《じっくり解説》聖書時代の祭とは?

聖書時代の祭とは?

聖書時代の祭…

[ヘブル語]モーエードゥ.この語は定められた時,所といった意味で,「主の」と限定されて,主の定めた時,聖なる期間,主の例祭の意味で用いられている.五書に記されている祭(出エジプト23:14‐19,レビ23章,民数28,29章,申命16:1‐17)の特徴は,(1)主の祭であり,人が決めたのでもなく,異教の民の習慣に倣ったものでもない.(2)聖なる集会が召集され,まず主が礼拝され,聖書が読まれる.(3)聖会が持たれる日は,すべての仕事(安息日と贖罪の日)またはすべての労働の仕事(上記以外の祭の時)が禁じられ,安息を守ることが厳命されている.労役は罪ののろいの結果であり,安息は神の安息,天の安息の前味であり,その日を聖別して主とともに過すことでもある.(4)祭にはそれぞれに,動物,穀物等のささげ物,ささげ方が規定されている(民数28:9‐29:38).すなわち,罪,神との和解が取り扱われる.(5)どの祭も神の創造,救い,贖い,摂理のみわざの特定のものを記念することが命じられ,そうすることにより神の恵みとあわれみとを具体的に覚えて喜び,賛美,感謝にあふれ喜んで神にささげ,心から祭を楽しみ力を与えられる時となる(Ⅱ歴代30:21‐27,ネヘミヤ8章,イザヤ58:13,14).従って自然やその現象を神格化している異教の祭とは全く意味を異にしている.<復> 五書に記されている祭は,安息日,過越,種を入れないパンの祭,七週の祭,ラッパを吹く日,贖罪の日,仮庵の祭で,捕囚期以後に起原を持つのは,プリムの祭及び宮きよめの祭である.イスラエル人にとって,これらの祭への参加は各自の自由ではなく特権であり義務であった.「あなたがたがどこに住んでいても,代々守るべき永遠のおきてである」(レビ23:21)と記されている通りである.またイスラエルの男子はみな年に3度,種を入れないパンの祭,七週の祭,仮庵の祭に,主の選ぶ場所で御前に出ることが命じられている(申命16:16等).祭の守られ方には,政情,治安,信仰等の情況により盛衰はあったが(Ⅱ歴代30:26,35:8,ネヘミヤ8:17),新約,特にヨハネによる福音書を見ると,人々が祭のたびにエルサレムに上り,主も上られ,そのつど人々を教えておられることがわかる(ヨハネ2,5,7,10,13章).エルサレム陥落後,神殿を失ってからは,ユダヤ教では,様々な祈祷がいけにえに代ってささげられている.祭の日時に関しては,図「ユダヤの暦と祭の一覧表」を参照されたい.<復> 1.安息日.<復> [ヘブル語]シャッバース.神が創造のみわざを6日で終え,7日目を聖別して休まれたことと,エジプトの地で奴隷となっていたイスラエル人を,主がその力強い御手と伸べられた腕とをもって,そこから救出されたことを覚えて,この日を安息日とし守ることを命じられた(→本辞典「安息日」の項).<復> 2.過越の祭.<復> 過越の祭([ヘブル語]ペサフ),種を入れないパンの祝(祭)([ヘブル語]ハグ・ハッマッツォース).この二つの祭は,まとめて過越の祭,種を入れないパンの祭,過越の祭と言われる種を入れないパンの祭,などと呼ばれているので,一つの項目で取り扱うことにする(Ⅱ歴代8:13,ルカ2:41,43,22:1).第1の月の14日夕に過越の小羊をほふり,その夜すなわち15日,種を入れないパンの祭の第1日の夜に,その小羊を種を入れないパンと苦菜を添えて食する.これが過越で,種を入れないパンの祭は15—21日の7日間で,その間,家中のパン種を全部取り除き,種を入れないパン・悩みのパンを食べなければならない.また第1日目と第7日目には聖なる会合が召集され,すべて労働の仕事は禁じられ,安息を守らなければならない.また第1の安息の日の翌日に初穂の束を祭司のもとに携え,祭司はそれを主に向かって揺り動かすよう命じられている.この祭は,イスラエル人のエジプト脱出の夜,彼らが命令に従って門柱とかもいにつけた小羊の血を見て,主がその家の初子を打つことなく過ぎ越されたこと,その夜彼らはその小羊を種を入れないパンと苦菜を添えて食し,またまだ種を入れていない練り粉を鉢ごとかついで大急ぎで出立し主の御手により救出されたことを記念し,子孫に伝えることを目的としている.従ってイスラエル人にとり最も重要かつ喜ばしい祭である.過越の小羊は,初め家族の大きさにより準備され,全集会が集ってほふり,それぞれの家族に分け,各自の家で食されたが(出エジプト12章),カナン定着後は,主が選ぶ場所でほふり,食するよう定められ(申命16:6),ユダのヨシヤ王の時にはその血が祭司たちにより祭壇に注がれ,肉は火で焼いて民の父祖の家ごとに組分けに従って分配されている(Ⅱ歴代35:10‐13).この祭は,旧約,新約を通じ,特に福音書には多くの言及がある.主の最後の晩餐は過越の食事であった.キリスト教会ではキリストこそ私たちの過越の小羊で,この羊は骨を折られず,3日目に死人の中からの初穂として復活されたこと,信者は古いパン種を取り除かれた新しい固まりとなったこと等がこの祭の予型の成就であるとして,主の受難を記念し復活を祝うという形になっている(ヨハネ19:33,36,Ⅰコリント5:7,8,15:20).<復> 3.七週の祭.<復> 初穂をささげた日から満七週を経た翌日.[ヘブル語]シャーブオース.別名五旬節,ペンテコステ(日数にすれば50日),刈り入れの祭(小麦の収穫時—出エジプト23:16).この祭は1日だけで聖なる集会が召集され,労働の仕事はすべて禁じられ安息を守るべきことが定められている.男子が主の前に出る三大祭の一つ.勤労を祝し,実りと喜びを与え,生命の支え主なる主への感謝と喜びのささげ物をささげる日である.旧約にはこの祭の事例はないが,新約では使徒2章に,この日弟子たちが一つ所に集まっていた時,約束の聖霊が下り,弟子たちが他国のことばで話し出したことで大勢の人が集まり,語られるあかしを聞いて,3千人という刈り入れが与えられ新約の教会が誕生した日である.<復> 4.ラッパが吹き鳴らされる日.<復> 第7月の第1日,市民暦の新年で,年頭の意の[ヘブル語]ローシュ・ハッシャーナーと呼ばれている.1日だけで労働の仕事はすべて禁じられている全き休みの日で,その日のささげものに向かって角笛を吹き鳴らして,民数10:10の約束に基づき主の御前に会衆を覚えていただき主の恵みとあわれみとを待ち望む喜ばしい日である.<復> 5.贖罪の日.<復> [ヘブル語]ヨーム・ハッキプリーム.第7月の10日で,この日はイスラエル人にとって最も厳粛な日である.1日だけで,一切の仕事が禁じられ,断食と全き安息を守らなければならない.折にふれ,罪や咎のためのいけにえがささげられているにもかかわらず,なおこの日大祭司が規定に従って大祭司,祭司,聖所,全会衆のために,年に1度至聖所にいけにえの血を携えて入り,御前に血を注いで贖いをする日である.救いの歴史の上で最重要な予表の一つである.詳細についてはレビ16章を参照のこと.使徒27:9の「断食の季節」はこの日のことである.キリスト教会は「(キリストは)ご自分の血によって,ただ一度,まことの聖所にはいり,永遠の贖いを成し遂げられたのです」(ヘブル9:12)とあるように,キリストの死によって贖罪日は成就したと理解している.<復> 6.仮庵の祭.<復> [ヘブル語]ハグ・ハッスコース.第7月の15日から7日間の祭で,初日と8日目に聖なる集会が召集され,両日とも労働の仕事はすべて禁じられ全き休みを守る日.ちょうどぶどう,オリーブ,いちじく,その他もろもろの土の産物の収穫が終る時で,収穫祭とも呼ばれている(出エジプト23:16).厳かな贖罪の日を終え,1年の収穫も全部終って身も心も軽く,最も楽しい感謝と喜びにあふれ,豊かにささげる祭である.彼らは初日にいろいろな木の枝や葉で(レビ23:40)仮庵を作り,7日間仮庵に住み主の前に喜び祝い,また父祖たちの荒野での仮庵住いを後代に伝えるのを目的としている.ネヘミヤ8:13‐18には捕囚から帰った民がエズラの指揮のもとで守った仮庵の祭の見事な記録がある.ヨハネ7:2,37,38ではイエスが,この祭の終りの大いなる日に大声で民に語っておられる.<復> 以上がモーセ五書に記されている主の祭であり,以下の二つは捕囚期以後に起源を持つ祭である.プリムの祭の由来はエステル記に記されている.宮きよめの祭の由来は外典のマカベア書に記されているが,ヨハネ10:22に言及があるので取り上げることとする.<復> 7.プリムの祭.<復> [ヘブル語]プーリーム.ペルシヤ王アハシュエロス(前486—465年在位)の時代,王の重臣ハマンがユダヤ人モルデカイへの憎悪から,ペルシヤ全土にいたユダヤ人抹殺を企て,プル(くじ)でその実施の日を定めた.自分のユダヤ人である出生を明かしていなかった王妃エステルは,養父モルデカイを通じてこの企てを知り,彼の指示に従い,全ユダヤ人の断食の中,死を覚悟して王に助命を歎願した.願いは聞き入れられ,ハマンは即刻木にかけられ,プルで決められていた日はユダヤ人には救い,その敵には滅びの日と変った.この日すなわちアダルの月の14,15日をプリムの日として神の救いを記念して喜び宴会と祝祭の日と定めたと書かれている.詳しい規定はないが,13日は断食,14,15日の祝いは,まずエステル記の朗読で始まり,今日に至るまで最も楽しい祭として続いている.<復> 8.宮きよめの祭.<復> [ギリシャ語]エンカイニア,[ヘブル語]ハヌカー.別名,光の祭(ヨセフス『ユダヤ古代誌』).シリア王アンティオコス4世(エピファネス)がエルサレムの神殿を汚し荒らして異教の宮としたことに怒り,ユダ(マッカバイオスと呼ばれた)とその同志が立ち上がり,その3年後の前164年に神殿を奪回し,清め神事を回復したのが第9の月の25日で,以後毎年この日から8日間,喜びと楽しみをもって祝うことになったのがこの祭である(Ⅱマカベア5‐10章).→ペンテコステ,日本の祭とキリスト者.<復>〔参考文献〕吉見崇一『ユダヤ人の祭り』(エルサレム文庫4)エルサレム宗教文化研究所,1986;F・ヨセフス『ユダヤ古代誌』旧約時代篇6,山本書店,1984;Epstein, Ⅰ., Judaism, Pelican Books A440, Penguin Books, 1964 ; The New Bible Dictionary, Ⅳ F, Tyndale, 1974.(田辺 滋)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社