《じっくり解説》ディスペンセーション,ディスペンセーション主義とは?

ディスペンセーション,ディスペンセーション主義とは?

ディスペンセーション,ディスペンセーション主義…

[英語]Dispensation, Dispensationalism.神の人類に対する取り扱いの歴史は幾つかの期間に分れる(マタイ5:21,22,ヨハネ1:17,Ⅱコリント3:11,ヘブル7:11,12).神は御自分の真理を一度にではなく,漸進的に啓示された.人類歴史の各区分において,神からの啓示の量が異なっていたため,人間の,神に対する責任の内容も異なっていた.ディスペンセーションとは,神の特定の啓示に対する人間の従順が試される一つ一つの時代区分を言う.どのディスペンセーションも,人間が神によって新しい特権と責任のもとに置かれることによって始まり,人間の挫折と神のさばきによって終っている.<復> 1.なぜディスペンセーションに分けられるか.<復> ディスペンセーションの区分は,以下の考察によってなされる.<復> (1) 聖書は律法の時代と恵みの時代とを区別している(ローマ6:14,10:4,ヨハネ1:17).律法の時代には,人々は律法を守って生活することが義務付けられていた.一方,恵みの時代のわれわれには,キリストを受け入れ,聖霊に導かれて生活することが義務付けられている.この二つの時代における,人間の,神に対する責任の内容は異なっていた.例えば,どちらの時代においても,人が救われるのは信仰によるという原則は同じであったが,律法の時代には,キリストの十字架の贖いについては,現在のわれわれに対するほどはっきりとは啓示されていなかった.従って,どこまでを理解してどこまでを信じたら救われるかという,信仰の「内容」は異なっていた.<復> (2) 人類歴史の区分が,律法の時代と恵みの時代だけでないことが,アダムからモーセの時代までにも長い時代があったことから導き出される.<復> (3) キリストが完全な正義と平和をもって地上を支配される「御国の時代」という特別な時代が将来実現することが聖書に預言されている.<復> (4) 律法以前の時代において,神の,人類に対する取り扱いが大きく変った出来事として最も顕著なのはアダムの堕罪である.アダムが罪を犯したことによって,人間は神との交わりを失い,罪ののろいが人間世界及び自然界に入ってきた.従って,アダムが罪を犯す前とそれ以降とでは,神の人類に対する取り扱いが変った時代区分がある.<復> (5) 神はアダムが罪を犯した後も,初めのうちは全人類を直接支配しておられた.しかし,人間の悪が地上に満ち,人類が団結してバベルの塔を造って神の権威に挑戦した時から,神はもはや全人類を直接取り扱うことはせず,アブラハムとその子孫を通して御自分の計画を遂行することを決められた.<復> (6) 神が全人類を直接支配しておられた期間を調べると,ノアの洪水の前と後とでは,神の,人類に対する取り扱いが大きく変化していることがわかる.例えば,洪水後になって初めて,人間は動物の肉を食べることを許可され,動物が人間を恐れるようになり,さらに人間世界に人間を罰する機関,すなわち人間による統治が始まった.<復> 2.七つのおもなディスペンセーション.<復> ディスペンセーション主義の理解によると,以下の七つのおもなディスペンセーションがある(スコウフィールド).<復> (1) 無垢の時代—人は無垢の状態で創造され,理想的な環境に置かれ,生活を楽しむために必要なすべての物が与えられ,簡単な一つの禁止事項(創世2:17)だけが与えられ,それを破るとどうなるかだけ警告された.しかし,人間は神に背き(創世3:1‐6),その結果神からのさばきが下り,霊的な死,罪の知識,神からの交わりの喪失がもたらされた.このディスペンセーションは,アダムとエバがエデンの園から追放された(創世3:24)ことによって終った.<復> (2) 良心の時代—創世3:7‐8:19までの時代.不従順によって善悪を知るようになった人間は,自分の良心に従って,また自分に与えられていた神知識に基づいて生きるよう要求された.しかし,人間の邪悪さは極に達し(創世6:5,11‐13),神は全世界に及ぶ洪水を起さざるを得なくなった(同6‐9章).<復> (3) 人間による統治の時代—洪水後(創世8:20)から始まり,神が人類を地の全面に散らされる(同11:9)までの時代.このディスペンセーションになって,人間は肉を食べることが許される(同9:4)など,それまでとは違った生活が始まった.この時代に起った最も重要なことは,死刑の制度が神によって定められたことで,それは人間による統治が始まったことを意味する.人間が神の権威に対抗して,バベルの塔を建てた(同11:4)ために,神は人間の言語を混乱させ,人間の文明は散り散りにされた.アブラハムとその子孫だけが次の約束の時代に入ったが,異邦人は人間による統治の下に置かれた.<復> (4) 約束の時代—アブラハムの召し(創世12:1)からモーセの律法が与えられた時(出エジプト19:8)まで.このディスペンセーションはアブラハムの契約の下にあるイスラエル人だけのものである.イスラエルはアブラハムに啓示された神の約束を信じる責任が与えられた.アブラハムへの啓示の内容は大きく分けて以下の三つである.<復> (a)アブラハム個人への約束(創世12:1,2).(b)イスラエルを通して地上のすべての民族が祝福されるという約束(同12:3).(c)イスラエルが永遠に一つの国家として確立され,特定の領土を永遠に所有するという約束(同13:14‐17,15:18‐21,17:8).この約束はイスラエルが神に対して忠実に歩むかどうかにかかわらず,無条件で与えられたものであった.<復> この時代においても,人間は神の指示に従って歩むことができなかった.アブラハム,イサク,ヤコブとも不信仰の罪を犯し,ついにイスラエルはエジプトで4百年間奴隷となった.<復> (5) 律法の時代—これは,モーセの律法が与えられた時(出エジプト19:3)から五旬節の日(使徒2章)までで,その間イスラエルの民はモーセの律法(出エジプト20:1‐31:18)に支配されていた.神の祝福は,イスラエルの民の,律法に対する服従を条件にしていた.<復> しかし,民が律法を破り,偶像礼拝が世にはびこるようになったため,国が二つに分裂し,やがて北の10部族はアッシリヤへ,南の2部族はバビロンへ捕囚となった.イスラエルの民のさらに大きな背信は,メシヤとして来られたキリストを拒絶したことであったが,それが神のさばきをもたらし,エルサレムが崩壊し,イスラエルの民は全世界に離散した.<復> (6) 恵みの時代—恵みの時代は,キリストの死と復活から始まって,現在も継続しており,携挙で終る.この時代に人間に課せられた責任は,キリストを受け入れ,聖霊に導かれて歩むことである.この時代には,救いは信仰のみによることが,以前のどの時代よりも明白に示された.神はこの時代においては,ユダヤ人と異邦人の中から御名のために一つの民(教会)を召し出すことによって,御自分の目的を遂行しておられる.この時代は,教会の背教(Ⅱテモテ3:1‐8)と患難時代のさばきで終る.<復> (7) 御国の時代—キリストの再臨をもって始まる,地上における人間生活の最後の千年間の時代.この時代に,ダビデに約束された御国が建てられ(Ⅱサムエル7:8‐17,ゼカリヤ12:8,ルカ1:31‐33,12:8),イスラエルが回復し,回心し(ローマ11:25‐27),千年の間,国々の長また祭司の国として復活する(ゼカリヤ3:1‐10,6:9‐15).御国の時代における人間の責任は,主として治めるキリストに服従することである.この時代の一つの特徴は,サタンが縛られ,悪霊どもの活動が阻止されること(黙示録20:1‐3,7)であるが,それにもかかわらず,人間は御国の時代の終りには神に反逆する(黙示録20:7‐9).<復> 以上の七つの区分が,ディスペンセーション主義の一般的な分け方であるが,中には,恵みの時代が使徒2章からではなく,パウロが書簡を書き始めた時から始まったとする,「ウルトラディスペンセーション主義」と呼ばれる立場もある(E・W・ブリンガー).<復> 3.各ディスペンセーションにおける神の恵み.<復> 神は,どの時代においても,人間を恵みによって取り扱われた.それにもかかわらず人間はどの時代においても挫折し,人間というものがいかに罪深いかを示してきた.ディスペンセーションの時代区分から教えられる一つの大切なことは,人間は行いによっては決して救われないということ,つまり恵みのゆえに信仰によって神に受け入れられる以外には救われ得る道がないということである.<復> 各ディスペンセーションにおける神の恵みの現れは,以下の通りである.<復> (1) 無垢の時代.人間は完全な祝福された環境に置かれた.それにもかかわらずアダムとエバが罪を犯した時に,神は即座にいのちを取ることをせず,寿命が尽きるまで生きることを彼らに許された.さらに,救い主の約束(創世3:15)を与え,贖いの型である皮の衣を2人に着せられた.<復> (2) 良心の時代.この時代にもエノクのように救われた者たちがおり(創世5:24),救い主の家系を守るためにノアとその家族が箱舟によって救われた(同6:8‐10).<復> (3) 人間による統治の時代.わずかに残った敬虔な人が守られ,アブラハムが選ばれたことにおいて神の恵みは明白に示された.<復> (4) 約束の時代.この時代においても神の恵みは,アブラハムに条件なく与えられたこと,御自分の民を絶えず見守られたこと,民をエジプトから救い出されたこと,過越の祭の制度を定められたことなどに示されている.<復> (5) 律法の時代.律法の時代においても民は恵みによって取り扱われた.そもそも律法はそれを守る民を祝福することを目的として与えられた.罪を犯し続けたイスラエルに対して神は預言者を次々と遣わされ,さらに罪の赦しの道としていけにえの制度を定められた.何と言っても,律法の時代における最大の恵みの現れはキリストの来臨であったが,この方をイスラエルは拒絶した.<復> (6) 恵みの時代.この時代には救いについて明確な啓示が与えられ,救いの恵みが全人類に及んだ.救われた者は神の前に義とされ,崇高な特権にあずかり,恵みの原則に基づいて生活することができる.<復> (7) 御国の時代.この時代にはサタンが縛られ,キリストの栄光ある臨在のもとで完全な政府が打ち建てられ,全地が実り豊かになり,神の栄光が全世界に満ちる.(→図「七つのおもなディスペンセーション」).<復> 4.「時代としての区分」と「効力の継続」との違い.<復> 一つのディスペンセーションが始まったことにより,前のディスペンセーションの内容が全く廃れてしまうわけではない.例えば「約束の時代」と「律法の時代」はイスラエルにのみ適用されるのであって,異邦人に関して言えば,「良心の時代」も「人間による統治の時代」もその後のディスペンセーションに継続している.<復> さらに,「約束の時代」としては,律法が与えられた時に終ったが,その約束の多くは今も効力を持っている(ガラテヤ3章).アブラハムに対する約束は,(1)アブラハム個人への約束,(2)イスラエルを通して世界のすべての民族が祝福されるという約束,(3)イスラエルがカナンの地で,永遠の国家として確立されるという約束,の三つの部分から成っているが,これらの約束は,アブラハムの生存中には部分的にしか成就しなかった.その約束の残りの部分は,人類歴史の終りまで成就し続けるのである.<復> 5.ディスペンセーションの重要性.<復> ディスペンセーションによる時代区分は,聖書の適用をする際にその必要性が強調される.例えば,今の時代のわれわれに対しては,恵みの時代に生きる者に対して書かれた部分だけ直接適用されるべきであり(第一義的適用),他の時代の人々にあてて書かれた部分は,霊的教訓や原則を学ぶことはできても,それを直接適用することはできない(第二義的適用).時代区分を無視した解釈の例としては,旧約聖書の教えがそのままわれわれに当てはまるとしたり,キリストが,地上の生涯の間に教えられたことが,すべて恵みの時代に当てはまる教えであるとすることなどが挙げられる.実際には,キリストの生涯の期間はまだ「律法の時代」であり(ガラテヤ4:4,マタイ5:23,24,23:2,3,26:18,マルコ2:27),従って,キリストが行われたこと,教えられたことのすべてが恵みの時代のわれわれに当てはまるわけではない.例えば,キリストが御国の約束を実現するためにイスラエルに来られ(マタイ10:5‐7,15:24),「悔い改めて,契約の民として御国にふさわしい生き方をせよ」と告げられた内容は「御国の福音」であり,イスラエルがキリストを拒絶した後,全世界に宣べ伝えるように指示された罪の赦しの「恵みの福音」とは区別される.→時,契約・契約神学.<復>〔参考文献〕E・サウァー『永遠から永遠まで』みくに書店,1968;L・S・シェイファー『聖書の主要教理』聖書図書刊行会,1985;A・T・イード『聖書パノラマ』いのちのことば社,1976;Ryrie, C. C., Dispensationalism Today, Moody, 1965.(高木慶太)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社