《じっくり解説》ニカイア総会議とは?

ニカイア総会議とは?

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ニカイア総会議…

[ラテン語]Concilium Nicaenum,[英語]Council of Nicea.ニカイアの名称は2回の総会議に与えられる.第1回は,325年ローマ皇帝コンスタンティーヌス1世(大帝)により,夏離宮のあるニカイア(今日のトルコのイズニク)にアリオス論争を巡って召集され,三位一体の教理を確立した最重要の教会会議である.全キリスト教会の関与からして第1回世界教会会議(Ecumenical Council)とも呼ばれる.第2回は,787年に幼少の東ローマ(ビザンチン)帝国皇帝コンスタンティーヌス6世の母,また摂政であった皇太后エイレーネー(イレーネー)により,画像崇敬の是非を巡り召集された第7回世界教会会議である.本項は第1回ニカイア総会議のみを以下で論ずる.<復> 1.総会議への道.<復> 総会議開催の直接動機は,キリストの神性を巡ってアリオス(アリウス)(250年頃—336年頃)が喚起した論争が古代教会全体の大問題となり,また,キリスト教との連帯をその帝国統治にとって不可欠としたコンスタンティーヌス帝が,教会における教理上の分裂を不得策として皇帝権により教会会議を召集したことである.アリオスはアレキサンドリア教会の司祭であったが,御子の御父に対する従属関係を主張して,318年頃主教アレクサンドロスと対立し,320年頃開かれた地方会議で破門された.自説の撤回を拒否するアリオスはパレスチナからニコメディアに逃れ,当地の主教エウセビオスの支持と地方会議の同意を背景にしてアレクサンドロスと対抗するに至った.この頃,帝国の東方諸州を制覇しつつあったコンスタンティーヌス帝は事態を重く見,324年にその宗教顧問官であるスペインのコルドバの主教ホシウスに調停を求めるがホシウスの試みは失敗に終り,ホシウスの進言に従い翌年総会議を開くこととなった.総会議の公式記録が残されていないため経過は明らかではないが,300名ほどの主教が,皇帝の開会宣言の後,ホシウスないしはアンテオケの主教エウスタティオスが議長を務めた.出席主教のうち,ホシウスを含む4—5名のみが西方からの参加であった.立場の上では,ニコメディアのエウセビオスを代表とする少数がアリオス派で,それに対抗する有力な正統派にはアレクサンドロスとその秘書として活躍したアタナシオス,エウスタティオス,ホシウスなどがおり,両派の中間に位置する穏健派には,アリオスにも同情的なオリゲネス主義者でカイザリアの主教エウセビオスに代表される多数がいた.当初アリオスは自説を弁護し一部の主教の賛同を得たが結局退けられ,また,ニコメディアのエウセビオスにより提出されたアリオス主義の信仰告白に至っては衆目の中で破棄された.その後,カイザリアのエウセビオスがその教会の洗礼式用の信仰告白を議場に提出し,またエルサレム教会やアンテオケ教会の式文も提出された.経緯は定かではないが,御子と御父を「同質」(homoousios)とするニカイア信条が正統的信仰告白として会議で採択され,三位一体論の歴史的確立を見た.この信条への同意の署名を最後まで拒否した2名の主教はアリオスとともにイリリクムに流罪に処せられた.このほか,会議は復活祭(節)を春分に次ぐ満月後の最初の日曜日に統一して論争に終止符を打ち,教会戒規に関する20項の法規を制定した.<復> 2.教理的背景.<復> ニカイア総会議において確立された三位一体の教理は,その用語に関する限り聖書の中に見出されるものではないが,原初からキリスト教信仰の根本にかかわるものであった.それは,弟子のペテロがイエスに対し「あなたは,生ける神の御子キリスト」(マタイ16:16)と告白し,使徒たちがイエスを「主,キリスト」(使徒2:36)と呼び,初代教会がイエスを神として礼拝して以来,旧新約聖書を貫く唯一神教の枠内で,御父と御子,しかも受肉により人となられた御子との関係を明らかにするという三位一体論的課題は,キリスト教本来のものであったからである.確かに,聖書の証言には,一方で御子と御父との「同一」を示唆する多くの聖句があり,そこから古代教会は御子に御父と同等の神的称号を帰してきた.しかし,他方でイエスのバプテスマ(洗礼)や復活を機に神が彼を御子とされたとする「養子」関係を示唆するような聖句(例えばマタイ3:17.参照詩篇2:7,ローマ1:4)があり,そこから御子を御父に従属する下位の存在とする従属説への道が可能となる.事実,ニカイア総会議の三位一体から451年のカルケドン総会議において一応の結着を見たキリスト二性一人格までの教理はオーリゲネース(オリゲネス)の哲学・神学上の用語を用いて形成されたのであるが,そのオーリゲネースの思想には,御子を御父からの「永遠の発生」(eternal generation)とする立場と明らかに従属的に御子を位置付ける立場との両方が見られた.アリオスはオーリゲネースの後者の立場を継承し発展させたと思われる.例えば,旧約聖書箴言の証言(8:22—31)からアリオスは御子を「最初の被造物」であり,よって「御子が存在しなかった時があった」として御子の有始性と御父との異質性を主張した.アリオスの主眼は,御父のみが唯一,永遠であるとして神の超越性を強調することにあった.しかしその説が正しいとすれば,見返りとしてキリスト教は神ならぬ救い主を礼拝する結果,多神教か偶像礼拝に陥ってしまい,唯一神教から逸脱せざるを得ないという矛盾を犯すことになる.まさにこの点で,ニカイア総会議はアリオス(アリウス)主義を退けて三位一体論を樹立せざるを得なかったのである.とりわけ,反アリオス主義の先頭に立ったアタナシオス(296年頃—373年)は,318年頃の著作De Incarnatione(「受肉論」)において創造神と救済神の同一性という観点からロゴス・キリスト論を展開した.すなわち,御父のロゴスとしてのキリストは創造のわざに参加した創造神であり,また,宇宙を創造した者のみが人間を罪から救う救済神たり得るとした.これにより,御子を御父と「同質」と見なす告白のみが,キリスト教信仰を多神教と偶像礼拝の汚名から救い得るとしたのである.<復> 3.ニカイア信条.<復> ニカイア総会議が採択した信仰告白は原ニカイア信条とも呼ばれ,教会では使徒信条と並び重視される.使徒信条が「我は信ず(Credo)」と一人称単数であるのに対し,この信条は「我らは信ず(Credimus)」と一人称複数を主語としている.その構成は,三位一体の御父,御子,聖霊に関する3部とアリオス主義に向けたアナテマ(呪咀)の最終部から成る.御父と聖霊に関する第1と第3条項が簡明であるのに比べ,当然ながら第2条項は長く,また意義深い.第2条項の核心とも言える前半部は次のように告白する.「また我らは,主イエス・キリスト,神の御子,御父より,すなわち御父の本質よりただ独り生れたるもの,神より出でたる神,光より出でたる光,真の神より出でたる真の神,造られず,御父と同質なる御方を信ずる」(『信條集』前篇,新教出版社〔一部執筆者加筆〕).特筆されるべき二つの表現が総会議により草案に加筆されていると言われる.その第1は「すなわち御父の本質よりただ独り生れたるもの」であり,コンスタンティーヌス帝あるいはホシウスの要請を契機として加えられたと言われる.これは,御子を「他のすべての被造物とは区別される完全な被造物」とするアリオス説を全面的に否定する目的を持つ.その第2は有名な「同質」で,御子を御父とは異質とするアリオス主義に対する象徴的表現である.最終部は信条としては異例とも言えるアナテマで,名指しは避けているがアリオスの主張である御子の相対的先在性,無からの被造性,御父との異質性,道徳的改変性などが,公同教会が呪咀する謬説として要約されている.この部分の存在そのものが,アリオスが提起した問題の重大性を物語るものである.ただし一般にニカイア信条として広く知られるようになるニカイア・コンスタンティノポリス信条が呪咀を欠いているように,後に取り除かれた形で用いられるようになる.<復> 4.後史.<復> ニカイア総会議がどのように終結したかは定かではないが,会議はニカイア正統主義への忠誠のしるしとして信条への署名を出席者に要請した.カイザリアのエウセビオスを初めとする穏健派オリゲネス主義者は署名したが,彼らのキリスト論が信条が表明するものに変えられたというよりは,アリオスとニカイア正統主義との中間的な立場にとどまったにすぎないと思われる.また,これまでアリオスを支持してきたニコメディアのエウセビオスも遅れてではあるが署名し,アリオスと2名の主教のみが皇帝の威光を恐れず,良心に従い署名を拒否した.その後,ニカイア信条は皇帝の名において全教会に向けて宣明されたのである.とはいえ,この総会議の重大な意義は,本来論理をもってしては明白にしきれず,また,一見矛盾と思われる要素を含むところの奥義的な教理と言える三位一体論を,教会の存亡を賭した信仰告白として確立し,それをもって多神教や偶像礼拝に陥る危険性に対する最後の防波堤としたことであろう.この意味において—これ以降キリスト教会は三位一体論,キリスト論において多くの異説を経験することとはなるが—聖書に立ち,正統信仰を志向する教会が常に回帰すべき原点としての意義を,今日においても持っていると言える.→コンスタンティノポリス総会議,三位一体・三位一体論争,キリスト論論争,信条・信条学,教会会議.<復>〔参考文献〕『信條集』前篇,新教出版社,1955;Lonergan, B., The Way to Nicea, Westminster, 1976 ; Kelly, J. N. D., Early Christian Creeds, Longman, Green & Co., 1950.(丸山忠孝)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社