《じっくり解説》知恵,知識とは?

知恵,知識とは?

スポンサーリンク

知恵,知識…

1.知恵の意味と用法.<復> 「知恵」の辞典的意味は,「物事の理を悟り適切に処理する能力」である.ヘブル人にとっての知恵は,“すぐれた知的能力”“特殊な技能”の意味で,理論的なものというより実践的知識や能力を指す.それは実効的技術,問題を解決する方法や物事を秩序立てて正しい計画を立て,統制する能力である.従って,特に宗教的倫理的なものに限られない.<復> (1) 旧約聖書の中で「知恵」と訳されている名詞[ヘブル語]ホクマーは150回ほど出てくるが,それは一般的,包括的知恵の意味である.動詞([ヘブル語]ハーカム)は「賢い」「賢く行動する」の意味で,生活経験から来る態度や考え方を表している(箴言9:9「知恵を得る」).幕屋の建築ですぐれた能力を発揮したベツァルエルは「知恵のある者」であり(出エジプト28:3,31:3,6),偶像製造者の知恵(イザヤ40:20「巧みな」),泣き女の知恵(エレミヤ9:17「巧みな」),航海者(詩篇107:27「分別」)や指導者(申命34:9)の知恵もある.巧みな知恵は,ずる賢さとして神から厳しくとがめられている場合もある(エゼキエル28:17).またヨナダブの巧みな助言(Ⅱサムエル13:3)も知恵であった.知恵は,経験や訓練を通して,あるいは神の啓示によって与えられた,特別な知識または能力(士師5:29)でもある.<復> (2)「知恵」の類似語としては,(a)「知識」([ヘブル語]ダアス)—経験を通して得られた生活に役立つ知識(出エジプト31:3),(b)「悟り」([ヘブル語]ビーナー,テブーナー)—洞察する力(イザヤ11:2),(c)「訓戒」([ヘブル語]ムーサール)—自発的服従を求める注意や警告(箴言1:2),(d)「分別」([ヘブル語]オルマー),「思慮」([ヘブル語]メジッマー)—利口で,よく考えて計画工夫する能力(箴言1:4「分別」,22:3「利口な」),(e)「理解」([ヘブル語]レカフ)—真理を把握する知力(箴言1:5),(f)「思慮」([ヘブル語]ハスケール)—賢く振舞う実践的な知恵(箴言1:3),(g)「正義」([ヘブル語]ツェデク)—法廷的な意味での正しい行動(箴言1:3),(h)「公義」([ヘブル語]ミシュパートゥ)—倫理的意味でのおきて(箴言1:3),(i)「指導」([ヘブル語]タフブロートゥ)—軍事的統率力(箴言1:5),などがある.<復> 2.知恵の起源.<復> ヘブル人の知恵や知識はいつ頃どのようにして得られたのか.この問に答えることは容易ではない.<復> (1) 古代オリエントの国際的文脈.イスラエルの知恵文学と呼ばれるものの内容を見ると,それらが数千年前の古代オリエント文化の知恵の伝統に深くかかわっていることがわかる.中でも,エジプト,カナン,メソポタミヤの知恵に共通するものが多くある.プリチャード編纂の『古代近東本文』にあるエジプトの教訓やアッカド格言集,アラム語の「アヒカルの言葉」などはそのことを示している.<復> (2) イスラエルの知恵の源泉.しかしながらヘブル人の知恵は,諸外国の知恵をそのまま採用したものではない.それは,彼らが他国とは異なる独自の知恵を持っており,独自の発展を見ることから明らかである.特に前10世紀前後の統一王朝(ダビデやソロモン)のもとで国際交流の盛んであった時代に,外国文化がイスラエルに流入し,イスラエルの知恵の発達を促したと思われる(Ⅰ列王4:29‐34,10:23).1923年に出版されたエジプトの「アメン・エム・オペの教訓」は,箴言22:17‐23:12と類似点が多く共通するものがある.ヨブ記や伝道者の書はもちろんだが,モーセ五書や歴史書にもカナン,アラビヤ,バビロニヤと共通する類似の知恵が見られる.こうしたことを考慮すると,イスラエルの知恵は,ヤハウェ信仰に立ちながら知恵の国際的文脈の中で移入,改良,吸収,消化して自らの知恵とし,よりダイナミックな発達を遂げていったもの,と言うことができよう.<復> (3) イスラエルの知恵の特徴.旧約聖書の知恵文学の内容を調べるなら,イスラエルの知恵に特筆すべき性格のあることがわかる.(a)知恵とは,まず自然的に人間に備わった能力や人間から出た知識を指す(伝道者1:13)が,それらの知恵は人間に憂いや苦悩をもたらすだけである(伝道者2:9‐11).真の知恵は,主を恐れることによって得られる神からの知識である(箴言1:7).真の知恵を得るとは生死にかかわることであるから,熱心に探究するようにと知恵の教師は若者たちを励ましている(箴言2:2,21,22,16:25).(b)知恵はまた律法の探究によって与えられる.律法は幸福な生活に人々を導く知恵を授ける.旧約外典「ベン・シラの知恵」は,律法と知恵を同一視するまでに律法の道徳的解釈をしている(15章1節,19章20節,21章11節).さらに新約時代になると,律法の専門家である教師に聞き従うことが要求される(参照ローマ2:19,20).(c)知恵は啓示によっても与えられる.旧約聖書の中には神が知者,賢者のように呼ばれている箇所がある(ヨブ9:4,詩篇104:24,箴言3:19).神はすべての知恵の本源であり,人間は彼の知恵によって支えられる.人間の知恵や知識は神からの賜物である(Ⅰ列王3:11‐13,伝道者2:26).それゆえ人間は,神の助言や指導を仰ぐべきである(ヨブ28:23).新約聖書は,知恵を神的啓示によって与えられるものと理解している(使徒1:26,Ⅰコリント2:6,エペソ1:17).神はその知恵によって雲を数え(ヨブ38:37),世界を造り,地を定める(エレミヤ10:12).神のみが真の意味で知恵を知っている(ヨブ28:20,23).知恵は神の属性であるから,人間の思索によって発見できるものではなく,神によって教えられるものである.かくして神が喜ばれる生活は,神の知恵に生きることによって可能となる(箴言2:6,ヨブ11:6).<復> (4) イスラエルの知恵の役割.以上のように,イスラエル人にとっては宇宙の事象も人間生活の種々な問題も,全部が神の知恵に関係している(箴言8:30,31).主を恐れること,神を知ることを抜きにして正しい知恵はないことがわかる.箴言8:22‐31は古来三位一体の神を証明するものとして解釈されてきた.しかし,文脈からして,この知恵は,神が万物の創造に用いたヤハウェの属性としての知恵を詩的に擬人化したものであって,神すなわち知恵の意味ではない(W・カイザー)と考えられる.人間の正しい生活は,主と正しい関係にあって初めて成り立つ.それゆえ神の知恵に教えられなければならない.観察,思索,論争し,描写,宣明によって神の知恵を発見し,それによって生きるための道案内や人生の意義を明示することが知恵の役割であった.<復> 3.知恵文学と知恵の担い手.<復> (1) 一般にヘブル人の知恵文学に相当するものは,旧約聖書にはヨブ記,箴言,伝道者の書及び詩篇の一部(1,37,49,73,104,107,112,119,127,147,148篇等)があり,外典ではベン・シラの知恵,ソロモンの知恵,バルク書などが挙げられる.こうした文学は,格言,金言,ことわざ,比喩,なぞなどの形式をとった教訓的内容が大部分であり,最も単純な古い文学形態と言える.それらは古代オリエントの文化的背景の中でのヘブル人の生き方,処世知に関する知識あるいは認識であり,「世に存在するものの領域全体を包括し,その中で成熟した諸経験を集成したものである」(ヴェスターマン).人間,動物,自然,労働,王,支配者,愚者,賢者,親子,神,律法,信仰など数多くの生活の領域に及ぶ知恵が語られている.<復> (2) すでに見たように,イスラエルの知恵はモーセの時代(申命4:6,34:9),士師時代(士師9:7‐20),そしてダビデ,ソロモン時代(Ⅰ列王10:23)に十分な発展を見た.しかし,こうした知恵の担い手は誰であったのか.民衆の中に古くから存在していた知恵の伝統は,賢者,知恵者と呼ばれる人によって担われたと思われる.このような知恵者は,純粋な宗教心に養われ,修練によって与えられた知性,道徳的体験から得た権威を持っていた.彼らは教導,勧告,助言,論争,説得などによって人々に知恵を授けたのである.統一王朝における書記官(サーフェール)(Ⅰ列王4:3),「知恵ある者からはかりごとが,預言者からことばが滅びうせることはない」(エレミヤ18:18.参照エゼキエル7:26)ということばから,知恵者の職分の存在がわかる.書記官も知者([ヘブル語]ハカーミーム)であった.彼らは学者であり,法廷,神殿,政府のよき助言者として働いた(Ⅱ列王22:3‐13).若人に対する教育(箴言1:8)もこれら賢者の働きであった.彼らは神の教師のごとく描かれている(参照イザヤ50:4‐6).また,エズラは天の神の律法の書記官(エズラ7:12,21では「学者」)であった.<復> 捕囚より帰還後のイスラエルでは律法を重視したので,賢者や学者の働きは律法の研究と解説に変っていった.知恵が次第に宗教的神学的色彩を濃くしていったことは,旧約外典から知られる.知恵は新約聖書のキリスト論的用語と関係し,一部はギリシヤ哲学と結び付いて,ユダヤ人哲学者フィローンの思想に受け継がれている.<復> 4.新約聖書に見られる知恵([ギリシャ語]ソフィア,ソフォス).<復> 新約の知恵はおおむね旧約と同じく実践的性格を持つ.そしてそれらの知恵は神の啓示に深くかかわっている.神の啓示と無関係な″この世の知恵″は,人間の経験や直観的思索によってつくられたものであるから,おのずから限界があり,それを認めないことは愚かとして断罪されている(Ⅰコリント1:17,19,ヤコブ3:15).知恵は律法主義や異教哲学とは全く異なるものであった.<復> 知恵(ソフィア)の類似語としては,科学的知識(エピグノーシス),処世知(フロネーシス),理解力(スネシス),奥義的知識(グノーシス)(Ⅰテモテ6:20)などがある.これらは旧約の宗教的霊的知識を反映した語であり,その意味では,旧約の知恵が新約に継承されていると言える(参照ローマ16:19,エペソ5:15,ヤコブ3:13).<復> (1) イエスの教えの中には多くの知恵の性格が見られる.最も明白で充分な知恵は山上の説教に語られ,知恵の教師の特徴的教えの内容を含んでいる.イエスは一方では伝統的知恵を語るが,他方誤った伝統的知恵を激しく攻撃した(ルカ6:27‐38).イエスの説教は自然や人間の日常生活を題材にしたもので,霊的実践的知恵をその内容としている.<復> (2) パウロの知恵の理解はⅠコリント1‐4章において見られる.彼はギリシヤ人の知恵をむなしいものとして強く非難する.その知恵は人間の理論に頼り,神の啓示を受け入れない.真の知恵は聖霊の啓明によって与えられるもので(Ⅰコリント2:10),他人を導き,自分の知的理解を助ける(コロサイ3:16).キリストは神の意志の完全な啓示であって,新しい律法(トーラー)である.<復> (3) ヤコブの手紙は新約聖書の中で最もイスラエルの知恵文学の伝統を受け継いでいると言われる.クリスチャン生活を実践的面から矯正し,敬虔な倫理的生活を強調する.イエスの教えに見られると同様の知恵が,ヤコブの教えの各所に見出される.<復> 新約聖書は,イエス・キリストこそ,すべてのクリスチャンの知恵の究極的源泉であることを明らかにしている(Ⅰコリント1:30).<復> 5.知恵と知識.<復> 「知識」([ヘブル語]ダアス,[ギリシャ語]グノーシス)は知恵に関係する語の中で最も基本的なものである.知識の辞典的意味は「感覚を通して対象を認識し体験すること.知性によって知られる対象,事物の把握,理解すること」である.しかし聖書では,そうした知るものと知られるものとの関係よりも,神を知る知識や,人間と神との人格的体験的ないしは実存的な知識の意味でダアスを用いている.「知る」とは「見る」「体験する」ことに近く,実際的行動的知識である(箴言24:5).アダムがエバを「知った」(創世4:1)とは男女の性交渉を意味している.他方ギリシヤ語の知識(グノーシス)とは,主として客観的対象の認識の意味で用いられるが,新約聖書ではダアス同様,知ることは見ることとして理解している(Ⅰコリント4:19).<復> 知識は神の所有するものであり(ヨブ10:7),神はダアスを教える(詩篇94:10,箴言2:6).ダアスは道徳的知識としては善悪を知ることを指す(創世2:9,17).神の知識は全包括的であり(ローマ11:33,Ⅰヨハネ3:20),有限な人間には計り知ることができない.しかし神は御自身の啓示の御霊と聖書を通して神を知る知識と理解力を与えられる(ローマ1:18‐20,3:7,Ⅰヨハネ5:20).→神のことば.<復>〔参考文献〕『新聖書注解・旧約3』いのちのことば社,1975;『聖書講座』第1巻,日本基督教団出版局,1966;Scott, R. B. Y., The Way of Wisdom, Doubleday, 1965 ; Von Rad, G., Wisdom in Israel, Abingdon, 1974 ; Harrison, R. K., Introduction to the Old Testament, Eerdmans, 1974.(渋谷敬一)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社