《じっくり解説》アレキサンドリア学派とは?

アレキサンドリア学派とは?

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アレキサンドリア学派…

[英語]Alexandrian School,[ドイツ語]Alexandrinische Schule,[フランス語]I’E´cole d’Alexandrie.アレキサンドリアに始まり,3,4世紀に最も栄え,後世に偉大な神学的遺産を残した学派,アレキサンドリアはローマに次ぐ古代世界第2の都市であった.前332年にアレクサンドロス大王によってエジプトのナイル河口に建設された貿易都市であり,東西交流の中心地の一つとして多くのギリシヤ人やユダヤ人を魅了した.学問的雰囲気も大変よかった.アレキサンドリア図書館は有名のみならず,古代世界の中では最大の蔵書数を誇り,多くの知識人を引き付けた.このようにしてこの古代都市は,ギリシヤの哲学とユダヤ教を初め多くの古代オリエントの宗教や思想があるいは連帯し,あるいは競合する町となった.すなわち,知的生活,一般的生活を問わず国際的な都市となったのである.旧約聖書がギリシヤ語に訳され,70人訳として公刊されたのも,ユダヤ人哲学者フィローンがギリシヤ哲学によってユダヤ教を再解釈したのも,また3世紀には新プラトン哲学が出現したのもこの町であった.<復> 185年頃までには,改宗した元ストア哲学者パンタイノスの指導のもとにディダスカレイオン(神学塾)ができていた.パンタイノスは後にインドへの宣教師になって活躍し,聖書注解書も書き残したと言われるが,ほとんど残っていない.パンタイノスの後は190年頃クレーメンスが継ぎ,その後は203年にオーリゲネースが後継者となった.特に,後者は教校に全盛期をもたらした.オーリゲネースの後はヘーラクラス(248年頃没),ディオニューシオス(265年頃没),そして最後にディデュモス(395年頃没)に受け継がれたが,やがて4世紀の終りまでには衰退し,641年の回教徒によるアレキサンドリア征服によって壊滅状態になった.<復> この学派の代表者はクレーメンスとオーリゲネースである.アレキサンドリア学派が目指したことはキリスト教と哲学の,換言すれば信仰と知識の調和であった.両者の調和の基礎として聖書と,教会の教義が考えられた.その中心は神のロゴスである.このロゴスはあらゆる理性とあらゆる真理の総計として考えられた.クレーメンスはギリシヤ哲学からキリスト教信仰に入り,他方オーリゲネースは信仰から思索へと導かれた.前者は思想を種々の思想体系から借用したが,後者はむしろプラトン主義の線を歩んだ.フィローンがユダヤ主義とギリシヤ文化とを融合したように,二人はギリシヤ文化をキリスト教の中に取り入れたのである.この方法はすでに2世紀の弁証家や護教家が試みたことであったが,アレキサンドリア学派の者たちはさらに学びが深く,ギリシヤ哲学をはるかに自由に利用した.彼らはこの哲学に誤りがあるとは思わず,かえってそれを神の賜物,キリストへ導く知的教師と考えた.クレーメンスは哲学を野生のオリーブの木になぞらえ,信仰によって高められ得るものとした.オーリゲネースはイスラエルがエジプトを出る時にエジプト人から取った宝石になぞらえている.従って,彼らにとって哲学は真理の敵ではなく,かえってこれに仕えるものであった.異教哲学に真理の要素があるのは,一部では理性の世界でロゴスが隠れた働きをしているからであり,一部では哲学者たちがモーセと預言者の著作を知っていたからであるとされた.<復> クレーメンスは150年頃ギリシヤで生れ,文学と哲学に熟達したが,いずれにも満足できず,ついに壮年に至ってキリスト教に触れ,師パンタイノスによって理解を深められた.後にアレキサンドリア教会の司祭になり,190年頃にはパンタイノスを継いでカテケーシス教校の校長になった.彼の神学は統一され組織立てられたものとは言えず,むしろキリスト教的思想とストア的・プラトン的・フィロン的思想の混合である.<復> アレキサンドリア学派を代表する神学者は何と言ってもオーリゲネースである.彼は185年頃アレキサンドリアでクリスチャンの両親の間に生れ幼児洗礼を受け,幼い時から聖書に親しんで成長した.記憶力は抜群で,少年の頃から聖書全体を暗記していたと言われる.そのため,初代教会の学者の中で誰よりも聖書に精通していた.早くから哲学研究も始めていたようである.202年のセプティミウス・セウェールス皇帝支配下の迫害で父レオーニデースが殉教した.この迫害によって師クレーメンスはアレキサンドリアから追放されたので,203年からオーリゲネースが教校を受け継ぎ再建した.230年頃彼はパレスチナ旅行をした際に,その地の主教たちによってカイザリアの司祭に任じられた.自由に説教ができるための配慮であったと言われている.この司祭任職はアレキサンドリアの主教デーメートリオスを怒らせることになった.主教は,アレキサンドリアの信徒が他で任職されたことによって自分の法治権が侵害されたと受け止めたのである.怒りを買ったオーリゲネースはアレキサンドリアから追放されてしまった.その後250年のデキウス皇帝の大迫害の時に投獄され,拷問を受け,そのために釈放後ついにカイザリアかツロで死亡したのである.<復> 彼は多方面にわたる神学者であった.その最も力を注いだ領域は聖書の本文批評と釈義である.この分野での彼の不朽の功績はヘクサプラ(6欄聖書)と,ほとんど聖書全巻にわたる注解である.神学の分野では有名な『原理論』を後世に残している.これは最古の組織神学であり,その思想と方法は後のギリシヤ語圏内の教義学の発展に大きな影響を与えた.異教徒側の最も鋭いキリスト教批判者ケルソスに答えた『ケルソス反駁論』の書は,初代教会が生み出した最も鋭く,説得力に満ちたキリスト教弁証の書である.<復> 「キリスト教の真理をギリシア的思考によって解釈するという長年にわたる過程がオリゲネスにおいて完結」(W・ウォーカー)した.彼は当時の哲学,倫理学の学問的な検証に十分耐え得るキリスト教の体系を築き上げたが,その哲学的立場は本質的には先輩たちと同じくプラトン的,ストア的であった.そして彼らと同じく哲学的原理を聖書と調和させようとした.しかし,彼の神学体系の基礎は教会的,使徒的伝承であった.伝えられてきた,キリスト教の本質的な信仰告白である真理とは,(1)イエスの父であり旧・新約両聖書の神である唯一の神の存在,(2)イエスの永遠性,神・人の二性,受肉,苦難と十字架と復活,(3)聖霊の,父と子との同一性,同等性,(4)よみがえりと未来の報いと審判,(5)自由意志の存在,(6)悪魔と悪霊との実在と反抗の現実,(7)世界の創造と邪悪のゆえの滅亡,(8)聖書は聖霊の書であること,(9)天使と良い諸勢力の存在である,と述べる.<復> オーリゲネースの宇宙概念はプラトン的である.それによると,真の世界とはこの現象界の背後に実在する霊的世界である.人間の霊はかつてその霊的世界にあった.罪はまずこの霊的世界に入った.そこでわれわれは堕落し,すでに堕落した者としてこの世に来た.贖われた者はまた霊的世界へと帰還することができる.決して被造物ではない,完全な霊である神は,すべての源泉である.子はこの神から永遠に生れた.しかも子は「第二の神」であり,「被造者」であり,神と被造世界との間の「仲保者」である.彼を媒介としてすべての物は創造された.これらの被造物の中で最高の存在が聖霊であると考える.人間の霊及びその他あらゆる存在する霊は,真の霊的世界で神が子によって創造したものである.造られたすべての霊は自由意志を持っていた.そのためある者は霊的世界で自ら罪を犯し,そこで堕落した.神がこの世を創造してそこに堕落した霊を罪の邪悪に応じて配置した目的は,この世を刑罰と改心の場とするためであった.最も罪が少ないのは天使であり,その体は星である.より罪深いのは動物的霊魂と死ぬべき体を持って地上に存在している人類である.最悪のものは悪霊である.<復> 彼のキリスト論によると,霊的世界にあって罪のなかった人間の魂と体とが結合して人となったのがロゴスである.このロゴスがキリストであって,この世においては神であると同時に人であったが,復活と昇天によってキリストの人性は神性の栄光を与えられ,もはや人ではなく,神になった.救いはこのイエスの教えを信じ,命を得た人において人間性が神的なものにまで高められることによって成就する.オーリゲネースはキリストの死の犠牲的な意味を強調したが,模範としての受苦,神へのなだめの供え物,悪霊に支払われた身代金等いろいろな解釈も与えており,必ずしも一貫しない.そして,ついには悪魔や悪霊でさえも救われるという普遍的救済論に陥っている.W・ウォーカーは「オリゲネスによる神学構成は,ニカイア総会議以前の教会の最大の知的成果である.それは,東方におけるその後のあらゆる思索に深い影響を与えた」と述べている.ニカイア総会議ではアレクサンドロスもアレイオス(アリウス)も,互いにオーリゲネースを引き合いに出して自己の正統性を証明しようとした.→キリスト論,キリスト論論争,三位一体・三位一体論争,アンテオケ学派,フィローン.<復>〔参考文献〕W・ウォーカー『古代教会』(キリスト教史1)ヨルダン社,1984;Schaff, P., History of the Christian Church, Vol.2, Eerdmans, 1962.(泥谷逸郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社