関係,同盟関係など様々な関係が契約によって結ばれる.個人同士でも,ダビデとヨナタンの友情に基づく盟友関係(Ⅰサムエル18:3)や結婚の関係(マラキ2:14)等が契約によって結ばれる.このように,旧約聖書における人と人との契約とは,現代の法的・経済的契約よりもはるかに包括的な人間関係にかかわるものであって,誓約によって様々な人間関係をつくり出し,関係を強固にするものである.ダビデとヨナタンの契約や結婚の契約の例は,契約が必ずしも「水臭い」関係ではなく,深い関係を結び得るものであることを示している.<復> (2) 神と人との契約.神と人との契約には,神がノアに対して世界の存続を約束して結ばれた契約(創世9:8‐17)のように,全人類にかかわるものもあるが,ほとんどは神が神の民に対して立てられる契約である.神と神の民との契約には次のようなものがある.<復> ① アブラハムへの契約.神はアブラハムを選んで,アブラハム及びその子孫と契約を立てて彼らの神となる,と約束された(創世17:7).これがアブラハムへの契約の中心点であって,この契約は,やがてシナイ契約で結ばれる神と神の民の関係(神はイスラエルの神となる)の先取りであった.この契約には,子孫の増大とカナンの土地所有の約束が伴っていた.また,契約のしるしとして割礼が与えられていた(同17:1‐27).なお,同15:9‐21にも,アブラハムへの神の契約が語られているが,これは,子孫と土地についての約束の確かさを求めようとするアブラハム(同15:8)のための神の誓約であって,アブラハムとその子孫を神の民とすることを明言する同17:7の契約と同一であるわけではない.<復> ② シナイ契約.神と神の民との間の契約で最も重要なものは,シナイ山での神とイスラエルとの契約である.神はイスラエルをエジプトの奴隷状態より救出し,エジプトから約束の地カナンへと導かれる途中,シナイ山において,イスラエルと契約を結ばれた(出エジプト19‐24章).この契約は,神の救済を背景とし(同19:4),十戒(十のことば)を含む律法を契約条項として(同20:1‐23:33),イスラエルを神の民とすべく結ばれるものであった(同19:6).イスラエルは神から提示された契約条項を受け入れ,神と契約を結び神の民となったのである(同24:3‐8).このシナイでの契約は,律法遵守を契約条項とするため,行いによる救いの道を示すものであるかのように見られることもあるが,実際はそうではない.この契約は,神が,アブラハムにおいてすでに選んでおられた選びの民イスラエルを,エジプトから救出されたことを背景としている.イスラエルは,神の恵みを獲得するために律法を遵守するのではなく,すでに神に選ばれ,恵みを受けている民として,律法を遵守すべき立場に立つのである.さらに,シナイ山で啓示された律法の中にはいけにえの規定があって(レビ1‐7章),罪の赦しの道も備えられていたのである.<復> 律法を契約条項とする神と神の民との契約は,モアブの野においても繰り返されている(申命1:5,29:1).これは,シナイで契約を結んだ最初の世代の次の世代を当事者として結ばれた契約であり,本質的には,シナイ契約と変るものではない.<復> ③ ダビデへの契約.神は,神殿を建てようとしたダビデに対し,神殿建設は差し止められたが,神のいつくしみを受け続けるダビデ王朝の永続を約束された(Ⅱサムエル7:16).ダビデ自身も神御自身もこの約束を,後になって「契約」と呼んでいる(Ⅱサムエル23:5,Ⅱ歴代7:18).<復> ④ 新しい契約.イスラエルと神との契約関係は,イスラエルの背信のゆえに損なわれた.預言者は,契約への背信を非難し,やがて神の罰がイスラエルに臨むことを預言したが,それとともに,神がイスラエルとの契約を復興される時を約束した.<復> エレミヤは,やがてイスラエルに与えられるべき新しい契約を,このシナイ契約と対比して,新しい契約においては罪の赦しがもたらされ,シナイ契約のような石の板にではなく心の中に律法が刻まれる(人が契約に背くことがないようにされる),と預言している(エレミヤ31:31‐34).<復> また,ダビデ契約も,ユダヤ王国滅亡によってむなしくはならず,預言者は,やがて再びダビデ王朝が再興され,理想の王国が実現することを預言している(エゼキエル34:24,イザヤ55:3等).<復> このように旧約聖書はシナイ契約とダビデ契約を下敷きにしつつ,神の民が再興される新しい契約への期待を言い表している.これは,新約におけるイエス・キリストによる成就を待つものである.<復> 2.新約聖書における契約.<復> 新約聖書において契約の概念は,契約を表す通常のギリシヤ語「スンセーケー」が用いられず,通常は「遺言」の意味を持つギリシヤ語「ディアセーケー」が用いられている.これは,旧約聖書のギリシヤ語訳である70人訳聖書の用法を踏襲したものであって,神と神の民との契約が両者の交渉や民の側からの発議によらず,ただ神の側からの恩恵的提供によるものであることをよく表している.<復> 新約聖書においては,契約の概念は,旧約における神と神の民との契約を背景として,神と民との新しい関係を表すのに専ら用いられている.<復> 主イエスは,最後の晩餐において杯を取り,「これは,わたしの契約の血です.罪を赦すために多くの人のために流されるものです」(マタイ26:28),あるいは,「この杯は,あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です」(ルカ22:20)と言われた.「これは…契約の血です」との表現は,シナイ契約締結式時のモーセの言葉を踏まえており(出エジプト24:8),「罪を赦すために」と「新しい契約」という表現は,新しい契約についてのエレミヤの預言を踏まえている(エレミヤ31:31‐34).主イエスの十字架の血潮は,シナイ契約のように神の民を造り出す契約を成立させるものであった.しかも,この契約は,エレミヤの預言した通り,シナイ契約にまさる契約として,罪の赦しをもたらし,心に律法を刻み込む契約(聖霊により内発的な服従の心を造り出す契約)なのである.これが新しい契約である.<復> パウロも,旧い契約に対する新しい契約の卓越性を強調したが(Ⅱコリント3:4‐18,ガラテヤ4:21‐31),それは,パウロの論敵であったユダヤ教的律法主義を排撃する意図をもってであった.従って,パウロ書簡でのシナイ契約は,ユダヤ教的律法主義とのかかわりで見られており,旧約聖書自体に見られる恩恵性は,あまり強調されていない.<復> ヘブル人への手紙も,旧い契約に対する新しい契約の卓越性を強調するが,それを新しい契約の仲保者大祭司キリストの卓越性,旧契約のいけにえの血にまさるキリストの十字架の血の卓越性に基づかせている(7:22,8:6‐13,9:15等).同書では,旧い契約の恩恵性は否定されてはおらず,ただ,不十分性が指摘されている.それは,御子の啓示が最後決定的であるのに比しての不十分性であり(1:1),律法が来るべきものの影であるゆえの不十分性なのである(10:1).<復> 以上,新約聖書では,旧約における新しい契約への期待を下敷きにして,旧い契約に対する新しい契約の優越性が強調されている.<復> 3.契約神学.<復> 契約神学とは,神の救済のわざの全体を論理的に一貫した契約の概念によって把握し説明しようとする立場を言う.小異はあるが,おおよその構成は次のようなものである.<復> (1) 行いの契約(わざの契約).神は最初の人アダムを代表者として人類と「行いの契約」を結ばれた.エデンの園におけるアダムは,安定した永遠のいのちを持っていたのではなく,善行(神への服従)によって永遠のいのちを獲得すべき者とされていたのである.神と人とを当事者とする行いの契約の要項は次の通りである.<復> ① 神の義務(約束):アダムが神への服従を一定期間全うした場合,永遠のいのちを彼に与えること.<復> ② 人の義務:神への服従を全うすること.<復> ③ 契約のしるし:善悪の知識の木の実.これを食べることは,契約への不服従を端的に表すものであった.<復> ④ 契約違反への罰則:死(霊的にも身体的にも).<復> 本来,創造者なる神は,人へのいかなる義務も負っておられないが,へりくだって人との契約関係に入られ,このような義務を負われたのである.<復> 以上の「行いの契約」は,創世記の当該箇所から釈義的に引き出されるものではない.アダムが果すことのできなかった契約を果して下さった「第2のアダム」であるキリスト(ローマ5:12‐19,Ⅰコリント15:22,45)のみわざから,最初のアダムが置かれた契約状態が推定されるのである.<復> (2) 贖いの契約.堕落した人を救うために,父と御子との間に立てられた契約を贖いの契約と言う.この契約において,御子は,選びの民の頭・代表者となられ,アダムが失敗した「行いの契約」を全うされる.神と御子とを当事者とする贖いの契約の要項は,以下の通りである.<復> ① 御子の義務:選びの民の代表者として,(a)アダムの罪の責任を荷ない,わざの契約の罰則である死(十字架)を引き受けること,(b)わざの契約における永遠のいのちの条件である完全な服従を成し遂げること.<復> ② 父の義務:贖いのわざを全うした御子を万物の支配者とし,御子の体なる教会の頭とすること.この体なる教会に選びの民を与え,聖霊によって彼らがキリストを信じキリストに結び付いて救いの完成にあずかる者となるようにすること.<復> 以上の贖いの契約は,次の(3)恵みの契約と一括して論じる者もある.<復> (3) 恵みの契約.神は,父と御子との間に立てられた贖いの契約を土台として,選びの民を救うために恵みの契約を結ばれる.恵みの契約の要項は次の通りである.<復> ① 神の義務(約束):いのちと救いを選びの民に与えること.<復> ② 人の義務:信仰によって恵みの契約の約束を受けること.新しいいのちを受けて,神に服従する生活をすること.ただし,この義務は,贖いの契約に基づいて,キリストが人に賜る恵みによって達成される.信仰は賜物であり,服従も賜物なのである.また,いのちと救いは,キリストが贖いの契約の実行において獲得されたものであって,信仰と服従が功績と見なされて与えられるわけではない.従って,恵みの契約において人の義務は存在するが,契約は徹頭徹尾恩恵的であって,功績的ではない.<復> ③ 契約の仲保者:イエス・キリスト.<復> 以上の恵みの契約は,罪人を救う唯一の契約であって,この契約の外に救いはない.罪人を救い得る名はイエス・キリストを別にしては誰にも与えられていないからである.旧約時代の人々も新約時代の人々も同一の恵みの契約により,イエス・キリストの贖いのみわざに基づき救われるのである.イエス・キリストは,旧約時代終了後に受肉されて十字架にかかり,旧約時代の選びの民の罪をすべて十字架で贖い(いわば,後払いの贖い),新約時代の選びの民の罪をも十字架で贖われた(いわば,先払いの贖い)のである.旧約時代,恵みの契約は,約束,預言,いけにえ,割礼,過越の小羊等の仕方で差し出された.それらは,やがて来るべきイエス・キリストを指し示すものであって,これらに信仰をもって応答する者を起し,彼らをイエス・キリストに結び付けて,救いの恵みを与えるものだったのである.<復> 従って,アブラハムへの契約も,シナイでの契約も,同じ主イエスに結び付けるという点では異なるところはないし,一つの恵みの契約の異なる執行の仕方なのである.<復> 以上述べた契約神学は,聖書全体を一貫する二つの契約(わざの契約を下敷きにしての恵みの契約)を考える点で,神が救いの条件を人の無能力に合せて次々と変えたとする契約期分割主義(ディスペンセーショナリズム)の見方とは対極をなす見方であると言えよう.契約神学は,神と人との最初の契約である行いの契約が廃棄されず,かえって恵みの契約の仲保者であるキリストによって成就されたことを指摘する点で,神の救いのみわざの全体を論理的に一貫したものとして見通す視点を備えている.また,恵みの契約が,旧約時代と新約時代とを一貫する契約であることを指摘する点で,聖書全体を通じての神の救いのみわざ全体を歴史的にも一貫したものとして見通す視点を備えている.また,イエス・キリストのほかに救いのないことを明示する点でもすぐれた見方である.<復> ただし,契約神学は,聖書全体が多くの著者による多くの書巻より成りつつ,究極的にはひとりの神の著作として一貫した論理体系をなすことを前提とした上での推理を含むのであって,聖書の各箇所自体からの釈義によってすべてを引き出したものではない.思弁に陥らないように,釈義的努力と並行して自制しつつ考慮する必要があろう.→約束,恵み,ディスペンセーション・ディスペンセーション主義.<復>〔参考文献〕松田一男『いのちの契約』日本基督改革派西部中会文書委員会;G・ヴォス「改革派神学における契約の教理」,J・マーレイ「契約神学」「恵みの契約」『神の契約』聖恵授産所出版部,1986;Theological Dictionary of the Old Testament, Vol.2, pp.253ff., Eerdmans, 1975 ; Theological Dictionary of the New Testament, Vol.2, pp.106ff., Eerdmans, 1964 ; Robertson, P., The Christ of the Covenant, Baker, 1980.(山中雄一郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社