《じっくり解説》教会教育とは?

教会教育とは?

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教会教育…

1.呼称の変遷.<復> 「教会教育」という呼称はわが国では第2次世界大戦後に導入されたが,現在この呼称を用いる人によってその概念は異なり,大きく二つに分けられる.一つは,「キリスト教教育には,これを整理すると,教会教育,キリスト教学校教育,キリスト教社会教育及びキリスト教家庭教育の四つの領域があると考えられる」(『キリスト教教育辞典』p.9,日本基督教団出版局)と記されているように,キリスト教教育の中の一分野にある教会教育ととらえる見方である.また,「キリスト教教育という場合には,キリスト者の全生活領域における教育として,その範囲も,対象も,期間も,内容も包括的に扱われます.しかし教会教育は,文字通り教会の教育であって,キリスト教教育の中の特に教会が主体的に行う教育です」(岩井素子『教会教育』p.76,日本基督改革派灘教会教育委員会)と述べられているが,この見方は,「教会教育」という呼称が導入された時からの見方で,英語では,Christian Education in the Churchと言う.もう一つは,かつて「宗教教育」と呼ばれていたものが「キリスト教教育」と呼ばれるようになり,そして今日「教会教育」と呼ばれるに至った変遷が示唆しているように,「キリスト教教育哲学」が聖書の基盤と神学的根拠とキリスト教会史の健全な探究の土台の上に確立されるようになって形成されてきた概念である.「『キリスト教教育』から『教会教育』へのこの移り変わりの背景には,単に人々にキリスト教を教えるということでは十分ではなく,むしろ人々に信仰が伝えられることによって,キリストにある共同体,即ち,教会の交わりへと彼らが導かれることが大切だ.要するに教会形成のための教育こそ,教会の教育的いとなみのねらいであるべきだ.つまり,『教会教育』という呼び方をとりはじめた動機には,教会形成を目指す教育という考え方があったと思われる.しかし(それが更に変化して)その変化は『教会への教育』から『教会からする教育』への変化だといってもよい.つまり主が教会共同体を召集されるのはその共同体がこの世にあって主のみわざを世に向かって証しするためであり,『教会教育』はこのような証しの共同体のための教育であると同時に,この証しの共同体がこの世に向かってする証しとしての教育でもあるという二重の意味をもっておこなわれるものだということなのである.…この『教会教育の二重性』は,場合によっては二つのタイプの教育形態にわけることができるであろう.即ち,宣教共同体である教会がその使命をにないつづけまた実現してゆくためにみずからの成員に対しておこなってゆくタイプ,教会学校とか…またこの宣教共同体としての教会が,宣教的使命の実現の一つとして行う教育的奉仕のタイプには,教会幼稚園,保育園,キリスト教主義学校をはじめとして,さまざまな社会施設などもこれに数えいれることができよう」(日本基督教団教育委員会編『教会教育ガイド』pp.185—6,189—90).教会の教育的使命とともに宣教的使命を含む教会観の理解がその意味する概念の拡大と変遷をもたらしたのである.<復> 2.「教会教育」の基盤・目標・定義.<復> この呼称の変遷を見ると,「教会教育」とは何か,その聖書的基盤,神学的前提,適切な目標・定義に不可欠な要素は何かなどの健全な理解と把握の必要性と大切さを痛感することであろう.<復> (1) 聖書的基盤.「キリスト教教育の理論は世俗の教育理論の研究結果を手直しした程度のものであってはならない.その到達目標と価値は世俗の方法論からではなく,聖書とその神学から引き出されるものである」(Miller, R. C., Education for Christian Living, p.45).残念ながら,20世紀初頭の数十年間キリスト教会は,無知のゆえにキリスト教の信仰とは相いれないある教育哲学と手を結んで,その教育活動を進める努力をしてきた.かなり後になって,聖書の学びや神学研究が再び盛んになった結果,その哲学とは完全に絶縁して,いわゆる「キリスト教教育の探究」が始まったのである.現在はあらゆる方面で,教会教育は単に宗教的というのではなくキリスト教的であるべきだという考えのもと,目標の設定や教材の準備から,その計画の構成や運営に至るまで,聖書的原理によって支配されるべきだとの前提に立っている.「聖書的であるということは,決して,そこに聖書的な教えが含まれているというだけでは十分でないのであって,そこで取り扱う主題も,過程を導く基準も,目標もすべてが聖書の教え,啓示と首尾一貫して調和していなければならないのです.…教育の基礎は…神のみことばです.みことばは,人間の生のすべての領域における最高,最終の権威であり,どの領域でも,私たちが服すべき準拠点です.みことばにおいてご自身を啓示しておられる絶対者であり,人格神である私たちの創造主だけが,すべての事実の解釈者であり,教育は,啓示においてあらわされている神の解釈に携わっていく過程です.…人間の神の目で再解釈していく過程です」(岩井素子「前掲書」pp.65,58).すなわち,聖書は教会教育,その理念の基礎,その原理の根拠,及びそのカリキュラムの内容を与えている.また方法論や実際活動の糸口も聖書の中に見出すので,教育における原理と実践について旧新約聖書全体を探究することは必要不可欠なことである.<復> (2) 神学上の原理とその教育的適用.この聖書的基盤の上に立ちつつ教会教育の目標・価値基準を含む教育哲学はキリスト教神学によって決定されるべきものである.正統的・福音主義的立場の人々は使徒信条やニカイア信条の中に表されている歴史的なキリスト教信仰に全面的に同意し,また宗教改革の重要な教理である信仰義認,聖書至上主義,万人祭司主義等の教えに全く同意する.しかし,カルヴァン神学とウェスレアン・アルミニアン神学の間に見られるような神学上の相違が教会教育の目標・定義・表現に相違をもたらしているのも事実である.というのも,神学上の立場と教育的適用とは相互関係があるからである.しかし,これらの相違を超えて神学上の原理が教会教育の定義に不可欠な要素に関して,以下のような合意点が現れてきている.<復> a.聖書の無比性.聖書の啓示と霊感において.聖書解釈の健全な原理において.キリスト教信仰の全体は—神と人間と自然に関する教理から,罪と救いの教理,社会,倫理,キリスト者の生活,さらには終末の時に関する真理に至るまで—すべて最終的には聖書から出ているものであるということにおいて.従って,すべての学習者に聖書の知識を得させることを援助するだけでなく,聖書的観点を培い,聖書的な心,すなわちキリストのうちにあって抱く心(ピリピ2:5)の発達を求めることが教育目的となる.<復> b.キリスト教会の価値.キリストのからだとして知られている教会こそが教育上の任務を帯びている.それは教会の基本的使命として,新約聖書では,①礼拝,②交わり,③伝道,④教育,を示しているからであり,それゆえ当然ながら効果的な教会教育計画は教会の使命全体に照らして計画される必要がある.<復> c.罪の重大さと救いの第一主義.人間全体の上にのしかかっている問題は罪である.その影響は広範で強力である.しかし,イエス・キリストによる贖罪のみわざは罪からの救いをもたらす.それゆえ,聖書的神学的根拠に基づく教会教育は,罪の現実と醜さを認めて,すべての学習者が救いの現実と喜びを経験するように準備させることである.<復> d.道徳的指導の重要性.キリスト教的聖潔の嗣業をゆだねられた教会は大体,その信者に高い水準の個人的社会的倫理を要求する.この基準はしばしば行動の規則あるいは指針という形をとってきた.このような規則の目的は信者の道徳的生活のための指導を与えることと,教会の統一に対する一助としてのコンセンサスを表明することにある.教会教育にとってこのことは,カリキュラムにおける指針と教師あるいは指導者の生活の中の実例の両方によって,教会教育者がキリスト者の行動の基準を高めることに励むことを意味する.これが人の心を引き付けて建設的に行われる時,キリスト者生活の美しさは,その時代の道徳的退廃と鋭い対照をなして際立ち,本物であることが証明される.<復> e.人間の人格の尊さ.人間は神に対して無限の価値を持つものとの聖書の教えには,①人は神のかたちに創造された(創世1:26,27),②人間は神の愛と配慮の特別な対象である—贖いと摂理において,③人間の究極の運命は新しい天と地における個人的・社会的両面の完全なる人格的達成である,④人間の希望は本質的に終末論的である,等ということが意味されている.<復> そこでキリスト教信仰の影響を受けた社会においては,当然のこととして生命は尊い神聖なものとなる.生命の始まりにおける堕胎,その終りの時の安楽死はいずれも好ましくない.この生命の尊厳から教会教育者は,あらゆる年齢層の,しかも人生のあらゆる立場の学習者に対して,思いやりと心遣いを持ち,平等な,心からの愛を持たなければならない.また,あらゆる教育的努力を傾けて,学習者たちが人間として,また主の弟子としてできる限り最高の達成を成し遂げるよう助成する.<復> 聖書の中に啓示され,歴史を通じてキリスト教会によって解釈されてきたキリスト教信仰の栄光によって養われるならば,教会教育者は幾ら伝えても決して倦むことのないメッセージがあることに気付く.そのメッセージが聖霊の力によって老若を問わず人々の生活をつくり変えていき,キリストが彼らのうちに形造られていく(ガラテヤ4:19)様を見ることは,喜びであり報いである.<復> (3) 教会教育における心理学的貢献と社会学的関与.<復> a.心理学的貢献.教会教育においては,聖書全体にわたる組織的学びや概念別学び,教理的学びが教会歴史を通してなされることは大切なことである.と同時に,われわれは,個々の人間というものに特に関心を持っている.それゆえ,胎児より老人に至る全生涯的発達心理学や聖霊の働きを含む学習心理学の研究結果をも重視する必要がある.なぜなら,心理学はそれぞれに対し効果的な教授と学習のための原理を提供するからである.<復> b.社会学的関与.教会教育は真空状態で行われるものではなく,また教会の建物の中でのみ行われるものでもない.学習者は皆その生活時間の大部分を,より広い社会的背景の中で,すなわち,家庭や学校や一般の社会の中で過しているのである.そこで,教会教育は,これらの社会的制度や力についての理解を持つ必要がある.状況が賛同できるものであれば,それらとともに建設的な活動をするためであり,またこれらの要因が敵対的な立場にある場合には,学習者がそれによく処していくことを助けるためである.<復> (4) 教会教育の目標.上記の諸要因から導かれる教会教育の目標とは「すべての人々を神を知る知識に導き,彼らの力を十分に伸し,それによって彼らが神の子として,キリストのからだなる教会の一員として,そして一般社会にあっては贖われた市民として生きるように助けることである.この目標を達成するために,教会教育は御霊の力によって,次のことに努める.(a)救いに至らせる神の力としての福音の理解と体験を育成すること,(b)キリストに似た人格,態度,習慣の前進的,持続的発達を促すこと,キリスト者の成熟,(c)信仰と道徳についてのキリスト教の遺産を適切なことばで伝達すること,(d)キリストのからだとしての,また聖霊の宮としての教会に対する愛を育てること,(e)一個の人間としての成長,職業的能力,社会的責任の達成のために個人の可能性の十分な発達を促すこと,(f)すべての参加者が贖罪の共同体の祝福といやしを発見する場である教会及び家庭の中にある交わりの深まりを育てる,(g)われわれ自身及び持てるものすべての管理者として,世にあっては奉仕者であるという意識を持つこと」(参照『キリスト教教育の探究』pp.30—38).<復> (5) 以上より「教会教育」を定義すれば,「礼拝,→交わり/・・・←,→伝道/・・←,→教育/・・←(奉仕)という教会の→基本的目標を果す/・・・・・・・・←全活動のために教育的装備を提供する教会の働きである.この意味において教会教育は,第一義的にはキリスト教信仰における教育の目的のため,及びキリスト教伝道のため人々に提供されたすべての機会に関与するものと解釈されている」(The Church’s Educational Ministry : A Curriculum Plan, p.3, Bethany Press.傍点部分の文は筆者挿入).(カリキュラムの問題,運営機構に関する組織と管理等の問題については,参考文献を参照のこと).→教会学校,教育問題.<復>〔参考文献〕A・E・サナー/A・F・ハーパー編『キリスト教教育の探求』福音文書刊行会,1982;L・E・ルバー『キリスト教の教育』いのちのことば社,1971;R・B・ゾック『聖霊と教会教育』CS成長センター,1985;岩井素子『教会教育』日本基督改革派灘教会教育委員会(いのちのことば社発売),1990.(田中敬康)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社