《じっくり解説》主の晩餐とは?

主の晩餐とは?

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主の晩餐…

パウロが教会生活に関連してⅠコリント11:20に「主の晩餐」と述べ,使徒2:42にも「パンを裂き」とあるように,「主の晩餐」は聖餐(式)を意味する.しかし同時に,聖餐自体がいわゆる「最後の晩餐」との深いかかわりにおいて成り立つことから,それは当然「最後の晩餐」の別表現でもある.従って「主の晩餐」とは,聖餐と「最後の晩餐」とにまたがった包括的な表現であり,両者の不即不離の関係をおのずと言い表すものと言える.そこでの「主」は晩餐の主人でもあり,また食事内容そのものでもある.「主が」われわれに「主を」食するように招きたもうというのが「主の」晩餐と言われる場合の意義であり,そういう「主の晩餐」がキリスト者にとり格別の意味を持つということは,福音が単に精神とか魂としてだけの人間にではなく,体を持ったヘブル的な意味での全人的な「人」に対するものであることをあかしする.それとともに,どの宗教にも見られる,神的なものにかかわる飲食が,キリスト教にあっては,単なる祭儀的な枠を超えた「主との深い交わり」という極めて人格的な次元の事柄であることをも意味するのである.<復> 1.最後の晩餐.<復> イエスは十字架にかかる前夜,12弟子とともに晩餐の時を持った.その晩餐は,一般には過越の祭の食事として考えられているが,実は歴史的に本当にそうであったかどうかについては意見の一致を見ていない.というのも,晩餐の唯一の記録である四福音書の間で,記述の食い違いがあるからである.共観福音書は一様に,最後の晩餐を過越の食事として描く.例えばルカ22:7,8に「さて,過越の小羊のほふられる,種なしパンの日が来た.イエスは,こう言ってペテロとヨハネを遣わされた.『わたしたちの過越の食事ができるように,準備をしに行きなさい.』」とあって,十字架前夜の食事ははっきりと過越の小羊のほふられる日の夜,つまり祭の第1日のこととされている.ところがヨハネの福音書だけは,イエスの処刑裁判の日に関して「その日は過越の備え日で,時は6時ごろであった」(ヨハネ19:14)とするとともに,イエスを総督官邸に連れていった者たちが「過越の食事が食べられなくなることのないように,汚れを受けまいとして,官邸にはいらなかった」(ヨハネ18:28)と述べている.これに従えば,磔刑前夜の晩餐は過越の食事ではあり得ないことになる.祭の第1日に人を長々と裁判にかけた上処刑するようなことは史実としてあり得ないということで,ヨハネの日付が正しいとされ得る一方,共観福音書が正しいとされ得る根拠も幾つか挙げられている.すなわち,最後の晩餐に関して,それが夕方から夜にかけてのことであり,エルサレム市内で行われ,体を横たえた姿勢で食され,赤ぶどう酒が用いられ,席を立つに当って賛歌が歌われたことなどが記されているが,それらはいずれも祭,ことに過越の食事について当てはまるというものである.また,最後の晩餐を過越の食事とする共観福音書の伝承自体が原始教会の思想や神学を反映したものであって,イエスの十字架上の死が過越の祭の頃であったために,原始教会はそれを旧約の過越の成就としてとらえ,その延長線上で最後の晩餐を過越の食事として理解したとする意見などもあり,過越の食事の史実性の問題は,結局いまだに決着を見ていない.<復> しかしながら,最後の晩餐が神学的に見て過越の食事以外の何物でもなかったことは疑い得ないことである.それは旧約に代る新約の過越の食事と言い得るものであった.もともと家畜の初子をささげる牧畜の祭であった過越の祭が,農耕祭である種を入れないパンの祭と結び付き,さらには出エジプトの際,エジプトのすべての初子を撃った神が小羊の血の塗られたイスラエル人の家はこれをすべて通り過されたことに結び付いて歴史化され,神のそのような「過越」に始まる出エジプトを記念する大切な国民的祭となった.出エジプトはイスラエルの人々にとって,エジプトにおける奴隷状態から神によって解き放たれ神の民とされたという大いなる救いの出来事であった.過越の祭においてイスラエルの人々は,出エジプトを追体験しつつヤハウェの民としての自らを再確認したのである.エジプトを出る直前の,最初の過越の食事は,その晩すぐに現実となった神の救いのわざをいわば予表するものであった.イエスの最後の晩餐もまた,十字架という,神による人間の罪からの根源的救いのわざを目前にした新しい「出エジプト」の,新しい「過越」の食事と言える.過越の食事の中心がほふられた小羊であるのに呼応して,新しい過越の食事においても,「過越の小羊」(Ⅰコリント5:7)たるイエス・キリストが,新しいイスラエルの民を象徴する彼の弟子たちによって秘義的に食される.「これは私のからだ,これは私の血.私を覚えてこのように行いなさい」という意味のイエスのことばによってパンとぶどう酒が与えられ食されることは,イエスこそ真の過越の小羊であり,そのイエスの十字架上の死は,彼を信じる者の群れである新しいイスラエルを罪のあらゆる束縛から解き放つ救済的出来事であることをあかしする.入口の柱に塗られた小羊の血が神とイスラエルとの間の絆を意味したように,「神の小羊」(ヨハネ1:29)であるイエスの血は,新しいイスラエルが神に覚えられる印となる.民族としてのイスラエルの奴隷状態からの解放を祝うのが旧い過越であり,それはやがてもたらされるべき神による全人類の罪からの解放を祝う新しい真の過越の予表であるとするならば,「主の晩餐」はまさに旧い過越の成就であり,その意味でまことの過越の食事と言えよう.そこにおいてなされる,イエス・キリストの贖い,身代り,犠牲の宣言と約束を通して,主の晩餐は続いて起る十字架上の贖罪死と不可分に結び付き,それと一体となった形で新約的救いの世界をわれわれに開示するものなのである.それはまた,神とイスラエルとの間のイエス・キリストによる新しい契約を祝う宴であると同時に,キリスト御自身がその晩餐の主催者であり中心であることにより,来るべき神の国での祝宴を先取りするものともなるわけである.従って「最後の晩餐」は,過去・現在・未来にわたる途方もない次元的広がりを持つものであり,ある意味でキリスト教のすべてがそこに収斂(しゅうれん)され啓示されていると言っても過言ではない.<復> 2.聖餐.<復> キリスト教の特異性の一つは,その救済論が「主を食する」という具体的な信仰的行為と不可分とされている点にある.キリスト者は,聖餐という形でキリストを食することを絶えず覚えるように促される.なぜか.それは,何よりもイエス自身がそう命じたからであるし,同時に,十字架と復活という救済史的出来事と,それと相前後して弟子たちが現実にイエスとともに持った何回かの晩餐とが,教会の記憶の中で分かちがたく結ばれているからである.イエスは,わずかのパンと魚で5千人を養うという奇蹟の後,人が永遠のいのちに入るためには朽ちないまことの食べ物である彼の肉を食べ彼の血を飲まねばならないと説いた(ヨハネ6:48‐58).そして最後の晩餐の席上,パンとぶどう酒をおのがからだと血と呼び,それらを弟子に与えながら「わたしを覚えて,これを行ないなさい」と命じた(Ⅰコリント11:23‐26).以来教会はこのことばを基として,また十字架と復活を絶えず内的に追体験したいという自身の求めに促された形で,そもそもの初めから聖餐を儀式として守ってきた.最初はユダヤ教の宗教的会食と同じく共同の食事の形をとっていたが,2世紀半ば頃までには,ほとんどの教会では普通の食事に代って象徴的にパンとぶどう酒にあずかるという礼典的な形に落ち着き,親睦を目的とした愛餐としての食事(アガペーと呼ばれた)は別に持たれるようになった.<復> 聖餐はいわばキリスト者の過越として,安息日の次の日つまり主日ごとに祝われた.それはその日が復活記念の日であり,新たな週の初めの日として新しい救いの時代の始まりを告げるものであるからである.イエスの死を覚えるものとしての聖餐は,ただの死ではなく復活のイエスの栄光の姿において成就した神の救いのわざとしての死を,記念するものであった.聖餐にあずかる各人は,救済の出来事としてのイエスの死と復活に秘義的に招き入れられ,復活のイエスの生と一つにされ,キリスト者としての新しいいのちに生きる者とされた.それは「復活の主」の催す晩餐に招かれて彼の臨在のもとで彼のからだを共に食することでもあった.そこから,信徒すべてが「一つのからだ」としての「一つのパン」にあずかる聖餐は,真に一つとされた「キリストのからだ」なる教会が具現化する場としてとらえられ,信徒の一致・団結ということと深いかかわりを持つものとされるようになったのである.<復> その後も聖餐は,その儀式的形式と神学的理解において幾多の変遷・変貌を経てはきたものの,「主の晩餐」としての基本的性格は原始教会以来変ることなく受け継がれて今日に至っている.→聖餐の制定,聖餐式,聖餐論,契約・契約神学,聖書時代の祭.(角川周治郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社