《じっくり解説》政治とキリスト者とは?

政治とキリスト者とは?

スポンサーリンク

政治とキリスト者…

キリスト者が「政治」を考えようとする時,まず聖書が政治についてどう教えているかということから出発し,実際に教会が歴史の中で政治とどう取り組んだかということを通して,現代政治の根本問題を解明し,実践活動をすることが必要であろう.<復> 1.聖書と政治,教会と政治.<復> 聖書における政治観は旧新約聖書において多様に表現されているが,キリスト教においては,「カイザルのものはカイザルに返しなさい.そして神のものは神に返しなさい」(ルカ20:25)という主のみことばと,「人はみな,上に立つ権威に従うべきです」(ローマ13:1)というパウロの教えが中心であった.<復> 次に教会と政治の関係についてであるが,初代教会においては皇帝礼拝に対する拒否が迫害と殉教を生み出した.4世紀になってコンスタンティーヌス体制の成立とともにコルプス・クリスティアーヌム(キリスト教共同体)というキリスト教的国家宗教時代が始まった.<復> 中世のカトリック教会においてはアウグスティーヌス主義と呼ばれる一元的神政政治主義が中心であったが,13世紀以後トマス・アクィナス主義(トミズム)的二元主義が強くなった.これは霊的領域と世俗的領域の相対的自律性の容認である.<復> 近世から近代になると霊的領域と世俗的領域の分離がさらに進み,ルター主義的二王国論が一般的になった.教会は霊的領域にその活動を限定し,世俗的領域は国家にゆだね,教会は政治に介入しないという方針であった.<復> ところが,第1次世界大戦,大恐慌,第2次世界大戦による近代主義の反省,特にナチズムの経験と植民地の解放という課題から二元主義が再検討されるようになってきている.「解放の神学」はこの状況から生れた神学であった.<復> 2.近代主義と世俗化.<復> 近代は中世の普遍論争から始まる.〈諸物の前に普遍が〉,神的イデー,真の原像として現実に存在するのか(プラトーン的リアリズム),つまり名をもって呼ばれている個物の前に現実それ自体があるのか,それとも〈普遍〉はただ〈諸物の中に〉現実に存在するのか(アリストテレース的リアリズム),さらには〈普遍〉なるものは一切現実性を持たず,後からただ現実に存在する個物から得られる単なる抽象概念にすぎないのか(唯名論)ということである.唯名論が強くなることによって〈普遍〉とは抽象概念にすぎなくなり,個物のみが実在することになった.これが唯物主義の出現である.近世自然法思想の根底に普遍論争があった.「自然」が万物の尺度となり,「自然」そのものに「法」「法則」を見ようとするようになる.しかし,一方で「自然」は「法」であるが,他方で人間存在の「権利」の根拠でもある.「自然」のこの二面性,「自然法」と「自然権」の対立が全近代的世界を規定することになった.<復> 自然法と自然権の対立はカトリックにおいては霊的領域と世俗的領域の相補性によって調整され,プロテスタント諸国においては世俗の職業に[ラテン語]Vocatio,[英語]Calling,[ドイツ語]Beruf(召命)概念が適用されて霊的領域と世俗的領域の予定調和が根拠づけられた.<復> しかし,ヨーロッパ近代世界全体においては神学的世界観は科学的世界観に変えられていく.〈世俗化〉(Secularization)と啓蒙主義の流れである.世俗化とは元来Saecularis(世俗の,俗界)というラテン語に由来する法律用語であって,教会の管轄下にある土地建物,財産の没収ないし取り上げを意味した.そこから国家による教会財産の収奪は,単に教会の所有権の毀損というにとどまらず,神聖なものを世俗的なものとして処理する神聖冒涜の意味を持った.近代はこの意味で世俗化の過程であった.<復> そしてこの世俗化を推し進めた主体が近世的君主体制と市民階級であった.〈平和と法〉の秩序を形成するという理念から民族国家を形成し,それを主権の根拠にした.君主の絶対化と宮廷政治による政治的保護を受けながら,商工市民階級は経済力を育て,君主体制を経済的に支えながら,規定していく.イギリス名誉革命によって宮廷政治から議会政治に実権を移し,君主の実権を排除し,市民による市民のための国家,社会化を強力に進めた.<復> ところが自由を原理とする市民社会に不平等の問題が起り,階級対立,個人の福祉の充足という課題が〈社会主義〉の問題を生ぜしめた.<復> 3.市民社会.<復> 市民社会は自由を原理として,政治的には議会を通して,経済的には私的所有と契約を旨とする企業と市場を通して運営される.議会は公開性と討論を通して秩序形成と政治プロセスを維持する.秩序形成における権力を三権に分立し,立法,行政,司法の均衡に政治的自由と公正の同時的実現を求める.立法府は政党間の競争によって,行政は近代的官僚制度によって,司法は近代的裁判制度によって,それぞれ運営される.<復> 近代市民国家,近代市民社会は行政,司法面においては合理的に運営される.しかし,議会は世論と利害集団で結成される政党間の競争,闘争が中心にならざるを得ないから,理念や道徳的倫理水準,効率性という観点から見て不安定にならざるを得ない.国民全体の意志を実現することが議会の使命でありながら,議会政治,政党政治を運営するための費用が増大せざるを得なくなり,企業を中心とする利益集団が政党を支配し,議会を支配するようになりやすくなる.すべての決定が多数決という数学的力学原理に支配され,法が恣意的なものになって,法の精神が失われる危険性が常にある.<復> それゆえ,キリスト者は多数決主義が決して真理判定の基準になり得ないこと,法を法たらしめるには自然法だけでは不十分であることを指し示さなければならない.自然法の土台に自然を自然たらしめる創造の秩序があること,人間を神の似姿に創造した神の意志に聴くことが人間社会を人間社会たらしめる基本条件であることを指し示すことが使命である.<復> 4.国家主義と社会主義.<復> 市民社会は絶えず解体する危険性を持っている.この危険性が国家主義と社会主義を生む.市民社会が未熟であればあるほど国家主義が強くなり,市民社会が成熟すればするほど社会主義が強くなる.もちろん現実には国家主義も社会主義もそれだけでは成立し得ず,市民社会の原理,議会と市場関係を土台として,国家社会主義化する.<復> 国家主義は強力な貴族主義的官僚群の存在を必要とし,一方では伝統主義と他方では血縁的・地縁的な民族主義的文化を根拠とせざるを得ない.しかし,近代の世俗化の流れ,科学技術主義を根拠とする産業社会は本質的に革新的であらざるを得ないから,国家主義も相対化されざるを得なくなる.古代ローマ帝国の時代から為政者の任務は「パンとサーカス」を提供することにあり,近世の君主主義も国家主義も国民の福祉を重視せざるを得なくなり,福祉国家への道を歩まざるを得なくなる.<復> 次に社会主義についてであるが,市民社会というものは市民階級のための社会であって,生産力を持たないプロレタリア階級が収奪される体制であるという理解から出発している.それゆえ,社会主義はプロレタリア階級のための社会であるという定義が,特にマルクスによって与えられた.社会主義への変革のために,マルクスは高度に訓練されたプロレタリア階級の存在を考えたが,このような階級主体がどのように形成されるのかという点が常に問題になった.宥和なき矛盾と闘争を基本原理とするマルクス主義から,果して普遍的人間解放が可能なのかということが問題となった.社会主義というのは階級的な矛盾だけでなく国家という枠組さえ突き抜ける普遍的人間という理念を必要とする.それとともに自由と公正,自由と正義という理念が必要となる.<復> この世とキリスト者,この世と教会の接点がここにある.自由と正義,普遍的人間という理念が可能になるためには,「神の国」のビジョンが土台にこなければならない.近世自然法的レベルではこれらの理念は分裂することを指し示す必要がある.<復> 5.日本の近代化.<復> 15世紀末から始まる大航海時代に新大陸の発見,ヨーロッパと東洋的世界との本格的交渉が始まる.しかしこの交渉は決して幸福なものではなかった.ヨーロッパ諸国はインドから始まって多くの東洋諸国を植民地化し支配的関係の下に置いた.日本も例外ではなかった.徳川幕府はこの危険性に対して鎖国とキリシタン弾圧でもって応えた.<復> そして鎖国が解かれたのが19世紀後半になってからであった.その後の日本の歩みは「西欧に追い付き追い越せ」というものであり,そのための軍事大国化,経済大国化への道,つまり「富国強兵」の追求であった.従って「近代化」政策,工業化政策はすべて「富国強兵」のための手段であった.国家目標はどこまでも大国になること,世界の一等国になること,世界というピラミッド的支配体制の頂点を目指すことであり,それが「脱亜入欧」というスローガンになった.<復> それだけでなく,民族国家の根拠を天皇制に置くことによって,伝統と文化を統一し宗教国家として自己神化を遂げることになった.神国としての皇国,八紘一宇のスローガンのもと国家神道による思想統一と神社参拝による実践的統合によって天皇礼拝を具体化させていった.徳川幕藩体制の下での秩序は士農工商という身分体制で成り立っていたが,その下に身分秩序から排除された多くの人々がいた.この封建秩序から天皇制国家へ移行する中で,すべての人々が国民としての規定を受け,新平民として吸収された.その代り他のアジアの国々の人々が皇国を下から支える役割を果させられた.そのために言語の支配,国家神道の強制,神社参拝の強制によって天皇礼拝を遂行した.文字通りの植民地主義であり帝国主義であった.<復> しかし,富国主義と強兵主義は両立しない.日本は日清戦争,日露戦争,第1次世界大戦で帝国主義化に成功したが,第2次世界大戦では日独伊枢軸同盟で敗北することとなった.強兵主義,軍国主義は破綻することとなった.第2次世界大戦後,新憲法の下で,平和主義と民主主義の道が開かれた.天皇絶対主義が主権在民という理念の下で相対化され,「現人神」としての天皇が「人間」天皇を宣言した.富国強兵主義が強兵主義の破綻を通してより純粋な富国一元主義=高度経済成長政策として自己完結した.<復> そして今日,国家の根拠が根源的な次元から問い直されてきている.ヨーロッパにおいては世俗化の過程が聖なる領域の限定化と世俗領域の拡大化,自律化を進め,君主国家から市民社会へ,そして普遍的人間の問へと導いた.もちろん普遍的人間への問が個人主義や功利主義的人間観にとどまったのではあったが.これに対して日本においては特に第2次世界大戦後,いわゆる民主主義の進展とともに個人主義や功利主義的人間観が強くなったが,他方では天皇制の強化が国家神道によって進められる傾向も生ずる.靖国神社や元号問題はこの象徴である.近代化というのは富国強兵政策の手段でしかなかったのであるから,天皇制の問題に根本的解明を与えるものではない.ただ現象的には富国政策は福祉国家にならざるを得ず,そのため産業化を一層進めざるを得なくさせる.産業化のための資源やエネルギーは,その多くが他の国家主権下にあり,生産物を販売するための市場も自国の主権外に求めざるを得ないから,国家主権相互の依存関係がますます強くなり,国家主権の相対化もまた進む.国際化の進展とともに血縁的・地縁的な古い「共同体」の相対化と多元化が進行することになる.国民国家,大衆国家,国際化が多元化を進行させ,アナーキズムへの傾向と新しい秩序形成が求められてくる.しかし,世俗化というものは唯物主義であるからニヒリズムに陥らざるを得なくなり,秩序形成は極めて困難になる.世俗主義,近代主義の終焉である.<復> 6.政治と人格.<復> 今日ほど共同存在の倫理が求められている時代はない.正義や信頼の回復というものが強く叫ばれるようになってきている.そのために個人主義の超克,功利主義の超克が主張されるようになった.しかし個人主義の超克が単なる集団主義やピラミッド的ハイラルヒー(ヒエラルキー)であってはならないことは当然である.権力主義,権威主義的秩序化であってはならない.真の普遍的人間とは何か,という問が中心にこなければならないであろう.<復> 今日再び,真の〈普遍〉とは何か,という問が,つまり近代の出発期の〈普遍〉論争が問題になってきた.信頼,正義というのは単なる抽象概念にすぎないものなのだろうか.それとも人間存在を根拠づける実体なのであろうか.「政治」的なものの概念の可能性がここにかかっている.単なる友—敵関係を超える政治的なものは可能なのであろうか.人間の心理からするとこの友—敵関係が最も強い.集団を成り立たせるものも基本的には友—敵関係であろう.従って信頼や正義というものが単なる抽象概念以上のものであろうとするなら,友—敵関係を突き抜けるものでなければならない.<復> ここから先は神学的理解なしには不可能である.キリスト教神学は神の神格性を三位一体で表現したが,この三位一体の教理によって初めて人間存在が神の似姿としての「人格」としての規定を受けることができる.人間存在が神格性に対応する人格性の規定を受けることによって,単なる個人主義的人間観を突き抜けることができ,党派主義的権力主義的集団主義,民族主義的共同体なるものに転落することから防止される.人間存在は神と隣人の関係の下で初めて人間たり得るが,それはキリストの人格に対応することから可能となる「人格性」によってである.すべての関係性を放棄する個人主義と違って,関係性,次元性の中に人格は立つ.と同時に関係性を物神化させ,世俗的なものにすぎないものを伝統や権力の力を借りて神々に祭り上げる物神礼拝,マモン礼拝,皇帝(天皇)礼拝はこれを断固拒否する.「カイザルのものはカイザルに返しなさい.そして神のものは神に返しなさい」というキリストのことばがすべての人格原理の中心となる.<復> 人間が人間たろうとする以上,人格原理なしには存在不可能である.仮に自覚していなくともである.キリスト者,教会の使命は無自覚的なこの世界を人格原理を通して自覚的にさせることによって,神と隣人の中で生かされている自分を発見させ,キリストを指し示すのである.<復> すべてをキリストへ,すべてをキリストから,ということが政治の世界にも適用されるのである.→国家と教会,キリスト者の社会的責任.(東條隆進)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社