《じっくり解説》希望の神学とは?

希望の神学とは?

希望の神学…

今世紀の主要な神学的潮流であった弁証法的神学や実存論的神学が見失った領域に注目し,未来の希望を軸とした社会論と歴史形成論とを内容とする1960年代後半より登場した現代神学の主要な潮流.<復> 1.主要な神学者.<復> 中心的存在は改革派に属するユルゲン・モルトマン(1926年— )で,彼は第2次大戦中イギリスの捕虜収容所で初めて神学に触れ,そこで十字架の苦難と復活の希望を心に焼き付けられた.帰国後,1948年から1952年までH・J・イーヴァント,エルンスト・ヴォルフ,オットー・ヴェーバーなどが教えるテュービンゲンに学び,1952年博士号取得.5年ほど牧会に従事,その間教授資格取得論文『クリストフ・ペーツェルとブレーメンのカルヴァン主義』を著す一方,フォン・ラートやケーゼマン,オランダのファン・ルーラーといった聖書学者たちからも学んだ.また,哲学的思想的な面では,ドイツのマルクス主義哲学者で,主著『希望の原理』(1954—59)を初め,『キリスト教の中の無神論—脱出と御国の宗教のために』(1968)など多くの研究を残したエルンスト・ブロッホ(1885—1977年)の影響を強く受けた.1957年のゲッティンゲン大学講師職を皮切りに,ブッパータール,ボンの教授職を歴任,1967年以後テュービンゲン大学教授.1960年代の神学界に新風を送り込んだ『希望の神学』(1964,邦訳1970),『十字架につけられた神』(1972,邦訳1976),『聖霊の力における教会』(1975,邦訳1981)の三部作のほか,『神学の展望』(1968),『創造の将来』(1977),『三一性と神の国』(1980)など多くの著作がある.西欧ばかりでなく,第三世界における彼の影響にも注目すべきである.<復> この流れを代表するもう一人の神学者は,ルター派のヴォルフハルト・パネンベルク(1928年— )で,ベルリン,バーゼル,ハイデルベルクに学び,E・シュリンク,フォン・ラート,フォン・カンペンハウゼン,ヤスパース,レーヴィトらに師事,1953年『ドゥンス・スコトゥスの予定論』で学位取得.ハイデルベルクの講師職を振出しにブッパータール,マインツで教え,1968年以後ミュンヘン大学組織神学教授.主要な著書には,バルトやブルトマンとは対照的に普遍史を重視した『歴史としての啓示』(1961),人間イエスについての歴史的認識から出発し復活を媒介として神性の認識へと昇っていく『キリスト論要綱』(1964),『組織神学の根本問題』(1967),『倫理学と教会論』(1977),『組織神学の根本問題・第2集』(1980)がある.そのほか,ブルームハルトの優れた研究家で『未来と約束』(1965),『待望と経験』(1972)などの著者ゲーアルト・ザウター(1935年— ),『世の神学』(1968),『歴史と社会における信仰』(1977),『ブルジョワ宗教を超えて』(1980)で知られる西ドイツ・カトリックの政治的神学者ヨーハン・メッツ,そして,『神の未来』(1969)やDialogue誌の創始者として知られているアメリカ・ルター派のカール・ブラーテンや『人間希望の神学』(1969)の著者ブラジルのルーベン・アルビスなどが挙げられる.<復> 2.モルトマンの特色的な教説.<復> (1)『希望の神学』の副題が「キリスト教終末論の基礎づけと帰結の考究」となっているように,根本的には,終末論における″未来″の次元を回復し,希望が激しく問われている現代において,神の民なる教会が,約束された終末を待望しつつ未来投企的また創造的に生きかつあかししていく道を示そうとする.<復> (2) 未来の次元の回復を主張する背景には,現代神学における終末論の″超越論的気化″の現象が挙げられる.基本的にはカント主義の影響によるものである.カントにおいて,認識の領域は自然を扱う理論理性と精神や宗教を扱う実践理性とに区別された.前者は物理・数学的に算定可能な因果律が支配する″物″の世界であり,自然科学の発達によって自律的・完結的なものになった.後者は価値・意味・自由が問われる領域であり,″主観性″の領域である.そして″物化″される自然の領域はいよいよ確実なものとされ拡大の一途をたどり,一方の″主観性″の精神の領域は,インディアンの保護区のようにいよいよ不確実なものとされ,しりつぼみ状態となった.神は理論理性の世界から締め出され,実践理性の領域で″統制概念″(構成概念ではなく)としてかろうじて″要請″されるにすぎない存在となっていった.ここにキリスト教の心理化,倫理化という事態が結果したのである.こうした考え方の今日的発展(もちろん弁証法的神学を通過してではあるが)の一例が,神についての語りはただ″自己″について語ることのうちにのみ可能であるとする実存論的神学である.そこにおいては創造論も救済論も終末論もみな実存化される.客観史や普遍史は気化し,実存史,つまり人間実存の「歴史性」(Geschichtlichkeit)が残るのみとなった.かくして,キリスト教は個の実存内の為事,内面的な意味と慰めの孤島と化したのである.モルトマンはこれを「主観性と物化の分裂」と呼び,このことは教会内に,例えば信仰と政治,教会と社会,伝道と倫理といった二元論の支配を許したと判断する.そして彼の希望の神学はこの点を超克して新しい可能性を開こうとする.<復> (3) 普遍的な歴史的・社会的世界の回復と身体性の強調.ブルトマン学派による万事の人間実存への還元と閉塞から抜け出て,普遍的客観的世界に積極的に出ていく.<復> (4) 希望の神学における聖書的中心概念は「神の約束」である.この偉大な神の約束が歴史的世界を切り開き,「希望」を引き出す.この未来待望は人間の仮説,要請,投企によってではなく,神の約束に基づく(イザヤ65:17,66:22,Ⅱペテロ3:13).イスラエルの全歴史はまさに神の約束と希望のモデルである.この約束と希望のシェーマを究極的に保証するものが,キリストの復活である.この事件は,未来の解放と自由への約束であり,神が未知の未来,究極的な新しさ(novum ultimum)を指し示すものとして,先取り(proleptic)の形でこの世に置かれた保証であり道標なのである.<復> (5) この約束と希望の聖書的シェーマは,この具体的歴史をその地平とする.ここでモルトマンは,今までの終末論は歴史主義を克服しようとして歴史を喪失してしまったと批判する.例えば啓示を守るために,啓示を歴史の中にではなく,“Urgeschichte”,“Geschichte”,″実存史″の場合のように歴史の外に設定してしまったのがその例である.しかし,イスラエルにとって啓示とは,絶えず前進する歴史の運動から隔離された現在の「永遠の今」という恍惚的瞬間における神性の充満ではなかった.啓示は世界史をその地平とする.神の国も,歴史の外とか,歴史の彼岸ではなく,この歴史の中の現実のことである.従って,今日の歴史の時点でわれわれがなすことは,未来に歴史的現実となる神の国と連続するのである.このように希望は,垂直的上方に向けられた希望というよりも,到来する神の約束に即応する水平的・歴史的前方への希望ということになる.<復> (6) 従来後ろに追いやられていた聖書の黙示的部分の積極的評価.黙示文学は宇宙大の広がりを持つキリスト教の終末的希望を叙述する不可欠の材料であり,その中に「激励的契機」,すなわち「義人の信仰における忍耐への激励」が保存されている,とモルトマンは力説する.<復> (7) 希望に生かされている者のみが「変革」をもたらす.そしてその変革は内面のみでなく,具体的にこの世界と社会にも向けられなければならない.世界はいまだ神の義,神の生命,神の完全なる未来に達していない.教会は絶えず世界の中で「不安な心」であり続け,神の義と生命と支配を指さしつつ,希望の光を掲げながら「人間化」への変革の酵素また戦士とならなければならない,と勧められる.→モルトマン;コンテキスチュアリゼーション,神学の;解放の神学.<復>〔参考文献〕Scaer, D., “Theology of Hope,” Tensions in Contemporary Theology (Gundry, S./Johnson, A.〔eds.〕), Baker, 1976.(宇田 進)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社