《じっくり解説》聖書の学び方とは?

聖書の学び方とは?

聖書の学び方…

聖書を学ぶということは,他の何を学ぶにもまさって,幸いですばらしいことである.また何を学ぶにもまさって,謙虚な心と姿勢をもってなされなければならない.なぜなら,聖書はすべて神の霊感による,神のことばであるからである(Ⅱテモテ3:16).神はその深い知恵をもって,時代や民族を越えてすべての人間のために,聖書の内容とことばを最も適当な程度のものにしておいて下さった,と言うことができるのではあるまいか.聖書は,専門家でなければ読むことも理解することもできないというように難しく書かれてはいないと同時に,学んでも学んでも,もうこれでわかったと言い切れる人の決してあり得ない無限のメッセージを含んでいるからである.日本では感謝すべきことに,誰もが聖書を手にしてこれを読み,学ぶことができる状態にある.初めて聖書のことばを読んだ人であっても,何かをそこから受け取ることができるはずである.一方,誰もこれを学び尽したと言える人はいない.誰にもわかる,しかし誰にもわかり切ることはできない,それが聖書である.聖書が神のことばであることのすばらしさがそこにある.またそうであるからこそ,聖書を学ぶ喜びも尽きないのである.ここでは聖書の学び方について,これから聖書に親しんでいこうとしている人々への示唆のつもりで,誰にも必要な最も基本的なことを記しておこう.<復> 1.聖書そのものをよく読むこと.<復> (1) 聖書を学ぶために基本的に最も大切なことは,聖書そのものを読むことである.これが十分になされずにすぐに参考書に頼るのは,聖書を健全に学ぶことを妨げる.何をおいても聖書の本文を読むことである.昔は現在のように本の形で一人一人が神のことばを読むことなど考えられなかった.従って旧約聖書の中には「聞く」「唱える」「口ずさむ」といったことが強く勧められている.しかし私たちは誰でも,どこでも,いつでも神のことばを読むことができる.その便利さがかえって真剣さを乏しくさせているのではとも考えられるが,その恵みを思い,聖書そのものを繰り返し読むことが必要である.神は聖書を通して人に語りかけられるのであるから,神に聞くという姿勢で祈りの心をもって読むことである.<復> (2) 聖書そのものをよく読むことによって,まず私たちは聖書の全体像をとらえることができる.聖書は単個のことばの集積ではなく,イエス・キリストによるすべての人の救いという神の大事業の設計図であり,事業実施記録である.永遠から永遠に及ぶその全体像が,イエス・キリストというテーマを核にして書かれているのが聖書である.創世記からヨハネの黙示録までがばらばらの66の書の集合ではなく,全く一つのものであるということは,聖書そのものをよく読むことによって最もよく理解することができる.<復> (3) 次に,聖書そのものをよく読むことによって,文脈を正しくとらえることができる.さらに文脈を正しくとらえることによって,一つのことばを正しく理解することができる.聖書の中には歴史があり,詩があり,手紙があるというように,内容は様々であるが,どの部分を理解しようとするにせよ,文脈を無視して正しい理解を望むことは難しい.だからたった一つのことばを正しく理解するためにでも,その前後を読むことを怠ってはならないのである.いずれにせよ,繰り返し全体を読むことが,聖書を学ぶためにはどうしても必要なことである.<復> 2.聖書とそれにかかわることをよく調べること.<復> (1) 聖書を学ぶために次に期待されることは,あのベレヤの人々ではないが,よく調べることである(使徒17:11).まず,ある福音書とか,あるパウロの手紙を例にとるならば,その書全体がどのような必要と背景から,誰に向けて,いつ書かれたものであるかというようなことを調べることができる.現在では私たちの周りに,こうした必要のための書物が多くあるのは幸いである.事典,注解書,解説書等により,こうした学びをすることによって,より深い理解を持つことができる.<復> (2) 同様のことが,聖書のある章,ある節等についてもなされる必要がある.地理的あるいは歴史的な状況であるとか,その時代背景,風俗等を参考書を用いて調べるのが,その箇所の理解を深めることになるからである.<復> (3) 以上のように,聖書の背景を調べることは大切な学びであるが,さらに私たちは自分で聖書を読みながら,最終的にはそこに書かれている事柄自体を理解することが必要である.個々のことばの意味を調べる(可能ならば原語の意味も),一つの句の意味を調べる,ある章の内容を調べる,一つの書全体を調べるなどの作業を重ねながら,そこにある神のメッセージを把握するのである.そのためには,例えば一つの書やある章に頻繁に出て来ることばを拾ってみるとか,一つの章に自分で名前をつけてみるとか,類似することばを他の書に探してみるなどを心がけてみるとよい.あるいは天地創造の内容を整理する,イスラエルの王たちを分類する,キリストやパウロの伝道の足跡を追うなど,聖書には尽きない学びの題材が含まれている.<復> 3.聖書を信仰と生活に適用すること.<復> (1) 聖書を学ぶということは,単に学問的なこととしての整理でとどまるものであってはならない.聖書のことばは私たちの信仰や生活に生かされるためにそこにあるのであり,信仰や生活に適用されて初めて,聖書の学びも完成すると言えるのである.聖書には,神のことばは生かして使う必要のあることを示す,いくつかの表現がある.例えば「足のともしび」(詩篇119:105),「種」(マルコ4:14),「剣」(ヘブル4:12)などである.これらのことばは,神のことばが適切に用いられるならば,私たちに必ず恵みと祝福がもたらされることを示している.<復> (2) では私たちは,神のことばを何に適用できるのであろうか.結論から言えば,聖書のことばはあらゆることに対して適用できる.自分自身に対して,他の人々に対して,教会に対して,時代とこの世界に対してなど,聖書のことばが解答を持たない問題はない.最も大切な適用は,何よりもまず自分自身に対してであることは言うまでもない.自分と神の関係,人との関係,結婚・家庭・健康・金銭の課題,死と永遠にかかわることまで,私のそれらと聖書のことばを結び付け,それを基準にして生きるべきである.<復> (3) そのために私たちは,聖書を読み,調べた結果,この私に対する神のメッセージは何かということをいつもとらえる必要がある.聖書の舞台は日本でも現代でもないから,そこには私たちがそのまま適用できない,あるいはしなくてもよいことも多く出て来るのは言うまでもない.また反対に,聖書には直接取り上げられていない,現代に特有な問題もある.そうでありながら聖書はなお,この私に対するメッセージを持ち,いかなる課題にも解答を持っている神のことばなのである.<復> 4.その他のヒント.<復> (1) 聖書を学ぶ上で心がけたい第1のことは,絶えず先入観を取り除くことである.よく知られた句や有名な話などは,もうわかっているものと思いやすい.そうした先入観を持ってしまうと,聖書のことばの持っている無限のメッセージをとらえることに失敗するかもしれない.<復> (2) 先入観を持たずに学ぶために,可能ならば書込みや傍線のない聖書を1冊,手元に置くことをお勧めする.書込みや傍線にとらわれないためである.時には本来はなかった章節の区切りを無視してみことばを読むことも,意味があるだろう.<復> (3) また,一般に常識のように言われている聖書知識であっても,一度はなるべく自分で調べる必要がある.人の書いた書物には誤りもあり得ることを忘れてはならない.<復> (4) 周囲にあるいくつかの,訳の異なった聖書を読み比べてみることも幸いである.それによって原典により近い意味をとらえることができるし,思わぬ発見をするからである.<復> (5) しかし私たちが聖書を学ぶ上で忘れてはならない最も大切なことは,聖書を学ぶのは,神に聞き,みことばに生きるためであるということである.従って,誤った「私的解釈」(Ⅱペテロ1:20)や「曲解」(Ⅱペテロ3:16)に陥ることのないように祈りながら「主よ.お話しください.しもべは聞いております」(Ⅰサムエル3:9)というへりくだった心で学ぶならば,必ずや大きな祝福が与えられるに違いない.→聖書,神のことば.(野田 秀)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社