《じっくり解説》国外宣教とは?

国外宣教とは?

スポンサーリンク

国外宣教…

この語は,元来,外国伝道,外国宣教,海外伝道,海外宣教という具合に,英語の,Foreign MissionないしはOverseas Missionの訳語の一つとして,比較的最近になって用い始められた用語である.<復> 1.新約聖書における国外宣教.<復> 「キリストの宣教命令」は四福音書と使徒の働きにそれぞれ1箇所ずつ記載されており,主イエス・キリストの復活後,御自身のよみがえられたことを実証するために弟子たちの前に何度か姿を現された時に,いろいろ違ったかたちで与えられたものである.これらの命令は例外なしにみな,世界大,地球大の宣教を含むものであり,教会は,その2千年の歴史を貫いて,世界宣教を実践するべく,主イエス・キリストによって任命されているものであると言えよう.<復> 1世紀の初代教会の宣教の歴史を記している使徒の働きをたどって見る時,それが世界大の宣教であったことは一目瞭然である.使徒1:8にあるように,教会はキリストの証人をエルサレム,ユダヤとサマリヤの全土,そして地の果てにまで遣わしていった.わずか60年ほどの間に当時のローマ帝国世界にキリストの福音が満ちていった,それはまた,すばらしい聖霊の働きの記録でもあった.<復> 新約聖書時代の初代教会にとって,国内も国外も内地も海外も,共に福音宣教の対象範囲であり,決して,時代の推移とともに,あるいは社会的,政治的,文化的な情勢の変化によって,段階的に宣教の働きが進められていったのではないことに注目する必要がある.<復> 2.2 世紀以降の宣教の歴史.<復> 教会はローマ帝国の迫害にも屈服することなく宣教の働きを拡大していった.4世紀には,ついにキリスト教は公認宗教となり,国教としての地歩を確立する.しかしそれとともに,政治権力と結び付いたキリスト教会は堕落の坂を転げ落ちていった.そして「一つの帝国,一つの教会」であったのが,帝国の分裂(395年)により,西方教会と東方教会は別個の歩みをするようになる.次第に力を得ていったのは西方教会のほうで,ローマを中心に強大な権力を行使するようになり,古代から中世まで何世紀にもわたってヨーロッパ大陸から全世界に及ぶ広大な領域にその支配を及ぼしたのである.7世紀において,北方民族に対して福音が宣教されるに至り,ケルト人によるアングロ・サクソン人への宣教,ローマ教会によるイギリスの改宗など,国外宣教の働きが進められていった.さらに8世紀には,ボニファーティウスによるドイツのゲルマン民族への宣教がなされた.続く9世紀も宣教の世紀であった.東方教会は中国と北方のスラブ民族に対して,西方教会は新開拓のドイツを拠点として北欧への宣教に従事した.10世紀末にはノルウェー,ハンガリー,ポーランドなどの国々も宣教へ門戸を開いた.<復> 10世紀から15世紀にかけて教会は隆盛の極に達し,その感化は政治,経済,文化のあらゆる領域において目覚しいものがあったが,同時に暗雲がおおい始めた.その暗やみを打ち破るかのように宗教改革運動が起り,プロテスタント教会が誕生する.これに呼応してカトリック教会にも改革が起り,イエズス会による国外宣教の働きが推進されていった.<復> 18世紀から19世紀にかけて,プロテスタント教会の側でも遅ればせながら国外宣教に取り組み始め,北米,アジア,アフリカなどに福音がもたらされた.長い間鎖国状態を続けていた日本へのプロテスタント宣教は1859年に始まり,主としてイギリスやアメリカから宣教師が来日した.<復> 3.日本の福音派による国外宣教の足跡.<復> 次に,日本のプロテスタント教会,特に福音的な教会による国外宣教の足跡をたどってみよう.<復> 日本で最初にプロテスタントの宣教師として国外に伝道したのは乗松雅休であった.1896年12月に乗松は単身朝鮮半島に渡り,1914年日本に戻るまでキリスト同信会(プリマス・ブレザレン系)の伝道者として,朝鮮の人間になり切って伝道した.その間に多くの同信の友を朝鮮の人々の中に生み出すことができたのである.これと対照的なのが,日本組合基督教会による政府の御用機関的な朝鮮半島伝道であった。<復> 日本にアメリカン・ボードの支援によって生れた31の教会により日本組合基督教会が結成されたのは1886年のことであったが,それから24年を経た1910年に朝鮮伝道部を設立した.この年は,かの地の人々にとっては忘れることのできない「日韓併合」の年である.組合教会は渡瀬常吉を主任として派遣し(1911年),わずか7年の間に143の教会と1万5千人の信徒を生み出した.この驚異的とも言える成長率は,実は,日本政府,朝鮮総督府や日本の大財閥による資金面のみならず政治的介入による絶大な援助のお陰だったのである.後に,組合教会内部からも批判の声が上がり,ついに朝鮮伝道部は廃止され,それとともに同地の「会衆基督教会」は独立した.しかしその後は凋落の一途をたどった.植民地政策に便乗した国外宣教は,外見的には成功したようであっても,長い西欧の教会の失敗が教えるように,それは決して正しい福音宣教のあるべき姿ではないのである.<復> 日本基督教会による朝鮮半島と台湾における国外宣教は,組合教会とほとんど時を同じくして開始され,それなりの成果を上げた.特に井上伊之助の台湾山地族伝道は特筆に値する.<復> 1919年には組合教会の小崎弘道によって南洋伝道団が組織され,ポナペ島やトラック群島に日本人宣教師が派遣されている.<復> 福井二郎や沢崎堅造などによる熱河宣教会の働きは中国熱河省を中心に展開され,その感化は実に広い範囲に及んだ.<復> 純福音派の国外宣教の働きも,20世紀の初頭から目覚しい発展を遂げている.おもに邦人対象の伝道ではあったが,ホーリネス教会による満州,朝鮮半島,台湾,上海,シンガポールなどにおける伝道,そしてブラジルや北米における教会形成の働きは,リバイバルの流れの中で聖霊に満たされた人々によって力強く推進されていった.<復> 戦後,日本の教会が荒廃した焦土から立ち上がり,復興して,国外宣教に取り組む教団・教派,超教派団体が次々と登場するようになったのは,1950年代になってからである.日本基督教団(1956年),日本海外宣教会(1956年)が先駆者的な存在である.そして1960年代になって,福音派の中から,個人として国外宣教に召されて立ち上がる者が起され,彼らを支援する目的をもって教派・超教派の支援団体がバックアップするという形態がとられるようになっていった.<復> 教団としていち早く国外宣教に取り組んだのは,日本福音自由教会,日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団,イムマヌエル綜合伝道団などであり,さらにそれらに続いて,日本同盟基督教団,日本基督改革派教会,日本ホーリネス教団,日本バプテスト連盟等が国外宣教に重荷を持って取り組んでいる.<復> 一方,超教派宣教団体としては,前述の日本海外宣教会に続いて,インドネシア宣教協力会,地の果て宣教会,台湾宣教協力会(後にアジア福音宣教会に改称),海外宣教交友会(後に国際福音宣教会に改称),日本ウイクリフ聖書翻訳協会,南米宣教会,太平洋放送協会海外電波宣教を支える会,聖書同盟などを挙げることができる.これらのほかに,宣教師個人を支援する会が次々と誕生した.なお1970年から80年にかけて誕生した宣教団体の中には,アンテオケ宣教会,西アジア宣教協力会,日韓親善宣教協力会がある.<復> 戦後の福音派の国外宣教の歴史を振り返ってみると,初期の段階においては,一,二の例外を除いて,宣教師個人の召命が先行し,それを後から追いかけて支援活動が行われていくというパターンが主流を占めていたようである.しかし1980年代になると,個人の支援会的なものはほとんど姿を消し,代って教団・教派による宣教師の発掘,育成,派遣という形が定着してきつつあるように思われる.超教派宣教団体も,小さな団体では宣教師の死亡とともに消滅していくものもあり,特殊なミニストリーをする団体や一,二の例外を除いては,あまり目立った伸びを示していないのが実状である.そのような中で1970年に発足した海外宣教連絡協力会(JOMA)は曲折を経ながらも,日本における福音派では,教派・超教派宣教団体の唯一の連絡機関として地道な活動を続けている.現在,加盟団体は13であり,さらに増加する公算が強い.<復> 2千年の歴史を通じ様々な困難の中で続けられてきた国外宣教であるが,現在,特に日本の国外宣教の直面している課題としては,宣教の門戸が閉され,ビザの交付を得られない国々,宣教師子弟の教育,サポート基盤の拡大,技術宣教師の養成等が挙げられる.(→図1「世界の宗教」,図2「世界のクリスチャン人口」),→在外日本人教会,宣教学,宣教師.<復>〔参考文献〕丸山忠孝『キリスト教会2000年』いのちのことば社,1985;中村敏「日本プロテスタント教会・海外宣教史」(「羊群」1985年6月号—86年8月号所収)羊群社.(古山洋右)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社