キリスト者の品性とは?
キリスト者の品性…
1.いのちと生活.<復> 人間はいのちがあるゆえに生活できる.いのちがなければ生れ,成長し,成熟することはできず,生活は成り立たない.キリスト者が生きることができるのは新しいいのちがあるからである.新しいいのちを内に持つゆえにキリスト者固有の特徴を持つ生活が可能となる.キリスト者のこの新しいいのちは神がお与えになるものである.<復> 2.神にある新しいいのち.<復> 人間は神のかたちに創造され,神との正しい関係に生きていたが,神に敵対し,その罪のゆえに全く死んだ者となった.しかし,神は人間を罪と罪の束縛の中に放置されることを望まれず,死の状態から救い出し,いのちを与えようとして御子イエス・キリストを遣わすことを計画された.「すなわち,神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び,御前で聖く,傷のない者にしようとされました」(エペソ1:4.参照Ⅱテモテ1:9,ヨハネ3:16).神はその御計画に従って,キリストのみわざのゆえに罪を赦し,義と認めて下さる(ローマ4:24,25).ここに罪に死んでいた人間の新しいいのちがある.<復> 御子イエス・キリストは,世に来られ,神の御旨を明らかにされた.人間の罪の身代りとして十字架に死なれ,死者の中から復活され,天に昇られた.「そして自分から十字架の上で,私たちの罪をその身に負われました.それは,私たちが罪を離れ,義のために生きるためです.キリストの打ち傷のゆえに,あなたがたは,いやされたのです」(Ⅰペテロ2:24).キリスト者が新しいいのちに生きるのは,キリストの十字架の死と復活のゆえである.「私たちは,キリストの死にあずかるバプテスマによって,キリストとともに葬られたのです.それは,キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように,私たちも,いのちにあって新しい歩みをするためです」(ローマ6:4).キリストの贖いのみわざのゆえに神との和解がなされ,新しいいのちに生きる道が備えられる.<復> 聖霊は,内的働きにより私たちを新しく生れさせ,罪から解放し,聖くして下さる.「一つの義の行為によってすべての人が義と認められて,いのちを与えられるのです」(ローマ5:18).「なぜなら,キリスト・イエスにある,いのちの御霊の原理が,罪と死の原理から,あなたを解放したからです」(同8:2).キリスト者の得る救いには,神との関係が正しくされるだけではなく,正しい関係にあるゆえに生み出されるすべての結果をも含んでいると言えるであろう.神は,聖霊をキリスト者のうちに宿らせて下さった.「神の御霊に導かれる人は,だれでも神の子どもです.あなたがたは,人を再び恐怖に陥れるような,奴隷の霊を受けたのではなく,子としてくださる御霊を受けたのです.私たちは御霊によって,『アバ,父.』と呼びます」(同8:14,15.参照ガラテヤ4:6).いのちの御霊の働きにより,キリスト者は,固有の特徴を持つ生活をすることができる.以上のように,キリスト者の生活を特徴付けるものは,三位一体の神との関係を基礎とする新しいいのちである.このことを除外して,キリスト者の品性を考察することはできないであろう.<復> 3.御霊の実.<復> 人間は,義と認められるだけでなく,罪の原理から解放されるためにキリストにおいて現された神の恵みに全く依存している.律法がなし得なかった,人間のうちにある罪の原理の働きを無力とするのは神の御霊の働きであり,その内的働きは御霊の実として結ばれる.キリスト者生活の固有の特徴は多様な表現で表されているが,御霊の働きに関して最も生き生きとした描写は,「肉の行ないは明白であって,次のようなものです.不品行,汚れ,好色,偶像礼拝,魔術,敵意,争い,そねみ,憤り,党派心,分裂,分派,ねたみ,酩酊,遊興,そういった類のものです.…しかし,御霊の実は,愛,喜び,平安,寛容,親切,善意,誠実,柔和,自制です」(ガラテヤ5:17‐23)であろう.御霊の実は,肉の行いと対比されているように見える.前者は,罪の原理の下にある肉の働きが,「御霊に逆らう」と表現されている通りに,自己中心,無神,対立抗争,不定見を特徴としている.肉の働きを〈性,宗教,社会,個人〉に分類できるかもしれない.人間生活のあらゆる分野での敵意と分裂と無知を象徴するものであろう.御霊の実は,肉の働きとは異なり,キリスト者を自制させ,矯正し,導かれる御霊の内的働きの結実であるゆえに,一致と能動的な努力とに向かわせるものである.<復> 4.御霊の実についての勧めと約束.<復> キリスト者はすべて内に住まわれる御霊の働きによって生れ,生かされている.それゆえに,キリスト者固有の特徴である御霊の実を結ぶことができると約束されている.しかし,それは,知的了解を求めるだけのことではない.聖い生活と御霊の実の現れを当事者の意識とは別の次元で保証するものでもない.御霊の実を結ぶためには,御霊の教えと矯正と導きとに対する敏感で,能動的な応答が不可欠であり,生活の現場での,意識的な選択をしていくことが勧められている.すなわち,キリスト者生活には,肉の働きと御霊の働きの間の,絶えざる戦いがあり,その戦いの中で御霊の実が結ばれていくのである.その戦いに勝利するために次のことが必要である.<復> 第1に,御霊の働きによってからだの働きを殺すこと.「キリスト・イエスにつく者は,自分の肉を,さまざまの情欲や欲望とともに,十字架につけてしまったのです」(ガラテヤ5:24).罪の原理の下にある肉の働きを容認することはできない.自己を義とすることを生活の基盤とする現代思潮とは異なる.実践に即して言えば,「日々の悔い改め,罪であると知っているすべての習慣,不正行為,交友関係そして心の思いから身をひるがえすことです」.第2に御霊に属することを切に求めること.「御霊によって歩む,御霊に導かれる」などは,キリスト者生活の主導権が御霊にあることを指しているであろう.このことが受動的な,活性のない生き方を求めるものでないことは明らかである.むしろ,能動的で,意図的な歩みを勧めているのである.神が約束された御霊の実を結ぶために自分の知識や力ではなく,積極的に御霊に導かれることを求めるのである.「聖霊は私の意志を励まし,それを強めてくださるのであって,志を踏みつぶしたり,取り除いたりされるのではありません.私は自分の選択によって,御霊によって歩ませていただくのです」.その歩みには,「祈りや聖書研究,交わり,礼拝,主の晩餐,その他の『恵みの手段』を熱心に用いることも含みます」(ローマ8:13,ガラテヤ5:15,25,6:8,Ⅰテモテ6:11,ヘブル13章等).<復> パウロが「肉の行ない,御霊の実」としているのは,御霊の実が律法の行い,あるいは,肉の行いとは全く別の原理によることを強調しようとしているのであろう.御霊の実は確かにキリスト者の内に宿られる御霊の内的働きの結実ではあるが,それは数量的に測定できるものではないであろう.御霊によって歩み,御霊の実を結ぶようにという勧めが,道徳的な意味での人間改造として理解され,計測され得るとするならそこには御霊の思いが何であるかを認めない,新しい律法主義が芽生える.確かに成長を願う熱心さは言われているが,成長の度合を計りそれを功績であるかのように見るなら,神の御前には何も救われるに価する功績を認めないという出発点を変更することになる.従って,御霊の実を結ぶことに関連しては次の事項を挙げておく必要があると思われる.<復> (1)自分自身の罪深い性質をますます知っていくこと.内なる御霊の働きによって,キリスト者は信仰に成長すればするほど,自己の達成したと思われる成長に安住することはしない.むしろ,神の御前で自己がいかに罪と咎とに満ちているかを知らされていく.いかなる成長もキリスト者に罪から遠ざかったとか,解放されたとかいう意識を持つことを許してはいない.(2)罪の除去とキリストの義とをますます熱心に求めていくこと.成長するキリスト者は,神のみことばと御霊の働きによって罪を自覚させられるゆえに,自己の罪が取り除かれることを切望する.キリストの義が唯一のよりどころであるゆえに,ひたすらキリストの義を求める.(3)聖霊と新しくされることを絶えず,あらゆる努力を傾けて祈り求めること・キリスト者が求めるべき基準は,人間相互の優劣の比較ではない.神のかたちに似る者となることである.それゆえに,ますます新しくされて神のかたちに似ることを追い求める.(4)終末の完成を目標とすること.この世に生きている限りこの世が罪の束縛の下にあるゆえに,キリスト者には戦いが絶えない.しかし,神は,御霊の初穂を持つものとして御霊の励ましととりなしを与えておられ,終末にからだの贖いが完成されるという約束を与えて下さる.<復> 5.御霊の実のリスト.<復> パウロは,ガラテヤ人への手紙において御霊の実を九つ列挙している.「愛,喜び,平安,寛容,親切,善意,誠実,柔和,自制です」(ガラテヤ5:22,23).これらの御霊の実を,幾つかのグループに分けて見ることもできるようである.さらに,それぞれを位置付けて神について〈愛,喜び,平安〉,隣人について〈寛容,親切,善意〉,自分について,〈誠実,柔和,自制〉を当てるもの,愛を標題として次の八つを考察するものなど,幾つかの理解がある.これらはいずれも,パウロの修辞法としてこのリストを観察しているものである.あるいは,この書簡の受け手であるガラテヤの教会の状況が反映されている可能性も考えられる.これらのことから御霊の実をこのリストに挙げられた数に限定することは避けるべきであろう.御霊に導かれるキリスト者の生活を特徴付ける事柄は,聖書の至る所に勧告,奨励,警告として描写されている(マタイ5章,ローマ12章以下,エペソ4章以下,ピリピ2,4章,コロサイ3章,Ⅰテサロニケ4章以下,Ⅰテモテ6章,ヘブル13章等).<復> パウロ自身が次のように書いていることもこのリストがすべての御霊の実を残すことなく列挙したのではないことを示しているであろう.「最後に,兄弟たち.すべての真実なこと,すべての誉れあること,すべての正しいこと,すべての清いこと,すべての愛すべきこと,すべての評判の良いこと,そのほか徳と言われること,称賛に値することがあるならば,そのようなことに心を留めなさい」(ピリピ4:8).<復> 6.謙遜.<復> キリスト者固有の生活を特徴付ける基準は,神御自身である(マタイ5:48,エペソ4:12,ピリピ2:5等)から,謙遜についても神を基準として考えるべきであろう.すなわち,創造者であり,また聖と義の神の御前で,人間は被造物であり,罪人である.人間社会では誇れることも神の御前では無に帰してしまい,何ら誇り得ることはない.謙遜の基準としてさらに加えて,キリストの謙卑が示されている.キリストは,永遠の神の御子であったが,人間の罪が赦されるために人となって世に来られ死に至るまで神に従い,十字架の上で死なれた(ピリピ2:6‐9).自己を主張することが人間の強さ,自己を抑えることが弱さと見なされる世であるが,キリスト者の生活の特徴はこの謙遜である.それは教会を建て上げるためにも,社会で生きるためにも求められている(ローマ12:16,ピリピ2:3,コロサイ3:12).<復> 7.正直.<復> この正直ということばは恐らく,「真直ぐ」という意味のことばから来ていると思われる.邪悪な時代にあってそれに調子を合せないか,あるいは,自分の内にある邪悪を打ち捨てるキリスト者の生き方を指すであろう.正直についても,自己の基準に合っているという意味の正義ではなく,神の義の基準に適合することに留意しなければならない.罪によって基準がゆがめられているゆえに,人間自身を基準とするならば多様な基準となってしまう.キリスト者には,邪悪な時代の中にあって落胆せず,神の聖い基準に合ったきよさを求めるよう励ましが語られている(ヘブル12:10).<復> 8.服従.<復> 服従は,聞くことに関連していると言われている.単に,何事かを情報として耳にするというのではなく,語られたことに対して能動的に応答することを意味しているようである(創世3:17,ピリピ2:12,エペソ6:1).また,従順は信仰という意味でもある.語るのは神,もしくは神の委任を受けた者であり,それに従うこと,信じることが求められている.従順の至高の模範はキリスト御自身であった(ピリピ2:8).服従は,卑屈になることではなく,神の御前に立てられることである.<復> 9.忍耐.<復> 忍耐とは,苦痛に耐える力を表している.忍耐のある人は,迫害や苦難や試みに直面してもしっかりと立ち,信仰を保ち続ける.最後まで耐え忍ぶ者は救われると約束されている(マタイ10:22).困難に遭っても堅く立って,信仰に踏みとどまるよう勧められている(コロサイ1:23).そのようにして信仰が試されることによって忍耐が生れる.キリスト・イエスは忍耐の限りを尽して救いを成就して下さった(Ⅱテサロニケ3:5).<復> キリスト者生活の固有の特徴は多様であるが,その源泉及び勧めの模範になっているのは神御自身である.→キリスト教倫理,従順,信仰生活.<復>〔参考文献〕『新聖書・キリスト教辞典』いのちのことば社,1985;Harrison, E. F. (ed.), Baker’s Dictionary of Theology, Baker, 1960 ; Erickson, M. J., Christian Theology, 2Vols, Baker, 1983 ; Berkouwer, G. C., Studies in Dogmatics : Faith and Sanctification, Eerdmans, 1952 ; Ridderbos, H., Paul : An Outline of His Theology, Eerdmans, 1975 ; Buswell, J. O., A Systematic Theology of the Christian Religion, Zondervan 1962 ; Stott, J., Only One Way : The Message of Galatians, IVP, 1968 ; Stott, J. R. W., Men made New : An Exposition of Romans 5—8, IVP, 1966.(下村 茂)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社