《じっくり解説》改革派とは?

改革派とは?

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改革派…

1.「改革派」([英語]Reformed)の用語は教会(教派),信条,神学派,世界(人生)観など,様々の意味合いで用いられるが,後述のようにすべての用法に共通した特徴を持つ用語及び観念である.改革教会の歴史は大まかに,改革者たちの時代(16世紀),教理論争などのための教会会議の時代(17世紀),啓蒙主義の影響下での神学の論理体系化の時代(18世紀),自由主義神学の影響とそれとの戦いの時代(19世紀),戦後の思想的混乱の中での神学思想的更新と教会の国際的連合の時期(20世紀)に分けることができる.<復> 2.改革派伝統はスイスのプロテスタント宗教改革者ジャン・カルヴァンの神学的教説と教会的実践の流れを汲んでいる.もちろんこの伝統のすべてを彼にのみ帰することはできない.彼の前後にはドイツのツヴィングリ,ブツァー,スイスのファレル,ベーズ(ベザ),イギリスのノックスらの教会改革者がおり,また17,18世紀の時代思潮の脈絡で発展した神学思想や,その立場に立脚する政治家,社会運動家の実践もあって,これらすべての要因が改革派と言われる教会的,神学的,思想的伝統を形成してきたのである.<復> しかしこの伝統の形成の出発点として決定的に影響を及ぼしたのはカルヴァンである.彼の主著『キリスト教綱要』,聖書注解,教会規定,信仰告白と問答書などは,後の改革派教会の神学的構造,聖書解釈原理,教会政治形態,教会教育などを性格付けた.<復> 3.政革派伝統の最大の特徴は,主権性と恩恵性に帰するその神観にあると言えよう.神の主権性と恩恵性はもちろん全プロテスタント福音主義教会の中心的信仰告白ではあるが,改革派神学と思想の伝統において最も明瞭に表現されてきた.それは少なくとも次の三つの事柄から明らかである.<復> 第1に改革派神学は予定の教理を重大視してきた.予定論と言えば改革派,と言うのは完全な誤解であるが,改革派神学が予定論を最大限に強調してきたことは否定すべからざる事実である.これは神の絶対的主権性と恩恵性を救済論に適用した結果にほかならない.予定は決して,人間の自由と責任がどうにもならないような運命ではない.全的堕落のために自力救済が不可能となった人間が救われ,永遠のいのちを得るのは,究極的には,神の恵みに帰されるのか,それとも人間自身のわざによるものなのか.聖書は明白に前者を教えている(エペソ1:3‐14).また人が福音を聞いた時信仰を持つことができるのは,そしてそれを終りまで持続することができるのはなぜか.それは聖霊の再生恩恵,聖徒の堅忍の恩恵によるが,その究極的根拠はキリストにおける神の選び,人知を越えた神の主権的,恩恵的な永遠の意志にある.このように予定は救いを確信させ得る神の主権的,恩恵的わざなのである.<復> 第2に神の主権性と恩恵性は創造の教理において高調される.聖書における創造の教理は,すべての創世神話に語られる先存的素材を用いる形成ではなく,「無からの創造」であり,全く神御自身のみの絶対的,主権的なわざである.しかし聖書啓示全体の中では直接的,第一義的強調と目的がキリストにある神の救済恩恵にあり,創造はその前提となっているため,福音主義神学思想においては特に前者が注目され,強調されてきた.その場合,救済の前提及び対象となる人間と世界の存在構造そのものは「自然」と理解され,無自覚的にも自然=恩寵という二元論的思惟に影響されやすくなる.しかし聖書によれば,そのような意味での自然なるものは存在せず,それは神の「被造物」にほかならない.キリストによる救いは強調されすぎることはないとしても,それは神の原初的,根源的創造を前提としてのみ成り立つことである.それゆえ改革派神学は救いを「再創造」として,創造・堕落・救済を統一的,総合的にとらえてきたのである.<復> 第3に改革派思想は「創造の秩序」に注目し,これに基づいて首尾一貫した全包括的世界観の構築を企図し,それに取り組んできた.全被造実在はその作者御自身の知恵と美の性質を反映しているが,そこには統一性と多様性との見事な調和がある.そして神は御自身の全能性と真実性に従って,被造世界を(人間の堕落後も,それに対するのろいにもかかわらず)キリストにある救いとその終末的完成とに向かって保持して下さるのである.改革派思想家は,神が保持しておられるこの現実の人間と世界の諸領域の,おのおのの固有性と全体の中での相互連関性とをより的確,厳密に理解し,表現すべく努めてきた.その代表例が19世紀後半から20世紀半ばにかけて,オランダの改革派牧師・神学者・政治家・文筆家アーブラハーム・カイパーとその同志や弟子たちにより発展させられてきた「領域主権」の原理である.このように神の絶対的主権性と恩恵性を具体的に展開した形で告白してきたことは改革派思想の伝統の根本的特徴である.<復> 4.改革派神学は次に人間の自由意志と責任を強調してきた.神の主権は決して,暴君的恣意的主権を意味しない.それは神に対する人間の有効なかかわりと,それだけにその責任性とを確立かつ要求するのである.このことは特に次の四つのことから示される.<復> (1) 改革派神学はすぐれて契約的神学である.改革派聖書神学は伝統的に,旧・新両約聖書を,イエス・キリストにおいて立てられる神の恵みの契約の視点から,統一的に解釈してきた.旧約聖書は信仰によって受くべき神の賜物としてのイエス・キリストによる救いを,将来のこととして展望,預言し,同じことを新約聖書は回顧し,証言するのである.イエス・キリストによる救いはアブラハムに対する神の約束の成就であり(ガラテヤ3:16),モーセのあかししたことであった(ヨハネ5:39).改革派聖書神学が啓示史,契約史,贖罪史の神学であると言われるゆえんである(G・ヴォス).<復> さらに改革派信条と教義学はイエス・キリストを第2のアダムあるいは最後のアダムととらえることによって,いのちの契約(わざの契約)と恵みの契約とを統合的に理解している.教義学における人間論,キリスト論,救済論,教会論もすべて,神とその民との恵みの契約の延長線上において理解されている.この恵みの契約は今日的に神学の根本テーマである,神の国の教理のクラシカルな改革派的理解と表現と言える.<復> (2) 改革派神学思想はいわゆる文化命令([英語]Cultural Mandate)を強調してきた.神は御自身の像に似せて創造された人間に他のすべての被造物の支配を命じられた(創世1:26以下).世界支配は本来創造者にのみ適合しているわざであるが,契約関係に置かれた人間はこの光栄と特権とを担わされたのである.これは神の栄光と隣人の福祉とのために,上記のいのちの契約に規定されてなされるべき,人間の歴史的文化形成である.そしてこれは終末的完成と永遠的安息に向かって,人生の全領域,全被造実在において遂行されるべき神の支配(神の国)の歴史的伸展にほかならない.職業は神の召し([ドイツ語]Beruf)と言われるが,それは単に個人的観点においてではなく,世界的,歴史的規模においてそうなのである.<復> (3) 神の主権的恩恵に基づく人間の責任的かかわりは,神の民の契約的生としての,律法に規定された聖化の生という思想によって端的に示される.神と民との契約関係は,旧約聖書に反映している宗主権契約のごとき,一方の他方に対する主権的な服従要求と恩顧授与という,上下・主従の関係である.神の民はその特権にふさわしく,聖く生きるために,神御自身の聖い御旨に従わなければならない.キリスト者はキリストへの信仰によってすでに救われており,律法ののろいから解放されている.しかしそれは決して,彼がいかなる意味でももはや神の律法とは無縁になったという意味ではない.それどころか律法は本来の積極的な役割を果すのである.律法は罪人には,断罪と死の刑罰の宣告という否定的機能を果すが(ローマ3:19,20),それは本来いのちに至らせるべきものであり,聖であり,善であるがゆえに(ローマ7:10以下),キリストの御霊に生かされている者には,神の御旨としての律法の要求を満たす仕方で生きることができるように導くのである(ローマ8:4).<復> これが道徳律法の第3効用と言われるものである.ルター派神学では,律法は罪人には断罪,キリスト者には存在する罪の指摘と悔い改めの促進として機能するという,第2効用が強調されるのに対し,改革派神学では聖化の基準としての律法の積極的な効用が説かれる(もちろん信仰を度外視して,律法遵守によって聖化されるというのではない.聖化もキリストへの信仰によってのみあずかり得る神の恵みである).このことは例えばハイデルベルク信仰問答やウェストミンスター大・小教理問答など,改革派教理問答書の構成において明らかである.聖化とは,義とされた者をキリストに似ることにおいて限りなく前進させる聖霊の働きであるが,それは,罪人を義とし得るためにキリスト御自身が全うされたその同じ律法をキリスト者のうちに結実させることである.善行を含む聖化は決して,人間自身の主観的感情や意志などによってなされるものではなく,客観的な神の意志である律法によるのである.<復> (4) 改革派神学は聖霊論的神学である.カルヴァンの神学的貢献の一つは聖霊の人格とわざの教理を三位一体論及びキリストの二性一人格論(キリスト両性論)との正しい関係で確立したことである(B・B・ウォーフィールド).聖霊は救いのためのキリストの客観的,外的([ラテン語]Extra Nos)働きを罪人に主観的,内的([ラテン語]In Nobis)に適用される.キリストの働きなしには聖霊のそれはなく,また聖霊の働きなしにはキリストの働きは罪人に有効に結実しない.聖霊に満たされるとは決して神秘主義的,主観主義的な性質の事柄ではない.このような聖霊理解は,上記の聖化論のごとく神に対する人間の営みの意味とその責任を確立する.かかる聖霊論的神学は,人間が神的性質にあずかるのでなく,人間でありつつ,しかも神の十全な作用を受け,神的意志に適合して生きるという思考と実践を可能にするのである.<復> 5.改革派教会は信仰告白教会として自己形成する教会である.キリスト教会は初代教会以来,宣教と教会建設において不断にみことばを宣べ伝えてきたが,そのため絶えず真理にくみし,それを告白し,弁証することが責務であった.古代教会は一方では新約聖書正典の結集に取り組み,他方では真理の規準あるいは信仰規準と言われるものを作成していった.信条作成は教会史においては大きく分けて,4—5世紀と16—17世紀に集中しているが,前者はキリスト教会の信仰と神学が確立し,教会が社会的地位を確保した時期,後者は教会の堕落と刷新運動により神学体系が大きな転換を遂げ,また教会の政治的社会的かかわりが激変した時期であった.<復> 宗教改革期は信仰告白,教理問答,協約,宣言などが量産された時期であるが,その大部分は改革派教会の伝統に立つ教会においてであった(その数はおよそ60に上る).これは,ルター派教会においてはルターの教理問答(1529年)とアウグスブルク信仰告白(1530年)が今に至るまでも大きな影響を及ぼし,また和協信条(1580年)によってルター派諸教会の信仰の統一が図られたのと比較すると,改革派教会の顕著な特徴である.それは,改革派教会が根本的に一致した信仰的,神学的アイデンティティーを保持しつつも,その置かれている時代と場所の特定の事情と必要と目的に応じて自由に,多様に信仰告白した結果である.改革派教会では例えばカルヴァンのジュネーブ信仰問答やどれか一つの信条が特別の影響力を持っているわけではなく,また一つの信条に帰一させようとしたこともなかった.カルヴァン派教会と呼ばれず,「改革派」教会と呼ばれるのがそのことの証である.<復> それゆえ改革派教会はより十分な信条作成のために,熱心に聖書研究と神学研鑽に励み,より厳密な神学的思考を養う努力をするのである.これは前述のごとく,改革派伝統において中心的であった神の絶対主権とその神との契約に生きる民という思想が,神の自己啓示の文書的完結態としての聖書と信仰告白との関係に適用された結果である.聖書を信仰的に受容,把握し,その導きの下に可能な限り論理化するのが神学である.改革派教会は神のことばを信じるだけでなく,それを知り,それへの信仰の理由をも知ることを重んじてきたのである(K・ホル).<復> 6.また改革派教会は教会法による自治的教会形成に努めてきた.上記中心的思想は信条作成と神学研鑽の努力にとどまらず,さらに教会改革(再形成)(re‐formation)そのものの根本的動機となった.また,教会政治及び国家との関係については,一方では教会(教皇)による教権・国権の掌握,前者に対する後者の従属性を主張するローマ・カトリック教会の立場に対して,他方では教会の自律政治権の否定,領邦教会制度,キリストの二王国論というルター派の立場に対して,キリストの主権の全包括性の下に教会と国家の権能を区別し,両者を相互不可侵の関係にあるものとして,特に教会の自律性を擁護してきた.このために改革派教会では早くから,教会政治のための法規が整えられた.個人のカリスマや恣意性ではなく,合法的に選出,任職された役員による会議が教会を統治するという初代教会の理念(長老主義政治)を回復,適用したのである.<復> 信仰告白と教理問答作成による真理の弁証,礼拝,信仰教育のためには,国家の干渉を受けない教会の自律性が不可欠であった.信仰規準と教会規定を含む教会法は教会の自律的存立にとって不可欠である.これもまた,神の民の共同体としてその契約に生きるということが適用された結果である.改革派教会の顕著さはとりわけその教会についての教理にあると言われるゆえんである(P・マインホルト).→カルヴァン主義.<復>〔参考文献〕A・カイパー『カルヴィニズム』聖山社,1988;McNeill, J. T., The History and Character of Calvinism, Oxford Univ., 1979; Hesselink, I. J., On Being Reformed, Servant, 1983.(市川康則)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社