《じっくり解説》聖書本文(新約)とは?

聖書本文(新約)とは?

聖書本文(新約)…

新約聖書を構成する各文書の原本(オートグラフィ),すなわち原著者の肉筆原稿はいずれも失われている.現在残っているのは,筆写された写本だけである.写本は,部分的なもの,断片的なものをも含め多くの数に上るが,そこには無数の相違がある.写本の間の異同を詳細に比較検討し,厳密な校訂作業を経て原初の姿に到達しようとする学問的な営みを,本文批評学と呼ぶ.本文批評学によって復元されたものを聖書本文と言う.<復> 1.本文批評の資料.<復> (1) 写本.例えばパウロがガラテヤ地方の諸教会に書き送った手紙は,彼が口述筆記させたものである.終りに近いところにパウロ自身の手による署名がなされ(ガラテヤ6:11),自筆の追伸がそれに続いている.同じ手法がⅠコリント16:21,Ⅱテサロニケ3:17,コロサイ4:18などに見られる.ガラテヤの諸教会にあてられた手紙は一通だけでなく,複数の写しが造られて届けられたと理解するのが順当である.原著者の肉筆文書が初めから存在しない例はほかにもある.原筆があったと十分に考えられる場合でも,その原本はすでになく,あるのは写字生によって時代を経て書き写されてきた写本だけである.古代の文献は,聖書に限らず写本によって伝えられたのであり,そのような事情の中で新約聖書の写本が他の文書と比べておびただしい数に上ること,また断片ではあるが2世紀初頭にまでさかのぼり得る写本があることは,特筆に値する.この事実を,「ウェストミンスター信仰告白」は次のように明言している.「(昔の神の民の国語であった)ヘブル語の旧約聖書と,(しるされた当時,最も一般的に諸国民に知られていた)ギリシャ語の新約聖書とは,神によって直接霊感され,神の独特な配慮と摂理によって,あらゆる時代に純粋に保たれたので,確実である」(1章8節).<復> 古代の書物は一般に大文字の活字体で書かれた.新約聖書写本の中で小文字のものが現れるのは,8—10世紀のことである.B・M・メツガーによれば,大文字写本の数は266,小文字写本の数は2754,合計3020である.パピルスに書かれた部分的な写本及びギリシヤ語の朗読用聖句集を合せると,写本の総数は5千を超えると言われる.<復> a.大文字写本.大文字だけを用いる場合,語は切れ目を設けずに続けて記され,句読点を打つこともしない.アクセント記号が付けられることもない.新約聖書の主要な写本は,シナイ写本(4世紀),アレキサンドリア写本(5世紀),ヴァチカン写本(4世紀),エフライム写本(5世紀)であり,これらはいずれも大文字写本である.シナイ写本には新約聖書の全体が収められている.他の写本も,数個の文書を欠くものの,ほぼ全部を含んでおり,本文確定上重要な資料となっている.<復> b.小文字写本.大文字写本に比べるとその数は多いものの,8—10世紀から15—16世紀にかけて作られたものであるため,大文字写本あるいはそれよりも古いパピルス写本に等しい価値は認められていない.<復> (2) 古代語訳.本文確定に当りギリシヤ語写本に次いで重要なのは,2—10世紀にわたる諸種の古代語訳である.最も古いのはシリア語訳であり,2世紀半ばまでさかのぼることができる.ラテン語訳も2—3世紀には現れており,北アフリカ,北イタリアなどに広く流布され,4世紀の終りにはヒエローニュムスによりウルガタ訳が行われた.これが後に西方教会の公認本文となった.このほかコプト語訳(3—7世紀),エチオピア語訳(6世紀)などが挙げられる.古代語訳が重要視されるのは,翻訳の底本となったギリシヤ語原文の校訂前の姿を残しているためである.古代語訳の多くが,ギリシヤ語からの直訳の形をとっていたことが,ギリシヤ語本文の復元を助ける役割を果したと言える.<復> (3) 朗読用聖句集.毎日の朗読に当てられる聖書の章句を集めた日課聖句集は,写本や翻訳と並んで本文研究の大切な資料となっている.それはこの聖句集に収められている箇所が,極めて古い本文を保存しているからである.聖句集写本の数が2千を超えるという事実も,本文研究の上で重い意味を持っている.聖句集には,福音書からとったものと,使徒の働き・パウロ書簡・公同書簡からとったものがあり,新約聖書のほぼ全体にわたっているという意味で価値が高い.<復> 2.本文批評の実際.<復> 「批評」ということばは,その語が本来持っている意味から離れて,破壊的な印象を与えるものとして響いてきた嫌いがある.しかし,聖書の研究は本来厳密な意味で「批評」的でなければならない.この態度は,本文研究についてだけではなく,聖書の全内容を歴史の進展の枠組みの中で文献的に研究する場合にも貫かれるべきである.「批評」に当る英語「クリティシズム」(criticism)は,ギリシヤ語「クリノー」から来た.これは「分ける」を原義としており,区別・識別・判別・批判・判断の行為を指している.広く聖書批評学という場合,明らかに聖書を「書かれたもの」として見ることが前提とされている.「文書」としての聖書を正しい意味で批評的に研究する営みは,一般に下等(下層)批評と高等(上層)批評に分けられる.前者は聖書解釈の前提作業としての本文批評であり,後者はいわゆる歴史的・文学的(文献的)批評である.<復> 本文批評の実際の作業では,おおよそ次の方法がとられてきた.ギリシヤ語写本,古代語訳は多くの違った読みを反映しているので,注意深い分析を施しながら,幾つかの型に分類する.その場合,古代教父の引用文を有力な証言として考察する.その上で,異なった読みの中で著者の書いた可能性が最も高いと判断されるものを選び出す.一連の作業は複雑を極め,細心の注意を要する.時代を経て筆写されたものには,当然書き間違いが入る.例えば,単語を間違って区切る,見誤って一行全部を落す,ある単語を二度重ねて書く,発音の似た語を取り違えて書くなどの無意識の誤りである.このほか,意識的な改変も加わっている.例えば,文法に沿うように,あるいは文学的に優れたものにしようとする意図から文法上の「直し」を施すこと,歴史や教理の上で理解に苦しむ箇所をより理解しやすい形に変えること,共観福音書の間の調和を図ろうとして単語や表現を置き換えることなど,写字生のいわば善意と熱心に基づく「改善」がなされている.本文研究に従事する人々は,よりよい本文に近付くために次の原則を当てはめて,分析の精度を高める努力を重ねている.(1)長い読み方よりも短いほうの読みを採る(写字生は追加する傾向を持っていた).(2)やさしい読み方よりも難しいほうの読みを採る(写字生は難しい構文をわかりやすいものに変える傾向があった).(3)他の読み方の起源を最もよく説明すると考えられる読み方を採る.(4)著者の神学的理解や思想の流れ,表現形式に最もよく当てはまると考えられる読み方を優先させる.これらの原則は本文自体の内的証拠にかかわるものであり,本文の再建に当っては,諸文書を互いに関連させて調べるという,いわゆる総合的な判断が重んじられている.<復> 以上のような実際の作業を経て,最初の新約聖書本文が印刷・刊行されたのは1516年のことであった(エラスムス版).以後,多くの研究と校訂作業が重ねられ,ネストレ=アーラント版を初め各種の版が公にされてきた.聖書協会世界連盟版(修正第3版,1975)は,ネストレ=アーラント版と並んで今日広く用いられているものである.<復> 3.本文批評のもたらす意味.<復> 写本の間に読みの異同があり,本文確定の作業が現在も続けられていることは,聖書を信仰と生活の誤りのない基準であるとする聖書信仰をいささかも弱めるものではない.新約各文書の原本執筆と最古の写本作成の間には,誤りが入り込むに十分な時間があったと言うことができるが,古代の他の文書と比べるとその期間は極めて短い.写本の数が多いこと,その種類が豊富であること,古代教父の証言に支えられていることなどの点からしても,復元された新約本文は同時代の他のいずれの文書とも比較にならないほどの精度を保っている.異なった読みのあることは事実であるが,広く認められているように,その違いは全体の千分の一にも満たない.しかもキリスト教信仰がキリスト教信仰として立つことを脅かすような教理上の重大な違いのないことを,むしろ積極的に評価し,そこに本文批評のもたらす意味を十分に認めるべきである.救いのために知る必要のあることは,聖書の中に明白に書かれているし,救いのために信じる必要のあることも聖書の中に十分に述べられている.聖書の明白性と十分性は,本文批評学によって動かされることはない.<復> 同じような視点から新約聖書の翻訳のことを考えることができる.翻訳にはおのずから限界があるとはいうものの,翻訳された新約聖書が各言語圏の教会で多面にわたって用いられ,聖書自身の持つ神のことばとしての力を発揮してきたことは,神の特別な導きと摂理を抜きにして説明することはとうていできない.同時代の文書の訳本と新約聖書の訳本との決定的な違いはここにある.→聖書批評学,聖書写本,聖書翻訳.<復>〔参考文献〕川島貞雄「新約聖書の言語と本文」『総説 新約聖書』日本基督教団出版局,1981;橋本滋男「新約本文研究」『聖書学方法論』日本基督教団出版局,1979;B・M・メツガー『新約聖書の本文研究』聖文舎,1973;E・F・ハリソン『新約聖書緒論』聖書図書刊行会,1977.(石丸 新)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社