《じっくり解説》信仰復興とは?

信仰復興とは?

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信仰復興…

[英語]Revivals of Religion.信仰復興とは,神の民に与えられる聖霊による霊的覚醒である.ラテン語のrevivo(再び生きる)をもとに,通常,「リバイバル」と日本語でも言われている.この霊的現象においては,神の愛とその聖なる臨在が明確に顕現され,信仰的に眠っていた者が覚醒され,背信の民が神に立ち返り,未信者が回心し,キリスト者としての意識を明確にし,信仰者がその使命を世にあって実行するに至る.信仰復興は,個人の中から始まったとしても,決して個人にとどまらず,集団的な規模で広がっていく一つの聖霊による覚醒運動である.<復> 旧約聖書の時代以来,個人の信仰生活においても,民のレベルにおいても,信仰と霊性は必ずしも満足なレベルに一定していない.神は信仰者が「いのちを得,またそれを豊かに持つ」(ヨハネ10:10)ことを望んでいても,現実の霊性が,その水準よりはるか下を低迷していることもある.使徒の時代からしばらくすれば,信仰が生ぬるくなってしまい,「あなたは,生きているとされているが,実は死んでいる」(黙示録3:1)という教会も生れてくる.物質的繁栄と安定,世との妥協,霊的指導者の欠如,教会の自己防衛的姿勢,教会内の政治的闘争,分裂,宗教の制度化,というものが教会の性質と使命を損なうと,その霊的活力の著しい低下を見る.しかし,聖書においてそのような状態の民や教会にも,聖霊の働きによって再びいのちが与えられ,生かされる可能性が繰り返し約束されている.干からびた骨に神は宣言されている—「見よ,わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので,おまえたちは生き返る」(エゼキエル37:5.ヨエル2:25‐28,マラキ3:17).また,復興のための祈りも,数多く登場する.「主よ.ネゲブの流れのように,私たちの捕われ人を帰らせてください」(詩篇126:4),「私たちの日を昔のように新しくしてください」(哀歌5:21).こうして,旧約聖書の時代にも,幾たびも信仰復興が民族的レベルでなされた.ペンテコステ後のユダヤ・サマリヤの都市でのリバイバルの現象は,聖霊降臨による新しい時代の到来として,使徒の働きに詳しく描かれている.初代教会時代のモンタノス運動,中世のクリュニー修道院の改革,同様にベルナルドゥスやフランチェスコの修道会結成,またボヘミアのフスの運動,これらはいずれも,既存教会の霊的な低迷状態から脱却するという意味での覚醒運動である.16世紀のルターに始まる宗教改革は,福音の再発見による教会改革となり,広くヨーロッパ全土に影響を与え,カトリック側でもスペインのハビエル(ザビエル)らに見られるように,教会の信仰と使命に関して新しい確信が覚醒されている.17世紀にプロテスタント信仰が形式化され,生き生きとした信仰が陰ると,ドイツではシュペーナーやフランケによる敬虔主義が起る.また,理神論にむしばまれ,道徳的に荒廃していた18世紀の英国ではメソジスト運動が展開され,18—19世紀アメリカにおいては,大覚醒と呼ばれるように,信仰復興の波が2度にわたって全国的レベルに発展したこともある.日本においても,1883(明治16)年に横浜から始まったリバイバルや,翌年同志社でのもの,1901(明治34)年,小崎弘道が指導した20世紀大挙伝道,バクストン,中田重治,笹尾鉄三郎に率いられた大正—昭和の初期のホーリネス派のリバイバル,蔦田二雄が指導したリバイバル・リーグ,と覚醒運動のたびに,キリスト教会が大きく発展してきた.現代では,韓国や中央アフリカ,南米の各地で,信仰覚醒が広がっている事実がよく伝えられている.<復> 信仰復興の訴えは,旧約・新約聖書ともに数多く見出すことができるが,その代表的聖句として頻繁に取り上げられるのが,Ⅱ歴代7:14であろう.「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり,祈りをささげ,わたしの顔を慕い求め,その悪い道から立ち返るなら,わたしが親しく天から聞いて,彼らの罪を赦し,彼らの地をいやそう」.この聖句から,信仰覚醒の特性,また条件と言われている事柄を以下に幾つか列挙してみる.<復> (1) 当然のことであるが,この霊的な一大現象の挑戦を受けているのは,神を知らない世ではなく,神の民として立てられている信仰者と教会である.復興され,覚醒されなければならないのは,イスラエルであり,キリストの教会であった.それは,信仰復興を推進しようとしているユダの王アサを励ましている預言者アザルヤのことばによく表されている.当時の世界の状況は,「長年の間,イスラエルにはまことの神なく,教師となる祭司もなく,律法もありませんでした.…平安がありませんでした.国々に住むすべての人々に大きな恐慌があったからです.そして彼らは,民は民に,町は町に相逆らい,共に打ち砕かれてしまいました」(Ⅱ歴代15:3‐6)とある.霊的貧困,政治的・経済的不安定が社会全体の特色であった.その中で,預言者はアサ王を励ましている.「しかし,あなたがたこそ強くあってほしいのです.力を落としてはなりません」(同15:7).時代の情勢がどうあれ,民全体の状態が,町全体の状況がどうあれ,信仰復興を起すためのかぎとなっているのは,「あなたがたこそ」もしくは「わたしの名を呼び求めているわたしの民」という少数の信仰の民であり,リバイバルはそうした人々の熱心な祈りから始まるのである.<復> (2) 信仰者が自らの罪を悔い改め,熱心に神を求めることが,信仰復興の条件になっている.また,聖霊による強い認罪感は,信仰復興の特性である.サムエルの改革の時にもアサ王の改革の時にも,神殿から「忌むべき物」が取り除かれ,主の祭壇は新しくされている(Ⅰサムエル7:3,Ⅱ歴代15:8).カルメル山上のエリヤも,天からの火と大雨を期待する前に,壊れていた主の祭壇を民の前で建て直している(Ⅰ列王18:30).後のヨシヤの時代には,偶像や異教的な祭司が徹底的に排除され,神殿男娼が追い出されたことが記されている(Ⅱ列王23:4‐23).使徒の時代に聖霊の一大覚醒が始まった時,ペテロの説教に対して,まず聴衆が「心を刺され,…『兄弟たち.私たちはどうしたらよいでしょうか』」と認罪感に打たれている(使徒2:37).またウェスリ(ウェスレー)の時代のリバイバルにおいても,悔い改めが信仰復興の特性であったことを示している.覚醒の現象が聖霊の働きであると確信する最大の理由としてウェスリが挙げているのは「酩酊者が真面目で節度のある生活を始めた.遊廓へ足を運んでいた者が姦淫の罪を捨てた.不正を行う者が抑圧と不義から離れた.何年もの間,のろって暴言を吐くことを習慣としていた者が,その習慣を断ち切った.浮浪者が働き始め,今では生計を立てている.守銭奴が貧しい人々に施すことを,裸の者に着せることを学んだ.まさに,彼らの生活の全貌が変ったのである(The Works of John Wesley, Vol.8, p.402, Baker)という,悔い改めとそれに基づく人々の生活である.<復> (3) 信仰復興は,今まで霊的に死んでいた背信の民が回復されるという現象であるが,そこには,背信を赦し,回復させる神の愛/神の「親しさ」を体験した喜びがあふれる.過去において,悔い改めや罪の赦しに付随する「感情」に振り回された復興運動がなかったわけではない.しかし,霊的な覚醒は,確かにその人物の感性をも覚醒し—旧約聖書では,「声をあげて」「大声をあげて」ということばが繰り返し登場する—,わき上がる感情は賛美やあかしに生き生きと表現されるのである.教会史の中で,リバイバルは多くの賛美歌を生み出し,そうして生れた賛美歌は,回心や覚醒の体験と喜びとが連鎖的に人々に伝わり広まっていくものであることをあかししている.チャールズ・ウェスリ,ファニー・クロズビ,アイラ・デイヴィド・サンキ,日本の中田羽後と『リ〓イ〓ル聖歌』などの存在は,信仰覚醒と賛美の密接な関係を示している.<復> (4) 信仰復興と伝道・宣教とは,決して同義語ではないが,密接な連関を持っている.救いの喜びは,教会内に充満するだけでなく,積極的に外へと向かい,キリストの宣教命令を強く打ち出すことになる.歴史を見ると,19世紀中盤のアメリカの大規模な信仰覚醒では,メソジスト教会員が10年間に157万から200万という数に,バプテスト会員が110万から135万に,長老派が50万から60万,という数に成長したとされている(Smith, T. L., Revivalism and Social Reform in Mid‐Nineteenth Century America, pp.19—20, Abingdon, 1957).<復> (5) 信仰復興は,もともと霊的・信仰的な覚醒現象であるが,それが宣教熱をもって拡大し,また「大覚醒」と呼ばれるような国家的レベルにまで拡大する時,「地をいやす」と言えるような社会改革を生み出す.過去においては,奴隷制反対運動や人種差別反対などの運動が,覚醒された教会から進められたとともに,貧困救済や慈善団体,学校や病院なども数多く生み出されてきた.そうした社会改革が果して信仰復興の本質的要因なのか偶発的結果なのか議論されてきた問題ではあるが,いつの時代でも,信仰が覚醒されることによって,人間生活の全般に及ぶところの福音の力と意義とが新たに問われてきたことは確かである.<復> 現代のプロテスタント教会内でのリバイバリズムというものの源流は,18世紀の米大陸におけるエドワーズや英国におけるウェスリ,英米におけるホウィットフィールドに求めることができる.この源流の中から,19世紀アメリカのフィニや後のムーディやトーリ,そして20世紀前半のビリー・サンディ,後半のビリー・グレイアム(グラハム)へとリバイバリズムの道をたどることができる.この源流に探りを入れると,リバイバル精神がさらに浮彫りにされてくる.エドワーズ,ウェスリ,ホウィットフィールドの霊性に共通して言えることは,初代教会の霊的活力への憧れ,特にペンテコステの日に一挙に3千人を劇的に回心させた聖霊の働きを彼らの働きの理想としていたことである.どうしてあのような活力を今の教会は持っていないのだろうか,という疑問から始まって,やがて自らがその聖霊の活力を必死に求め,力を受ける.その始まりは少数グループの中にあり,聖霊による霊的覚醒がごく自然に起される.だが聖霊によって目覚めた少数は,受けた力を大衆伝道という方向へ活用していく.大衆に届くように,地方教会の枠組みを越えた野外説教や天幕集会,やがて大規模に組織化されたキャンペーン・クルセードという方策が取られ,大衆が容易に手にするようなトラクトや文書,雑誌などが果敢に用いられ,現代社会ではマス・メディアの発達がフルに活用されている.だが,大衆に信仰復興が広がるための基軸は,ペンテコステの日と同じく,「説教」である.その説教は,罪に対する神のさばきを強く確信させ,十字架の贖いを個人的に信じることによって罪が赦され,生れ変るという確証に満ちた霊的体験を明確に打ち出し,キリストの再臨を必至に感じ取る鋭さを備えているのが特徴である.→大覚醒,教会復興.<復>〔参考文献〕Wood, S., Inextingushiable Blaze, paternoster Press, 1960 ; McLoughlin, W. G., Modern Revivalism : Charles Grandison Finney to Billy Graham, Ronald Press, 1959;ホーリネス・バンド弾圧史刊行会編『ホーリネス・バンドの軌跡』新教出版社,1983.(藤本 満)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社