《じっくり解説》使徒性とは?

使徒性とは?

使徒性…

その任命・資格・職務・地位・権威を含め,使徒が使徒であることの総体を使徒性と言う.正典結集に際し判断規準の一つとされた,キリスト教文書の使徒的性格を指して使徒性と言う場合もある.<復> マルコ3:16‐19に,イエスによって選ばれ,任命された12名のリストが掲げられている.原文では,14節の出だしは「12人を任命された」であるが,「そして使徒と名づけた」を挿入する写本もある.「12使徒」の呼び名は一般的ではあるが,「12人」([ギリシャ語]do~deka)あるいは定冠詞付きで「かの12人」と呼ばれる一団の人々が,イエスの召しに応じてイエスと生活を共にし,訓練を受け,宣教といやしのわざをなし,イエスの復活後,教会の宣教と教育と管理の指導者として働いたことが,使徒について新約聖書の記すところである.<復> 「12弟子」という表現もあるが(マタイ10:1,11:1),マタイ10:2では直ちに「12使徒」と呼び換えられている.マルコの福音書の「12人」任命の記事に先立つ部分を注意して読むと,「弟子」はイエスに従う者のより大きな集団を指しており,その中から特に12名が選定され,使徒として任命されたことがわかる.この事情は,ルカ6:13からも明らかである.この意味での「使徒」の語を用いるのは,マルコが1回(6:30),マタイが1回(10:2)であるのに対し,ルカの場合は福音書で5回,使徒の働きで29回を数える.ルカに並んで多く用いるのはパウロであり,自分が使徒であることの弁証に合せて,使徒職が何であるかについての叙述に意を用いている.<復> 1.使命を帯びて遣わされた者.<復> 使徒を指す[ギリシャ語]apostolosの動詞形apostello~は,特定の使命を与えて送り出すことを意味している.一般的に「送る」ことを指す動詞pempo~が,送る事実を意味するのに対し,apostello~は派遣された人の使命・任務・責任の側面を重視する.特定の職権・任務を委任された全権大使の姿を思い浮べるとよい.イエスは,御自分が父なる神によって遣わされたメシヤであるとの自己意識をしばしば表明されたが,そのことと,御自分が使徒たちを遣わすこととを結び合せて,「あなたがわたしを世に遣わされたように,わたしも彼らを世に遣わしました」と言明しておられる(ヨハネ17:18).ここでは,遣わす者の権威,特に神的権威と,遣わされた者が遣わす者に対して果すべき責任とが,切り離すことのできないこととして示されている.ヨハネの福音書で特に著しいのは,父なる神に遣わされた者として果すべきわざについての,イエスの強い自覚の表明である.それは,派遣者である神の権威への全き服従を描き出すものであった(4:34「わたしを遣わした方のみこころを行ない,そのみわざを成し遂げることが,わたしの食物です」.ほかに5:36,7:16,28,29,14:24,17:21,25を参照).<復> 「12人」の任命は,「彼らを身近に置き,また彼らを遣わして福音を宣べさせ,悪霊を追い出す権威を持たせるためであった」とマルコは記している(マルコ3:14,15).イエスの身近に置かれたのは,イエスから学び,訓練を受けるためであった.「弟子」を指す[ギリシャ語]mathe~te~sは,本来「学ぶ者」の意である.しかし,任命権者である主イエスは,彼らを世に遣わし,福音宣教及び悪霊追放に代表される奇蹟のわざをなさしめるために,御自身の権威を授けられた.遣わされた「使徒たち」は,派遣者であるイエスのもとに戻って来て,自分たちの活動につき詳細な報告を行う(マルコ6:30).時に応じてイエスの施された特別訓練プログラムは,使徒たちに職務への忠実さを自覚させ,イエスの十字架と復活後の教会指導者としての働きに備えさせるに役立つものであった(例マルコ8:27‐9:13).<復> 2.原始キリスト教会の指導者としての使徒.<復> イエスとともにいる時代は終り,イエスの死と復活,さらに昇天の後に,聖霊の注ぎにより力を受けた使徒たちは,原始キリスト教会の指導の任に当ることとなる.使徒職の重さは「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており,キリスト・イエスご自身がその礎石です」とパウロが証言する通りである(エペソ2:20).新約の時代の使徒たちが12人であったことは,旧約の時代の12の部族に対応する(マタイ19:28).使徒の務めを受けていたユダの死後,「その職は,ほかの人に取らせよ」との詩篇のことば(使徒1:20,詩篇109:8)は,マッテヤの選出において成就した.こうして彼は「11人の使徒たち」に加えられ,12の数を満たすこととなる(使徒1:15‐26).この箇所で,「主イエスが私たちといっしょに生活された間…いつも私たちと行動をともにした者の中から,だれかひとりが,私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません」(1:21,22)と言われていることは,原始キリスト教会における使徒の資格と職務の重要な要素として,イエスの生涯と復活の証人であるべきことが挙げられていた事実を裏書きしている.<復> 使徒たちの働きは,第1に説教であった.ナザレ人イエスの苦難と十字架の死が,神の定めた計画と予知とによったこと,このイエスを神がよみがえらされたこと,神がこのイエスを主,またキリストとして立てられたこと,を証言して悔い改めを迫り,神への立ち返りを促すことが,使徒たちの説教の務めであった.ペンテコステ説教を初めとし,続いて記される使徒たちの説教で際立っているのは,イエスの復活の事実の主語が神である,とする確たる証言である.これは,神の御旨の実現の神学を展開しようとするルカの意図の表れと言うことができる(使徒2:24,32,3:15,4:10,5:30,31等).神のことばに仕える本来の任務が,食糧の配給の業務によって妨げられる危険を感じた使徒たちは,「7人」の選出を信徒たちに求め,彼らを食卓の仕事に当らせ,自分たちは「もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします」との意思表示を行った(使徒6:1‐6).その結果は,神のことばのますますの広まりと,弟子の数の増加において明白に現れるところとなった(同6:7,12:24).<復> 使徒たちの働きの第2は,奇蹟を行うことであった.主イエスとともにいた時,彼らはすでに悪霊を追い出す権威を授けられていたが(マルコ3:15),イエスの復活後も,病人のいやしを初め,多くのしるしと不思議なわざを行った(使徒2:43,5:12).それは,イエス・キリストの名によって行ったことにほかならず,人々はこれらの奇蹟に神の訪れを見て取り,神をあがめるに至った.使徒たち自身の力や信仰深さではなく,イエスの名こそが,使徒たちの行った奇蹟の真の力であった(使徒3:6,16,4:10,4:30).イエスこそが,奇蹟の真の行為者であった(同9:34).使徒たちの奇蹟と宣教は,このイエスの名を宣布するという一点に結ばれていた(同4:12).使徒たちの奇蹟を行う権能は,彼らの神的権威の証拠であった.<復> 使徒たちの働きの第3は,回心者を教育することであった(使徒2:42).十字架と復活の主イエス・キリストのあかしが主たる内容であったことは言うまでもない.使徒の働きに収録されている説教から知られるように,旧約時代の神の契約の歴史的展開に広く目を配る,救済史に基づく福音理解が,使徒たちの教えの中軸を成していたと言える.<復> 使徒たちの働きの第4は,教会運営であった.信仰共同体・生活共同体としての教会は,使徒たちの指導の下に整えられ,形を成していった.礼拝の指導,洗礼(バプテスマ)及び主の晩餐の礼典の執行は言うに及ばず,信徒の共有財産の管理・分配(使徒4:32‐37),戒規の執行(同5:1‐11)も使徒たちのものであった.エルサレムを拠点とする教会に対する迫害に際しては,その矢面に立って,議会の前で勇敢に証言した(同4,5章).迫害の結果,散らされて行った信徒たちの牧会に当らせるために,エルサレムの使徒団はペテロとヨハネをサマリヤに遣わした(同8:14).教会の中に見解の相違が生じた時,使徒たちは長老たちとともにエルサレム会議を開き,福音の真理の擁護に当り,アンテオケへ使節を派遣し,諸教会に会議の結果を伝達した(同15:1‐16:5).この一連の努力は,諸教会の信仰の一致と基盤の強化に資することとなった.<復> 3.パウロの使徒性.<復> 「12人」の使徒性は,イエスの生涯と復活の証人であることに存していた.パウロは生前のイエスに従うことはなかったが,復活の主イエス・キリストの直接の任命によって使徒とされた(ガラテヤ1:1).彼の使徒性は,「かの12人」の一員と数えられるものではないが,彼自身が主張したように,復活のキリストによる召しのゆえに,エルサレムの原使徒団の使徒性に並ぶものであった(Ⅰコリント9:1).事実,パウロの宣教内容は,エルサレムの使徒たちから受けたことであり,そこには完全な一致があった(Ⅰコリント15:3,11).パウロは専ら異邦人にキリストを宣べ伝える使徒として立てられたが(ガラテヤ1:16,2:8),彼は異邦人教会を真の意味で使徒的な教会として建て上げることに最大限の努力を傾けた.3度にわたる回心の証言からも明らかな通り,パウロは主イエスの復活の証人として,自分の使徒性を十分に表明し(使徒22:15,26:16),主御自身によって「遣わされた者」としての使命(同26:17)を果した.<復> バルナバがパウロに並んで「使徒」と呼ばれることがあるが(使徒14:4,14),エルサレム使徒会議の後,彼がパウロらとともに使節としてアンテオケへ派遣された事実を考え合せると,原初のキリスト教会がバルナバを使徒と認めていたことが無理なく想定される.→職制,召命,あかし(証言),弟子・弟子づくり.<復>〔参考文献〕C・K・バレット『新約聖書の使徒たち』日本基督教団出版局,1986;C・H・ドッド『使徒的宣教とその展開』新教出版社,1962.(石丸 新)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社