《じっくり解説》説教とは?

説教とは?

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説教…

1.説教の定義.<復> (1) 通俗的には,講談社『日本語大辞典』(1989)に,2番目の意味として「堅苦しい態度で忠告・教訓をすること」とあるように,あまり効果がないことが揶揄(やゆ)されているようである.<復> (2) 一般的には,「宗教で,教えを説き聞かせ,人を導くこと」とされる.ウェブスターのニュー・インターナショナル・ディクショナリーでも,「宗教的な主題を公に講演すること」と説明されている.前記の『日本語大辞典』にも,「キリスト教では礼拝における主要素の一つ.聖職者が聖書の内容を現実の問題に照らして解きあかし,神の導きを悟らせる行為」とあり,現代日本で説教と言えばキリスト教の説教が連想されることが多く,しかも内容的にもかなり正確に理解されていることがわかる.<復> (3) 聖書的福音的背景から言うならば,説教とは,説教者自身の人生観や宗教的思想,または神についての考えなどを教えることではなく,神のことばである聖書に記録された事柄(それは,神御自身が人のためになされた事柄であり,神が選ばれた御自身のしもべたちを霊感し,彼らを通して人に語られた御自身のことばである.→本辞典「聖書の正典」の項,及びⅡテモテ3:15‐17),さらには,神が最終的にキリストによって語られた神の福音,キリストの福音を(ヘブル1:1,2),神が当代において選任し派遣された神のしもべとしての説教者が,現代の人々に,聞かせ,理解させ,応答することを期待しつつ,宣べ伝えることである(Ⅱコリント5:18‐20,ローマ10:14‐17,マタイ28:19,20).その目的は,神のことばが,人のことばとしてでなく,神のことばとして受容され,聞く人々の心の中に信仰が与えられ,神御自身が意図されたように,人間の救いと再創造のみわざが聴衆の中になされることである(Ⅰテサロニケ2:13,Ⅱコリント5:17).聖書の原語を援用するなら,福音書の4分の1を占めるイエス・キリストの死とよみがえりによる,罪と死への勝利の良きおとずれを,[ギリシャ語]ユーアンゲリゾーし(良い使信を伝える),[ギリシャ語]ケーリュッソーし(アナウンスする),[ギリシャ語]カタンゲッローする(宣言する)ことを中心とし,神の御計画([ギリシャ語]ブーレー)の全体を余す所なく知らせることである.<復> 説教は,一般的に理解されているように,礼拝の中心的要素の一つとして,教会において公になされることが多いが,教会外においてもなされ,野外においてなされることさえある.ジョン・ウェスリは,説教は教会での礼拝の重要な部分であるとして,教会においてなすことを旨としていたが,当時の国教会からそれを禁止されるや,馬に乗って出かけ,教会以外で説教するようになった.ホウィットフィールドは,専ら野外において説教したと言われている.通常説教は,按手を受けた聖職者または許可された者によってなされるが,そのために投獄されたとはいえ,ジョン・バニャンのように,レイマン(一般信徒)が説教することも,今や通常のことであり,婦人の説教を認める教派教団も多くなった.説教はキリスト者が神の代弁者として神の福音を語る光栄あるわざである.英欽定訳では,[ギリシャ語]ユーアンゲリゾーを,「喜びの知らせを宣言する」(使徒13:32)と訳しているほかに,「喜びの知らせを見せる」(ルカ1:19),「良い知らせを運ぶ」(Ⅰテサロニケ3:6)と訳している箇所がある.そのように,説教とは神のことばを宣言することであるとともに,人の品性と生活によってあかしし示すこと,人々のいる所まで,人々の理解のレベルにまで運び届けることである.このことは,宣言の要素とともに,説教の大切なポイントと言わなければならない.<復> 2.説教の歴史.<復> 説教は,聖書の中に永遠不変の真理と価値を追求し,それを実際の人生に適用するものであるから,永遠不変の神のことば—聖書—を不易の内容とする.しかし,変りゆく歴史と社会の現実の中で,切実で実存的必要を持ちつつ生きる人々に対して,その救いの真理を有効に伝達するために,説教の方法は,長い歴史の中で変化し,かつ発展を見てきた.<復> (1) 使徒と初代教会の説教.いかなる時代でも,説教者は使徒たちの後継者であるべきである.使徒たちは旧約聖書に裏付けられて,イエス・キリストの教え,そのみわざを中心とするイエス・キリストの福音をあかしし,その命令,その約束とともに,和解の務めと和解のことばをゆだねられた者として(Ⅱコリント5:18‐20),忠実に説教した.その結果,反対者ユダヤ人の間からも,新しく珍しいことを求める異邦人の間からも(使徒17:19‐21),イエス・キリストの弟子が多く起された.新約聖書に記録されたイエス・キリストの福音と,使徒たちの説教は,説教の原点であり,原モデルである(Ⅰテサロニケ1:5,ヨハネ1:36,37,エペソ4:12,Ⅰコリント1:18‐28等).<復> a.ペテロの説教.キリストの罪のない生涯,その十字架の死による贖い,からだのよみがえり,昇天と永遠の主権など,すべての大切な真理が含まれており,後世の人々から「使徒的フォーミュラ」とさえ呼ばれている.ペテロの説教は,バプテスマ(洗礼)の後,何を教え,何をしたらよいかまで,すべてを包含していたことが,使徒2:42‐47からうかがえる.<復> b.パウロの説教.使徒20章に見られる通り,パウロは,公にも個人的にも(使徒20:20),教理と倫理,神学と実践とを,バランスよく説教した.彼は当時の修辞学,雄弁術にも接していたと思われるが,人の知恵や技術によって神のことばの力が弱められることを避けて,単純率直に,宣教のことばの愚かさを通して,福音を説教した(Ⅰコリント1:18‐28).<復> 使徒たちの説教は,イエス・キリストの教えとともに,永遠に説教者の模範である.それとともに,イエス・キリストの教えは,神の救いの真理をいかに有効に人々に伝達すべきか,キリスト教コミュニケーションの原則を,鮮やかに示している.このことは,現今,新しく認識されている.<復> (2) 2世紀以後の説教.福音が上流人士に到達するや,ギリシヤ・ローマの修辞学,雄弁術が,福音宣教にも応用されるようになった.ユスティノス,テルトゥリアーヌス,オーリゲネースらが輩出し,聖書をテキストとして,有力な釈義講解に,学問的志向を導入した.ことにオーリゲネースは,極端なアレゴリカルな解釈を施し,やがて一派をなすに至り,これは4世紀まで進展した.<復> (3) 4世紀の説教.クリュソストモスは,その教養と雄弁に助けられ,想像力豊かに,テーマ別に,聖書から,人の必要に触れる説教をした.聖書の各書を一つ一つ取り上げ,注釈書的説教をした.アウグスティーヌスは,有力な修辞学者であったが,回心するや,人の心に迫る力に富んだ説教をした.その著書『キリスト教教程』の中で,説教学を説いているが,その中で,説教者の人格と正しい解釈の大切さを強調し,宣教と説教技術にも言及している.<復> (4) 中世の暗黒時代.千年に及ぶ暗黒時代には,人々から聖書がおおい隠され,聖書の真理より,アレゴリカルで迷信的な解釈が氾濫し,伝承が重んじられた.<復> (5) 12—13世紀のスコラ学と説教.トマス・アクィナスを中心として,アリストテレースの論理学を聖書の解釈に適用し,思惟,分析,理屈に意を用いた,秩序立った,ポイントの多い説教が盛んに行われた.しかしこの時代,ドミニクスや,アッシジのフランチェスコなどが,修道院を出て民衆に福音の真理を語った.ドミニコ修道会では,信仰による救い,きよめられた生涯,祈り,キリストとの合一,献身など,高邁な真理が強調された.<復> (6) プロテスタント宗教改革と説教.16—17世紀は,教養のリバイバル,新大陸発見,科学の発達,社会的政治的開発を見た時代であった.この時代に,エラスムスはギリシヤ語の新約聖書を編集出版して,大きな影響を与えた.これを助けたツヴィングリは,福音書の講解説教をし,多くの人々を集めた.彼はローマ・カトリックの誤りを一つ一つ正した.M・ルターは聖書をドイツ語に翻訳して出版し,聖書を人々の手に,心に取り戻した.彼はあくまで聖書に忠実で,人の心に迫る説教を行った.その説明・議論・例話・想像力・適用は強力であった.そのスタイルは注釈書的であり,今も多くの人に読まれている.J・カルヴァンは,宗教改革時代のパウロと言われ,法律学に通じ,その学識はツヴィングリ,ルターにまさり,古今に抜きんでた聖書講解者であり,最も深淵な神学者であった.その説教はあくまで聖書に忠実,単純明快で重厚,そのスタイルは注釈書的であった.<復> (7) 英国及びピューリタニズムとその説教.17世紀以後,この運動を通して,説教もキリスト者生活も,聖書の標準に復帰したと言われる.ジェレミ・テイラーは天より下った天使と言われ,リチャード・バクスターは,16年間でキッダミンスターの町を変えたと言う.「死につつある人が,死につつある人に語るように語るべき」とは,彼の説教についての名言である.ジョン・バニャン,マシュー・ヘンリなどに続き,ジョン・ウェスリ,ジョージ・ホウィットフィールド,ジョナサン・エドワーズなどは,現代のわれわれに今なお強力に語りかけている.19世紀になると,ヘンリ・ウォード・ビーチャー,フィリップス・ブルックス,ジョウゼフ・パーカー,フレデリック・ロバートスン,ジョン・A・ブローダス,ジョン・ヘンリ・ジャウエット,C・H・スパージョン,D・L・ムーディ,アレグザーンダ・マクラレン,キャンベル・モーガンなどが輩出した.彼らの説教集や著作は,今でも多くの説教者の手本となっている.<復> (8) 20世紀の説教とその傾向.正統的聖書的な説教のほかに,社会的改善に急なあまり,福音の神髄である罪と死への勝利である救いのメッセージが希薄になったり,あまりにも心理学的アプローチが中心になり,福音の力が心理的操作にすり替えられたりする危険な傾向も出てきた.概して人間中心的リベラリズムが説教から力を奪っている.実存主義的危機神学の立場は,人間の実存的必要に迫る長所はあっても,その聖書観は正しいとは言いがたい.またマスメディアの極度の発展は,福音をマスメディアに乗せて,すべての造られたものに急速に伝達する道を開いたとはいえ,マスメディアを通して,いかに有効に福音を現代人に伝えるべきかは,現今の大きな研究課題であろう.<復> 3.説教の準備・構成・演述.<復> 説教者にとって関心の深いこれらの問題について,いまだにジョン・A・ブローダスの『説教の準備と演述』(A Treatise on the Preparation and Delivery of Sermons, 1870)という本にまさる著述を見出すことはできない.説教の三大要素は,聖書,説教者,聴衆である.聖書に生き,聖書に習熟し,人々の必要と問題をよく理解し,人々を心から愛する人によって,聖書の真理は聖書から人の魂へと伝わることができる.説教の三大目的は,聖書の真理を聞かせ,理解させ,決心させることにある.導入部で聞かせ,本論で理解させ,結論部で決心させるという構成は,原則的に良い構成と言えよう.説教はその対象により,伝道説教,牧会説教の二つに分れるが,聖書の取り扱い方法によれば,注解書的説教,テキスト説教,講解説教,トピック説教などに分類される.英国では,バイブル・リーディングという形式も生み出された.説教の場所や場合によっても,説教の内容は大きく変えられるべきであろう.礼拝説教,伝道説教,路傍説教などである.→聖書釈義,聖書解釈学,聖書の正典,礼拝.<復>〔参考文献〕羽鳥明『心に触れる説教とは』いのちのことば社,1986;A・レイノルズ『説教の準備』いのちのことば社,1961;後藤光三『説教学』聖書図書刊行会,1960;H・W・ロビンソン『講解説教入門』聖書図書刊行会,1987;綾部ヘンリー『説教理論—みことばを説き明かす人のためのガイドブック』聖書同盟,1984;C・F・ヴィスロフ『説教の本質』聖文社;C・H・スポルジョン『説教学入門』ヨルダン社;加藤常昭『説教—牧師と信徒のために』日本基督教団出版局.(羽鳥 明)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社