《じっくり解説》キリスト者とは?

キリスト者とは?

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キリスト者…

ギリシヤ語クリストス(キリスト)に,所属や特徴を表すラテン語形語尾イアノスがついたギリシヤ語クリスティアノス(キリストに属する者,キリストにつく者,キリスト党,キリストに従う者の意味.英語音訳はクリスチャン)の訳.<復> 1.初代教会の信徒たちはこのことばを使わず,初めの頃は,互いを「兄弟」(使徒1:16,ローマ1:13)と呼んでいた.そのほかに,「信者」(使徒2:44),「この道の者」(9:2),「弟子」(6:1),「聖徒」(9:13)などの呼称が使われていた.彼らが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのは40/44年頃のアンテオケにおいてである(使徒11:26「弟子たちは,アンテオケで初めて,キリスト者と呼ばれるようになった」).「呼ばれる」という語を「自称する」という意味に解して,弟子たちが自らを「キリストの僕(しもべ)」という意味で「キリスト者」と称したとする説があるが,そうではなく,これは,周囲の人たちからそう呼ばれ,その名で知られるようになったとの意味である.アンテオケの信者たちがいつもキリストについて語っていたことから付けられたあだ名だと言われている.非キリスト教徒のユダヤ人はイエスをキリスト(メシヤ,油注がれた者)とは呼ばなかったはずだから,これは異教徒が付けた呼称である.この名称と同様のものはヘロディアン(マルコ3:6「ヘロデ党」),カイザリアン(カイザル軍,皇帝のしもべ)などの用例がある.これらの用例からすると,キリストという名前は固有名詞として扱われ,キリスト教会は政治運動的結社と見なされていた可能性もある.その場合,クリスチャンとはキリスト党員といった政治的響きを持つ呼称だったことになる.あるいは,アンテオケの市当局がユダヤ人社会における新興グループとして他のユダヤ人と区別するために付けた名前だとする説もある.この呼び名自体に軽蔑的な響きが込められていたとは思われない.だが,新約聖書にこの語がわずかに3回しか登場しない(使徒11:26,26:28,Ⅰペテロ4:16)ということは,初代キリスト者には自らを「キリスト者」と称する習慣がほとんどなかったことを物語っている.ギリシヤ語で同じように発音されるクレースティアヌス(クレーストスに属する者)と混同されるのを嫌ったのかもしれない(参照テルトゥリアーヌス『護教論』,スエートーニウス『クラウディウス帝伝』).クレーストスはありふれた奴隷の名であった.クリスティアノス(キリスト者)という呼称が一般にキリスト者自身によって用いられるようになったのは2世紀中葉以降である.<復> 聖書以外の用例では,ユダヤの歴史家ヨセフス(37/8年頃—100年頃)が,「この人が(いわゆる)キリストだった.…彼の名にちなんでキリスト者と呼ばれている人々の仲間は,今でも消滅してはいない」と記している(『ユダヤ古代誌』).タキトゥス(55/6年頃—115年以降)やスエートーニウス(70年頃—140年頃)によれば,この呼称はネロ時代にはローマ帝国内で普通に用いられるようになっていた.タキトゥスは,「キリスト者という名前はキリストから来ており,この人物はテベリオ帝の治下に行政長官ポンテオ・ピラトの手によって死刑に処せられた」と記している(『年代記』).また,「ネロ帝は,一般にキリスト者と呼ばれてその忌まわしい行為の故に憎悪されていた人々を犯罪者に仕立て,残虐の限りを尽して彼らを罰した」とも記している.スエートーニウスは,ネロの治世下に「キリスト者と呼ばれる,新奇で有害な迷信に固執している一群の人々に,刑罰が下された」と記している(『ネロ帝伝』).小プリーニウスは,112年頃トラーヤーヌス帝にあてた書簡の中で,「たとえ犯罪の事実はなくてもキリスト者という名の故に罰せらるべきか,或は,その名称に関連している罪のみを罰すべきか」と指示を仰いでいる(『書簡』).そして,「(キリスト者の内には)邪悪で法外な迷信以外の何者をも見出せない」と述べている.これらの記述からわかるように,キリスト者という言葉は誤解と悪意と中傷とによって忌わしい響きを持つ言葉となり,キリスト者は「人類の敵」であるとさえ思われるようになっていた.こうしたいわれない非難誹謗に対して戦ったのがキリスト教護教家たちである.アテーナゴラースは,「我々に対して,無神論,幼児嗜食,母子相姦という,三つの全く根拠のない非難が言い立てられている」と述べている(『キリスト者の為の嘆願』180年頃).テルトゥリアーヌス(150/160—220年以降)は,「殺害者,神々の冒涜者,近親相姦者,国家に対する反逆者,これらが我々に投げつけられた誹謗である」と述べ,「キリスト者という名のみに由来する憎悪は不正である」と記して,キリスト者とキリスト教の弁明をしている(『護教論』).キリスト者という名称は異教徒たちによって悪意を込めて使われた呼称であったが,迫害を通して,キリスト者たちはこの呼称をむしろ誇りとするようになった.それは,イエスが,「人々はあなたがたを捕えて迫害し,会堂や牢に引き渡し,→わたしの名のために/・・・・・・・・・←,あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう」と言っていたこと(ルカ21:12),キリストという自分たちの救い主の御名が付された呼称であることをむしろ誇りとしてキリストをあかししていったことによる.ペテロは,恐らく皇帝ネロの迫害下に,「キリスト者として苦しみを受けるのなら,恥じることはありません.かえって,→この名のゆえに/・・・・・・・←神をあがめなさい」と記している(Ⅰペテロ4:16).テルトゥリアーヌスが,「キリスト者であることを指摘されればそれを誇りに思い,その故に非難されても弁解せず,キリスト者であるかと問われればそうであると喜んで告白し,死刑の宣告を受ければ感謝する」(『護教論』)と記したように,この名は誇りある自己称号となっていった.教父文献においてこの語は頻繁かつ一般的に見出される.迫害の嵐をくぐり抜けていく中で,かつての誹謗的な響きは消えていき,一般的に使用される名前となったのである.<復> 2.日本におけるキリスト者.<復> 平安時代初期の歴史書『続日本紀』に「天平八年…波斯人季密翳等授位有差(ペルシヤ人の季密翳らに位階を授けた)」という一文がある.この記述から,ペルシヤ(波斯)に伝わったネストリオス派キリスト教(景教)の日本伝来の可能性も考えられている.が,一般には,1549年のローマ・カトリック教会イエズス会士フランシスコ・ザビエル(ハビエル)の渡米をもって,日本にキリスト教が初めて伝来した年とされる.当時キリスト教とキリスト者はそのポルトガル語に基づいて「キリシタン(吉利支丹,キリシタン禁制後は切支丹)」あるいは「天主教徒」と呼ばれた.また,宣教師・司祭を指すパードレから転じて「バテレン(伴天連,後に破天連),キリシタンバテレン」とも呼ばれた.教義書『どちりいな・きりしたん』(1591)には,キリシタンは,「御主ゼズ・キリシトの貴き御事を心中にヒイデス(信仰)に受けずしてかなはぬのみならず,死すると云ふとも,言葉にも身持ちにも現はすべきとの覚悟ある事専ら也」と記されている.そして,キリシタンとして最も大切なことは,デウス(神)への信仰とポロシモ(隣人)への愛であると教えている.初めの頃は,キリスト教と宣教師は「日本人の心を引き付け」(豊臣秀吉),好意をもって受け入れられたが,豊臣秀吉は一転して伴天連追放令を発令した(1587年).その後徳川時代に入ると,幕府は皇帝ネロ顔負けの厳しい迫害を行った.幕府お抱えの仏僧・以心崇伝(1569—1633年)は「排吉利支丹文」を上梓し,「伴天連の徒党…政令に反し神道を嫌疑し正法を誹謗し義を残なひ善を損なふ…実に神敵仏敵なり,急ぎ禁ぜずんば後世必ず国家の患ひあらん」とざん言(1613年),幕府はこれを将軍の名で全国に布達した.これを機に弾圧は一気に激しさを増し,おびただしい数のキリシタンが穴吊し,火責め,水責めなどの拷問を受け,斬首や火あぶりの刑により殉教した.徳川幕府は,キリスト教は「邪宗門」であるとして,キリシタン撲滅を計り,檀那寺制度(寺請け),宗門改め(宗旨人別帳,キリシタン類族令),5人組制度を初めとして,踏絵,南蛮誓詞,天主教書の禁書制度,訴人褒賞(密告の奨励)などの諸政策を行った.厳しい迫害下,ひそかに信仰を維持し続けたのが潜伏キリシタン,いわゆる「隠れキリシタン」である.250年以上に及んだこのキリシタン弾圧と全国的思想統制の結果,キリシタンは邪宗門徒という意味になり,キリシタンになるということへの恐怖と嫌悪の思いが日本人の心の中に染み込んでいったのである.<復> 1858年の日米修好通商条約に踏絵廃止が盛り込まれ,翌年3港開港とともに,ウィリアムズ,ヘップバーン(ヘボン),ブラウン,ヴァーベック(フルベッキ)らプロテスタントの宣教師が来日した.1865年にバラから受洗した鍼医・矢野元隆がプロテスタント最初の受洗者となった.幕末の志士坂本竜馬の従弟沢辺琢磨(1868年明治元年受洗,最初の正教会信者)を初め明治初期のキリスト者には旧士族が多かった.この頃のプロテスタントのキリスト者は「耶蘇教徒」と呼ばれた.「耶蘇」は「イエス」の中国音訳である.これに対しカトリック教徒は「天主教徒」と呼ばれた.日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会の「基督」は「キリスト」の漢字訳で,キリスト者は「基督者,基督信徒」と記す.<復> 植村正久が述べているように,キリスト者の多くは当初より社会問題に熱心であった.多くのキリスト教主義学校の建設と教育活動,山室軍平らによる廃娼運動等の社会改良事業,H・リデルらによるハンセン病患者のための医療事業,石井十次らによる孤児院等の福祉事業,田中正造らによる社会主義と民主平和の運動,内村鑑三らによる預言者的活動などを通して,少数ながらもキリスト者の存在は,日本の社会に極めて大きな影響を与えてきた.第2次世界大戦中,キリスト教は国策に合致せずとして激しい弾圧を受けた.教会は国家権力の足下にひざを屈したが,軍国主義の力に対し敢然と戦ったキリスト者も少なからず存在した.戦後,キリスト者は思想・信教の自由を憲法によって保証された.マルティーン・ルターは,キリスト者はすべての者の上に立つ自由な君主であると同時に,すべての者に奉仕するしもべでもあると言ったが(『キリスト者の自由』),自由な王でありかつ仕えるしもべであるキリスト者が,この世において果すべき使命は大きく,「キリストの名」のために取り組むべき課題は多い.<復> 3.新約聖書が描くキリスト者像を簡潔に記すなら,次のようなものである.すなわち,キリスト者は,創造主なる神を信じ,御子キリストを信じ(ヨハネ14:1),聖霊に導かれて生きる者である(ガラテヤ5:25).彼は救い主を受け入れて神の子供とされた(ヨハネ1:12).キリスト者はキリストの内にあり(Ⅱコリント5:17),キリストはキリスト者の内にいる(ガラテヤ2:20).キリスト者は生きるにしても死ぬにしてもキリストのものである(ローマ14:8).キリスト者は赦された罪人である(Ⅰテモテ1:15).彼が救われたのはキリストの贖罪のゆえ,神の恩寵のゆえであり(ローマ3:21‐24),彼は信仰によって義とされたのである(ガラテヤ2:16).彼はキリストによる神との平和を持っている(ローマ5:1).キリスト者は新しく造られた者であり(Ⅱコリント5:17),古い人を脱ぎ捨てて(コロサイ3:9),キリストを着たのである(ガラテヤ3:27).彼は聖化を追い求め(ヘブル12:14),キリストに似た者とされることを祈り求める(Ⅰヨハネ3:2).彼は神を礼拝し(ヨハネ4:24),祈り(ローマ12:12),賛美し(ヘブル13:15),信仰と希望と愛に生きる(Ⅰコリント13:13).彼はキリストのからだなる教会の一員として(ローマ12:1),他のキリスト者たちとともに礼拝し,祈り,互いに交わる(使徒2:42).彼らは互いに愛し合い(ヨハネ13:14),互いの重荷を負い合い(ガラテヤ6:2),賜物を用いて奉仕し(ローマ12:3‐8),キリストのからだなる教会を建て上げる(エペソ4:16).キリスト者は,自らの内においては御霊の実を結ぶことを祈り求め(ガラテヤ5:22,23),この世に対しては地の塩,世の光として生きる(マタイ5:13,14).彼は主イエスの証人となって(使徒13:31),福音を宣べ伝える(マルコ16:15).彼にとって地上の人生は天の故郷を目指して歩む旅であり(ヘブル11:13),その国籍は天にある(ピリピ3:20).彼は主の再臨を待ち望みつつ(Ⅰコリント16:22),神を愛し,人を愛して生きていく(マルコ12:30,31).キリスト者の信仰と生活の規範は神のことばなる聖書である(Ⅱテモテ3:16,17).<復> キリスト者とは何か.キリスト者という語の意味内容は,時代により,教派により,変化してきた.しばしばこの語は教会員の意味で使われるが,その際,教会とは何かが問題となろう.同様に,洗礼(バプテスマ)を受け使徒信条を信じた者という言い方がされるが,そこでも洗礼の意味と使徒信条の内容理解が問題となる.また,イエスを救い主と信じてキリストの主権を全人格的に受け入れた人のことであるという理解は,あまりに人間の側に力点を置いた理解である.ジャン・カルヴァンによれば,キリスト者とは,キリストにより,神の選びにより,聖霊と信仰によって神の子とされた人のことである.ごく一般的には,キリスト者とはキリストとその教えを信じて生きる人であると言えるだろうが,この語に正確な定義を下すことは恐らく不可能である.「厳密な意味において,それは真実なキリストにある救いの信仰を持っている者に適用されるべきであるが,ただ神御自身のみが真の信者は誰であるかということに関する確実な認識を持っているのである」(S・A・カートレッジ).→教会史,日本の教会史,迫害,殉教・殉教者.<復>〔参考文献〕S・A・カートレッジ「キリスト者」『神学事典』聖書図書刊行会,1972;海老沢有道/大内三郎『日本キリスト教史』日本基督教団出版局,1970;Blaiklock, E. M., “Christian,” The Zondervan Pictorial Encyclopedia of the Bible, Zondervan, 1979.(熊谷 徹)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社