《じっくり解説》スコラ学とは?

スコラ学とは?

スコラ学…

[ドイツ語]Scholastik.スコラ哲学とも言う.<復> 1.395年にローマ帝国は東西に分裂し,476年に西ローマ帝国は滅亡した.これによって古代が終ったことは確かであるが,実は西ローマが滅んでも東ローマは続いている.東西の一つであることこそが古代ヘレニズム世界の生命であったとするなら,西半分が欠落した古代は,もはや,古代とは呼び得ないものである.東ローマ帝国とは片腕をもがれた古代である.なお古代であるのか,もはや古代ではないのか.東方世界にはこの後一種変則の古代が15世紀まで続いてゆく.ところが,西方世界は残りの古代を東ローマ帝国に任せ,大胆に意欲的に,新しい時代区分の探求に乗り出す.それが一段落して一応の見通しが得られるのはカール大帝の時代,9世紀に入ってからである.東方をむしろ切り捨てることによって開けた西方独自のこの時代区分が中世である.西ローマの滅亡からここにたどりつくまで,約3世紀が経過している.この期間に,特に目に留る大きな思想史の事実は存在しない.西ローマを滅ぼしたのは,北方から潮のごとくに押し寄せたゲルマン人である.西方世界の新しい担い手となった彼らの間に,キリスト教が徐々に,確実に浸透していったのがこの時代であった.<復> 2.今の場合,キリスト教は古代を代表している.しかし,キリスト教徒は武器を取ってゲルマン人と対したわけではない.福音の真理を携えてその教化を目指した.ゲルマン人は,未知の一個の大きな可能性である.それを教育して実際に現実的にどんなものに作り上げることができるのか,これが古代の終った時点においてキリスト教が負わせられた課題であった.ゲルマン人が教育されてキリスト教化され,キリスト教徒となるはずであるが,また,古代的キリスト教がゲルマン人に触れてゲルマン化され,古代のキリスト教とは異なる新しいキリスト教が生れてゆくはずでもある.この大事業を手がけることになったのが西方世界の修道院である.教会もさることながら,ことに修道院が重視されねばならない.修道士たちはまだ何の見通しもない未知の世界に身を挺して入っていった.西方修道院の活動的実践的精神がゲルマン人教化に集中してゆく.教化実践の場として,修道院あるいは教会に付属して設けられた学校が「スコラ」(schola)である.生徒はゲルマン人であり,教師はキリスト教徒であり,キリスト教徒の教師は,ゲルマン人の生徒が納得のゆくまでキリスト教の真理を説明し説得して,彼らをキリスト教徒としなければならない.この教師が「スコラスティクス」(scholasticus)である.学校で働く人,学校人である.スコラ学とは,スコラにおいてスコラスティクスにより,教育的に営まれたキリスト教の思想を言う.思想というものが教育という枠に従って理解されている点が,その著しい歴史的特質である.<復> 3.これを分析すると,教材性と論理性の二つになる.おおよそ教育のあるところ必ず教材が使われる.スコラ学は,キリスト教徒がゲルマン人に,キリスト教の真理を教えるという教育的思想であった限り,その営みにはやはり教材が使われた.思想が,教科書を通し,教科書にのっとり基づいて営まれた.教科書は原典と対置される.教育には一定の目的がある.その目的を達成するために最も便利で有効な教科書を,原典から抜粋編集するのである.抜粋編集されたものである限り,教科書は原典とは異なる.それゆえ,教科書を通して営まれるスコラ学は原典を離れざるを得なかった.スコラ学の教科書を一般に「命題集」と言う.ゲルマン人教化に役立つ有効適切な諸命題の抜粋編集ということである.原典は様々ではあるが,その大部分はアウグスティーヌスの著作であった.命題集とは,一口に言えば,アウグスティーヌス神学の抜粋であり,諸命題を教えやすく効果的に,編集者の説明を加えて体系付けたものである.スコラ学とは,西ローマ滅亡後の西欧に生成した立場であるから,西方から出て古代のキリスト教を完成したアウグスティーヌスに教材を求めたことは十分に首肯される.中世の代表的な神学教科書としてP・ロンバルドゥスの『命題集4巻』がある.<復> 4.次に,スコラ学とは,キリスト教徒である教師がキリスト教徒でない生徒に,キリスト教の真理を説明し説得し,説き伏せてキリスト教徒にしようとする教育努力の中で営まれる思想であり,その根底には,真理は必ず教えることのできるもの,いや,必ず教え切ることのできるものという教育可能性に対する牢固たる確信がある.もし人に真理を教えてわかってもらえぬなら,それは教え方が誤っているのであり,説得の仕方がつたないのである.正しい教育と優れた説得があれば,必ず人は教え込まれ,確信してキリスト教に帰するであろう.およそ学校人たる者は,真理説得の技術に工夫をこらし,修練を積み,いかにもしてゲルマン人教化の大目的を達成しなければならない.この真理説得の技術の組織化がスコラの論理学である.その具体的内容と言えば,ここにもまた教育思想家の本領が発揮され,アリストテレースの論理学が,目的達成に有効な素材として取り上げられ,推理を中心に作り替えられたのである.「あることどもが置かれ,その置かれたことどもとは異なる何かがあることが,その置かれたことどもを通して必然的に生じてくる論法」を推理と言う(『トピカ』).これが,あらゆるキリスト教的知識のこの上なく見事な予型であった.初めに置かれたあることどもとは前提のことであり,置かれたことどもとは異なる何かあることとは結論のことであり,これが初めに置かれたことどもを通して必然的に導かれてくることが演繹である.もろもろの天体,そのうちの一つとしての地球,地球上に生きとし生ける植物,動物,そして人間,その社会と歴史.これら一切の事物事象をすべて神との必然的連関において徹底的に知解することが,スコラにおけるスコラ学者の職分であるが,推理はまさにその最も有効な手段の意義を持つ.前提とは一般者,いわゆる普遍的なものであるが,アリストテレースにおいては,公平にして平明な,ただ置かれてあるだけのあることどもであったものは,スコラ学者にあっては神であり,こうして,あらゆる事物事象を普遍である神よりの演繹の帰結として知解することを目指すスコラ的演繹的論理学が成り立ってきた.それは,しばしばアリストテレース論理学と同一視されるが,スコラ学者によって改変されたもの,別種のものである.<復> 5.スコラ学は9世紀が黎明の時代であり,11世紀にカンタベリのアンセルムスが出てスコラ的方法が確立する.13世紀に最盛時代を迎えるが,中世に関してだけ言えば,アンセルムスを含む12世紀までと13世紀以降と,二つの時期を区分することができる.11世紀がまさに終ろうとする時,西欧には十字軍が興され,以後,13世紀に至るまで断続する.ゲルマン諸族の大移動以来,久々に歴史が東西に大きく動いた.これは,もし約1世紀後の発見時代と合せて考えてよければ,疑いもなく,西欧人の自己拡大運動である.十字軍はなお地中海的規模に止っていたが,発見時代の規模は最大に広がり全世界的となった.近世の発端としてのイタリア・ルネサンス現象は,まさしく,両者を結ぶ線上での出来事である.この拡大に外内の両面があった.新しい世界に向けて自己を拡大してゆくが,それは,一方では実際に新しい海面,新しい陸地を見出してゆくことであった.けれども内側にひるがえされるなら,それはまた,神本位の世界観を自然と人間に向けて,すなわち被造物に向けて解放することでもある.神本位を被造物本位に組み替えようと言うのか.それとも被造物重視に組み広げようと言うのか.自然や人間を,神からではなくそれ自身から,それ自身の原理によって理解しようと言うのかどうか.とまれ,今,次第に流れ始めた新しい思想の動向が,神学の改造を促していることは少なくとも明らかである.あるいは,その否定を志向しているのかもしれない.これは,13世紀に入って,スコラ学者が直面することになった重大かつ困難な課題である.新しい思想のひそかな挑戦を巡り,この世紀のスコラ学界は大きく2派に分れる.「古学派」(antiqui)と「現代派」(moderni)である.前者は,伝統としてのアウグスティーヌスを踏まえてこれに対処しようとする人々であり,後者は,アウグスティーヌスにアリストテレースを結合することによって,これに対処しようとする人々である.「学校」の生徒の性格が全く変り,「学校人」の教師としての対応の仕方もまた大きく変った.アリストテレースの著作はこれまでただ少数のほかは知られておらず,その全容は,アラビア文化圏を大迂回してこの世紀に西欧学界にもたらされたのである.それは,触れて初めてわかる自然的人間的経験的知識の宝庫であった.時代の実証的現実的底流を受け止めるために,これ以上に有効な素材は見当らない.現代派とはアリストテレースを用い得る限り用い,渾身の力を傾けて神学離反の意図を隠す相手を説得し説き伏せ,世俗の学は決して神学と矛盾せず,かえってこれと総合されて両者全きを得ることを納得させようとした人々のことである.現代派を代表するのがトマス・アクィナスである.その『神学大全』は13世紀的現代派的総合の典型とされる.13世紀スコラ学の特質はその体系にある.おおよそ思想のあるところ体系はあろう.しかしそれにもかかわらず体系はスコラ学に固有の問題と言える.スコラ学者は異教徒の教化教育に思想家としてのいのちをかけ,常に,いっそう有効な教案の作成に全力を注いだ.教案とは教材の秩序付け,秩序付けられた配列,言い替えれば教材の体系にほかならない.体系への努力は13世紀において頂点に達した.それは一つには教材の範囲が最大にまで広がったからである.いかにして世俗の学を網羅して神学に包摂するかの機構の考案が大体系を生む.さらにまた一つには相手が著しく変質したからである.神を離れようとする者に神を教え込まねばならぬ.勢い,体系は練磨されざるを得なかった.スコラ学生成の歴史的経過を顧みるなら,学校人の教育思想家としての本領を最高度に発揮した点において,現代派は古学派にまさるとしなければならない.13世紀的体系はまさしくスコラ学の精華である.それは,様々の批判にさらされながら,強固な伝統をなして揺ぐことなく現在にまで及んでいる.批判の中から芽生えてくるのが近世哲学である.その展開は多様としても,神学と世俗の学との体系的総合の可能性を疑い,両者の分離を志向することが,近世哲学本来の立場であったことは認めなければならないであろう.近世への道に立つ中世末期の鋭利なスコラ学者はオッカムのウィリアムである.<復>〔参考文献〕石原謙『キリスト教の源流』『キリスト教の展開』岩波書店,1972.(大村晴雄)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社