《じっくり解説》血とは?

血とは?

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血…

[ヘブル語]ダーム,[ギリシャ語]ハイマ.血は旧新両約聖書において神学的に意義深いことばである.血はヘブル語でも,ギリシヤ語でも,人間及び動物の血管を流れる赤色液体を指すものとして用いられている.[ヘブル語]ダームは「赤銅色の地面,大地」を意味するアダーマーと関係ある語である.アダム(〔赤い〕人)もアダーマーのちりから造られた.エドム(赤)もこれと関係ある語である.[ギリシャ語]ハイマには,畏怖の感情を喚起するような語感がある.血は旧新両約において生命と死に結び付き,われわれへの神の愛の深さと神のかけがえのない赦しを示している.<復> 1.旧約における血.<復> 旧約は[ヘブル語]ダームを約360回用いている.ダームはモーセ五書とエゼキエル書に最もよく出てくる.血は一般用法としては,次の2つの意味のどちらかの意味で使われる.<復> (1) 暴力による死(戦争や殺人における流血).血は暴力を示し,通常の結果は死である.血は文字通りの意味を越えた意味を持つようになった.ヨセフの兄たちはエジプトに行く商人にヨセフを売ってから,ヨセフの長服を取って動物の血に浸し,この血の染みの付いた長服を父のところに持って行って見せた.血は兄たちの願い通りの効果を現した(創世37:31,33).ヤコブはただちに,愛する息子が野獣に殺されたと思ったからである.血はこのように死の象徴として用いられ(詩篇30:9),特に暴力による死を象徴した.傷害か負傷による相当量の血液の喪失は,生命を確実に終らせる.<復> (2) いけにえの血.これは主へいけにえをささげる時にする血を流すことと結び付いている.<復> すべての古代宗教のように,イスラエルの宗教は血を神聖なものと見た.血はいのちであるからである(レビ17:11,14;申命12:23).そしていのちに関するすべてのものは,生命の唯一の主,神と密接に結び付いている.この認識から次の3つの結果が出てくる.(1)殺人の禁止,(2)血の食用禁止,(3)いけにえの血である.<復> (1) 殺人の禁止.人は神のかたちに造られているので,神のみが人のいのちに権限を持っておられる.もし誰かが人の血を流すなら,神は血の価を要求される(創世9:5以下).これが十戒(十のことば)の第6戒「殺してはならない」(出エジプト20:13)の宗教的基盤である.殺人の場合,犠牲者の血は,アベルの血のように殺人者に「復讐を要求する」(創世4:10以下,Ⅱサムエル21:1).「血が叫ぶ」という表現は,暴力による死の意味を生き生きと示す仕方である.創世9:6は血の復讐を合法的とするが,神は無制限の血の復讐(二族間の復讐)を避けることを求め(創世4:15,23,24),血の復讐のルールを定められた(民数35:9‐34,申命19:6‐13).神は時々この復讐を御自分の固有の責任とし,罪なき者の血を,それを流した者たちの上にもたらされた(士師9:23以下,Ⅰ列王2:32).それゆえ迫害されている信仰者は,神のしもべたちの血に復讐してくださいと神に祈るのである(詩篇79:10).神は,主の日が来る時この復讐をすると約束される(イザヤ63:1‐6).<復> (2) 血の食用禁止.人間のいのちと同じく動物のいのちは神に属すると考えられ,神の許可によってだけ取ることができた.血を飲むことの厳禁(創世9:4,5,申命12:23)は,生命の源の秘密は神とともにあって,人がそれは自分のものだと付け上がってはならないことを認める方法であった.血は祭壇の上か地に,神の前に注ぎ出されなければならなかった.血を注ぎ出した後に食するのは,動物のいのちを食べることではなく,動物の肉を食べることである.肉を食べることは動物の死の代価を払ってのみ可能とされた.<復> (3) いけにえの血.犠牲制度の中での血の意義について,レビ17:11は旧約の中心的陳述である.「肉のいのちは血の中にあるからである.わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために,これをあなたがたに与えた」.(a)いけにえの血は神の備えたものである.「わたしはこれを与えた」とある.これはいけにえの血を,神の愛顧を引き付けたり,かき立てたりする人間の贈り物と見なす考え方とは反対である.(b)いけにえにおける血の使用は,代価を支払う行為である.人が飲むことを禁じられた動物の流された血は,神の指定によって罪の贖いをする.「いのちとして贖いをするのは血である」.最初の過越の儀式の描写(出エジプト12:1‐20)では,血は取られたいのちの目に見えるしるしであった.家の中の祭の参加者は,いけにえの動物の犠牲の死の恩恵(死の災禍からの避難)に浴した.(c)いけにえの血を流すことは代償的行為である.動物の血は生命を表した.血は死ぬべきいのちを支える.そして罪人のいのちの代りに神にささげられた.<復> 2.新約における血.<復> [ギリシャ語]ハイマは新約に99回出てくる.血はしばしば暴力による死を表す人間の流血に言及する.新約は5回ほど「肉と血」を人間の限界と弱さとして示す(マタイ16:17欄外注等).ヨハネの黙示録では,審判の日の恐怖を表すために血を用いる(6:12等).天に現れる血の赤は災いを示す.また旧約のいけにえへの言及が14回ある.血は38回キリストの血に言及している.<復> 3.キリストの血.<復> キリストの血を述べる時,それは常に新しい契約の制定か,贖罪の犠牲のイエスの死への言及においてである.<復> (1) キリストの血と新しい契約.契約は旧約神学の中で中心的な役割を持つ.神が結ばれた旧約聖書の契約は,誓いとか約束の性格を持った.契約の中で神は,神の民のためにあることをすると誓われた.神はまた個人個人にどのように約束の恩恵を経験できるかを語られた.旧約では契約を結ぶ多くの仕方があったが,最も拘束力のあるものは,血によって制定され,調印された契約である(例えば,創世15:8‐21).旧約で神は,いつか神の民と新しい契約を結ぶと約束された.新しい契約の下で神は赦しを与え,新しい心(霊的変貌.エレミヤ31:33,34)を与えると約束された.イエスの死(特にカルバリで流された血)は,この新しい契約を制定した.キリストの血は,御子への信仰によって罪の赦しを与えるとの神の約束を確実にする(ヘブル9:15‐28).われわれは聖餐の杯において新しい契約に出会い(マタイ26:28,Ⅰコリント11:25),イエスの血を「キリストの血にあずかる」しるしと認めて飲むように言われる(Ⅰコリント10:16).これはイエスのいのちのパンの説教を反映する.その説教の中でイエスは聴衆に「わたしの血を飲む」ように促した(ヨハネ6:53‐56).この隠喩は,イエスが新しい契約で成し遂げた犠牲を,信仰によって自分のものとすることを要求する.一方,聖餐はその犠牲を信じるわれわれの信仰を確認する.<復> (2) キリストの血と犠牲.キリストの血への多くの言及は,直接カルバリと結び付いて,血と犠牲についての旧約の関連を思い起させる.ローマ3:25はキリストの血を「なだめの供え物」と呼んでいる.イエスは御自分をわれわれの罪のための犠牲としてささげられた.新約の多くの言及は,イエスの血がわれわれのために獲得した恩恵を強調する.われわれはキリストの血によって義と認められた(ローマ5:9).これは決定的なただ一度の性格を持ち,彼の血の注ぎを受けた者,その血を飲む者は,彼の血の恩恵を受け,迫り来る危険からの避難所を発見する.われわれはキリストの血によって贖いを受け(エペソ1:7,ヘブル9:12),古いむなしい生き方から贖い出された(Ⅰペテロ1:18,19).われわれはイエスの血によって最も親しい関係の中で神に近い者とされた(エペソ2:13).そしてイエスの血は,われわれを主との調和に導き入れることによって,われわれのために平和をつくったのである(コロサイ1:20).<復> キリストの血は罪を取り除くのに効果がある(ヘブル9:24‐26).キリストの血は赦し(エペソ1:7),継続的きよめ(Ⅰヨハネ1:7),われわれがきよめられた良心をもって積極的に神に仕えられるように罪の束縛の力からの自由(ヘブル9:14,黙示録1:5)を含んでいる.<復> 旧約聖書を背景にして,われわれはカルバリのイエスの犠牲の意味を理解する.そしてわれわれは,新約聖書の教えを通して,主の血によって勝ち取られたすばらしい恩恵を把握するのである.→贖罪・贖罪論.<復>〔参考文献〕Wenham, G. J., The Book of Leviticus, Eerdmans, 1979 ; Morris, L., The Apostolic Preaching of the Cross, Tyndale, 1960 ; Stott, J. R. W., The Cross of Christ, IVP, 1986 ; Coleman, R. E., Written in Blood, Fleming H. Revell, 1972.(油井義昭)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社