《じっくり解説》宣教学(伝道学)とは?

宣教学(伝道学)とは?

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宣教学(伝道学)…

1.定義.<復> 「宣教学」は,次に示すように種々に定義されてきた.「キリスト教信仰の異文化コミュニケーションに関する科学」「世界宣教の任務に特に重点を置く学問」「キリスト教運動の展開についての聖書的起源,歴史,将来の進展に関する人類学的諸原則と技術,これらに関する研究,記録,データの応用を行う学問領域」.こうした技術論的な定義を包括して,「宣教学とは世々を通して神の国を実現させようとする三位一体の神の救いの行為を研究することであり,この神の世界大の命令に服従するために,教会が聖霊に頼り,ことばと行為をもって福音と神の律法を余すところなくすべての人に伝達することのための学問である」(J・フェルカイル)と言うことができよう.<復> 宣教学が科学であるとするなら,それは応用科学として扱われなければならない.宣教学的プロセスの作業は教会またはミッションが現実に直面する宣教地の状況から開始するのであって,そこにおける問題,成功,失敗が明確に示されてくる.そして同じような宣教の状況に対する宣教学的知見の応用にまで至るのである.<復> 宣教学の主要な領域は三つある.神学(おもに聖書神学),人類学(おもに社会的,応用,理論的人類学であるが,未開宗教,言語学,文化的力動関係,文化変容を含む),そして歴史である.他の関連領域として,心理学,コミュニケーション理論,社会学がある.これらすべての学問領域はそれぞれの宣教地の特殊な構造と問題状況の中で,福音の前進のために相互に影響を及ぼし合うのである.それゆえ後に「宣教学」として成立する学問の基本的構成は神学でも歴史でもなく,また人類学や心理学でもなく,これらすべての学問領域の総和でもない.ここから民族神学,民族歴史学,民族心理学が登場することになる.宣教学はこうして独自なものとして成立し,世界教会論,世界の諸宗教,経済学等によってもその内容は豊かにされ,影響を受けるようになったのである.<復> 2.主要な問題点.<復> 宣教学は学問としては新しいが,内容において長い歴史を持つ.教会はその歴史の中で,いかなる時でも宣教の任務を忘れたことはなかったし,投じられた基本的な問に対する真剣な反省を怠ったことはなかった.キリスト者はどのような時代にあっても次の諸課題についていろいろな形で議論してきたのである.<復> (1) みことばの宣教.教会の使徒性は主イエス・キリストの宣教命令(マタイ28:18‐20)に見られる弟子化と教育をいかに遂行するかにかかっている.教会全体に与えられた責任は,「あらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらす」(ローマ1:5)ために働き人を送り出すことである.従来受けるだけの教会であった日本の教会が与え,送り出す教会に成長していかなければならない.<復> (2) 福音と文化,コンテキスチュアリゼーション.もし神が全世界の神であり,人類の歴史のあらゆる時代に働いておられるなら,それぞれ独立した文化の存在,意味は何か.それぞれの文化的諸要素は,福音がその文化に入り,地域教会が設立される時に「占有」([ラテン語]possessio)されるのか,「適合」(accommodation)されるのか.あるいは代替物として「移植」されるのか.日本文化におけるキリスト教受容には「埋没」「接木」「背教」のタイプが目立ったが,文化変容において真の聖書的キリスト教の確立は日本において可能なのか.<復> (3) 伝道と社会的責任.教会の宣教はことば(ロゴス)のレベルにとどまっていてはならず,ロゴスが奉仕へと受肉していかなければならない.主イエスの福音はケリュグマ(使信)とディアコニア(奉仕)が一体となって進んだ.現代社会における社会正義の実現に福音はどのようにかかわってくるのか.神の国と社会正義はどのような関係にあるのか.富める国,日本のキリスト者は,貧しい国々や地球資源のことを覚え,そのライフスタイルをいかに変革すべきか.国内の社会的弱者とともに教会は何を実践すべきか.<復> (4) 教会の構造とミッション(宣教団体).教会権威によって支配される教会の構造とミッション(宣教団体)の構造の関係はどうあるべきか.ミッションが第三世界で宣教すると,異教世界を背景に現地教会が設立され,こうした関係の中でミッションが運営されていく時,ミッションと現地教会の関係,さらにミッションと送り出す側の教会の関係はどうあるべきか.従来,西側ミッションと第三世界教会の関係は支配—被支配の関係となり,複雑な問題を引き起してきた.日本教会がミッションとなる時,こうした問題を避け,真の対等性と相互依存の関係を確立するためにどのようにすべきなのか.<復> (5) 福音と諸宗教.イエス・キリストの福音と主イエスの主権を認めない他の宗教体系との関係は何か.他宗教信者の宗教体験には信憑性があるのか.あるいは,こうした宗教は神が捨てられたあくなきかたくなさと人間の反逆を示しているにすぎないのか.仏教,神道とキリスト教の関係,その罪観と救済論の相違は.禅と祈りの違いは何か.天皇制,国家神道に対してキリスト者の対決の態度は.キリスト教の祖先崇拝に対する態度はどうあるべきか.<復> (6) 伝道と都市化.今日,欧米,第三世界の巨大都市(ニューヨーク,シカゴ,メキシコシティー,サンパウロ,カルカッタ,マニラ等)はスラム化しつつある.地方小都市,農山村より人口は都市に流入し,人口は肥大化し,職を求める人々が路頭にあふれている.未婚の母,離婚,犯罪,売春,麻薬,病気で都市問題は深刻化している.しかし,これらは福音宣教と教会成長の絶好の機会ともなっている.都市伝道は全人的伝道,社会正義とキリストの慈愛の実践の場となっている.<復> (7) パワー・エンカウンター(力の対決).医師のいない未開社会では祈祷師による病気のいやしが行われている.現代日本でも新々宗教と呼ばれているグループ,特に真光系教団の手かざしによる病気のいやしが行われている.こうした背後にある諸霊の影響力は伝道の進展の大きな妨げとなっており,キリストとの力の対決が伝道の現場で重要な課題となっている.<復> (8) 救いと信仰のない人々.福音を聞く機会がないまま死んでいった人々はどうなるのか.キリストの贖いのわざについては無知でありながら,自然,良心,歴史を通して神を認識し,「神よ,罪人の私をあわれんでください」と叫ぶ人についてはどう説明したらよいのか.<復> 3.歴史.<復> 教会は常に宣教する教会であることのゆえに,宣教学の歴史は教会の設立以来始まったと言ってよい.生きた教会が宣教しない群れであることはできない.たとえその発展の仕方が家族,同族,同一種族内にとどまったとしても.<復> プロテスタントの最初の宣教学はオランダから始まった.H・サラビア(Hadrianus Saravia,1531—1613年),J・ホイルニウス(Justus Heurnius,1587—1651年),G・ヴォエーティウス(Gisbertus Voetius,1589—1676年),J・ホルンベック(Johannes Hoornbeek,1617—66年)といった人たちの著作は東インド会社による宣教の拡大をもたらすと同時に,デンマーク・ハレ宣教団(Danish‐Halle Mission)や英国ピューリタンたちに影響を与えた.特にサラビアは米国ニューイングランドのインディアンへの最初の宣教師J・エリオット(John Eliot,1604—90年)に,ホイルニウスの著作は「近代宣教の父」W・ケアリ(William Carey,1761—1834年)に多くの影響を与えた.またモラビア兄弟団監督J・A・コメニウス(Jan Amos Comenius,1592—1670年)の影響は,モラビア兄弟団を力動感あふれる宣教運動の群れに変革したツィンツェンドルフ(Nikolaus Ludwig von Zinzendorf,1700—60年)に及んだ.<復> しかし,宣教学が独立した学問として成立したのは19世紀に入ってからであった.2人のルター派ドイツ人が挙げられる.ライプチヒ・ミッション総主事K・グラウル(Karl Graul,1814—64年)はヨーロッパにおいて最初に宣教学を科学的研究の対象とした.G・ヴァルネク(Gustav Warneck,1834—1910年)はプロテスタント宣教学の創立者と今日呼ばれている.<復> ヴァルネクの死は,はからずもエディンバラ世界宣教会議(1910年)と重なった.以来,この会議の継続版である国際宣教協議会(IMC,ガーナ会議1958年まで)と世界教会協議会(WCC)世界宣教伝道部(CWME,ニューデリー会議1961年以降)は宣教学における非常に多様な面を反映し続けてきた.最近では1960年以降,WCC側のエキュメニカル神学が過激化し,世への奉仕において教会の世俗化に拍車がかかっているのを受けて,福音派は,宣教への召命において教会の聖書神学こそ中心を占めるべきであると主張し,学問的論争に熱心に加わるようになってきた.<復> 最近では宣教学に関する文書が急増し,それとともに宣教理論が分局化し,相対立している.福音派は神の国を無視する宣教の神学に依然として固執し,その関心のほとんどを永遠のいのちに寄せている.カトリックは勝利主義,すなわち教会の拡大による勝利の神学のみを強調していると批判を受けている(1970年代にはカトリックのかなりの部分が第三世界における社会正義の闘争に加わっていたのも事実であるが).WCC側は社会的,人権問題にのみとらわれ,聖書のテキストを歪曲して解釈し,伝道とは政治であると再定義し,未信の民への伝道は不要であると退け,他宗教との関係では回心や教会建設を排除するある種の友好的対話に限定していると批判されている.<復> 4.福音派と現代における問題点.<復> 福音派の宣教学の基盤はあくまで聖書であり,その中心はキリストの救いである.すなわち,福音とはイエス・キリストのみが主であり,悔い改めと信仰によって主のもとに来る者に永遠のいのちが与えられることの告知である.従って福音派の重要な関心事はあくまでキリストを伝える伝道のわざであり,すべての人々を弟子とし,その教会の責任ある成員に育て上げることによって,キリストのからだである教会を建て上げることである.福音派はこれをキリスト教宣教の中心的で,変えることのできない目的と考えている.そして,礼拝がなされ,教会的交わり(コイノニア)が深化,成長していくキリスト者共同体が拡大していくことを強調していく.また自発的な宣教諸団体,機構が,神が与えられた多様な使命を遂行するために発展していくよう励むのである.<復> こうした事実に加え,福音派は近年,現代宣教学の議論の中からかつてWCC側が強調していた諸問題,すなわち被圧迫者の叫び声に対して責任ある応答をすることに真剣に取り組み始めた.これはローザンヌ世界伝道会議(1974年)以降顕著である.すべてのキリスト者が,「地の塩,世の光」として世に対してその真正性を提示していかなければならないからである.福音派は個人の内的信仰は聖書に示されている文化命令(創世1:28)を教会全体として外面的に現実化していかなければならないと考えている.社会正義が増大し,戦争,人種差別,貧困,経済不均衡の諸問題がキリストに従う者にとって積極的関心事とならなければならない.キリスト教宣教に贖いの面だけでなく,預言者的面も備えなければならない.世に対して神の民の一体性を表明していく必要がある.<復> ローマ・カトリックの宣教学者たちはサクラメンタルな,儀式的,神秘主義的伝統精神を強調している.彼らの最も重要な関心事は教会が第2ヴァチカン公会議の決定をどのように実行していくかである.イエス・キリストの救いの究極性とともに,社会,文化,自然までもが宣教の対象になること,土着教会の建設,アジアの諸宗教との対話等が重要な課題となっている.<復> 福音派宣教学者は以上,WCC,カトリックの二つの流れの中で,真に聖書的宣教とは何かを自らに問いつつ,宣教学を独立した学問領域として確立しようと努力している.そして宣教学が徐々に確立されることにより,その概念や方法論が理解され,今日におけるキリスト教宣教の理解と実践がさらに進展するための有効な武器となることを期待している.→キリストの宣教命令,伝道,ケリュグマ,コンテキスチュアリゼーション・神学の.<復>〔参考文献〕Glasser, A. F., “Missiology,” Evangelical Dictionary of Theology, Baker, 1984 ; Glasser, A. F./McGavran, D. A., Contemporary Theologies of Mission, Baker, 1983; Verkuyl, J., Contemporary Missiology : An Introduction, Eerdmans, 1978.(山口勝政)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社