《じっくり解説》ウェスレー主義とは?

ウェスレー主義とは?

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ウェスレー主義…

1.この用語は広くも狭くも適用されている.狭くは,教派的な意味で,その歴史を18世紀英国におけるジョン・ウェスリ(ウェスレー)を指導者としたメソジストの覚醒運動にさかのぼり得る教会や教派の信仰や伝統を指す場合であり,広くは,その教会や教派によって主張されてきた神学的立場を意味して用いられることの総称で,メソジスト主義を異なった側面から表現したとも言える内容のものである.現代では,ウェスレー主義と言えば,ほとんど後者のことである.<復> 2.その主張を簡潔に四つにまとめると,次のようになる.(1)福音の普遍性.つまり,福音の対象にならない人は一人もいないということ.(2)聖霊のあかし.救われた者は,その確信を自分のものとして現世にあって持つことができるということ.(3)「キリスト者の完全」ということの可能性.つまり,現世においてキリスト者は,聖書に示されているキリスト者としての完全を自分のものにできること.(4)最終的で全面的な堕落の可能性.つまり,どんなに神の恵みの高きに達した者でも,再び堕落して永遠の滅びに落ち得るということである.そしてウェスリの時代から今日まで,概してカルヴァン主義と言われるものと,間断ない神学論争が続いてきた.それより以前の,ドルト会議(1618—19年)を一つの区切とするカルヴァン主義とアルミニウス主義との論争にちなんで,ウェスレー主義をアルミニウス主義と呼ぶ者もいる.しかし,ウェスリたちはそれと全く同じ内容のものを主張しているわけではないので,それとは区別して,ウェスレアン・アルミニウス主義と呼んだり,単にウェスレー主義と呼んだりするのである.<復> 3.論争の要点を正しくとらえるために,幾つかの項目を挙げ,述べることにする.<復> (1) ウェスレー主義にとって,頻繁に言われることに,「先行的恩寵」ということがある.「先行的」とは,人が信仰によって義とされ,聖霊によって新生させられることに先行する神の恵みがあり,それによってすべての人は,救われ得るように,神に促されている,ということである.誕生してから何年かの人生が,福音に触れるように与えられていることも,イエス・キリストによる贖罪の道がすでに備えられていることも,その福音の啓示としての神のことばである聖書が与えられていることも,その福音を理解し,それに応じる意志能力が与えられていることも,その前に,自分が救いを要する罪人であることを理解することも,罪の苛責に痛む良心を有することも,堕落した生れながらの自然の人間の経験ではなく,聖霊による神の恵みのみわざなのであって,それが「先行的恩寵」の内容なのである.福音を「信ずる」と救われるのであるが,「信ずる」能力は先行的恩寵の賜物であり,人はそれを用いて「信ずる」か,「信じない」かを,決定し得るのである.それゆえ,その選択にも責任が問われて,永遠の滅びに送られ得るのである.それゆえ,ある人が誤解しているように,ウェスレー主義は,罪による人間の完全な堕落を否定したり,それに限度を勝手につけたりすることはせず,福音は万人をその対象にしていると言いつつ,最後的に救われる者と滅びる者のあることを説明し,恵みのゆえにすべての栄光を神に帰している.そして,救いは自己義や人間の功績や働きによらず,聖書の示すように,ただ恩恵と信仰によると主張しているのである.<復> (2)「聖霊のあかし」を主張するのは,それが聖書に教えられているからであって(ローマ8:16),ウェスレー主義は,決してそれを異言であるとか,感覚的な諸現象と結んでおらず,同一視もしていない.ましてそれを聖書よりも高い位置に置いたり,聖書と異なる啓示の主張などとしたりすることは許さない.それは,自分が神の子とされたとの聖霊の内的な印象なのであって,「罪とがを赦され,神の子となりたる」と賛美歌作者があかししているような事柄であり,人間はこの自覚に現世にある間に立ち得る,と言っているのである.<復> (3)「完全」も,ウェスレー主義を「完全主義者」と呼んで,批難したり異端視したりさせる理由となる主張である.ウェスリは,この語は聖書にある用語であるから引っ込めることはできないと言い,批難や攻撃は自分たちの主張する「完全」の誤解によることを強調した.それは,神だけが所有しておられる完全,天使のものとされる完全,堕落以前の人祖の完全,旧約聖書で完全と言われた人の完全でもなく,信仰者の復活と栄化の後に約束されている完全でもない.それは,現世にあって聖書の中で求められている「キリスト者の完全」以外の何ものでもないのである.それは主が「律法全体と預言者とが…かかっている」(マタイ22:36‐40)と言われ,パウロが「律法を全うする」(ローマ13:10)と言い,ヨハネが「全き愛」(Ⅰヨハネ4:18)と言っている愛の完全であって,行為の完全ではなく,動機と意図の完全のことである.行動の失敗や過失,肉体的な欠陥ゆえの誤解や判断に悩みつつも,愛においては純粋であり得る「完全」であり,それは,イエス・キリストによって「すべての罪からきよめられる」(Ⅰヨハネ1:7,9)ことの結果以外の何ものでもない.「罪」の理解や定義が問題となり得ることを察知してか,ウェスリは「罪なき完全」(Sinless Perfection)という言い方を避けている.もちろん,進歩や成長,また成熟とか熟達の余地のない,究極的で固定化した,スタティックな「完全」でもない.ウェスリがこれを説明するために好んで用いたことばは,「キリスト・イエスの心を心とする」(ピリピ2:5文語訳参照)とか,「神の全像への回復」(エペソ4:23,24),また「常に喜び,絶えず祈り,すべての事について感謝する」状態(Ⅰテサロニケ5:16‐18)という聖書的な表現であった.<復> 4.ウェスレー主義の別名はメソジスト主義(Methodism)である.メソジストとは,18世紀英国の福音的な覚醒運動に関係する人たち全体へのからかいのあだ名であったが,次第にウェスリの指導する一団の人々に限定して用いられる呼称となり,ウェスリ自身も自分たちの仲間を「メソジストと呼ばれる人々」と称するようになった.それは,そこに含まれる「方法」とか「手段」を意味するメソッド(Method)のゆえであった.人間が健全な健康を保持するためには適度の食事を摂取し,知識に豊かになるためには適正な学びが必須であるように,神が人間に祝福と救いを与えるために,聖書の中に人間が活用すべき手段または方法を示しておられる,という主張で,人はそれを活用することによって,効率的に神の恵みに浴することができる,という主張である.それは救いを得るための条件(Condition)としての功績を伴った善行ではなく,神が活用すべき手段(Means)として聖書に示しておられることで,功徳を積む善行ではない.それらの手段を総称して「恩寵の手段」(Means of Grace)と呼び,メソジストの徒はそれを忠実に用いることを奨励した.その内容とは,聖書に親しみ,公私の祈りに励み,聖礼典を遵守し,聖徒の集会を重んじ,断食や献金,奉仕に加わることなどで,それらを通して神のお与えになる恩寵を豊かにすることなどが含まれていた.これらを勧めることによって,不健全な静寂主義や神秘主義,またアンティノミアニズム(徳則廃棄論)に対抗した.メソジストの説教者たちへの「12則」の内容なども,この主張をよく反映している.<復> 5.これを仲間に強く求めたために,ウェスリは教皇と批難され,戒律主義者と攻撃もされ,彼の運動から離れていった者もあったが,彼は「恩寵の手段」を尊重遵守すべしとの主張を譲らなかった.神の救いを固定的な資格とか特権とするよりも,神との動的な生命関係また交わりととらえていたから,その関係を妨げたり,断絶させたりするものが出てきた場合には,再び永遠の滅びに落ちる人間となり得ることも認め,またそのような状態から悔い改めて回復され得ることも信じていた.従って,ウェスレー主義は「永久保全」(Eternal Security)とは相いれないものである.<復> 6.クリスチャンと教会の社会に対する責任は,ウェスレー主義の歴史の当初より歴然明白なものとなっていた.ウェスリの回心よりも以前に,聖書の通りに生きることを目的として,ウェスリやホウィットフィールドたちによって組織されて「メソジスト」とからかわれた「ホーリー・クラブ」と呼ばれるオックスフォード大学生の一団の活動にも,数々の社会奉仕が含まれていた.囚人の訪問,貧しい者の救済,逆境にある子供たちの医療や教育,病人の世話などがそれで,ウェスレー主義の展開の結果,18世紀の「英国が当面した経済的危機も〔対岸のフランス革命に見たような〕流血の惨から救われ,労働者・貧民・孤児・受刑者らは顧みられ,いたるところに教会,伝道所とともに学校や図書館,衛生施設は設けられ,社会の一般の趣味娯楽の純化は言わずもがな,その感化は遠く内政外交にまで及んで,奴隷解放運動に実質的な推進を与えている」.現代の英語圏を中心とした欧米民主自由国家が楽しんでいる社会的な恩沢のすべては,ウェスリたちの運動にその根を有していると言っても過言ではない.「教会史上において,最も『使徒の働き』の内容に近い教会活動」とウェスレー主義の展開を評価する人もある.<復> 7.しかし,歴史の経過につれて,教会内に侵入してきた自由主義や社会的福音主義,人本主義の影響に,かなり早くから冒されてきたのは,ウェスレー主義とかメソジストであった.もちろん,その根本的原因は,歴史的な神のことばとしての聖書信仰が崩されたことであろうが,その神学に強く表されていた救済における神に対する人間の側の責任の主張が全く作用しなかったとは言えないであろう.また,ウェスリの『カトリック・スピリット』という説教に代表される姿勢が,近代のエキュメニカル運動の推進に,メソジストたちを動かすことになったことも事実である.しかし,当初のウェスレー主義の要点を強調し,福音主義に立つメソジスト主義を標榜する諸教派や教団,宣教団体,それに加えてウェスレー主義の聖化の推進を使命とする超教派のホーリネス運動が興起することによって,ウェスレー主義が今日も温存され,学ばれ,実践化されつつある.<復> 8.近代教会の礼拝形式などにウェスレー主義の与えている影響も少なくない.礼拝への信徒の加担,例えばあかしとか祈祷において,求道者を決断のために講壇の前に招致すること,大衆的な賛美歌,日曜学校,教会内の組会組織など,現代の教会の諸集会で通常のこととなっているもので,その起源をウェスリの運動に有するものが案外多い.野外説教や家庭集会もそうであると言えよう.未開拓のアメリカでは,巡回説教者やキャンプ・ミーティングとともに,メソジスト主義は急速に全土に拡大していった.<復> 9.ウェスレー主義の教会政治は,ウェスリが英国国教会の教職であったので,その当初は当然のように,国教会的な監督政体をとっていた.その形体は,彼の没後,国教会から独立して後も受け継がれていたし,独立して別国家となっていったアメリカにメソジスト教会が展開していった時も,同じような政体を有していた.しかし,内外の諸情勢の変化に対応して,監督政体を廃して,様々な政体をとるものも出てきた.指導者を中心とするメソジスト監督政体とは異なる政体をとるものが続出するに及んで,ウェスレー主義は,主として神学・教理の体系を示す呼称となってきたことは否めない.<復> 10.世界宣教団体として,現代ウェスレー主義を標榜して世界各地に超教派的な活動をしているものに,東洋宣教会(OMS)と世界福音宣教団(WGM)があり,いずれも本拠はアメリカにある.わが国では,日本聖化交友会(JHA)と「ウェスレーに学ぶ会」が,おおむねウェスレー主義を主張する諸教会や諸団体をまとめており,日本福音文書刊行会(EPA)がウェスレー主義の文献の刊行に努めている.→メソジスト主義,J・ウェスリ,アルミニウス主義,聖化運動,アメリカ・ホーリネス運動.(蔦田眞實)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社