《じっくり解説》弁証学とは?

弁証学とは?

スポンサーリンク

弁証学…

1.弁証学(apologetics)はギリシヤ語アポロゲーティコスに由来するが,これは,古代アテネの法廷における被告の自己弁明([ギリシャ語]アポロギア)の方法とその技術を意味した.アポロギアとその動詞アポロゲーッサイは新約聖書においても用いられている.主イエスは弟子たちに迫害の中での信仰の弁明の機会を予告され(ルカ21:14),使徒は王の前でそれをなし(使徒26:1),また異邦人の間で福音の弁明を行い(ピリピ1:7),そしてキリスト者は自己の希望についての弁明を求められている(Ⅰペテロ3:15).キリスト教信仰は神の真理に敵対する世の誤謬のただ中で告白,宣教されるゆえ,不可避的に弁証的性格を持っており,極論すれば,キリスト教弁証は神の啓示と同じだけ古くからある(H・バーヴィンク).<復> しかし弁証学がキリスト教神学の中の一分科として認められ始めたのは,18世紀末期(G・J・プランク)から19世紀初頭(F・D・E・シュライアマハー)以後と言われている.弁証学は普通,キリスト教使信の真理性と意味についての哲学的議論をなす(狭義の)弁証論と,その事実性についての歴史的議論をなす証拠論(evidence)とを含み,通常,教義学と倫理学に並んで,組織神学部門に入れられる.<復> 2.神学諸科における弁証学の位置については意見が分れているが,一般にそれを,(1)神学諸科の初めのほうに置き,後続諸科の基礎とする見方,(2)後のほうに置いて,先行諸科の成果の応用とする見方,(3)神学諸科の中に特定の位置を占めない,神学そのものの性格付け・方向付けとする見方の三つに大別できよう.<復> (1)には,釈義神学の中での,イエスと使徒たちの教えの神的起源と顧慮の論証(プランク),哲学的神学の中での,神学の普遍的基礎付けのためのキリスト教固有の本質の同定(シュライアマハー),神学諸科全体に先行する,神学の学的成立のための神知識の確立(B・B・ウォーフィールド)などが,(2)には,教義学に後続しそれに基礎付けられる,異教哲学の論駁と教義の擁護及びキリスト教哲学の準備(A・カイパー),教義学と独立かつ並存する仕方での,教会使信への敵対者に対する思惟的批判(E・ブルンナー),現実的,実践的な事柄である個々の具体的弁証のための学的,理論的訓練ないし準備(A・リチャードスン)などが,(3)には,神学諸科全体に普遍的な,神学の不可避的要素ないし性質(P・ティリヒ),神学諸科に特定の領域を持たない,非聖書的神学思想の看破及びキリスト教真理体系としての神学の擁護の企図(C・ヴァン・ティル)などをそれぞれ挙げることができる.<復> 3.弁証学の機能ないし課題についても上記事情のゆえに,当然見解が異なるが,一般に次の四つに類型化できよう(ただしどの弁証学的著作も実際的にはそれら全部の側面を併せ持っており,また同じ弁証家が著作によって異なるタイプの弁証を試みることもあり得る).<復> 第1に弁証学は特定の攻撃や個別的問題への対処法とされる.自由主義神学によるキリスト教の超自然性の否定に対して,組織神学の分野においてその反証を試みたウォーフィールドの個別的著作(『偽りの奇蹟』等),新約学におけるJ・G・メイチェン(『キリストの処女降誕』等),現代では,聖書の神的権威や(イエスの復活などの)聖書中の奇蹟の歴史的実証を企図するB・ラム,N・ガイスラーなどは,その代表例である.<復> 第2に弁証学はキリスト教信仰や神学の擁護,確立,その受容への準備をなすとされる.カイパーは弁証学を教義学に後続させ,同時代の異教哲学の論難から教義を擁護し,さらに告白的形態をとる教義が含む形而上学的意義を転換することによりキリスト教哲学を建設するための準備と見た.またウォーフィールドは弁証学を,キリスト教神学の学的成立のための,その諸科のおのおのの研究対象の存在と働き(神の啓示,人間の宗教的能力,キリスト教の歴史性など)を確立するもの,さらに信者をして自己の信仰についての知的確信と論証をなさしめるものと見た.さらにラムは証拠論を,未信者の偏見を除去し,キリスト教使信を受け入れやすくする準備と見る.<復> 第3に弁証学はキリスト教世界観・人生観の確立を企図する.この路線で前記カイパーの立場を発展させたのはヴァン・ティルである.彼はキリスト教(組織)神学をキリスト教信仰の真理体系と見なし,弁証学を,そこに含蓄される存在論,認識論,倫理学をキリスト教人生観として,非キリスト教のそれと対峙(たいじ)させて提示した.また弁証学は単にキリスト教の歴史性や聖書記事の事実性についての論証だけでなく,その事実の持つ意味,全体の議論の前提と体系という哲学的側面の論証をも含むべきことを力説した.この点ではF・シェーファー,E・J・カーネル,G・クラークらも同様である.<復> 第4に弁証学は宣教論的原理の提供や,キリスト教神学の宣教論的性格付け・方向付けに寄与する.これはキリスト教信仰が不可避的に弁証的性格を持つことの実践的,必然的帰結であるが,神学的営みにおいて自覚的に企図されたのは,ブルンナーの伝道的神学やティリヒの弁証的神学においてである.<復> 4.上述の事情から,また弁証学の方法論や性格も様々である.神学の理論的,学問的方法と相まって,弁証学も合理主義や前提主義(クラーク,ヴァン・ティル)から,経験主義や証拠主義(J・バトラー,W・ペイリ,J・ヒック),信仰中心主義や信仰体験主義(B・パスカル,シュライアマハー,C・ブラウン),混合主義(カーネル,I・ラムジ)に及ぶ.<復> キリスト教弁証学の本来の性質と方法はこれらの中の特定のものに規定されず,すべてを含む.取り扱う問題や目的によっては合理主義的であったり,証拠主義的であったりする.これらのうちのどれが最もキリスト教的であるかではなく,どのようにして,必要に応じてそれらの方法や立場を聖書的,キリスト教的思惟によって導くべきかが重要である.<復> 5.方法論の一環として,弁証学において不可避的な課題に,いわゆる「接触点」(point of contact)の視点ないし設定の仕方がある.これが不可避となるのは,一方で堕落した人間には自力的神認識と救済が不可能であること,しかし他方キリスト者はその罪人に福音を宣教するように命じられており,その限りで罪人のうちに救済真理への応答と受容の可能性が確保されていることによる.さらにキリスト者は神の国の終末的伸展に寄与すべく(宣教命令とともに)文化命令の遂行に励むが,その過程で未信者の文化的業績を正当に評価あるいは批判して,その真理契機を昇華,摂取しなければならない.もし未信者に真理認識のための接触点が全然なければ,福音が理解され,信じられる可能性はなく,また未信者の文化的成果には何の価値もないことになる.<復> 自然神学は,自然的領域における真理認識に関する理性の健全性を承認し,この基礎の上に,啓示と信仰による,超自然的領域における真理認識が成り立つとする.また自由主義神学は,キリスト教を諸宗教の広い伝統の中に位置付け,それを人間の普遍的宗教的本性に還元した.これらの神学的立場では人間の全的堕落が認められておらず,初めから信者と未信者との認識論的共通領域が存在している.しかし他方では神秘主義や信仰一元論の神学的立場もある.そこでは,罪人の真理認識は聖霊の独占的救済恩恵によるとされ,信者と未信者との接触点も否定された.<復> われわれは接触点に対する自然神学的承認も,信仰一元論的否認も退けなければならない.かかる状況において,ブルンナーは罪人における神のかたちの存続に注目した.彼によれば,罪人は堕落によって実質的な意味での神の似像を喪失したが,形式的な意味での神の似像を保持している.それは,自己啓示する神に対する,人間存在としての本来的な応答責任性またその能力であり,それをなすための言語運用能力であるとされる.しかしこのような形式的神の似像観がすでに形式性を越えて,ある種の実質を意味しており,バルトにより自然神学への逆行と批判されたのは正当であった.<復> われわれは接触点理解のための正しい視座の設定のために,それを,罪人にもなお残存する,神的啓示真理への反応能力とその構造と定義すべきである.接触点は究極的には信者と未信者との関係ではなく,神の啓示と罪人の応答との関係の問題である.すでにJ・カルヴァンは未信者にある神聖感覚及び法感覚に着目し,一方で前者があらゆる偶像礼拝を生み出す宗教の種子となっており,他方後者が学問や市民生活を成り立たせていることを指摘した.またカイパーは,神による,罪とそれに対する刑罰の抑制,人間性とその諸能力及び世界の秩序の保存と発展を,(救いの前提となる)神の一般恩恵と理解した.さらに今日では(H・ドーイェウェールト),神の意志としての全被造実在における様々の法領域が洞察されている.被造実在の客観的構造自体は,人間の堕落や神の刑罰によっても破壊されなかった.堕落と刑罰によって歪曲されたのは,その客観的な法秩序に対する人間の主観的応答のあり方である.聖霊の再生恩恵は,罪人が主観的現実において神の意志たる創造の法秩序に適合して,福音に応答できるようにする.また未信者が学問や芸術などの領域で業績を挙げ得るのも,罪人をしてそのように反応せしむる神の創造秩序の恒常性による.ここに伝統的な課題である接触点の理解のための適切な視座がある.このように契約論的,認識論的には堕落のゆえに,信者と未信者との間の共通点は存在しないが,創造論的,存在論的には創造の秩序の恒常性のゆえに,存在するのである.→神存在の証明,護教家.<復>〔参考文献〕春名純人『哲学と神学』法律文化社,1984;Ramm, B., Varieties of Christian Apologetics, Baker, 1974 ; Van Til, C., The Defense of the Faith, Presbyterian & Reformed, 1972.(市川康則)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社