《じっくり解説》カウンセリングとは?

カウンセリングとは?

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カウンセリング…

1.カウンセリングの歴史的背景と目的.<復> カウンセリングの科学的基礎はウィリアムソン(Williamson, E. G.)の『学生相談の行い方』(1930)にさかのぼり,ロジャーズ(Rogers, C. R.)の『カウンセリングと精神療法』(1942)以後,非指示的カウンセリングが広く行われるようになったと言われる.日本におけるカウンセリングは,その初期において教育界や産業界に導入され発展したが,今日,心の病気の著しい増加,相談事例の多様化に伴って精神科領域でも臨床心理士の協力は必要不可欠になってきている.また,社会が複雑になり人間関係が希薄になるにつれ,人間的な交流の場としてカウンセリングへの要請が高まり,今日,カウンセリングという言葉は日常化,定着化しつつある.<復> カウンセリングはもともと,進学や就職などの進路問題や配偶者選択などの問題に対して相談に応じたり,何らかの助言を与えるところから出発したものであるが,精神分析,行動論理など心理療法諸派の影響を受けて,1950年代頃から精神療法的な面にまで関与,貢献するようになり,最近では様々な日常的な分野にまで応用されつつあるのである.従ってカウンセリングの目的は,現実問題に対する助言や方向付けを与えることから,来談者の人格の再構成や成長を促すことまで含まれると考えられる.しかし通常カウンセリングは,言語的手段を介して行う,より正常域に近い対象に対する援助活動であり,深層心理にかかわってくるようなレベルを意味しないのが一般的である.<復> 2.カウンセリングの体験.<復> カウンセリングは,心理的援助の理論と技法に習熟した相談員(カウンセラー)と,何らかの問題や悩みに直面している来談者(クライエント)の間でなされる関係の営みであり,この二者関係を通してクライエントの主体性が回復されていく過程である.そこでなされる体験は大体以下のようなものである.<復> (1)信頼関係の成立.<復> (2)カタルシス(感情の発散,不安,緊張感の解消).<復> (3)自己理解や自己受容の深まり.<復> (4)現実的・合理的な認知による人間関係の改善.<復> (5)自分自身に対する信頼,あるいは将来に対する展望の回復(自分の置かれている状況に対して主体的な決断や責任を持つことが可能となる).<復> 3.キリスト教とカウンセリング.<復> キリスト教とカウンセリングは密接な関係にあるように思われる.なぜなら,カウンセリング(Counseling)という言葉は元来宗教用語で,その本来的な意味は「考慮する,反省する,助言を受ける,相談する」等の意味を持つラテン語Counselereに語源を持ったものと言われるからである.イエス・キリストの出現を預言したイザヤ9:6の「その名は不思議な助言者」は,「偉大なカウンセラー」(Wonderful Counselor)と意訳される.さらにまた,カウンセリングの発展に大きく寄与したロジャーズが神学を専攻していたことから,その「人間尊重」理論の背景にキリスト教的な思想があるという見方をする人もいる.<復> 人間にとって生きることは多くの悩みに遭遇することであり,折々によき相談相手を必要とするというのが私たちの現実である.また,人は病いとか,不慮の事故,喪失,実存的な課題等を通して宗教的に目覚め,教会の門をたたくことが多い.この際キリスト者に求められる姿勢は良き「隣人になる」ことである(ルカ10:29).現代人はあまりにも多忙で人間関係が希薄で表面的,便宜的である.そのような中で,人が自分自身に,また他人に真に出会うことを目的としたカウンセリングというものは,非常に聖書的な方法と言えるのである.実際,援助関係において「人の心は人の心によってしかいやされない」側面を持ち,人は自分の考えなり,思いを他に表現してみないと自分では自分のことがわからない構造を持っている.<復> これらのことを考えると今後,日本のキリスト教界においては,宣教・牧会を含め,ますますカウンセリング的な知識やアプローチの仕方が重要視され,神学校においても実践神学や牧会カウンセリングの方法が取り入れられていくことが期待される.カウンセリングとはすぐれて「人間性回復」の営みだからである.<復> 4.カウンセリングの実際.<復> カウンセリングの過程は,カウンセラーとクライエントの一対一のものであれ,グループカウンセリングであれ,人と人との出会いからスタートするので,初期面接においては,クライエントに,この人に会ってよかった,ここに来てよかったという一種の安堵感,安心感を持たせることが大切である.<復> また,自分が真剣に訴える内容が決して一笑に伏されるようなものでなく,大切な内容のものであり,さらに自分が一個の症例として扱われているのではなく,同じ苦しみを背負った人間として受け入れられているのだという実感を得させる必要がある.これらのことを通してクライエントは,この話し合いの過程に自ら参加してみようとする気持を抱くことができるからである.そこで,カウンセリングの成立のために,次のような要素が必要になってくる.<復> (1) 関係づくり.通常,信頼関係(ラポールの成立)と呼ばれる事柄である.これは前述したように初期面接の中で最も大切な目的の一つである.というのは,カウンセリングの過程とは,この「関係」に支えられて進展していくものであり,この関係の成立なくして言葉は言葉として機能することもなく,いかなる交流,発展も起り得ないからである.通常この「関係の成立」のためにとられる手段は次のような事柄である.<復> (2) 受容と共感.受容,共感というのは,クライエントが「今の自分が本当に理解され,ありのままに受け入れられていると体得できている関係」である.そのためにカウンセラーに求められる姿勢は,「無条件の積極的・率直かつ誠実な人間的関心である」とされる(ロジャーズ).人が悩みを持ち,苦悩からの解放を求めてやって来る時,カウンセラーは憐憫や同情の心に流されたり,しばしば問題解決者としての野心や勇敢さという誘惑に陥りやすいものであるが,解決は二人の関係の中から,またクライエント自身の中から生れてくることを思うと,カウンセラーのこの資質は大切である.<復> またカウンセリングの実際において,この「受容,共感」という初歩的な作業はことのほか難しいものである.なぜならカウンセラーもこの世の中で生活しており,「適応」というこの世的な価値観からなかなか自由になれないものだからである.<復> 例えば,「学校に行かない」あるいは「行けない」人が連れて来られたとしよう.この場合カウンセラーが仮に「学校に行けない人は不適応状態で,具合が悪い」と考えていたとする.不登校児は,すでにそれだけで,もうその人のところに通って来ない可能性も考えられる.<復> またカウンセラーの様々な努力にもかかわらず,いっこうにその子が学校に行こうとしないといった状態が長く続いたとしよう.その場合,「早く学校に戻すことを良しとする」カウンセラーにあっては,果して自分はクライエントの何を受容していたのかと問われることにもなりかねないのである.あるいは,クライエントの話の内容や行動がカウンセラーには了解の難しい心の病気からくるものであったとしよう.恐らくカウンセラーは相手の言うこと,また言わんとすることをどのように受け入れたらよいのか,果して共感などできるのかと戸惑うに違いない.<復> それゆえ,受容とか共感的理解という事柄は,広い意味での人間理解や「理論」,それなりの体験や自信に裏付けられていることが必要となるのである.<復> (3) 傾聴ということ.カウンセリングの成否は,「よく聴く」しかも「己をむなしくしてひたすら相手の言葉に耳を傾ける」ことにあると思われる.なぜなら「よく聴く」ということはその人を一人の価値ある人間として尊重し,関心を持っていることを伝えていることにほかならず,人はその呼びかけに呼応することによって初めて人格的な関係が成立すると考えられるからである.そもそもカウンセラーの側において「よく聴く」ということは,その人に対する理解が深まることであり,一方クライエントは,良い「聴き手に恵まれ」「よく表現する」ことによって自分自身を理解し,本来の自分を回復していくという構造になっている.<復> 前述の受容と共感も「ひたすら耳を傾ける」ことにおいて,より一層深まる.なぜなら「よく聴く」ことによってその人その人の背後に隠れていた事情がよくわかり,そうならざるを得なかった人間的な必然性が見えてくることは人間としての共感を深めることにほかならないからである.そしてこの時,カウンセラーのクライエントに対する見方は表面的なものから,その人その人に負わされた課題を抱えつつ一生懸命生きている人間に対する尊敬やいつくしみ,連帯といったものに変る.カウンセリングの経験を通してカウンセラー自身の人間観が深められたり,広げられるのはこのためである.<復> (4) 相互交流と互恵的関係.以上のようなことから,カウンセリングの本質的な性格は人と人との″関係の営み″であり,互恵的関係であることがわかる.そしてこれはまた,「受ける—与える」といった母子関係にさかのぼる人間関係の原型,すなわち相互交流であることがわかる.<復> クライエントが,自分の様々な悩みや苦しみを訴える時(すなわち与える時),カウンセラーは,それを上手に聞いて(すなわち受けて),その共感なり理解をクライエントに返しているのである.このキャッチボールのような相互交流を介してクライエントは,カタルシス(感情の発散,浄化)や自己洞察,自己成長,自己発展といった関係の実りを手に入れていくのである.このように,カウンセリングの過程というものは,決して一方通行的なものでも,医者—患者関係のような上下関係でもなく,互恵的関係と呼ぶべきものなのである.<復> 心理療法を,告白,解明,教育,変容の四つにわけたC・G・ユングは「治療は,患者と治療者の全人格が演ずる相互作用以外の何ものでもない」と述べたが,これはカウンセリングという人間関係においても等しく言えることである.<復> 5.カウンセリングの過程.<復> H・クラインベルは,人間の成長過程を次のように簡略化しているが,これは大筋においてカウンセリングや心理療法の過程を言い当てていると思われる.<復> Caring(配慮)+Confrontation(対決)=Growth(成長).<復> Caringというのは,相手に対する配慮,関心,世話などという意味で,これは今まで述べてきた文脈の中では,「関係づくり」のための受容,共感,傾聴といった要素のことである.<復> Confrontationは,対決と訳されるが,クライエントの話を十分に聞いた上で,カウンセラーの発する言葉,見解,相互検討などという呼びかけである.そして信頼関係という強固な土台の上で営まれる二者関係によって与えられるクライエントの洞察や,自己発見は,関係の産物なのである.→精神医学とキリスト教,心理学とキリスト教.<復>〔参考文献〕『精神医学事典』弘文堂,1985;『精神科治療法学』メジカルビュー社,1988;近藤裕『だれにでもできるカウンセリング』聖文舎,1979;河合隼雄『ユング心理学入門』培風館,1967;ヒルデ・ブルック『心理療法を学ぶ』誠信書房,1978;R・A・リストン(西川好夫訳)『病める心—精神療法の窓から—』清水弘文堂,1979;H・クラインベル(工藤信夫訳)『豊かな結婚生活をめざして』聖文舎,1978.(工藤信夫)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社