《じっくり解説》カルヴァン主義とは?

カルヴァン主義とは?

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カルヴァン主義…

[英語]Calvinism.ルター主義,アナバプテスト主義,アルミニウス主義に対して,カルヴァンが旧新両約聖書から導き出した神学体系と,それを基礎とする生の全領域にわたる組織的思想体系を言う.<復> カルヴァン主義の形式原理は,言うまでもなく聖書である.カルヴァンは,聖書は聖霊によって記された神のことばであり,信仰と生活の唯一の誤りのない規準であると主張した.このことからカルヴァン主義は,聖書のみが唯一有効な神認識と人間の自己認識の源泉であると言う.さらに,聖書を人間行動の規範とする.礼拝のみならず,人間生活のあらゆる領域での活動に対する唯一の規範であり,権威である.カルヴァン主義にとっては,聖書のみが人間の思想と行動の唯一絶対の源泉なのである.<復> カルヴァン主義の実質原理は神の主権である.カルヴァン主義は聖書の中心はキリストの啓示する,何ものにも依存せず自己充足している三位一体の神であると告白する.この神は絶対的な主権者である.存在しているものはすべてこの神によって創造され,摂理のみわざによって治められ,守られている.従って,造られたものはすべて神に依存している.科学と歴史の真の正しい認識のためには,この主権的な神認識が常にその解釈の中心に来なければならない.<復> 永遠の御定めと聖なる目的によって,神は人間を神の律法に「違反する可能性のある者として創造された」.しかし,人間は自由意志と欲望によって自ら進んで罪を犯し,神に背を向ける者となった.罪がこの世に入ると,神はただちに罪を贖うことを啓示された.旧約聖書の歴史は,人類の歴史の初めから罪と贖罪の相反する原理が存在することを啓示している.やがてこの原理の対立はイエス・キリストのカルバリの丘での十字架により頂点に達するが,贖罪の原理が勝利を収めた.なおこの2原理の対立はキリストの再臨まで続くが,聖霊の活動により終りの日までキリストの民は教会に集め続けられている.<復> キリストの民は,神が永遠からキリストにあって恵みにより選んだ選民である.選民が信仰を持つに至るのはただ一方的な恵みによるのである.キリストは選民のために十字架にかかり,贖いを成し遂げ,彼らが決して滅びることがないように終りまで守り続けられる.<復> こうして救いにあずかった者には,主権者なる神に生涯を通じて仕える義務と責任が生じる.そして創造されたものを神の聖なる目的に従って管理し,用いていくのである.ここに人間の使命がある.<復> こういうわけで,カルヴァン主義の究極の原理は神の栄光を現すことにある.創造も贖罪も第一義的には人間を喜ばせるためではなく,ただ神の栄光が現れるためにある.伝道も社会奉仕もその他の人間活動も究極的には人間の益のためにあるのではなく,主権を持つ三位一体の神に栄光を帰するためにあるのである.<復> 上記の神学思想体系はカルヴァンの著作の中に明白であるが,16世紀後半にはさらに発展し,一部はドルト信条(1618年)にカルヴァン主義の五大特質として要約された.すなわち,(1)人間の全的堕落,(2)無条件的選び,(3)制限的贖罪,(4)不可抗的恩寵,(5)聖徒の堅忍である.これ以後の改革派諸信条が,これらの原理を継承していることは言うまでもない.<復> ジュネーブに始まったカルヴァン主義は,次第にライン渓谷に沿ったドイツとオランダに,またドナウ川に沿ってハンガリーとトランシルバニアへ,アルプスを越えてフランスへと発展し展開していった.フランスとオランダから,カルヴァン主義はやがてイングランドとスコットランドへと広がった.17世紀には英国教会の思想にも大きな影響を与え,ピューリタニズムの核を形成し,アメリカ大陸へと移植された.スコットランド,オランダ,フランスではカルヴァン主義が改革派教会の基本的神学となり,やがてアメリカのみならず日本を含めて全世界の改革派長老派諸教会の基本教理となっている.<復> カルヴァン主義の基本的な教理は,すでにツヴィングリの教えの中に現れているが,その発展はカルヴァンまで待たなければならなかった.その後の発展に貢献した神学者たちと言えば,古くはド・ベーズ(ベザ),ブリンガー,ウルジーヌス,オレヴィアーヌス,ロロック,コクツェーユス,ザンキウス,ヴェルミーリ,トゥルレッティーニ(テュレティーニ)などである.19世紀になるとアメリカにはC・ホッジ,A・A・ホッジ,ブレッキンリジ,J・H・ソーンウェル,W・G・T・シェッド,R・L・ダブニ,B・B・ウォーフィールドなどが現れ,オランダにはA・カイパー,H・バーヴィンクなどが,またスコットランドにはW・カニンガムが現れた.20世紀にはアメリカにJ・G・メイチェン,C・ヴァン・ティル,J・マーレイなどが,オランダにはG・C・ベルカウワーが,またフランスにはE・ドゥメルグ,P・マルセル,A・ルセルフなどが現れた.カルヴァン主義哲学者としてはオランダにH・ドーイェウェールト,D・H・Th・フォレンホーフェンなどが出現した.<復> カルヴァン主義は神学の領域のみならず,その他の生の全領域にも大きな影響を与えている.特に過去400年にわたって,あまり人々には認識されていないが,欧米人の生活のあらゆる側面に大きな影響を与え,世界の近代化の波の中にも否定しがたい影響力を及ぼし続けている.自然科学の領域では,17世紀以来多くの科学者がカルヴァン主義の立場に立って,神は摂理により,自ら創造した法秩序を用いながら自然を保持しておられるゆえに,人間は自然を理解し,利用することができるのであると考えた.<復> スコットランドのジョン・ノックスとフランスのコリニー提督から17世紀のイギリスのピューリタン革命を通じて,19世紀20世紀のオランダのカイパー,ドーイェウェールト並びにフランスのドゥメルグに至るまで,カルヴァン主義者はキリスト教的政治観,国家観を発展させた.彼らはキリストこそは王の王,主の主,君の君と信じ,国民も統治者も共に王なるキリストを仰ぎ見るべきであると説いた.彼らは独裁制は人間の罪のゆえにただ民を抑圧するだけだとして反対し,法の下にある民主主義こそは自由を保障する政治体系であるとした.こうしてカルヴァン主義は,近代立憲政治のおおかたの基礎を築いたのである.社会的にはアメリカにおける奴隷制廃止運動に貢献し,今日における市民権運動にも影響を与えている.<復> カルヴァン主義は教育にも熱心を示してきた.カルヴァンは教理教育を強調し,学校教育にも力を入れるようになり,ジュネーブ大学の前身であるアカデミーを創設した.彼の教育熱心を受け継いだカルヴァン主義者は,オランダにライデン大学,自由大学を,またフランスにはいろいろの神学校を興した.アメリカでは,教育熱心の伝統はハーヴァード大学,イェール大学,プリンストン大学,ラドガース大学などの創設となって現れ,今日においてはカルヴィン大学,ドルト大学,リディーマー大学などが興されている.<復> 芸術に対してもカルヴァン主義は大きな影響を与えている.カルヴァンは著作にフランス語を用いることによって,この言語に基礎を与えたのみならず,クレマン・マロー,ド・ベーズ,その他によるフランス語韻文訳を用いて詩篇を礼拝で歌えるようにした.このことは後代のプロテスタントの,詩に対する関心を高めることになった.この影響でオランダとイギリスその他に自国語の詩篇歌が生れ,詩作にも刺激が与えられた.絵画では17世紀オランダにカルヴァン主義に立つレンブラントという画家が現れ,後にフランス,イギリス,アメリカの画家にも大きな影響を与えた.<復> 400年の間にカルヴァン主義はあるいは栄えあるいは衰えた.特にドイツの啓蒙主義の時代には衰えたが,またイギリスとアメリカの信仰覚醒の時代には復興した.19世紀には上層批評の側とアルミニウス主義の側から攻撃され,カルヴァン主義は防御的になっていたが,近年は世界改革派教会協議会(REC)や国際改革派信仰活動協会(IARFA)などの文書活動を通して,また改革派系の出版社による書籍の出版活動を通して積極的に活動をしている.<復> 一言でカルヴァン主義と言っても,これにはいろいろな流れがある.カルヴァンに従って発展していったどちらかと言えば厳格なカルヴァン主義と,穏健なカルヴァン主義とがある.前者はもちろん「カルヴァンのカルヴァン主義」と言われる思想であり,後者はブリンガーその他ドイツ系のカルヴァン主義に見られる傾向である.しかしブリンガーとカルヴァン,ドイツとスイスのカルヴァン主義者の間に本質的な相違はない.例えばハイデルベルク信仰問答書はカルヴァン主義を前提にしており,ジュネーブ信仰問答書やウェストミンスター大・小教理問答書などと基本的には同じ立場である.カルヴァン主義を離れた最初の神学体系は,17世紀初頭に出現したアルミニウス主義である.これはただちに全カルヴァン主義陣営から総反撃を受けた.カルヴァン主義の擁護と反撃の結晶がドルト信条である.また,最初のカルヴァン主義の修正は17世紀中頃に南フランスのソミュール神学校の教授たちによって唱えられた,いわゆるソミュール主義である.これはキリストの贖罪の性質とその範囲についての考えを修正するものであった.本来のカルヴァン主義は贖罪を,選民のためにのみなされたものと主張したが,彼らは,カルヴァンは無制限で一般的な贖罪を教えていると主張し普遍的恩寵を強調した.<復> さらに修正されたカルヴァン主義は,米国ニューイングランドのエドワーズとその弟子たちの神学に見られる.エドワーズは原罪に関して,アダムの罪はその子孫に直接転嫁されたというよりも間接転嫁されたと主張した.エドワーズは自然的能力と道徳的不能を注意深く区別したが,彼の息子のエドワーズはこれをさらに進め,贖罪を一般的贖罪と理解した.<復> 最後に予定論について言及しなければならない.なぜならば,この教理がカルヴァン主義の中心であるかのように考えている人があまりに多いからである.カルヴァンの綱要の決定版を見ると,予定論は3:21‐24で扱われている.その他の版を見ても,決して予定論は彼の神学の中心に置かれているのではない.予定論は聖書の教理であると同時に,神の主権と恩寵の独占的活動の教理の論理的帰結でもある.この教理なしに,神の自由なあわれみにより頼むことは不可能である.絶対的な恩寵を認めるならば,当然,神の予定の教理までさかのぼることになるのである.この教理を神学体系の中に初めて位置付けたのはメランヒトンであった.→カルヴァン,改革派,長老派.<復>〔参考文献〕A・カイパー『カルヴィニズム』聖山社,1988;H・ミーター『カルヴィニズム』新教出版社,1949;Warfield, B. B., Calvin and Calvinism, Oxford, 1931.(泥谷逸郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社