《じっくり解説》実践神学とは?

実践神学とは?

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実践神学…

実践神学([英語]Practical theology)は,教会にゆだねられている極めて広い実践的分野を原理的,方法論的に取り扱う神学の部門である.それは神の宣教のわざとしての伝道と教会形成に関係する神学的理解と方法論の確立,と言い替えてもよい.すべての神学的営みは本来,この神のわざに仕えるものである.それゆえに,実践神学は教会の使命の本質に関するものであり,あらゆる神学諸学科はここに向けて形成されなければならない性質を,本来的に持っているのである.しかしながら,実践神学と他の神学部門をこのように有機的,生命的にとらえることが不足していた現実を,率直に認めなければならない.原理あるいは理論と実践を対立的にとらえる傾向を,ここにも見ることができる.その結果は,“理論ではない,実践だ”というとらえ方に偏向し,他の神学諸部門が実践神学の中に生かされない弱点を,克服すべき課題として持っている.従って,聖書神学,歴史神学,教義学(組織神学)などの生産的営みが,必然的に実践神学の分野を活性化し,開拓しなければならない.こういう,聖書の真理の全体的,組織的把握が明確な実践の理論と方法論の確立に結び付く生きた例を,プロテスタント諸教派において最も広く用いられていると言える,カルヴァンの『キリスト教綱要』に見ることができるだろう.彼においては,実践神学などと改めて言うまでもなく,まさに神のわざとしての宣教と教会形成のわざにこそ,すべての神学的営みが目標とされ,そこに生命的に組み込まれているのである.第4篇はその実践神学篇と言うことができよう.本来,聖書の世界には,理論と実践の分離というようなことはどこにもないのである.神の行為そのものが深い熟慮と計画に基づくものであり,聖書はその冒頭から神の行為で書き始められている.<復> 他の神学諸部門,特に教義学の旺盛な活動のあるところに,それを宣教と教会形成のわざに具体化する実践神学部門の生産性へとつながっていくことが見られてきた.その一つの例は,教義学者K・バルトの活動とE・トゥルナイゼンの実践神学部門での活躍の結び付きに見ることができる.このことは,トゥルナイゼン自身がその著『牧会学』(日本基督教団出版局)における序文で記している.<復> こういう原理的な探求を裏付けとする実践でない限り,教会のわざとして共有化することができず,神中心のわざとしての宣教と教会形成の動機と目標を見誤らせることが起りかねないのである.<復> 聖書の世界は徹底して神中心を貫くが,人間を排除するどころか,徹底した神中心の原理によってこそ,滅びるほかはない罪人なる人間が確実に救われ生かされる道が確保されていることを明らかにしている.神は受肉されるほどに,徹底して人間の世界に立ち入り,その悲惨を背負いたもうた.この,御子によるわざに基礎付けられている福音に仕える者として,教会は,この世への宣教と教会形成のわざに,実践神学の領域で全体的に取り組むことが求められている.<復> 実践神学には次のような項目が考えられる.宣教学(伝道学),牧会学,キリスト教教育学,説教学,典礼学(礼拝学),教会政治学などであるが,さらに牧会カウンセリングなどのような項目に分けられる場合もある.<復> 近年これらの中で特に盛んになってきたものに,宣教学と説教学を挙げることができよう.<復> 初めに,宣教学についてであるが,日本語の「宣教」と「伝道」は今日までほぼ同じ意味で用いられてきた.「福音宣教」とも「福音伝道」とも呼ばれる.しかし英語圏ではmissionを「宣教」あるいは「派遣」という意味で,evangelism(伝道)より広くとらえる考えがある.世界的な福音派陣営のリーダーの一人であるJ・ストットも,「宣教」が福音伝道と社会的責任あるいは執事的奉仕とを合せたものである点を強調している.また,missionとmissionsのように単数と複数で区別し,前者を神の活動そのものとしての「宣教」の意味で,後者をある時と場所で行われる特定の形の「伝道」の意味で用いる者もある(J・H・バーヴィンク).宣教学が注目され,関心を集めるようになった背景として,今日まで西洋諸国によってなされてきた海外宣教の対象国であった国々の大部分が第2次大戦後独立し,それによる急激なナショナリズムの高まりの中で,それまでの宣教論,姿勢が根本的に問われるようになったことが挙げられる.さらには世俗化の急速な広まりの中で,様々な挑戦を受けて,宣教を根本的に考え直さざるを得なくなったということがある.<復> このような背景の中で,最も大胆な姿勢と方策を打ち出したのがローマ・カトリックであると言えよう.特に第2ヴァチカン公会議(1962—65年)以後,対話路線,つまり関係の面を重視する宣教論へと転化している.その結果は,諸宗教の中にもその真実な求道のゆえに,無自覚ではあってもまことの神にまで至っている者たちがある,とさえ認めるに至った.<復> このような宣教論に対して,福音主義陣営はどうであろうか.キリスト教と異教を,光と闇,救いと滅びという明確な対立図式でとらえることによって,一方ではキリスト教の絶対性を確保してきたのであるが,他方では異教あるいはこの世に対して対決,孤立という結果をもたらし,宣教の接触点を見失ったという点も,見逃してはならない.堕落のゆえにこの世は神に敵対しているのであるが,それにもかかわらず,神に造られたものであるゆえに,依然として神との関係を持っている.神のかたちに造られた人間(創世1:27)の内には,宗教の種子,あるいは宗教心と言われるものが存在する(伝道者3:11).もろもろの異教的偶像崇拝や極端な享楽主義の中にすら,神を離れた人間の,内面的なむなしさを満たそうとする欲求を見なければならない.対立関係だけでは解決できない,宣教の問題の全体性をとらえるためにも,関係の面をも見ていく必要がある.聖霊のわざが行われる時,神のかたちに造られた者としての人間の本性,宗教心は,真の神礼拝へとつながっていく.関係の面を強調する対話路線はキリスト教の絶対性を見失わせ,相対化への道をたどる危険性をはらんでいるが,それに対して対立の面だけを見ていくなら,この立場は孤立化の道をたどり,接触点を見失うことになる.関係と対立の両方を見据えた宣教論の全体的構築が求められる.このような全体的視点を確立していなかったため日本のキリスト教は,伝道の対象である宗教や思想あるいは生活の理解のための努力が十分であったとは言いがたいのである.実践神学の領域で,宣教学を取り上げただけでも,その課題の大きさが示される.<復> さらには,宣教の中心を占める説教の問題を取り扱う「説教学」においても,他の神学部門を結集した取組の必要を迫られている.宣教の壁を外に見ることは大切であるが,福音理解そのものが説教という行為を通してどのように具体化されていくか,という大問題を避けて通ることはできない.説教学こそは神学諸学科が総合的に動員されるべきものと言えよう.そのことはまた,説教という営みのためにこそ,すべての神学は営まれると言い替えることもできる.そういう意味で,説教の神学が根本的に必要であることをわれわれに教えてくれるものとして,R・ボーレンの『説教学』(日本基督教団出版局)は注目すべきものと言えよう.説教が単なる技術の問題ではなく,説教の貧困とは説教について神学することの貧困であることを痛感させる.実践神学の分野で今後,説教学に真剣に取り組むことによっても,宣教の問題の重要な部分に光が当てられるだろう.<復> 次に,牧会学の分野で関心を高めているものに,「牧会カウンセリング」がある.高度に技術化された近代社会では,人間が健全な生を営むための条件が失われがちである.失われ,歪められた人間性の回復,形成のために専門的な助力を必要とする者たちが増えている.この分野が一方では心理学を過度に援用した人間中心主義に向かうことへの警戒から,消極的な立場に立つ者もあるが,生きたキリスト教信仰へと成長させることによって健全な生を回復させるカウンセリングのあり方も,真剣に研究され,開拓されつつある.<復> さらには,生と死との問題を医療との関係で取り組むホスピスの問題が,注目を集めるに至っている.<復> 礼拝の問題も,戦後欧米の教会で盛んになったリタージカル・ムーブメント(カトリックへの反動から礼拝形式の単純化をもたらし,礼拝の生命的な要素まで見失わせてきたことへの反省から起きた)から起ったものである.日本の教会もその影響を受けたが,全体的な関心とはなり得なかった.日本のプロテスタントの歴史そのものが,講義所という名で集会を持つことがあったように,伝道的であることと礼拝形式とを対立的に考える面が強かったことにも原因があったと考えられる.J・G・デーヴィスが『現代における宣教と礼拝』(原題Worship and Mission,日本基督教団出版局)において,宣教と礼拝の一致を強調している面は示唆に富んでいる.礼拝を目指さない宣教はあり得ず,宣教へと向かわせられないような礼拝もあり得ないということである.三位一体の神は実に礼拝と宣教の神である.世界宣教はもとより,日本宣教の前進のために,実践神学の課題はまことに大きい.→神学諸科解題,宣教学(伝道学).<復>〔参考文献〕神田健次他編『総説実践神学』日本基督教団出版局,1989;宇田進編『ポスト・ローザンヌ』『神の啓示と日本人の宗教意識』(共立モノグラフNo.2, No.3)共立基督教研究所(いのちのことば社発売)(1987,1989).(入船 尊)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社