《じっくり解説》職業とは?

職業とは?

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職業…

1.職業の意味.<復> 職業とは生計を立てるための仕事である.労働という言葉も同じような意味で用いられるが,どちらかというと労働はより広く,人間の行うすべての働きを含み,職業はそれによって暮しが成り立つ労働だけを意味する.これは英語のoccupationに対応している.それは占有するという意味のoccupyから出て,生きるために自分の時間とエネルギーの大部分を束縛されて携わる仕事という意味を持つ.<復> また,初対面の人には職業を聞くことが多いが,職業にはその人自身を表現する面がある.公言するという意味のprofessから出た,職業を表すもう一つの英語professionは,職業のこの側面を示している.しかし,職業にはもっと積極的に,それを通して使命を達成するように神から召された仕事という側面もある.ドイツ語で職業をBerufと言うのはそのことを示している.Berufは召し出すという意味の動詞berufenと同根である.<復> このように職業には消極面と積極面とがあるが,これは,聖書が人間の労働に,罪を犯してのろいのもとに置かれた労苦という消極面と,神に与えられた使命という積極面とがあることを認めているのに対応する.<復> 2.聖書の労働観と職業.<復> 聖書によると,神は人間を神のかたちに創造し,彼に世界を治めさせ(創世1:28),エデンの園を耕させられた(創世2:15).つまり,世界を管理する使命を与えられたのである.同時にその使命の達成を通して,人間に与えられた神のかたちが具体的に形成されていった.これが人間の労働本来の栄光の姿であった.しかし,人間が罪を犯した時,神は,人間は顔に汗を流して糧を得る(創世3:19),つまり人間は働かなければ生きられなくなる,とさばきを宣告された.堕落の結果,人間の労働は生きるための避けられない苦役に堕した.しかし,神は人間が罪に捕えられたままに放任しておくには忍びなかった.神は罪人を救い,彼らに世界管理のわざを回復し,さらに罪人の救いのための神のみわざにあずからせようとされた.彼らを特に召し,特定の仕事に当らせられたのである.<復> 3.キリスト教の職業観.<復> 中世カトリシズムでは,神がそれぞれの職業を定められたのだから,人は与えられたままの職業にとどまるべきである,とする.そして,すべての職業が階層的に受け止められた.聖職者の仕事など宗教的なものが最高で,世俗の仕事はそれより劣り,後者の中では,理性的なものは高く,肉体的なものは低く位置付けられる.<復> しかし,このカトリック的な労働観に対して宗教改革は革命的な変革を迫り,ルターは,すべての職業は神が与えられたものでそれらの間に貴賤の差はないとして,世俗の仕事にも聖職に劣らぬ地位を認めた.反面,ルターの罪認識は深刻で,彼は,堕落によって人間の営みはすべて罪の下に置かれ,職業もすべて完全に汚れている,とした.しかし,彼はそれで終らず,積極的に神の恵みを強調した.キリストを信じる者は福音によって内的に新しくされ,何をするにしても神を喜ばせることができるようにされた.クリスチャンは自分の置かれているところで与えられた務めを果すことによって神に仕えることができる,と主張したのである.<復> またカルヴァンも,すべての職業は神によって与えられたと説き,ルター以上に積極的に,神が一人一人の人間をそれぞれの職業に召されたということを強調した.そこでは職業は,生きるための仕事に終らず,神に召された尊い使命となる.カルヴァンは牧師や伝道者などの聖職への召しだけでなく,世俗の仕事へも神の召しを認め,与えられた職業を神からの召命として受け止めてその仕事に献身することの大切さを説いた.<復> 4.近代社会の職業とキリスト者の使命.<復> 近代社会は組織化が進み,すべての職業は社会全体の生産・流通組織の中に組み込まれ,社会を形成し,自然を支配し,必要なものを生産し,使用に供するように働く.一つ一つの労働は,市場を通じて社会的評価を受け,その貢献度に応じて,その労働の提供者に社会から報酬が支払われる.その報酬によってその労働者と彼の家族が生活できる場合,その仕事は彼の職業となる.<復> しかし,この時の職業における労働の価値評価は社会によるのであって,それが神の評価と一致しているとは限らない.人間の労働には,神の目から見て価値あるものであっても,社会的評価を得ることができず,その労働の提供者の生活を支えるに十分な報酬を得られないものがある.そのような労働はどれほど価値が高くても,それによって生活を維持はできず,職業とはなり得ない.彼がその労働に使命を感じた場合は,別に職業を持ち,それによって自分と家族の生活を支え,その余暇の時間とエネルギーを用いてその使命に励むほかはない.他方,自分の職業が自分の使命と考える労働と重なり合っている人は,自分の職業に励むことが使命の達成につながる.これは幸いな人である.職業の選択は,配偶者の選択と同等以上の重要性を持つ.<復> 5.職業の選択と召命.<復> クリスチャンが職業を選択する場合,まず,聖職だけが聖なる仕事で世俗の仕事は劣っているという考えから解き放たれ,すべての職業が神から出ており職種によって貴賤の差はないことを確認する.そして自分がどの職業につくにせよ,その仕事を通して,神の世界管理のわざを進め,社会を築き上げ,人々の生活を向上させ,働く自分自身を成長させる道を求めていく姿勢を整えることが第1の備えである.<復> しかし,現実の職業はすべて,神が本来与えた方向に向かって運営されてはおらず,権力志向とか利益追求とかの罪の力に流されている.指示されるままに働いていればそのままで神の使命達成の歩みになるというような職業はない.そういう現実の世界にあって,失望することなく,仕事の流れを神の御心にかなう方向に向けるように努め,必要な時にはそのために断固として戦うことのできる者を,神が召しておられることを確信することが,その召しに応える第2の備えである.<復> すでに何らかの職業についている人は,そこへの導かれ方がどうであれ,それが神から与えられた職業,そこが神に召された使命の場であると受け止め,その仕事によって神の栄光を現すように努め励むべきである.召されたところにとどまり,そこで主に仕えるのがクリスチャンの歩みの原則である(Ⅰコリント7:17).しかし,さらに優れた神の御心にかなう道が示された場合,そこに移って差し支えない(Ⅰコリント7:21).<復> 新しく職業につく場合の職業選択の基準としては,まず,神の目をもって見た世界の必要に目を留める.次に,自分に与えられている賜物を生かすことを考える.また,自分の生涯がいつも神の御手の下にあることを確認し,その時までの摂理的な導きを信じて,それまでの経験を生かすことを考える.このような,聖書の原則に基づく,祈り深い熟慮を通して,職業を選ぶ.そして,その職業に召されたことを確信するのである.<復> 6.職業における生きがい.<復> 自分の職業を神からの天職として受けることができるようになるためには,自分の仕事がどのように神の御心にかない,人々の祝福となっているかを知ること,職場の人間関係が良いこと,その仕事を通して自分が人々に認められ,成長し成熟していくのを実感できることが必要である.<復> 第1の問題については,与えられるままに仕事に励むという姿勢ではなく,いつも,自分の仕事が全体として社会にどんな貢献をしているか,どこを正すべきかをはっきりと理解できるように,絶えず勉強することが必要である.自分の仕事の意味を知る時,その職業に確信を持つことができるようになり,また同時に,その仕事を神の望む方向に向けていく備えができる.<復> 職場の人間関係を整えるためには,職場の同僚を異教徒だからといって軽蔑したり退けたりせず,自分の確信をはっきり保ちつつも,彼らを協働者として受け止め,彼らを愛し信頼し助ける姿勢を保つことが必要である.昔ダニエルは異教徒の王や上司,また同僚たちを愛し信頼して彼らに仕え,彼らとともに働き,彼らの愛と信頼をかち得て,ついに彼らが「ダニエルの神はほむべきかな」と告白するに至ったことはその良い模範である(ダニエル1‐6章).<復> 自分の仕事の意味を確信し,職場で良い人間関係の中で働くことができれば,その人の仕事は実を結び,自分自身が成熟に向かって成長する.その実感を持って働くことのできる人は幸いである.→労働の倫理,召命,賜物.<復>〔参考文献〕唄野隆『主に仕える経済ライフ』いのちのことば社,1986;J・A・バーンバウム/S・M・スティアー『キリスト者と職業』いのちのことば社,1988.(唄野 隆)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社