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《じっくり解説》史的イエスの新しい探究とは?

史的イエスの新しい探究とは?

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史的イエスの新しい探究…

近年,新約聖書の「非神話化論」で話題となったブルトマンは,1926年,『イエス』の中で,「われわれは今やイエスの生涯と人格についてほとんど何も知ることはできない」と宣言した.降って1941年の論文「啓示と救いの出来事」の中でも,復活の主はケリュグマ(宣教のことば)においてわれわれと出会うのである.もしも人がその出会いの正当さを実証する目的で,その根拠としてケリュグマの史的起源を探り当てようとするならば,その人は重大な誤りを犯すことになる.というのは,そのような試みは,〈信仰のみ〉の大原則を棄てて,神のことばに対する信仰を人間世界の事柄に依拠させることになるからである,と主張している.このような史的イエスに対する懐疑主義と,信仰をひたすら実存的にとらえようとする立場は,1960年の講演「初代のキリスト教ケリュグマと史的イエスとの関係」の中でも確認されている. ブルトマンが以上のような立場をとるようになった背景には,次の要因が働いたと見られる. (1) 1901年に出版されたヴィリアム・ヴレーデ(1859—1906年)の『諸福音書におけるメシヤの秘密』は,当時イエス伝構築のための最後の拠点と考えられていたマルコの福音書の史的信頼性を全面的に否定し,それを一つの編集された教団神学にすぎないと結論した.ブルトマンは,この著作を1930年までの福音書研究のうちで最も重要なものと評価している. (2) 1906年,アルベルト・シュヴァイツァーは『ライマールスからヴレーデまで』と題するイエス伝研究史の中で,今までのイエス伝構築の試みは,イエスを取り巻いていたユダヤ黙示思想の終末論を見落し,みなそれぞれの研究家が抱いていた近代的な理念や理想の中にイエスをはめ込んでしまったカリカチュアにすぎないと断定した.ブルトマンは,この著作を当時のイエス伝研究の終焉を告げる歴史的な書と見ている. (3) ブルトマンは,1892年に出版されたマルティーン・ケーラーの『いわゆる史的イエスと歴史的・聖書的キリスト』から二つのことを相続した.一つは,新約文書はイエスに関する史的報知ではなく,復活後の初代教団が生み出したケリュグマ文書,つまり,宣教上の証言文書であるということ.もう一点は,史的イエスから区別される「ゲシヒトリッヒなキリスト」(geschichtlicher Christus).今ここで実存的に出会い,その瞬間に行為したもう生けるリアリティーとしてのキリストという考えである. (4) 神学的,信仰論的な要素—弁証法的神学は,「歴史は蓋然性以上のものを与え得ない」(トレルチュ)という立場に立って,史的イエスに啓示的信仰的価値をほとんど認めず,キェルケゴール流の実存的キリスト論集中と信仰のみの立場を取り続けてきた.これはまたブルトマンの視点ともなっている. (5) 実存哲学者のマルティーン・ハイデガーは主著『存在と時間』(1927)の中で人間実存の歴史性(Geschichtlichkeit)の分析を展開しているが,彼と親交のあったブルトマンはそれをキリストのリアリティーの主張のための一つの新しい次元を開いてくれるものと受け取った. さて,以上のようなブルトマン神学が到達した史的イエスに対する懐疑論は,やがて彼の学徒たちに彼の神学の再検討を迫る契機となった.歴史的には,1953年,エルンスト・ケーゼマンが「史的イエスの問題」と題する講演の中で,イエスの使信と初代教団の使信との間の実質的な意味での連続性を主張したことが,新しい動きの発端となった.しかし,この新しい探究についてあらかじめ次の点を確認しておくことが大切である. (1) この探究は,伝統的な神学で考えられているような史的イエスとイエス伝に立ち戻ろうとするものではない.それはすでに不可能事に属する. (2) 福音書は徹底してケリュグマティックな文書であるという点において,基本的にブルトマンと一致している. (3) シュタウファーやエレミヤスなどが強調する″新しいパレスチナ資料″,クムラン文書,考古学的地誌学的史料も,あくまで間接的なものであって,イエスの生涯に直接の光を投ずるものではないという点で一致している. 以上の点から,この探究はブルトマンの福音書批評の成果を否定して全く新しい視点に立とうとするものではない.むしろブルトマンの研究を土台として,その上でブルトマンの史的イエスに対する悲観論を批判しつつ一つの新しい次元を開発しようとするものである.具体的には,ブルトマンに倣って,様式史的方法によって確認されたケリュグマに焦点を合せる一方,ブルトマンのようにことごとくすべてはケリュグマに始まるとは考えない.彼らは,ケリュグマにおいて有意義とされた歴史のイエスを,ケリュグマを手がかりとして探究しようとするのである.実際,この探究の提唱者たちが,「アンティ・ブルトメニヤン」と呼ばれず,「ポスト・ブルトメニヤン」と呼ばれているのは,そうした事情によるものである. では,この新しい探究のポイントはどこに見出されるのであろうか.ケーゼマンは″イエスの使信″とケリュグマとの間の連続性にポイントを絞り,教会の宣教を通して宣べ伝えられる主が,史的イエスの使信と連続性を持っていると考えた.一方,エルンスト・フックスは『史的イエスに関する設問』(1956)において,ポイントをケーゼマンのようにイエスの使信にではなく,″イエスの行為″に置いている.取税人や罪人を招いて終末論的な食事を持ったというイエスの行為の中には,原始教団のケリュグマにおいて「あらわになった」イエスの人格に対する終末論的理解が「秘められている」と説かれる.こうした動きの中でギュンター・ボルンカムは『ナザレのイエス』と題するブルトマン門下としては最初の″イエス伝″を著した. この新しい探究にアメリカから参加したのが,バルトとブルトマンのもとで学んだ新約学者ジェイムズ・ロビンスン(南部長老教会に属していた福音派の神学者ウィリアム・チャイルズ・ロビンスンの子息)である.彼は『マルコにおける歴史の問題』(1957)の著者でもあるが,1959年に『史的イエスの新しい探究』を著しこの探究に加わった.ロビンスンの論点は何かと言えば,復活後の教団のケリュグマがあかししている人間の実存的な自己理解(Ⅰコリント4:8‐13,15:3‐5,Ⅱコリント4:8‐12,6:8‐10,ピリピ2:9‐11,Ⅰテモテ3:16,Ⅰペテロ3:18‐22等)と,新約聖書の中から摘出される真正にイエスのものと考えられることばのうちにあかしされているイエスの自己理解(マタイ4:17,18:3,21:31,ルカ6:20以下及び24以下,11:20等)との間に,構造上,意味上の連続性を見出そうとするものである.そしてこの点を確立することによって,ケリュグマのキリストがいかなる具体的規定性をも失って「単に一つの想像上の点」,あるいは「一つの心理的なファンタジー」へと転落することを防ぎ,合せて実存論的キリスト教は結局一種の非歴史的グノーシス(超時間的な霊的神秘的覚知)もしくは一種の観念論ではないか,という批判に答えることができると考えられている.ところで,このロビンスンとブルトマンとを比較してみると,両者は共にケリュグマ神学の伝統に立ち,実存史と実存主義的人間論という同一の枠組みの中にあると言える.もし両者に差異があるとすれば,ブルトマンの場合,ケリュグマのキリストが出会いにおいてわれわれに″本来的実存″(救いの中にある実存)をもたらすわけで,そのキリストに対してイエスの占める位置は,そのような本来的実存を内容とするメッセージの″一人の担い手″もしくは″一人の使者″にすぎない.この場合,その担い手がナザレのイエスという特定の存在ではなくて,どこかの他の者であってもさしたる問題にはならない.これに対しロビンスンの場合,ブルトマンにおけるグノーシス化を避けようとして,イエスは単に本来的実存のメッセージの担い手にとどまらず,実は御自身の実存が本来的実存の具現化そのものであると考える点にあると言える.今後の問題として,実存史の是非問題と,福音書の性格規定及び史的評価の問題はさらに一層の検討を求められているように思われる.〔参考文献〕竹森満佐一編『イエス伝研究をめぐって』日本基督教団出版局,1970;F・F・ブルース『イエスについての聖書外資料』教文館,1981;Henry, C.(ed.), Jesus of Nazareth, Eerdmans, 1966 ; Marshall, I. H., I Believe in the Historical Jesus, Eerdmans, 1977 ; Morris, L., Studies in the Fourth Gospel, Eerdmans, 1969 ; Stonehouse, N., Paul Before the Areopagos and Other New Testament Studies, Eerdmans, 1957 ; Klooster, F., Auests for the Historical Jesus, Baker, 1977 ; Kistemaker, S., The Gospel in Current Study, Baker, 1980 ; Wells, D., The Person of Christ, Crossway Books, 1984.(宇田 進)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社
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