教会成長運動とは?
教会成長運動…
20世紀後半において,海外宣教論,伝道論,教会形成論など宣教学全般に最も大きな影響力を持つようになった学派,及びその神学的活動.この運動はその創始者であるドナルド・A・マクギャヴラン(1897—1990年)に負うところが大きい.<復> 1.起源.<復> マクギャヴランはアメリカ人の宣教師の子としてインドに生れた.祖父母もインドの宣教師であったが,彼自身もその同じ職に生涯をささげることとなった.彼はインドの宣教師として30年間奉職したが,その困難な宣教活動の中で一つの問題にぶつかった.ある地域では何千人もの宣教師が学校を建て,病院を建て,宣教のために多大な努力をしているのに,その地域の教会がほとんど伸びていない.ところがほかの地域では多くの人が救われ,教会が増えている.そういう現実を見て,教会はどうして成長し,増えるのか,あるいは衰退し,減少するのかという素朴な疑問が彼の心の中に生じた.彼はその問題を生涯の研究課題とすることにし,他の宣教団体が働いている地域でも,またケニア,コンゴ,ナイジェリア,メキシコ,タイ,日本などの国にまで出かけて行って,研究調査を行った.そして26年に及ぶ研究の結果,これからの海外宣教がとらなければならない新しい方向について,深い確信を得て合衆国に帰った.<復> 彼は1961年,オレゴン州ユージンの大学の一角に教会成長研究所を設立した.その年,福音的な海外宣教団体の指導者たちの研修会で彼の確信を語ったところ,大きな反響があり,それから毎年,教会成長セミナーが開催されることになった.そのセミナーを通して多くの賛同者が生れ,こうして教会成長運動は始まった.数年後,マクギャヴランはカリフォルニア州パサデナにあるフラー神学校に世界宣教学部の初代学部長として招かれ,教会成長研究所はそこに併合された.現在この学部が北アメリカの,そして恐らく世界の宣教の思想,研究,文書活動のリーダーであることに異論をはさむ余地はないだろう.<復> 教会成長運動には次のような著名な宣教学者が加わり,精力的な研究活動を行っている.アラン・R・ティペット(人類学),ラルフ・ウィンター(宣教史),C・ピーター・ワグナー(教会成長学),J・エドウィン・オア(大覚醒の研究),アーサー・グラッサー(宣教の神学),チャールズ・H・クラフト(人類学,民族学)など.<復> ところが1970年代に入って,それまでとは違った意味で教会成長運動が注目されるようになってきた.本来この運動は,いかに海外宣教を効果的に推し進めるかという宣教的関心から起ったもので,想定されていた対象はインドを初めとする第三世界の宣教地であった.ところがその原則が北アメリカの教会にも適用でき,またそうする切実な必要があることが自覚されてくると,北アメリカにおける教会成長と伝道のための有効な理論として,熱い視線を向けられるようになった.ピーター・ワグナーはその原則を北アメリカの教会に適用できるように焼き直し,ウィン・アーンはアメリカ教会成長研究所を設立して全米で教会成長セミナーを開催している.<復> 2.理念.<復> 教会成長運動は本来,いかにして福音を世界のすべての人に伝え,宣教の大命令を果すかという世界宣教への関心に基づく運動である.20世紀の盛んな海外宣教にもかかわらず,世界には広大な地域が,いまだキリスト教化されずに残されている.そのような地域に,何とか効果的に福音を行き届かせ,教会を形成したい,そういう熱い願いが教会成長運動の根底にある.<復> そしてその情熱は次のような聖書的確信に裏打ちされている.人はどんな人種,地域,言語,文化に属していようとも,イエス・キリストを信じ従うまでは,失われた羊であることに変りはない.神はその失われた羊のすべてが見出されることを望んでおられる.それゆえイエスは「あらゆる国の人々」([ギリシャ語]パンタ・タ・エスネー),すなわち,すべての民族,階級,部族,及び社会の他の区分の人々に福音を伝え,弟子とするように命じられた.使徒パウロは「幾人かでも救うために」「すべての人に,すべてのものと」(Ⅰコリント9:22)なると宣言したが,人の救いのために自己を否定しながらあらゆる努力をすることがキリスト者の基本的な務めである.この確信が教会成長運動の基礎になっている.<復> ところで教会成長運動の特徴は,この世界宣教を教会の成長・増加という観点でとらえ直したことである.つまり,宣教をただ単に福音を伝えることとは考えず,回心者を起し,教会の会員にし(弟子化),結果として教会の成長・増加を生み出すような働きと解したのである.それは,この運動が宣教の大命令を「弟子を造り,教会を建て,増加させよ」という命令として翻訳したこととも一致している.そこには,世界のおびただしい迷える羊を教会に導き,教会で責任をもって養育しなければならないという切迫感と,多大な犠牲を払って医療や教育などの社会奉仕をしながら,教会の成長・増加を少しも生み出さない宣教のやり方に対する強い反発がある.<復> さらに教会成長運動は,有効な宣教についての研究を,社会学や人類学,あるいはそれにのっとった調査,統計,分析などを採用して,一つの社会科学として確立させようとした.宣教と教会成長の実態を知るためには,事実を正確につかまなければならない.どの地域で幾人が教会に加わったか.どの地域で教会が成長し,あるいは停滞しているか.その地域の住民は,どんな文化的背景を持った人々か.高慢か,反抗的か,オープンか,受容的か.それと教会の成長との関係はどうか.そのような宣教と教会成長の実態を知るための不可欠な道具として,教会成長運動は社会科学の手法,すなわち,社会学や人類学,それに基づいた調査や分析などを採用した.<復> しかし,教会成長運動の目的は,教会を成長させるような宣教方法を見出すことではない.教会を成長させるのは神のわざであって,人為的な方法によってなし得ることではない.ただ,過去において神が教会を祝福し,成長・増加させられた幾つかのパターンがあることも事実である.教会成長運動の目的は,ただその神の行動パターンを学び,将来神がどんなパターンで教会を祝福されるのかを予想し,神が自分たちの教会をどの民に遣わそうとしておられるかを知る助けとなることである.このような,教会成長運動の根底にある神主体の考え方を忘れてはならないだろう.<復> アラン・R・ティペットは教会成長運動を「人類学に基づき,土着ということに焦点を当て,聖書的に方向づけられた」研究と表現している.<復> 3.特徴的な概念と原理.<復> 教会成長運動に関連する概念や原理は,神学,人類学,社会学,経営原理,統計など多岐にわたっていて,とてもわずかなスペースで要約することはできないが,おもなものを幾つか挙げてみよう.<復> (1) ピープル・ムーブメント.教会成長運動の大きな貢献は,「ピープル・ムーブメント」という概念を明らかにしたことである.これは,一つの民族なり部族なりの集団が,その血縁・地縁関係を通して互いに刺激し合いながら,波のようにキリストに導かれてくる現象を言う.いわゆる集団改宗は個人の意志にかかわりなく,全体としてキリスト教に改宗するものであるが,それとは違って,個人個人が決断をしながらも,その決断が互いに関連し合っていて,いわば連鎖反応のように回心が起っていくことである.マクギャヴランは,これが神に用いられてきた最も効果的な福音の伝わり方だと言う.実際,イエスと出会ったアンデレが兄弟シモンを誘ってきたように,赤の他人よりも家族や友人に福音を伝えるほうが自然だし,また効果的に伝えられる道筋である.もちろんピープル・ムーブメントは神が起されるわざであって,宣教師が起すものではない.しかし,例えば社会構造の破壊的な変化を少なくするためにその大部分が同時にクリスチャンになるように調整するとか,ピープル・ムーブメントを促進するために宣教師が関与することはできるし,また関与すべき社会学的次元がある,というのがマクギャヴランの主張である.<復> (2) モザイク.教会成長運動のもう一つの貢献は,世界を何千もの断片からなる巨大なモザイクと見る見方である.人類は同一種類の人間からできているのではなく,何百何千という独特の言葉と文化を持つ集団から構成されている.一つの国をとっても多くの異なる文化を持つ集団からなっているし,一つの町に幾つもの異なる文化を持つ集団が認められる場合もある.モザイクの断片,すなわち,同じ文化的背景を持つ集団は「均質群」(ホモジニアス・ユニット)と呼ばれる.<復> (3) 土着化という概念と均質群の原理.土着化とは,その土地の言葉で,またその土地の生活や文化に適用して福音を語り,その土地の生活や文化に合った独特の教会を形成することである.福音の内容は永遠不変でも,福音を伝える方法はそれを聞く人々の言葉,習慣,風俗,生活に合せて変えなければならない.その人々の言葉でその人々の生活に適用した形で福音を語らなければ,その人々の心に届かないばかりか,異質の文化に対する拒絶反応によって,福音そのものまで拒絶されてしまうことになる.また教会がその土地から浮き上がってしまわないために,欧米の教会をそのまま移植したような教会ではなく,土地柄を反映した交わりや雰囲気を持つ教会を形成する必要がある.福音,教会形成の土着化と関連して,均質群の原理が主張される.均質群原理とは,会衆が同じ文化的背景を持つ人からなる時に,教会は一番よく成長するというものである.教会が同じ言葉,同じ習慣,同じ風俗,同じ心の人から形成されている時に,人々はその交わりの中でほっとし,くつろぎを見出すことができるからである.<復> 4.批判.<復> 教会成長運動は,そのキリスト教界に対する影響が大きかっただけに,批判も少なくなかった.最も素朴な批判は,教会の成長を統計的に測り,数量的成長を強調することに対して向けられた.数ばかりを問題にして,もっと大事な教会の霊的・質的な成長を評価していない,という批判である.また,回心者も教会成長・増加も生み出していないことで,教会成長運動の批判から自分たちの宣教的努力を防御しなければならないと感じた人々から批判の声が上がった.また宣教を伝道の面に限定して考えることに対しては,教会の社会的関心と社会正義の責任を無視しているという批判があった.その点に関しては,福音派からさえ,神の国の実現としての包括的な視点を欠いているという批判が寄せられた.しかし一番批判が集中したのは,「均質群原理」である.一民族だけで教会が形成されるほうがよいとするこの原理は,すべての人種・民族・階級がキリストにあって一つにされたという福音の事実に反し,人種差別,階級差別を助長する思想だと批判された.この原理は教会成長運動を,宣教の数量的な面だけを強調し,社会的,倫理的,文化的脈絡をあまり評価しない,という一般的な批判にさらすことになった.一貫してこの運動に批判を続けるアルゼンチンのレネ・パディラは,それが北アメリカの「文化的キリスト教」を代表しているにすぎず,第三世界の必要に答えないと批判する.→教会復興,信仰復興,伝道,宣教学(伝道学),大覚醒,実践神学.<復>〔参考文献〕岸義絋『躍進する聖書的教会』にひきのさかな社,1982;C・ピーター・ワグナー『教会成長のかぎ』聖書図書刊行会,1978;McGavran, D. A., Understanding Church Growth, Eerdmans, 1970.(鷹取裕成)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社