《じっくり解説》賛美歌(史)とは?

賛美歌(史)とは?

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賛美歌(史)…

1.概説.<復> 賛美歌とは神の霊にとらえられたキリスト教信者の詩的発露で,賛美の歌を作ったり歌ったりすることによって高揚した信仰を告白し,感謝し,ほめたたえるものを指す.その歌は基本的に宗教的な歌詞であるが,その前提条件が二つある.聖書的であることと,誰もが歌えるために大衆的でなければならないことである.例外はあっても,礼拝で皆が合唱できる音楽的レベルが求められ,歌詞の内容も同じく,主観的よりも客観的な性格が要求される.<復> また,賛歌と賛美歌という名称は元来は同じものであるが,前者はカトリック典礼に関する場合,しばしば狹く限定された意味に用いられ,後者はプロテスタントに関して用いられる傾向が強いと言える.さらに,このほか,聖歌ということばもほとんど同義として古くから用いられる.ゆえに「賛美歌」と言う場合,広義ではこの三つを含むと考えられるが,狭義では,集会の会衆全体による唱和を礼拝の中に位置付けている福音主義教会が賛美歌を発展させる歴史を築き上げた.つまりカトリックの典礼聖歌は,会衆の礼拝的要求から生み出された音楽であるが,それに対し,神の霊に促されて(鼓舞されて)内からほとばしり出た歌,こうして生れた歌が真の福音的な賛美歌である.なぜなら,福音のみが教会の歌としての唯一の源泉であり,この源泉が信仰に活ける水を与えるものだからである.福音主義教会の礼拝は,祭司によって会衆の前に提示されるものではなく,会衆自らが祈りと賛美に参加し,直接神との交わりを体験する聖臨在の時である.<復> 近代における賛美歌という形の文化は,その時の歌われ方もまた極めて重要と思われるので,それを含めて以下,賛美歌の道をたどってみよう.<復> 2.賛美歌の歴史.<復> (1) 聖書における賛美.賛美歌のルーツは何といっても詩篇であるが,その他にも出エジプト15:20,21,申命32:1‐43,士師5:1‐31,Ⅰサムエル2:1‐10などにも見られる.また,初代教会の礼拝生活において古代からの歌を賛美することがほぼ習慣化されていたことを,Ⅰコリント14:15,26,エペソ5:19,コロサイ3:16,ヤコブ5:13から知ることができる.これら「詩と賛美と霊の歌」の3種類の区別に関して,ルターは,「詩」とは旧約聖書の詩篇を指し,「賛美」とは詩篇以外の形の整ったモーセ,ソロモン,イザヤ,マリヤ,ザカリヤ等の歌,「霊の歌」は聖書以外の歌であって信者が日々の生活や礼拝の時に即興的に歌ったものとした.特にこの「霊の歌」に関して,当時どのように歌われたかについては何の手がかりもないが,パウロが信仰的感動から誘発された霊的な歌を認め勧めていることは,賛美歌を考える上で貴重な示唆である(参照使徒2:46,47,16:25).<復> (2) 初代教会の賛美.このように,霊的介入をあかしするような賛美が突然わき上がることは珍しくないばかりか,他の集会での手拍子や打楽器等を用いての民衆的賛美の方法が礼拝に持ち込まれたりした.そのため礼拝の公同性を維持することが困難と判断した教会側は,367年に,礼拝での楽器類の使用と会衆が歌唱に参加することの禁止を取り決めた.これが有名なラオデキヤの宗教会議である.この結果,会衆賛美が阻害され,その後の教会の音楽は専ら聖歌隊が独占するようになった.<復> 1517年のルターの宗教改革によって賛美が再び会衆の手に戻るまで,実に1150年もかかったことになる.ではその間,中世教会の音楽はどうなっていたのであろうか.<復> (3) 中世初期の賛美.賛美歌を自ら創作してその用い方や唱法を発達させたミラノ司教アンブロシウス(Ambrosius,374—397年在位)や,ローマのグレゴリウス大教皇(Gregorius1世,590—604年在位)はキリスト教,とりわけ西洋音楽における輝かしい歴史の基礎を築いた重要な位置に立っている(→本辞典「グレゴリオ聖歌」の項).特に後者は,典礼と聖歌を統一し,聖歌学校や修道院で教会音楽の研究をするよう熱心に推し進めた.<復> 途方もなく長い年月を,歌は単旋律で歌い継がれてきたが,一方それに対する飽きとの戦いも続いた.<復> (4) オルガヌム([ラテン語]organum).旧約,新約,初代教会を通して中世初期に至るまで歌は斉唱が常識であって,それ以外は考えられなかった.さらにグレゴリオ聖歌に至っては,聖霊の働きによって決められた神聖な旋律,との考えから,一切の変更や編曲は許されるはずがなかったのである.ところが,この飽きという性(さが)から逃れるために,神の怒りに触れずに複旋律化する道を探った結果,850年頃より,オクターブ・ユニゾン(完全8度の斉唱)が発見され,やがて平行に完全5度,その転回の完全4度というように徐々にその解釈と枠を広げて,理論を合法化した試みが新しい作品を生み出していった.これをオルガヌム(道具という意味)と言い,初期の複旋律(ポリフォニー,[英語]polyphony)音楽の総称としている.どこかに元のグレゴリオ聖歌を響かせつつ,耳は新しい作曲技法を歓迎していく中で,人間の英智は平行のみにとどまらず,反行,斜行,逆行,そしてついにそれらを随意に扱うことを欲して自由オルガヌムまでをおよそ400年かかって開発していったのである.声部も2声,3声,4声はおろか5声,6声をはるかに越える曲も出て来た.この歴史は,単旋律が複旋律に再創造された時点で,すでにことばの伝達性より音楽美学性が優位であったことを立証している.結局,元は祈りの歌,賛美の歌であったはずの素朴なメロディーが,徐々に芸術的に洗練されることにより複雑に響き,演奏も極めて高度な技術を要するようになった.しかも困ったことに,いつの間にか世俗のことばが紛れ込んでしまうような事態に至ったのである.<復> その行きすぎに,教皇ヨハネス22世はついに,教会音楽の世俗化と複雑すぎるポリフォニーを禁止する勅令を1323年に布告した.神聖なメロディーが教会音楽のわきまえを知らない作曲家たちの独善によって混乱させられ,みだらなものとなった,と激しく非難した文章が残されている.<復> それならばと,これまでの教会音楽の技法をそのままに,ことばを世俗に置き換えて音楽を楽しんだのが,次に来るべきルネサンスの合唱音楽全盛時代である.従って,それまでのカトリック教会音楽の発展の道のりもまた,人文主義の立場から見ると歴史の流れと言うべきであろう.間もなく,聖と俗とほとんど区別のつかないような,それでいてやはり二元論思想の世の中に育ったルターが登場し,彼が若い頃から民謡に親しんでいたことが,やがての宗教改革の大きな助けになっていくのである.<復> (5) ルターとカルヴァンの賛美.ルターは,カトリック教会が守ってきた伝統的な音楽を決して拒否したのではなく,それらをむしろ大切に残しつつ,今までになかったスタイルの歌を新たに生み出した.それは当時,一般信徒が聖書を手にすることができなかったので,その真理がわかるようにみことばをパラフレーズして歌の形として整え,単純で誰にも歌いやすいメロディーで賛美させようとして作った信徒のための母国語による衆賛歌,一般にコラール([ドイツ語]Choral)と呼ばれるものである.コラールの歌詞には,(1)カトリック聖歌のドイツ語訳,(2)宗教的・世俗的民謡の改変,(3)新作,の3種があった.また,旋律に関しても同様のパターンが見られる.従って近代の賛美歌の歴史は,このルターによってスタートしたと言えよう.彼は自ら作詞と作曲をしたが,中でも「神はわがやぐら」が代表作である.これは明らかに自由詩的発想に基づいたものであり,彼の文学的・音楽的才能によって見事に宗教改革の精神が歌い込まれている.この歌は,これまでどれほど多くの聖徒を励ましたことであろう.<復> ルター派のこの雄壮な歌声を聞いたカルヴァンが感動し,詩篇をフランス語に訳そうと決意したと伝えられる.こうして生れたのが『ジュネーブ詩篇歌集』である.自由に歌を作ったルターに比べてカルヴァンが,賛美には韻律化した詩篇が最もふさわしいとした点に注目したい.この後,ルター神学の影響を受けた教会ではコラールが,カルヴァンの流れを汲む改革派・長老派系の教会では詩篇歌が歌い継がれていった.<復> (6) 賛美歌誕生の背景.音楽における典礼的根底は宗教改革以来一歩一歩と分散される道を歩んだが,敬虔主義や啓蒙運動も同様に典礼の必然性を見出せなくなっていた.当時は神秘主義との絡みも見られたが,中でも清教主義(ピューリタニズム,[英語]Puritanism)は,高度に組み立てられたすべての音楽を不必要とした.シュペーナー,フランケ,ツィンツェンドルフは異口同音に,単純な伴奏を持った最も単純な聖歌が敬虔なキリスト教徒にふさわしく,あらゆる芸術音楽は捨てられるべきであると言っている.このような見解の結果が,新しい賛美歌の作詩作曲へと高揚させたのである.現行の賛美歌,聖歌の大部分が,これらヨーロッパ大陸の敬虔主義及び,英米の信仰復興運動の中で生み出されていったものである.<復> 3.日本の賛美歌.<復> キリスト教の日本伝来は,1549(天文18)年スペイン人宣教師ハビエル(ザビエル)が鹿児島に上陸して以来で,西日本を中心に展開した伝道には,本国でのグレゴリオ聖歌が用いられていた.鎖国後,カトリック教会も紆余曲折を経たが,最近ようやく母国語による新作聖歌を典礼に用いる方向へと進んでいる.<復> 一方,プロテスタント宣教師の最初の来日は1859(安政6)年で,機は次第に熟し,ついに1872(明治5)年に,歌えるように訳された初めての日本語賛美歌が紹介された.最初の日本人教会は1872(明治5)年に横浜の海岸教会という記録があり,その翌々年に日本語賛美歌集が発行されている.以来様々な事情を通り抜け,現行のものは,日本基督教団出版局発行の『讃美歌』(1954年版〔昭和29年〕)と,日本福音連盟発行の『聖歌』(1958年)に大別されよう.福音主義系の教会は主として後者を用いるが,礼拝には前者を用いるところも少なくないようである.激動する社会と時代の要請や教派の主張なども次第に高まり,教団別に独自の賛美歌集を出版し始めている.しかし,まだ外国からの翻訳歌が大部分であり,オリジナルの作品が強く求められる時代にさしかかっていることは確かである.<復> わが国において,宣教の歴史と洋楽の移入の時がほぼ一致しているのは興味深い事実である.新しい文化の創造という高い使命を担っているキリスト教であればこそ,作詞作曲分野にも有能な人材を育成し,次代に残すべく文化的事業が必要である.真に優れた賛美歌の条件として,冒頭の二つ以外にあえて挙げるなら,文学的,音楽的,さらに現代的要素も求められよう.ことばも音も,ますます質の高さが問われる時代にわれわれは生きている.そのためによいものを見極める鋭いセンスを磨きつつ真剣に学ぶ姿勢が必要である.「賛美歌とは歌うことによる神への賛美である」と言ったのはアウグスティーヌスであったが,賛美歌の現代における包括的定義の一例としてアメリカ賛美歌協会(The Hymn Society of America)が1937年に発表した文によると,賛美歌は敬虔な思いによる叙情詩で,歌う目的を持ち,礼拝者の態度を表現するものである.また,形式上は単純な定形詩で,文学的であっても平易また率直であるべきとうたっている.わが国では,賛美歌学の分野がもっと開発されるならば,バランスのとれた成熟が期待できるだろう.→賛美,キリスト教音楽,オラトリオ,グレゴリオ聖歌,コラール,詩篇歌.<復>〔参考文献〕岸本羊一/北村宗次編『キリスト教礼拝辞典』日本基督教団出版局,1977;海老沢有道『日本の讃美歌』香柏書房,1947;原恵『賛美歌—その歴史と背景』日本基督教団出版局,1982;野村良雄『世界宗教音楽史』春秋社,1967;津川主一『教会音楽5000年史』ヨルダン社,1964;天田繋「牧師の教会音楽観をめぐって」(「東京基督教短期大学論集」第17号所収),1985;天田繋「ヨーロッパにおける教会音楽文化」(「東京基督教短期大学論集」第18号所収),1986;Pratt, W. S., The History of Music, Schirmer, 1907 ; Stanford, C. V./Forsyth, C., The History of Music, Macmillan, 1916.(天田 繋)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社