《じっくり解説》日本の祭とキリスト者とは?

日本の祭とキリスト者とは?

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日本の祭とキリスト者…

1.祭の語.<復> 祭とは,「まつる」「まつらふ」「つかえまつる」などの動詞と関連した名詞で,「奉(たてまつ)る」と同義とされる.これは目上の者に対する奉仕や服従を意味し,「尊敬せられるものとの對座面会,後世の語でいえば拜謁」(柳田国男)をその本来の意とする.<復> 漢字の「祭」は,祭壇に犠牲を供えることを意味する象形文字である.これは神の意を示す「示」とその上にある「肉」と「手」を示す字形から成り,犠牲としての肉を手に取り神に捧げて神に仕えることを意味する.ただし,柳田国男によれば,中国においては祭という漢字は「祖先の祭り」を意味し,一般に言う「法事」や「供養」に限定されている.関連語句の「祀(まつ)る」は,神を示す「示」と神をなだめる動作を示す「巳」から成る.「祠(まつ)る」は,神を示す「示」と供えられた「食物」を示す「司」から成る.この意味で,「祠」は場所としての「ほこら」を指す.仏教行事に,善男善女が大勢集って共同の行事を営む「会式(えしき)」があるように,仏教において祭に相当する「会(え)」には,人々が相まみえることも意味されている.<復> 祭を意味する英語のfestival,フランス語のfe^te,ドイツ語のFestは,祝祭を意味するラテン語festumから派生している.これには,日常の約束事を棚上げして慣習・伝統から解放され,人々が仮装したり大騒ぎしたりして日常性を脱却しようとする意味がある.「お祭さわぎ」などと称される状況はこの点に関連している.英語では,祭における儀礼すなわち祭儀や儀式,式典などに力点がおかれる場合には,riteやceremonyが用いられる.<復> 日本語の「祭」は,柳田国男が指摘しているように「語源もほゞはっきりして居て,神の大前に侍座して,暫く時を過ごす」こととされ,中国同様「日本でも,まつりということばのはじめの用途は,子孫が先祖を祭る場合に限られていた」と言われる.<復> 2.祭の特質.<復> 祭の特質は,上記「1.祭の語」からも浮び上がってくる.<復> (1) 祭は,多分に宗教的な意味合いを持つ.祭において行われる儀礼は宗教儀礼である.そして,儀礼においては,伝統に従った供犠の手続が細目にわたり定められ,それが厳格に執行される,<復> (2) 祭には人が集まり,共同で祭儀が執り行われる,<復> (3) 祭は,その最中に行われる宗教儀礼や祝祭のように,日常生活とは離れた空間・時間の中で演じられる,<復> などである.この(3)の点に関して言えば,祭を「聖俗二元論」的な視点における「聖」なる次元だけにかかわるとする考え方は避けねばならない.今日の人類学の研究においては,「聖」と「俗」すなわち「ハレ」と「ケ(ガレ)」は,二項対立的にとらえられるものではないとされる.つまり「ケ」の空間が「ハレ」の空間に転換することが実証的に裏付けられている.この意味で,祭は必ずしも「ハレ」の次元だけに行われるものではないことを確認しておく必要がある.祭には,祝儀だけでなく葬式や先祖祭祀などの不祝儀も含まれるのである.その他,<復> (4) 祭は,その営みを通しての地域・血縁共同体の「結衆の原理」(桜井徳太郎)となる.「都市まつり」などの宗教抜きイベントが,その目標に従って企画されたよき例である.コミュニティー活動の一環として祭が行われる場合がそれである.柳田国男は「祭」と「祭禮」を区別し,「見物といふものが集って来る祭りが,祭禮」と述べたが,これらの見物人をも含めて,都市住民の「結衆」をはかるものこそ「都市まつり」としての「祭禮」と言える.<復> このように,祭には「つながりとしての祭」(柳川啓一)という共同体「結衆」の機能が備わっている.「祖先崇拝は血縁集団の精神的強化と統制をはかるもの」であり,「都市まつり」などのように,「近代都市,近代国家においてさえ,新しい祭が創り出され,それは,社会,国家への帰属感を呼びおこそうとするもの」なのである.祭は人々を「結衆」することによって,社会的な統合の機能を果す.<復> 「都市まつり」などの「新しい祭」の中には,(1)で述べた宗教と無関係の祭も多くある.国家の憲法に定められた「祝祭」としての独立記念式典や特定の記念日,行政がイニシアチブを取る「観光まつり」や「地方博覧会」等の各種のイベント,などがそれである.<復> 3.日本の祭.<復> 日本の祭を古代にさかのぼって考察する時,それには日本の農耕社会的特性が大きな影響を与えている.漁村でさえ半農半漁の社会であったとされる日本において,その生活の中心が種蒔きと取入れであったことは予測できる.これが結果として,収穫の豊穰を神に祈念する春の祭,秋になると収穫を感謝し,年ごとの稲の初穂や海で採れた海産物を祖神に供えて共に共食する新嘗(にいなめ)の祭となったと言われる.これらの祭は,弥生時代以来日本の民間で広く行われていたとされる.農耕にせよ漁業にせよ狩猟にせよ,それらは地域共同体が一体となって行われたため,祭も地域的に行われていたのである.それが後には,祭を行う祭祀権を特定の権力者が掌握することになり,祈念の内容も農耕に限定されることなく,祖先崇拝や共同体の繁栄から権力者が支配する地域全体,さらには国家の安泰にまで拡大される.<復> 日本の祭において,民俗学的に注目されるのは「宮座(みやざ)」である.宮座は,「其の神社の祭儀及び経営に関し,他の信徒(若くは氏子)に比較して特別なる権限を有する氏子の組合を云ふ」(中山太郎)と定義される.この特権的な祭祀組織は,一般にその地域土着の男子のみによって結社された.この結社のみが地域の祭祀権を一手に握ることとなり,地域共同体の家柄や身分制度を固定化したとされる.この宮座が,農耕の開始に当って祈祷の儀礼を執行して初めて,その地域に豊穰が約束されたのである.<復> 宮座の祭祀権は,さらに地方の豪族に握られ,それをも最終的に掌握してきたのが天皇とされる.これは,今日まで約1300年以上にわたって盛衰の過程を経ながらも持続している.明治時代に入ってからは,祭の最終的な主宰者とは天皇に帰属するものと,明確に位置付けられた.天皇が「新嘗の祭」を定められた通りに行って初めて,秋の収穫が期待されることになる.それは,宮中の特別な神田で収穫された米などの特別な神饌(しんせん)を供することが重要な儀礼の一部とされ,天皇の代替りに際して特別に一世に一度だけ行うのが「大嘗祭(だいじょうさい)」である.<復> 日本の祭は,究極的には中央集権的に天皇大権によって統合されることになった.特に,明治政府は,王政復古,祭政一致を目指して,8世紀の律令制の時代以来盛衰を経ながらも行われていた神社の位階(社格)付けを積極的に行い,神道の祭の主宰者としての天皇の位置を明確にし,神社に対する国家的な管理を強化した.この明治の神祇制度は,戦後1945年12月に,連合国占領軍が神社の国家管理を撤廃させるために出した「神道指令」に基づいて,1946年2月に廃止された.<復> 4.祭と憲法理念.<復> 祭を行う集団を祭祀集団と言うが,それには家族単位,親族単位,村単位,また国家単位,皇室単位など考えられよう.これに関して問題とすべきは,国家が特定の神社を後援し宗教的行為としての祭を実施しようとすることにある.これは憲法が保証した「政教分離」の原則を踏みにじるものであり,「信教の自由」を侵すことである.日本には社会的な統合の原理がないという理由から,天皇の祭祀権を日本の固有の宗教とされる神社神道と結び付け,国家統合の原理としようとする動きがある.これは,憲法の原理に照らして許されるべきことではない.<復> 5.祭とキリスト者.<復> 日本のキリスト者は,異教的な風土の中の寄留者として生きねばならない.全国で宗教法人と認められている神社だけで8万5千余,これに加えて家・同族の屋敷神,町内の小祠,企業や商店の鎮守など数限りない諸社において,また仏教系法人数7万7千余,諸教系団体4万2千余が一年に一度以上は神事や祭を行っていると推定される(文化庁編『宗教年鑑』昭和63年版による).全国各地で年中何らかの祭事が行われていると言える.<復> キリスト者は,宗教的な少数者にすぎないが,聖書の神のみが唯一の生けるまことの神であることをあかししなければならない.祭が宗教的な意味をもって行われるに際しては,どのような状況であれ,聖書の神以外の「なにものをも神としてはならない」という戒めに聞かねばならない.宗教とは無関係の「都市まつり」としてのコミュニティー祭などに参加する場合でも,内容をチェックし,キリスト教徒であることをあかしする必要がある.キリスト者にとって,イースターやクリスマスはさすがに楽しい,待ち遠しい「祝祭」の時でもある.しかし,その「記念行事」の意味するものが何であるかを明確に認識し,いたずらにそれを利用しようとする商業主義や喧騒を警戒する必要がある.<復> また,このような異教世界にある同胞に対して,キリスト者は社会的な責任を負っている.それは,高度経済成長の終焉とともに「祭(イベント)ブーム」の傾向があるとされる現実社会と関連している.経済効率のみを追求する現代社会には,その背景に大衆の「共同体」(ふるさと)と「非日常性」への願望があると言われる(芦田徹郎).祭で大騒ぎしても真に安らぎを得ることのできない人々に対して,ここにもキリスト者は福音を語り続ける責任がある.→記念行事,祖先崇拝とキリスト者,神道とキリスト教,日本の宗教,天皇制とキリスト者.<復>〔参考文献〕柳田国男「日本の祭」「神社のこと」『定本柳田国男集第10巻』筑摩書房,1962;柳田国男/瀬川清子『祭のはなし』三省堂,1949;牧田茂『神と祭りと日本人』講談社現代新書,1962;米山俊直『都市と祭りの人類学』河出書房新社,1986;桜井徳太郎『結衆の原点—共同体の崩壊と再生』弘文堂,1985;柳川啓一「祭の神学と祭の科学—会津田島祇園祭覚書」(「思想」569号所収),1971;福田アジオ「宮座の社会的機能」『講座日本の民族宗教5』弘文堂,1980;富坂キリスト教センター編『キリスト教と大嘗祭』新教出版社,1987;薗田稔編『神道—日本の民族宗教』弘文堂,1988.(村田充八)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社