《じっくり解説》死後の状態とは?

死後の状態とは?

死後の状態…

この主題は,キリスト教神学の個人終末論の中に属し,死とからだの復活との間における人間の状態を取り扱う.一般に「中間状態」(the intermediate state)と呼ばれている.<復> 死後の状態について,聖書は多くの資料を提供していない.初代キリスト者の望みは,中間状態ではなく,むしろ救い主キリストの再臨([ギリシャ語]パルーシア)(テトス2:13)と,それに伴うからだの復活にあずかることにあったからであろう.<復> この資料不足は,中間状態について多くの異説を生むこととなった.その代表的な説は,「煉獄」と「魂の眠り」(霊魂仮眠説)である.煉獄は,中世において,ローマ・カトリック教会が発展させた教理で,宗教改革者たちはこれに強く反対した.この教理によれば,中間状態はさばきから祝福へ移る場所,すなわち,罪のために魂が苦しみを受けるが,その罪が償われるならきよめられる場所となる.これは全く聖書的根拠がなく,聖公会の高教会派を除いて,全プロテスタント教会が非聖書的教理として退けている.<復> 魂の眠り(Psychopannychy)は,死と復活の間,魂が眠るという説で,古くはアナバプテスト派によって支持された.この説は,聖書で「眠り」が死を指していて,意識の停止あるいは休止を意味しているととる.ルターは,中間状態が一種の眠りであるとの理解を示したが,カルヴァンは,当時のアナバプテスト派への反論として,Psychopannychia(1534)を著し,この説の誤りを指摘するとともに,中間状態において魂は意識的に存在することを説いた.今日では,セブンスデー・アドベンティスト派がこの説を擁護している.<復> 確かに旧約聖書は,死が眠りである(詩篇13:3等)と述べている.しかし,眠りは比喩的表現であって,文字通りにとるべきではない.旧約聖書は,死後人間が存在することを明確に教えている.<復> 新約聖書においても,死は眠りであると言われている(マタイ9:24,Ⅰコリント15:18,20,51等)が,人間の生理的な状態を指しているわけではない.「眠り」は死の比喩的な表現である.また,いずれの言及も,眠りは魂ではなく,からだの眠りを指している.人間が死後,その魂が意識的に存在することについて,新約聖書は明確に教えている(ルカ16:19‐31).死後,魂が眠るという説も,全く聖書的根拠はない.この説は,教理的逸脱(E・F・ハリスン)である.<復> 中間状態は,その構造や様相を巡って,様々な解釈がなされてきているばかりでなく,その存否についてすらも論じられてきている.では,聖書は死後の状態について,どのように教えているだろうか.<復> 1.旧約聖書における死後の状態.<復> 旧約聖書は,人間は死ぬとただちに消滅するのではなく,地上的存在から全く隔絶された場所に住むようになると述べている.その場所と存在については,次のような表現が見られる.死者はその先祖のもとに行く(創世15:15).そこは家(ヨブ30:23),死の門(ヨブ38:17),やみと死の陰の地(ヨブ10:21,22)と言われている.ちりの上に横たわる所(ヨブ21:26),沈黙(詩篇94:17),忘却(イザヤ26:14)の所でもある.<復> 死者の住む領域については,「地下の国」([ヘブル語]エレツ・タフティース)(エゼキエル31:14),「死」(の領域)([ヘブル語]マーウェス)(ヨブ30:23),「墓」([ヘブル語]シャハス)(詩篇30:9)などがある.旧約聖書において,死後の状態を表す基本語は,[ヘブル語]シェオールで,65回用いられ,そのうち約半数が詩書に見られる.70人訳では「ハデス」と訳出.新改訳では「よみ」と訳し,欄外注に,原語の「シェオル」を記している.語源については「求める」「尋ねる」の意の[ヘブル語]シャーアル(s▽’l),または「うつろ」「くぼみ」を意味する語根(s▽`l)から来たという説があるが,正確にはわかっていない.従って,その意味については様々な解釈がある.おもなものは次の通りである.<復> (1) 二区画説(Two‐compartment theory).シェオルは二つの区画に分れ,善人は上部層(リンブス・パトルム〔旧約聖書の聖徒たちが復活まで住む所〕,リンボ)に,悪人は下部層に置かれる.<復> (2) 下界説(Nether world, under world theory)(ダフード).悪魔,神から隔離された人々の住居.<復> (3) 墓説(The grave theory)(R・L・ハリス).すべての人間—善人・悪人の別なく—の死後行く場所.シェオルは,死者の魂の行く所ではなく,死体の収められる場所と解する.<復> (4) 死者領域説(The realm of the dead theory)(A・A・フーケマ).これは死の状態ととる立場である.イザヤ5:14などがその論拠である.<復> 以上のような諸説があるが,基本的には矛盾はない.いずれも死者の住む場所,死の行為,状態,あるいは,死者の領域,状態を意味する.異なった解釈が生じるのは,この語が二重の意味を含んだり,二つの意味のうちどちらかにとれるからである.意味の確定には,文体,文脈,特に同義語や比喩的表現との比較検討が必要である.<復> ヤコブが悲しみながら「よみにいるわが子のところに下って行きたい」(創世37:35)と願う句のシェオルは,墓と同時に死の行為ととれよう.詩篇16:10のシェオルは,墓の穴([ヘブル語]シャハス)の対語(詩的同義語)で,同義的並行法を構成するので,墓と解するのが妥当であろう.この節は使徒2:27,31で引用され,ペテロは,キリストの墓からの復活が預言の成就であることを主張している.<復> エゼキエル31,32章におけるシェオルは(31:15,16,17,32:21,27),穴([ヘブル語]ボール),墓([ヘブル語]ケベル),地下の国([ヘブル語]エレツ・タフティース)とともに用いられているので,墓または死者の領域を意味していると解される.ヨブ17:13‐16では,よみがうじのわく,ちりにおおわれた,やみの中の寝床の住みかとして描かれている.これはパレスチナの墓場を連想させるので,墓のことであろう.だが,死者の領域ともとれよう.<復> シェオルは,また死の状態をも意味する.ハンナの祈りの中の「主は殺し,また生かし,よみに下し,また上げる」(Ⅰサムエル2:6)の「よみ」は,前半句の「殺し」と対語になるので,死の状態と解せよう.<復> シェオルは,このように幾つかの意味を持ったことばではあるが,旧約聖書のどの使用箇所においても,地獄あるいは悪人の未来の刑罰の場所という思想は見られない.詩篇9:17の「悪者どもは,よみに帰って行く」や,55:15の「彼ら(悪者)が生きたまま,よみに下るがよい」が,刑罰の場所の論拠として挙げられているが,これらの句は死の行為ととるべきであろう.旧約聖書は,義人と悪人とが共によみに下るが,悪人はそこにとどまり,閉じ込められているのに対して,義人はやがてそこから解放されるということを教えている.シェオルは,義人と悪人の究極的定めについて明確な区別をしている(ヨブ26:6,詩篇16:10,49:14,15,139:8).神の主権と支配はよみにも及ぶので,義人には死の彼方にいのちの望みがある(ヨブ19:25‐27,33:18‐28,詩篇30:3,49:14,15,箴言15:24,ヨナ2:1‐9).<復> 旧約聖書は,人間は死後,よみに存在し続けるが,それがいのちであることを教えていない.死者は,そこに存在するのである.死後の状態の思想的展開は,新約聖書にゆだねられている.<復> 2.新約聖書における死後の状態.<復> 新約聖書において,死後の状態を表す重要なことばは,[ギリシャ語]「ハデース」(hade~s)である.「ハデス」(Hades)はラテン語の音訳.この語は,70人訳が旧約聖書の[ヘブル語]シェオール(よみ)に当てた訳語を,新約聖書が受け継いだものである.両語の間には共通した概念はあるが,必ずしも同じことを意味しない.中間時代,ユダヤ教の黙示文学の発展によって,よみの概念が明確化したことによる.よみは単に死者の存在する場所ではなく,義人のための祝福の場所と,悪人のための刑罰の場所の,二つの区画に分けられるようになった(Ⅱエスドラス7章75節以下).つまり,シェオルの概念に道徳的区別がつけられるようになった.ヨベル書7章29節には,悪人の最終の刑罰の場所というゲヘナの概念さえも見られる.従って,新約聖書におけるハデスは,このような思想の変移を踏まえて理解しなければならない.<復> 新約聖書におけるハデス(使用度数は10回)の概念は,一律に死者の領域(A・A・フーケマ)と解するよりは,旧約聖書のシェオルの場合のように,二重の意味を持ったり,二つの意味のうちどちらかにとれるので,文脈や比喩的表現を検討した上で確定すべきである.<復> 旧約聖書のよみを想起させる,ハデスの深さと天の高さとの対比(マタイ11:23,ルカ10:15.イザヤ7:11)は,死者の領域とともに,全き破壊の二つの意味があると解される.主はイザヤ14:13,15を用いられ,高慢なカペナウムが悔い改めを拒絶したので,死者の領域に落され,さばきの日に刑罰を受けなければならないと宣言された.天に上げられたカペナウムが,ハデスに落されるとは,全き破壊を意味する比喩的表現である.<復> 「ハデスの門もそれには打ち勝てません」(マタイ16:18)は,城塞都市が門の力に依存したことから,比喩的表現ととって(J・イェレミーアス),「死の力」(米改訂標準訳)の隠喩と解するのが妥当であろう.この句は,イザヤ38:10の「よみの門」に対応するもので,死者の監禁される領域ともとれる.いずれの解釈であっても,キリストは御自身が死の勝利者であるので,教会は不滅であることを約束しておられる.<復> 金持とラザロのたとえ(ルカ16:19‐31)は,資料の可否に疑義をはさむ余地はあるが,死後の状態についてイエスは明確な真理を提示しておられる.(1)死後の状態,あるいは死者の領域は明確に存在する.(2)地上と地下の鋭い対比から,死後の魂の状態は,この世の生き方によって決定付けられる.これは絶対に変えられない.(3)比喩的表現の解釈のいかんを問わず,義人の死後の状態は祝福であり(16:25),悪人のそれは苦しみである(16:23‐25,28).ハデスが悪人のための苦しみと刑罰の場所であることは明らかである.<復> ペテロは,ペンテコステの説教の中で,詩篇16:10を引用して(使徒2:27),この預言がキリストの復活において成就したと述べている(2:31).キリストは墓または死の領域に捨て置かれることなく,よみがえられたのである.<復> 黙示録1:18の「わたしは…死とハデスとのかぎを持っている」とは,キリストが死に打ち勝たれたので,死の領域すなわち地下の主権者であることを宣言されたものである.それゆえ神の民は死を恐れないのである.黙示録6:8では,ハデスは青ざめた馬に乗っている死の従者として擬人化され,死の領域を意味している.この黙示録の著者の描く最後の審判の光景で(20:11以下),擬人化されたハデスは,海と死とともに,その中から死者を出した(20:13).そして最後に死とハデスは,火の池に投げ込まれた(20:14).ハデスが死者を出したとは,彼らが死の状態から,さばきを受けるためによみがえったことと,解される.すると,ハデスは中間状態への言及(J・イェレミーアス)ととるのが妥当であろう.<復> 新約聖書において,死と復活の間の中間状態と関連する重要な概念はパラダイスである.信者の死後の状態が,キリストとともにあることを示している(ルカ23:43,ピリピ1:23,Ⅰテサロニケ4:16)(→本辞典「パラダイス」の項).<復> さらに,新約聖書において中間状態を示唆する重要な箇所は,Ⅱコリント5:6‐8である.「神の下さる建物…人の手によらない,天にある永遠の家」(同5:1)が,中間状態のからだ,復活のからだ,あるいは中間状態のからだでない状態,などとその解釈を巡って諸説があって,死後の存在の様態は明らかでない.しかしパウロは,それが「主のみもとにいる」(同5:8)状態であることを確言している.新約聖書の示す信者の死後の状態は,まさに「キリストとともにいる」(ピリピ1:23)の一句に尽きる.世を去って主とともにいて,主との全き交わりのあるところ,そこが信者にとっての中間状態である.<復> 聖書は死後の状態について,一つの教理としてまとめて体系化するに足る十分な資料を与えてはいないが,その散見する資料から,人間は死後その魂は眠ることなく,意識的に存在することを教えている.不信者は苦しみと刑罰の場所に送られる(Ⅱペテロ2:9).信者はキリストとともにおり,キリストの再臨に当って,からだの復活にあずかる.→死,不死説,パラダイス,復活,終末論,再臨,さばき.<復>〔参考文献〕『旧約聖書神学事典』pp.211—5,教文館,1983;Smith, W. M., The Biblical Doctrine of Heaven, Moody, 1968 ; Hoekema, A. A., The Bible and the Future, Eerdmans, 1979.(樋口信平)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社