《じっくり解説》マルクス主義とキリスト主義とキリスト教とは?

マルクス主義とキリスト主義とキリスト教とは?

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マルクス主義とキリスト主義とキリスト教…

ソ連共産党にゴルバチョフ書記長が登場した1985年以来始まったペレストロイカ(再編成)は他の共産主義諸国にも激動を呼び起した.特に1989年にはポーランドに「連帯」の首相を生み,ハンガリー複数政党化,チェコ68年改革の再評価,そしてついに11月ベルリンの壁の崩壊・東ドイツの民主化,さらにはルーマニア政変となだれを打つような激変を東欧にもたらした.1989年6月天安門事件でこうした「民主化・自由化」を拒否した中国に北朝鮮やキューバ,ベトナムなども同調しているものの,共産主義国の地図が大きく塗り変えられつつある.ソ連東欧諸国が西欧日米の資本主義を高く評価し,市場経済と複数主義・民主主義を規範とさえ見なすという状況の中で,資本主義の根源的な批判を企図したマルクス主義という思想自体がその意義を問われるのも当然であろう.直接的には政治的世界のこととはいえ,これら共産主義国の政権を独裁的に掌握してきた共産党は史的唯物論という世界観に立脚するマルクス主義をその思想的拠り所としてきたからである.東欧規模での政治的民主化・自由化の成功は共産党一党独裁制としての共産主義の敗北にとどまらず,その基礎にあるマルクス主義そのものの敗北と同一視されるのも自然である.マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』(1848年)で明確な姿をとり,金融資本・帝国主義の批判者としてソビエト・ロシアで政権を握り(1917年),第2次世界大戦後はほとんど半地球規模にまで拡大したマルクス主義は,20世紀の終了の前にも資本主義に敗北し,今や1世紀半にして早くも衰退過程に入った一思想にすぎないのであろうか.それとも敗北しつつあるのは,スターリン主義と呼ばれるある種のマルクス主義,病的な肢に限定されていて,民主と自由の中でこそユーロコミュニズムが主張してきたごとき,近代市民社会の諸原理を備えつつしかもそれを乗り越える高度な真のマルクス主義といったものがヨーロッパ的社会民主主義などとして発展しようとしているのであろうか.キリスト教が今日極めて多岐にわたると同様マルクス主義も今日かなり広い幅があり,レーニン,スターリン,毛沢東,カストロ,ゴルバチョフ等その指導者らはいずれもマルクスを基礎としつつも多少とも独自の思想展開をしているのである.しかしここではどこまでをマルクス主義と見なすかという限定を余り厳格に行うことは避け,ただできるだけマルクス・エンゲルスにさかのぼりつつ全体に共通する思想上の特徴をマルクス主義としておくことにする.<復> さて無教会の熱心なキリスト信徒でありまたマルクス経済学にも造詣の深かった矢内原忠雄に『マルクス主義とキリスト教』という著作がある.これは日本でもマルクス主義が盛んになっていた1928年頃から書かれ1931年に発行された「キリスト教弁護論」であるとともに「キリスト教の自己批判の書」でもあった.矢内原はこの中でマルクス主義を的確に把握しており今日にも充分通用する分析をなしていると思われる.すなわち矢内原は「マルクス主義の思想的体系としての特色は第1に唯物的たること,第2に社会的たること,第3に歴史的たること」(以下引用は『矢内原忠雄全集』第16巻から)と指摘し,「物質をもって存在の根源となすが故に,もちろん神を否定し,霊魂を否定する」「社会の害悪の根本原因もまた社会組織にあるが故に,害悪の除去の根本方策は境遇の改革にあり,境遇改革の根本方策は社会革命にありとなす」と特徴づけている.境遇は社会環境である.無神論と原罪論の欠如が指摘されている.しかし冒頭に記した共産圏の崩壊の時代ではなく,初の共産党権力の国ソ連邦ができ,第1次5か年計画,計画経済が始まった時代であった.青年たちは「すべてを統一する唯物的一元論の世界観」にひかれただけではなく,マルクス主義者が「その主義に対する忠実,その理想に対する不撓の熱誠,その実行に関する勤勉努力」をする点にもひかれていったのである.彼らがマルクスの著作を研究するその熱心がキリスト教会の聖書研究にもほしい,と矢内原は述べている.ピリピ4:8を想起させる.マルクス主義とキリスト教の歴史観の外形上の類似は意外に大きい.が,「その外形の類似すればする程これを反キリスト的史観なりと言わねばならない.そは偽キリストはその外観最もキリストに類似するものなるが故である.しかして聖書の歴史観は唯物史観に比して遙かに深刻であり透徹せるものである」.唯物史観は物質的条件が歴史の原動力なりと言うが歴史の原動力は神である.また階級闘争の終結により人類社会完成化があると言うが,「階級の撤廃をもって直に富の無限の生産ができる保障はなく,社会の富が有限ならば人々の間にこれが分配に関する闘争が起りて再び階級を成立せしめるであろう」.新しい階級かどうかは議論が分れるが,共産国でノーメンクラツーラと呼ばれる党・行政官僚が支配権をふるってきたことは今日では周知のところであろう.「創造論」「終末論」の欠如も思想的欠陥として指摘されている.<復> 真理論でキリスト教は絶対的真理としての神の実在に立脚する絶対主義とキリストの十字架という客観主義に立つが,エンゲルスの『反デューリング論』,レーニンの『唯物論と経験批判論』などでは真理は相対主義的にしかとらえられていないと批判する.ここでキリスト教の客観主義という点は重要な事柄である.『聖書』は一つの客観的なものだからである.道徳論でもカウツキーの「一定の道徳律は一定の社会的諸条件を反映するもの」でその条件は「経済的理由によりて変遷する」との相対主義がマルクス主義にはあるが,矢内原は「人間の霊性」を指摘し,「道徳の完全なる実現は罪よりの解放によりてのみ可能である」とし,生産の豊富化,私有財産制の消滅で道徳は来らず,「憎悪嫉妬傲慢不信等一切の意志の欠陥が経済的生産力の発達によりて除去せられうべしとは,余りにも道徳的苦悩の経験に乏しき空想的楽観論ではないか」とする.矢内原がこう書いていた頃もソビエトではスターリン時代という恐るべき権力による暴力の時代が美辞麗句の陰で進行していた.とりわけ階級犯罪・政治犯を最大の犯罪と断じたソ連では,『収容所群島』の中でソルジェニーツィンが詳しく描いたように彼らは一般の犯罪者の食いものにされたのであった.「暴力は新しい社会を産み出す助産婦である」とマルクスは喝破したが,ロシア革命は犯罪を激増させ(長谷川毅『ロシア革命下ペトログラードの市民生活』中公新書,1989),階級絶滅のためと称して権力をかさに着た暴力はスターリン時代のソビエトを覆い,何百万,何千万の犠牲者を出していた.<復> 自由論でも,「自由とは必然の洞察」というヘーゲル命題の新解釈によるマルクス主義自由論は,摩擦火から蒸気機関へという技術的発達を人間の精神的発達と見間違えた「蒸気機関製自由」と矢内原は皮肉り,個人の罪からの解放・道徳的自由が社会に関する自由より重要であると論じる.「社会的環境改善の現世主義的人間中心運動」を重視するマルクス主義に対し「キリスト教の根本的存在理由は制度の改革にあらずして罪の赦しである.従って社会制度の変遷に対してキリスト教の立場はむしろ中立的無関心的である.…たましいの救いは一切の社会改革の原動力を供する,故に根本的である」.病床においてすら祈りをもって神の国実現のために働くことができる.<復> ただし矢内原は,教会が支配階級の走狗となることを厳しく戒めている.ルカ7:25であろう.「階級闘争」「唯物史観」「弁証法」「革命論」「キリスト教批判」等の項目を論じて「その主張は神を否定し人智に信頼する人間中心であり,霊を否定し物質的利益を主眼とする唯物論であり,来世を否定し現世的利益を唯一とする現世主義である.原理においてキリスト教の正反対である」と結論する.そして「キリスト教は本来の面目を発揮すれば即ち足る」と言うのである.<復> 今日と異なり,いわばマルクス主義が日の出の勢いともいうべき時代にこれほど明確・詳細に思想的批判が日本のキリスト者によって展開されていたことを見逃してはなるまい.<復> ペレストロイカ下のソ連ではスターリン批判から発展し,例えばア・ツィプコ「スターリン主義の源泉」(「科学と生活」1988年11月号—89年2月号所収)のように,マルクス主義の「暴力肯定」「農民小ブルジョワ規定」「純粋な人間,純粋な社会への信仰」「未来の偶像化」などを批判する動きなども現れている.こうした自己批判がどこまで徹底するかはまだ不明確だが,マルクス主義の「人間中心主義」が人間の原罪を無視したがゆえに生じた「理想社会」とされたものの真の実態の批判は当分続くことであろう.<復> もともとマルクス主義は,イギリスの国民経済学,ドイツのヘーゲル哲学,フランスの労働運動思想を綜合したものだ(レーニン)と言われる.『資本論』に結晶したマルクスの経済学は,マルクス主義という思想とは一応別個のものとして評価しようという宇野弘蔵の理論などがどう扱われるべきかは残された課題であろう.しかし,ペレストロイカ推進派の批判してやまぬ中央集権・指令型の計画経済が商品,貨幣,市場を排除し,企業を省庁の支所とし自主性を奪ったところに今日のソ連の産業構造の立ち遅れ,経済停滞の原因があるとするならば,彼の経済理論自体の批判も免れないし,繰り返した「東欧の反乱」の背後にあった「市場的社会主義」論がすでに指摘していたマルクスの貨幣軽視,労働疎外の恒久性,市場軽視などを合せて根本的再検討がなされざるを得ないであろう.この経済理論を含め,マルクス主義は一つの歴史的思想であったということになるのであろう.(→コラム「宗教はアヘン」),→経済とキリスト教.<復>〔参考文献〕矢内原忠雄「マルクス主義とキリスト教」『矢内原忠雄全集』第16巻,岩波書店,1964.(中山弘正)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社