《じっくり解説》聖書とは?

聖書とは?

聖書…

「聖書」と並んで日本では「バイブル」という呼び方がよく使われる.英語のBibleは,古来紙の材料として使用されたパピルスの文書を意味するギリシヤ語のビブロスが語源になり,それが教父たちによって聖なる書物の全集成を表すのに用いられたことから発している.今日バイブルと言えば,キリスト教の正典のほかに,一般的に何らかの「基準」あるいは「最終的な権威あるもの」といった意味合いに使われている.聖書は文字通り「聖なる書」を意味するが,無数にある,いわゆる宗教的に「聖なる」文書の一つではなく,世に二つとない正典としての書物である.聖書は数千年の歴史を持つ古典文書であるが,他の文書とは違い,過去2千年を通じ,聖書ほど綿密に研究され,分析されてきた書物はない.「キリスト教の正典」の枠を越えて,その影響力の大きさのゆえに,人類共有の知的遺産でもある.過去から今日,さらに将来においても,世界情勢,歴史,文学,芸術,科学,どの分野の理解においても,聖書の知識なくしては浅薄な理解にしかなり得ないであろう.しかし聖書は人類文化の貴重な資料・遺産で終るのではない.聖書はその内容・意味・性格・目的が把握され,独自の性格が生かされるよう用いられなければならない.<復> 1.構成と概略.<復> 聖書は旧約聖書と新約聖書の二つの文書群から成り,両者は時代的にキリストの降誕を境にし,すなわち西暦の紀元前B.C.と紀元後A.D.によって分けられる.<復> (1) 旧約聖書.旧約聖書は39の文書より成り,その内容から,律法(五書),歴史書,詩書,預言書の四つに区分され,おのおのにはイスラエル民族の歴史が織り込まれている.この4区分の内容を人間の側の視点でまとめると,旧約聖書の民は,神の顕現に圧倒され,歴史の中で神の導きを受け,神への信仰を詩に表現し,民族の現在を見詰め将来を神によって展望することによって生きたと言える.以下に旧約聖書の時代的な流れをまとめる.<復> (1)緒言.天地創造から,人間の創造,堕罪,ノアの洪水を経て,イスラエル民族の祖アブラハムの召命まで.(2)族長時代.アブラハムがメソポタミヤの地を出て,神の約束の地カナンに到着・放浪し,イサクに至る.ヤコブの晩年にエジプトに移住し,エジプト全土の支配をゆだねられていた息子ヨセフの保護を受ける.この後エジプトにおいてヤコブの息子たちの子孫は数百年にわたって増え続けるが,その間の記事はない.(3)イスラエル民族形成時代.強くなりすぎた民は,エジプト王の圧迫を受け,モーセの指導のもとにエジプトを脱出し,荒野を40年にわたって流浪する.(4)征服・定着時代.ヨシュアによるカナンの土地の侵攻と分配,及び外敵からの救助者としての士師たちの活動.(5)統一王国時代.士師時代の最後に預言者サムエルが登場し,王制が導入され,サウルが初代の王となる.ダビデ,ソロモンの時,イスラエルは最も繁栄し,とりわけダビデ王家による永遠の支配の約束が,以後のイスラエル民族にかかわる信仰とメシヤ観に影響を及ぼすことになる.(6)分裂王国時代.ソロモンの死後,ダビデ王家を継ぐ南王国ユダと,北方のサマリヤを首都とする北王国イスラエルに分裂するが,北王国が先にアッシリヤによって滅亡し,以後南王国単独王朝が続く.(7)捕囚時代.新バビロニヤによりエルサレムが破壊され,南王国の民はバビロンに捕囚となり,その地でイスラエル人共同体を形成する.(8)回復時代.祖国を慕い信仰に燃えた一部のイスラエル人が,捕囚の地から数回にわたって帰国し,エルサレムに第2神殿を建て,エズラ,ネヘミヤによる指導で国の復興に手がつけられる.<復> (2) 旧約聖書と新約聖書の間.旧約聖書の記述の終りからキリストの降誕まで,イスラエルの歴史は現実に存続したが,この時代を空白時代,あるいは旧新約中間時代とも呼ぶ.空白時代と言っても,この時代はイスラエル民族の激動の時代である.それはアレクサンドロス大王によってもたらされたヘレニズムとの信仰上の戦い,民族独立の戦い,王朝復興による対外関係の錯綜,ローマ帝国支配下の平和と混乱の時代である.キリストはこのローマ支配下で登場する.従って新約聖書は,政治的にはローマの被支配下で,そして宗教的には,数百年にわたるイスラエル人の旧約聖書の信仰が「ユダヤ教」として確立されつつあった時代に成立したことになる.キリストは旧約聖書の民(イスラエル人・ユダヤ人)の中に生れたが,その時代と信仰の背景は,旧約聖書時代そのものというより,ユダヤ教に変化していることに注目しておかねばならない.<復> (3) 新約聖書.新約聖書は27の文書から成り,四つの福音書,使徒の働き,書簡群,黙示録に区分される.時代的な流れと内容をまとめると,(1)キリストの誕生・生涯・死・復活・昇天から,(2)弟子たちの伝道・教会形成,(3)具体的な教会活動,(4)教会の将来・終末,に至る.旧約聖書と比べれば時間的にはほんのわずかでしかないが,新約聖書はこの短期間をキリストに焦点を合せ,そこに登場する人物もキリストによって生きることを記述する.その記述は旧約聖書の伝統に生きつつ,そこから離れ,それと戦い,それの完成,さらには終末までを含む.終末を描く黙示録が新約聖書の最後に位置付けられていることは,聖書全体が時の超越をも含めて,天地創造から新天新地への一直線の時の流れを,イスラエル民族とキリストを通して,神の視点から網羅していることを示している.<復> 2.性格.<復> 両文書を担ったのは大部分がイスラエル人であるが,それはイスラエル民族の宗教的能力によるものではない.イスラエルが他の民族とは違ってすぐれたところがあるとすれば,それは彼らに「神のいろいろなおことばをゆだねられて」(ローマ3:2)いたことによる.聖書は神による神の民へのお取り扱いの記録であるので,神の性格がそのまま反映している.聖書は神を起源とし,神をあかしし,神のわざを語りつつ,同時にそこにおいて神御自身が語っておられるのであって,イスラエル民族の単なる宗教経験を記述しているのではない.聖書は神が御自身を啓示する,それ自体神のことばなのである.それゆえ聖書は,当時無数に存在していた宗教的文書とは違って,それ自体完結した正典であり,聖書に他のことばを付け加えたり,聖書からことばを取り除いたりしてはならない.聖書は独特,孤高,完全である.これは聖書以外の人間的権威を一切認めないことにもなる.どんなに人間を感動させる偉大な人物・組織・事業も,聖書に代る権威とはなり得ない.聖書は信仰と生活との唯一の基準である.<復> 3.目的.<復> 神的権威を持つ聖書は,その目的も神的独自性を持つ.聖書は様々の文書の集成であることから,一つの図書館のようである.それは千数百年の時代の隔たりと著者の多様性のゆえに,読者のとまどいを引き起す.各文書の相互の関連性や統一性を見出すのは一見困難である.にもかかわらず聖書が統一性を持つのは,聖書の目的があるからである.聖書の目的は,新約聖書よりはるかに長い時代と膨大な文書を持つ旧約聖書にもかかわらず,新約聖書のキリストによる神の救いの計画を記すためにある.聖書は人間の救いにかかわる神の意思の書である.「旧約」とか「新約」と言う場合の「約」は,神と人との間の「約束」「契約」「誓約」の「約」である.人間相互の交わりの要は誠実さ,すなわち約束への忠実さであり,契約とか誓約の形をとる.しかし神が契約を通して人間とかかわりを持たれるのは,人と人との横の関係だけでなく,神と人との縦の関係の回復,すなわち人の罪からの救いを目的としている.聖書を読み学ぶことは,聖書を神の真理のことばとし,聖霊の助けによって理解し,自分を神にささげるよう努め励み,神の栄光を現すよう求められることである.<復> 4.旧約聖書と新約聖書の関係.<復> 旧新約聖書は一貫した一つの目的を持っているが,「旧」と「新」との時の隔たりは大きい.両者はその背景,記述内容,性格,考え方において大きく相違するので,その理解や取り扱いは容易ではない.聖書読者はこの点で深刻なとまどいを持つが,両者の相違にもかかわらず,二つが一つの「聖書」であることが,聖書理解の難しさであると同時に,神と人との関係の深さを表していると言える.<復> 旧約聖書は新約聖書より時代的に「旧い」.「新約聖書」は「旧約聖書」になかった部分を含む.旧約聖書はそれ自体完結せず,完結されるべく先に何かを予想し,それを前提にしている.それは両文書における神の人格的意思的要素という点からすると,旧約聖書は何かを予表し,期待させるものであると言える.その行き着く先がイエス・キリストであり,旧約聖書は新約聖書において完結する.後者は前者に隠れており,前者が後者の中に開かれているのである.従って,新約聖書における神の啓示は大まかに言って,また少なくとも外見においては,旧約聖書より明確になっていると言える.新約聖書にある「影」と「本体」(コロサイ2:17)ということばは,旧新約聖書の密接なつながりを強調している.旧約聖書は律法の遵守を前面に出しているが,新約聖書は律法を廃棄するのではなく,成就するためにあると言う(マタイ5:17).旧約聖書も新約聖書も人間の神への霊的なあり方を示しているが,旧約聖書はその霊的な内容を形に表している.例えば,安息日の規定については,旧約聖書では文字通り安息日を厳格に守るという形に重きが置かれる.しかしこの規定は,神によって造られた人間が神の中に真の安息を得ることを教え,また現実にその事実の中に入れられるためであり,これは真の安息をもたらすキリストにおいて成就したのである.<復> さらに旧約聖書は新約聖書の土台であると言える.旧約聖書だけなら,それは中途建造物のようなものであり,新約聖書だけなら宙に浮いてしまう.もし新約聖書だけなら,キリストの救いについてはわかったとしても,救いの全体像,意味,有効性,さらには神御自身のことが十分にはわからなくなる.新約聖書の神は旧約聖書の神を前提にしており,旧約聖書の啓示の上にキリストの啓示がある.キリストの救いは,旧約聖書に示された全知全能の神,創造の神,人格の神,啓示の神,歴史を支配される神,偶像を忌み嫌われる神,聖い神,義なる神,愛なる神,贖いの神…等,神に帰せられるべき御性格を理解した上で成り立つ.例えば,異邦人である日本人は,「贖い」の概念に親しんできたわけではないので,キリストの十字架による贖いは理解しにくい.旧約聖書の「いけにえ」「主へのなだめのささげ物」「祭司制」「義人の苦しみによるいやし」「聖絶」等の概念把握がぜひとも必要となる.<復> 5.展望.<復> 聖書は見えない神の啓示であり,人間への神の語りかけのことばである.人間はそれに応答することを求められる.聖書は座右にあっていつも読まれることにおいて意味を持つ.聖書は一部の宗教家,有識者,文明の開けた人々の書ではなく,人類すべてに読まれなければならない.このための働きを担ってきたのは教会である.教会はその存在意味と基盤を聖書に置き,聖書自らが要請するあり方によって建てられ,発展させられてきた.聖書は教会の書であり,教会の働きを通して全世界に伝えられていく.そのためにはまず,各国語,各民族のことばに翻訳され,世界の隅々まで配布されなければならない.キリスト教会の歴史には,初めて自国語で聖書を読んだ人の感動や印刷術の発明が画期的な意味を持ったのである.聖書は今日なお,翻訳宣教師を通して低開発国の部族の言語に翻訳されつつある.翻訳の労だけでなく,話しことばしか持たない人たちが聖書を読めるようになるためには,その人々と生活を共にし,固有のことばを文法化し,文字を教えるという途方もない作業を強いられるのである.さらに今後は,点字訳聖書,テープによる聞く聖書に限らず,あたう限りの方法によって聖書は語られ聞かれなければならない.これは聖書自らの持つ性格がそうさせるのである.→聖書の学び方.(久利英二)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社