《じっくり解説》ルネサンスとは?

ルネサンスとは?

ルネサンス…

[フランス語][ドイツ語][英語]Renaissance.普通,文芸復興と訳されるが,語義は再生の意味である.フランス語のルネサンスがある運動を指して使用されるようになるのは19世紀からであるが14世紀イタリアではすでにレナスキメント([ラテン語]renascimento)という言葉が古典復興計画を示す言葉として用いられていたと言う.14世紀から16世紀にかけてイタリアに始まりヨーロッパ全体にわたって起ったギリシヤ・ラテンの古典への関心の復興,人間中心の人本主義・人文主義・ヒューマニズムの主張,これに伴って文学,芸術,哲学などの文化,経済,社会を人間中心に変革する広範な運動を指す.単にギリシヤ・ローマに戻る運動ではなく,長いカトリック教会の支配とスコラ哲学の権威から自由になってギリシヤ・ローマの古典に還帰することによってヨーロッパの人間と世界を再形成することを目指す運動である.宗教改革と並んでヨーロッパの近代を形成する近代精神の二大源泉の一つである.宗教改革の精神がスコラ哲学の「自然と恩恵」(スコラ哲学の宗教的根本動因)の二元論,自然的理性と信仰の総合を拒否して,実在の全領域を神の支配と権威の下にもたらそうとする運動であったのに対して,ルネサンスは同じくスコラ哲学に反対して,逆に実在の全領域を人間の支配と権威の下にもたらそうとする運動であったと言える.ルネサンスと宗教改革は互いに交渉と影響があったにせよ,精神的には全く異なった相反する宗教的原理の上に立つ運動である.近代精神はこの原理的に相反する精神の弁証法的緊張関係の上に文化と社会を形成してきたと言える.<復> ヘルマン・ドーイヴェールトが指摘するように,ルネサンスはキリスト教を人間性の宗教に変革することを目指す宗教運動であったことを理解することは大切である.ルネサンスにおける人間の再誕生はいかなる権威にも服さない,人間自身の運命と世界の運命の唯一の支配者への再生,新しい創造的人格性への再生を意味した.この新しい創造的人格性はそれ自身絶対的なものと考えられた.ルネサンスの宗教性は人間の人格性を絶対化する人本主義的宗教性である.ルネサンス運動の根源には,人間に服従と忠誠を要求するようなあらゆる信仰からの自由と人間自身が人間と世界の,また認識と倫理の立法者であるという自律の要求がある.「創造・堕落・贖い」の聖書的宗教的根本動因は,まずこの「自由」という人本主義的根本動因の意味に再解釈された.神,人間,世界についての聖書的観念は,人間の自然的理性を中心にする見方に変革された.ルネサンスは人間の自然的理性だけに頼って神,人間,世界について新しい見方を要求した.神の像における人間の創造は,理想化された人間の像における神の創造という理念に置き換えられた.イエス・キリストにおける人間の再生と根源的自由の観念は,人間自身の自律的意志による再生と教会の信仰的権威からの解放という理念に置き換えられた.またルネサンスにおける「自然の発見」と言われるような新しい自然の見方を示して,この点においても創造,罪,奇蹟についての教会的見地からの解放を要求した.ここには人間が自然的理性によって人間自身の像にかたどって神と人間と世界(自然)を再創造することを意味する宗教的態度が見られる.<復> ルネサンスにおける自然の発見が宗教的意味を持っていることは,ルネサンス人がスコラ的な意味での超自然的領域に属するものへの信仰から自らを解放し,自分自身を人間と世界の運命の唯一の支配者とした後に,人間の創造的衝動を満足させるための無限の可能性を自然の中に求めることになったことが示している.プトレマイオス的な自然観と聖書の創造的自然観との総合に成り立っていたスコラ的教会的自然観から自由になったとしても,創造者なる神の被造世界についての解釈である聖言啓示からも自らを解き放った自然的理性は,次第に自然そのものの中に摩訶不思議な魔力が潜んでいるという隠された質([ラテン語]qualitas occultas)の思想にとらわれていき魔術的自然観を生み出すことになった.度の合わない眼鏡をはずした人間は,創造者なる神の解釈という眼鏡をかけるべきであった.さもなければ,心とそこに根差す理性は罪によって曇っているので自然啓示に対してこれを阻む反逆的反応をなす.宗教改革者の後裔たちは実在の全領域をみことばの権威の下に置く信仰によって,神による世界の創造と聖定的秩序から来る法則の理解を得て,近代科学の礎を築いた.宗教改革者の後裔たちの予定論理解と脱魔術,職業召命観と世俗内禁欲から近代産業資本主義の成立を説明するマックス・ヴェーバーの議論はよく知られているが,宗教改革の後裔たちは客観的には法則の支配する聖定論的自然観と主観的には科学的自然探究を召命とする文化的使命への覚醒によって近代科学の基礎を築いたことにもっと注意が払われてよい.しかし近代産業資本主義の精神が次第に聖書的動因を忘却し,ルネサンス的精神から来る人間理性を絶対化する自由と解放と支配の近代人本主義の動因に根本的に規定されて,いわゆる「大転換」を惹起し,自由奔放な利潤追求の精神と化したように,近代科学と技術の精神も次第に聖書的動因を忘却し,再びルネサンス的人間性の宗教の,自由と解放と支配の動因に規定される大転換を惹起して,数学的・物理的法則性のみに着目して創造のいわゆる規範的領域に属する法則性を無視するような問題の多い科学・技術となった.<復> ルネサンスの魔術的自然観,これを克服した宗教改革の精神に立つ聖定論的自然観,大転換によるルネサンス精神の継承としての近代合理主義の機械論的自然観の流れと関係を知ることは近代科学と近代技術の性格のみならず近代そのものの性格と問題を知る上に重要である.ルネサンスの偶像であった「自由」動因は,自らの自由をマンモスの牙のように自らを傷つける対偶像として「自然」の偶像を呼び起した.ルネサンスの精神を継承している近代合理主義の哲学は,まず一切の権威から解放され独立した自由で健全な人間の自然的理性という前提から出発した.この理性の認識原理は自分の理性に明晰・判明なもののみを真理とするという原理である.この認識原理は自然の一切の所与的被造的構造的秩序を容認しない.自然的理性に最も明晰・判明なものは数学的・物理的因果性によって証明されるものである.近代合理主義の哲学は数学的・幾何学的方法によって(more geometrico),世界を新しく創造しようとした.そこには普遍数学の信仰や自然の完全理解の理念や科学理想としての「自然」動因があった.自然的理性を人間と世界の運命の決定者とし立法者とした人間は,自分の像に神と人間と世界を創造した.しかしそこに出現した新しい自然は原因と結果の必然的連鎖から成る数学的物理的因果性の機械論的自然観であった.それは人間の精神的意志的活動をも機械論的に規定しようとする自由の敵となった.このように,近代哲学における自然は自然必然性を意味するようになった.近代哲学における「自由と自然」のアンチノミー(二律背反)はルネサンスの「自由と自然」の人間の人格性の宗教を規定した宗教的根本動因に淵源する.近代から現代への哲学思想の流れはこの合理主義的あるいは実証主義的あるいは唯物論的「自然」動因の支配に対して,非合理主義的あるいは実存論的あるいは超越論的「自由」動因の抵抗を示している.しかしその根底にあるルネサンス以来の近代人格性の宗教の異教主義的根本動因に気付かない限り,またこの異教的根本動因から来る自然的理性の自律性という偶像的公理を問題にしない限り,自由と自然の争いははかない,そして果てしない内輪もめである.→科学とキリスト教,キリスト教と文化,理性と信仰,キリスト教的ヒューマニズム.<復>〔参考文献〕春名純人『哲学と神学』法律文化社,1984;H・ドーイヴェールト『西洋思想のたそがれ—キリスト教哲学の根本問題』法律文化社,1970;Dooyeweerd, H., Roots of Western Culture, Wedge, 1979 ; Dooyeweerd, H., A New Critique of Theoretical Thought, 3Vols., H. J. Paris (Amsterdam)/Presbyterian and Reformed Publishing, 1953.(春名純人)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社