《じっくり解説》労働の倫理とは?

労働の倫理とは?

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労働の倫理…

クリスチャンの労働倫理は,聖書の示す人間本来のあり方総体から導かれる.従って,まず,聖書の人間観から見ていこう.<復> 1.人間の本質=神のかたち.<復> 聖書によると,人間は神のかたちに創造された(創世1:27).神のかたちとは神の本質の反映を意味する.<復> 聖書の中で示されている神の本質の第1は,神が唯一の神であるということである(申命6:4).従って神のかたちを宿す人間は,かけがえのない,独自の価値ある存在である.第2は,神は創造の神であるということである(創世1:1).人間が創造的に生きる時に満足するのはここから来る.第3は,聖書の神は先在の神,自存の神であり,従って主体性の根源であるということである(出エジプト3:14).人間が主体的に生きる時は生き生きとし,主体性が損なわれるといらだつのはここに起因する.さらに,聖書の神は三位一体の神で,三つの位格が独立し,しかも,分かつことのできないひとりの神である.人間も,人格の独立が保証され,同時に他の独立した人格との自由な交わりが与えられて初めて,人間らしい成熟に至る.<復> 2.労働本来の姿.<復> 神のかたちを持つ人間に与えられた最初の仕事は,神が創造し良しとされた世界を支配することと(創世1:31,28),エデンの園を耕すことである(創世2:15).そして人間の世界支配として具体的に記録されているのは,被造物に名を付けたことであった(創世2:19).<復> 名を付けるとは,その対象を認め,受け入れ,理解し,その限界を示し,支配下に置くことである.人間が神の被造物すべてに名を付けたことは,人間が被造物一つ一つを認め,受け入れ,理解し,それぞれの限界を画し,支配することを示唆する.その結果,被造世界に秩序が生れる.また,耕すとは,一粒の麦が百倍千倍に育つのを助けることと言える.<復> こうして人間の労働は,被造世界に秩序を与え,発展をうながすこと,つまり,世界を管理する働きとなった.しかし本来,支配することは神の働き,いのちを育てるのは神の仕事であり,この神の仕事に人間が召されたのである.人間の労働は,本来,神がなさるはずの仕事を神に代ってさせていただく,光栄で名誉な喜びに満ちたものである.その世界管理の働きの中で,人間は彼の神のかたちを,すなわち彼の人格の尊厳を確認するのであり,またその中で人格が成熟していくのである.<復> しかし,神はこの仕事を一人の人間だけに託さず,彼のためにふさわしい助け手として,同じ神のかたちを持つ女を創造し,彼らが協力して使命を達成するようにされた(創世2:18).女は男と同じ神のかたち,すなわち自主独立の人格を与えられている.男に従属させられては,女の中の神のかたちが傷つく.女がふさわしい助け手として男と結ばれる道はただ一つ,互いの愛と信頼に基づく自発的な協力だけである.人間の使命は本来,愛と信頼による自発的で自由な楽しい協働によって達成される.そこで彼は人との人格的な交わりを育てられるのである.<復> このような,人間の生活を支えるものは,神が人間の鼻の穴にいのちの息を吹き入れられる関係(創世2:7),つまり神と人とが一つとなる親密な交わりである.神と一体化する親密な人格的交わりが人間を生かし,人間同士の交わりを育て,世界管理の働きを全うさせる基盤なのである.<復> 3.堕落後の労働の姿.<復> しかし人間は蛇(サタン)に欺かれ,神に対して不信感を持ち,罪を犯し,神との交わりを失った(創世3:1‐7).もはや,いのちの息を受けることはできなくなった.神の支えを失った人間は,自分を守ろうとして,いちじくの葉で腰をおおい,神の顔を避けて身を隠し,責任を問われるとそれを他に転嫁した(創世3:7‐13).このような自己防衛と逃避と責任転嫁の姿勢が神との交わりを失わせ,そこから来るいのちの息の枯渇が,人間同士の交わりを損なわせ,世界を管理する力を人間から奪い去った.<復> その結果,人間の社会関係は,強者が弱者を支配する強制秩序に変った(創世3:16).歴史も,圧倒的に強いものの下で初めて世界の秩序が保たれることを示している.労働も,その強制秩序の下に置かれる.堕落の結果,人間の労働は自発的で自由な協力のもとに進められる楽しいものではなくなり,強制秩序の下で力ある者に強制される労苦に満ちたものとなった.<復> また,人間のうちに神のかたちが明確であった時には喜々として服従していた自然が,いのちの息が絶えて威厳と力を失った人間の支配に反逆し,地はいばらとあざみを生じさせた(創世3:18).収穫を求める人間の努力には必ず,好ましくない副産物が伴うこととなった.人間が罪に堕ちて以来,人間の労働は,絶えざる反逆を乗り越えて進められなければならない労苦になった.<復> さらに,人間の労働は食うための惨めな労苦に堕した(創世3:19).自分が働かなくては食べていけない惨めな者であることを示す,恥辱と苦痛に変った.世界管理の栄えある労働は,食うための労苦となった.従って,何らかのこの世の力を得た者は,その力によって他人を搾取し,自分は労働から遠ざかる.しかも,そのようにして支えるいのちは,やがて「ちりに帰る」むなしいいのちである(創世3:19).神に代って世界を支配し,愛する者とともに被造物を管理する,光栄に満ちた喜ばしく楽しい労働は,堕落によってちりに帰るむなしいいのちをしばらくの間支える苦役になった.労働は虚無に服した.<復> 4.クリスチャンの現実の労働倫理.<復> 罪人がイエス・キリストを信じる時,彼は救われ,彼の労働も虚無の支配から解き放たれて,神の世界管理のわざに回復される.そして,その仕事に彼は再び神によって召されるのである.しかし,彼が置かれている社会とそこでの労働は全体として罪の支配下にある.従って,現実の社会でのクリスチャンの労働は,虚無への流れに抗して進められる戦いである.神との交わりが薄れ,召命感があいまいになると,すぐに押し流される.しかし,その戦いの中で彼の品性は練られ,同労者との人格的交わりが育てられる.虚無に向かう世界の流れに抗して,その労働を神の世界管理のわざとし,自らと社会を築き上げる力は,神との交わりから来る.日々デボーションを守り,また1週間に1日を聖別し神を礼拝し主とともに過すことが,彼の労働を生かす.主の日の安息を守ることができないほどの働き過ぎは自殺行為である.<復> 現代社会は組織化制度化が進み,現代の労働はほとんど,何らかの組織を通じて行われる.そしてほとんどの組織や制度は権力の獲得や維持,また利益の追求を目的としている.そのような組織の中で働くことが正しいかどうか.このことについては,ユダヤ人でありながらバビロンに忠実に仕えたダニエルの歩みが模範となろう.権力を志向する王が支配する憎むべき敵国であっても,彼は神信仰においては妥協しなかったが,王に仕えることは拒否せず,王の権力が神に従うべきものであることを示し,その国に正義と公平が行き渡るよう努力した(ダニエル1‐6章).そしてついに,彼が仕えた王たちに神を認めさせ,神をあがめさせたのである(ダニエル2:47,6:26,27等).<復> また,現代社会は貨幣経済社会であり,すべての人の欲求も犠牲も価格で表現される.現代経済社会で利益が上がるということは,その生産物に社会の人々が認める価値がそれを生産するための費用を上回っていることを表し,利益を上げる活動は社会の求めに有効に答える価値あるものであることを示している.ただ,その利益は社会の人々が認める価値であって,神の目に正しい評価であるとは限らない.クリスチャンは,その社会の求める価値が神の御心にそうものであるかどうかをいつも吟味する必要がある.その基準としては,神の創造された世界が健全に成長するか,社会が健全に築き上げられ社会構成員の生活が物質的にも精神的にも豊かにされるか,労働する者自身の生活が満たされ彼の人格が健全に形成されるか,等々が考慮されるべきである.クリスチャンはこのような基準に従って仕事や労働を吟味し,自らの置かれている立場に応じて,自分たちの仕事を神の御心にそったものにする責任があるのである.→キリスト教倫理,職業.<復>〔参考文献〕山中良知『宗教と社会倫理』創文社,1970;唄野隆『現代に生きる信仰』すぐ書房,1979;D・M・ロイドジョンズ『働くことの意味』いのちのことば社,1985.(唄野 隆)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社