《じっくり解説》神秘主義とは?

神秘主義とは?

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神秘主義…

[英語]mysticism.究極的実在と人間との何ものをも媒介としない直接的結合に中心的意義を認める宗教的あるいは哲学的立場.神秘主義は体験内容が象徴的言葉によって表現されており,多様な理解を許容している.<復> 世界の代表的宗教のいずれの中にも,言語や理性を媒介としない神的存在との合一を宗教体験の究極の境地と見なす宗派が存在している.仏教の禅宗における悟りも,神秘主義的特徴を持っている.悟りにおいて,究極の実在と自己の奥底にあるものが一つであることがあらわになる.この主客未分化の全一的世界は言語によって説明できない.あらゆる二元性を超えたこの全体性の感覚は,人間の知性を超えた直覚的体験によって初めて開かれる.ヒンズー教の教典「ウパニシャッド」によれば,宇宙における最高の実在ブラフマンと人間の魂の奥底にあるものとは一つである.宇宙我と個人我は直覚の中で互いに同化する.ヒンズー教のヨーガの悟りは,現実世界との接触を断ち切ることによって得られる.ヨーガ行者は思考と感覚の一切の活動を停止して,理性的認識を超えた精神の境地に入っていく.ヨーガ行者はその中で神性に満たされ,完全な自由と休息と黙想の中に没入していく.イスラム教はユダヤ教,キリスト教とともに,造物主と被造物を峻別する宗教であるが,ヒンズー教その他の宗教・思想の影響を受けたスーフィー教は自我を消滅させ,神に没入する道を信仰の究極の目標とした.神への没入は神との合一を意味する.神との合一は神と人間の区別を失わせ,人間に神性が付与されるようになる.ユダヤ教の中にも,正統的潮流と並行して,神秘主義的潮流が存在した.ユダヤ教神秘主義の近代的形態であるハシディズムは,神と人間との本質的一致を求める.神と人間との一致は,知識や認識によってではなく,神と人間との直接的出会いによって実現される.神は世界のすべての事物の中に直視され,神との出会いは,行為によって到達されるというハシディズムの教理から明らかなように,仏教,ヒンズー教,イスラム教の神秘主義とは異なり,ユダヤ教の神秘主義は非日常的世界からの離脱ではなく,世界への積極的な関与が強調されている.<復> キリスト教思想の中にも神秘主義的傾向は存在するが,キリスト教神秘主義に最も大きな影響を与えたのは,新プラトン主義者プローティーノスの哲学的神秘主義である.プローティーノスは,万物は根源的一者から流出したと主張した.人間も根源的一者からあふれ出たものであり,存在の奥底において根源的一者と一つである.プローティーノスの哲学の主要な関心事は人間の救済であった.人間の魂は根源的一者から万物が流出したのとは逆の過程をたどって,根源的一者と一つになろうとする.人間は根源的一者を認識するためのあらゆる知的・道徳的努力の源泉である愛の力によって,根源的一者との究極的合一へと上昇する.プローティーノスの新プラトン主義的原理は,宗教体験を理解する手段として,キリスト教神学によってキリスト教的なものに改変されたが,神と人間の関係についての新プラトン主義的基本構図は,その後のキリスト教思想の中に神秘主義的傾向を生み出した.<復> キリスト教神秘主義にも様々の種類があり,類型化することは困難である.しかし様々のキリスト教神秘主義に共通の特徴を認めることができる.第1の特徴は神と人間との融合である.キリスト教神学は,神と人間との間の深淵を前提している.神と人間が深くかかわる時にも,神と人間の同一化は全く不可能である.人間が神とかかわりを持てば持つほど,神と人間との間の質的相違が明らかになる.神は造物主として,あくまでも人間の支配者であり,人間は被造物として,神に全面的な信頼と服従をささげる存在である.キリスト教神秘主義のある種の形態は,神と人間との質的相違を無視して,神と人間の深いかかわりの中で,神と人間との融合を示唆するような傾向がある.第2の特徴は,高次の神認識の段階として,無媒介的な直接的神体験の強調である.キリスト教は,神のことばである聖書と,聖書の理性的理解を媒介にして,神体験が実現するとしている.神が信仰者に聖霊を注がれるのは,聖書のことばによる真理の説き明かしを通してである.パウロは第3の天にまで引き上げられたという神秘的体験について語っているが(Ⅱコリント12:2‐4),彼はこのような神秘的体験を神認識の高次の段階と見なしていないし,すべての信仰者の神体験の最終目標とはしていない.神のことばと明らかに矛盾したり,神のことばによる確証を伴わない神体験は,その体験がキリスト教的宗教体験とどのような類似性があるにしても,キリスト教の神体験ではない.神のことばの理解という理性的了解に裏付けられていない熱狂的・非理性的神体験には,虚無的なものが支配している.キリスト教神秘主義のある種の形態は,神のことばに導かれた神体験よりも,ことばという媒介物を欠いた直接的神体験をさらに高次の神認識の段階として設定する傾向を持っている.第3の特徴は瞑想の強調である.聖書はあらゆる宗教的実践の中で,神に対する瞑想を特別重要視していない.神に対する瞑想は神への愛の一つの表現形態にしかすぎない.隣人愛よりも神への愛に卓越した価値が付与されることもない.隣人愛も神への愛と同様に,神の愛に対する応答から生れるものとして,対等の価値を持つ.キリスト教神秘主義のある種の形態は隣人愛と比べて,神への愛を不当に高く評価し,しかも神への愛の中で,神への瞑想だけを重要視し,この神への瞑想をあらゆる信仰的実践の究極目標に置こうとする傾向を持っている.<復> ニュッサのグレゴリオス(335—394年)は,神のかたちに従って造られている人間は,神の性質を認識できるとした.人間はその中に神的なものを所有しているゆえに,神を見ることができるのである.人間の中の神のかたちは人間理性の欠陥と理性的認識の制約を超えて,神の神秘的直視を可能にする.『偽ディオニシウス文書』と呼ばれる新プラトン主義の影響を受けたキリスト教文書を記した著者は,概念や言語を媒介にした神認識を否定する.神は肯定と否定の認識を超えたところに,また本質をも超えた明るすぎるやみに隠れている.このやみに至るためには,脱我的状態にならなければならない.脱我状態の中で人間は神をわずかに知ることができる.ボナヴェントゥーラ(1221—74年)は,3段階を通って魂は神に向かって上昇すると主張した.第1の段階は被造世界にある創造主の痕跡から創造主の存在と力を推論する方法である.第2段階は魂の内部に沈潜し,記憶と知性と意志を通して神認識に至る.最後の段階では,理性を超え,神の現臨を神秘的に観照するに至るのである.マイスター・エックハルト(1260年?—1328年?)の神学体系の中心課題は神認識である.彼によれば,神は神学,哲学,またその他の通常の認識手段によっては把握されない.神認識は神にふさわしく無制約的な認識でなければならない.このような認識は,純粋な魂の中に神の力が働く時可能になる.このような認識の中で神と人間は統一され,またこの統一は「魂の火花」と呼ばれる魂の根底において生起する.人間が何らかの方法で神になり,また神が人間のうちに生きるのでなければ,神認識は不可能である.このような神認識の理解の前提に,神と人間の同質性を説く新プラトン主義的な汎神論が認められる.ニコラウス・クザーヌス(1400/1—64年)は,神を矛盾的規定の統一,「反対の一致」として把握した.例えば遠近という規定をとるならば,神は最も遠い存在であるが,最も近い存在に対して最も遠い存在なのではなく,同時に最も遠い存在であるところの最も近い存在なのである.このような「反対の一致」の把握は神認識の頂点をなし,知ある無知によって達せられる.クザーヌスの神認識の理解も,世界を神性の展開と見なす汎神論に支えられている.ヤーコプ・ベーメ(1575—1624年)によれば,神は自然のうちにあり,人間は神と世界との根源的一致を自分自身のうちに体験できるのである.小宇宙としての人間は善と悪との対立から成立している大宇宙を本質知を超えたところ,根源から理解することによって,神との直接的接触を求めることができる.<復> キリスト教神秘主義のうちのあるものは,カトリック教会において異端とされたが,プロテスタントの神学者は神体験,宗教体験に言及する場合にも,神秘主義的神学一般に批判的であった.キリスト教神秘主義者の聖書理解は,聖書のことばを恣意的に解釈し,様々の象徴的意味を付与し,その結果として聖書の預言や倫理的言説を軽視したからである.また神秘という言葉は,古代ギリシヤ・ローマの密儀宗教,新プラトン主義,グノーシス主義,静寂主義を連想させ,キリスト教神学はこれらの宗教思想とキリスト教が混同されることを恐れたのである.しかしプロテスタントの主要な潮流が霊的生活の神秘主義的次元に不信を抱くか,あるいはあからさまな敵意を表明したのは,キリスト教神秘主義のうちに神と人間との質的相違をあいまいにし,聖書のことばと聖霊の働きを分離する危険性を感じ取っていたからではないかと思われる.<復> 近代以後,西欧の哲学思想に対するキリスト教の影響力が相対的に地盤沈下するにつれて,神秘主義ということばは,特に理性主義的哲学の中では,侮蔑的な意味しか持たなくなった.カント(1724—1804年)にとって,神秘主義は思考不可能なものへの概念の飛躍にしかすぎなかった.ヘーゲルは神秘主義を非合理的・主観的・病的・退廃的なものの典型と見なした.マルクスは自分に敵対する論客の思想に対する軽蔑的表現として神秘主義という言葉を用いた.しかし極端な理性主義的哲学に対する反動として登場したロマン主義は,神秘主義という概念を回復するか,あるいは偽りの神秘主義から真の神秘主義を区別しようとした.<復> 現代においては,自然科学の影響のもとに形而上学的志向を否定する精神態度が支配的であるが,人間に形而上学的要求があり,しかも究極の実在の認識に関する理性主義的方法の限界が自覚されている限りにおいて,今後とも様々な形態の神秘主義思想が生れてくる可能性がある.このような思想傾向に対して,キリスト教会は批判的に対処していかなければならない.キリスト教神秘主義が追求し,今も追求しようとしている深い神体験は,現代の教会が最も必要としているものの一つであろう.しかし神体験の内容の記述は,いつの時代にも様々な宗教的表象による主観的・恣意的解釈の危険にさらされている.キリスト教の神体験を考察する神学は,キリスト教神学の思惟構造に照らして,その体験内容を厳密に規定するという課題と常に取り組まなければならないのである.→キリスト神秘主義,形而上学,理性と信仰.(多井一雄)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社