《じっくり解説》十字架とは?

十字架とは?

十字架…

[ギリシャ語]stauros,[英語]cross.<復> 1.処刑の道具としての十字架.<復>[ギリシャ語]スタウロスは「立てる」を意味する動詞に由来し,もともとは先のとがった直立の柱を指した.犯罪者たちは,この柱に縛り付けられるか,または釘刺しにされた.しかし新約聖書では,地面に埋め込まれ,横棒が取り付けられた十字形のものを指している.地域によっては直立の柱は,手間を省くためと,警告の意味合いを兼ねて,ずっと立てっ放しになっていた.そこでしばしば,「十字架」という用語は,横棒だけを指すこともあった.<復> 十字架刑の起源は,歴史のかなたに埋れてしまっている.しかしペルシヤやアッシリヤなどの東方諸国に発し,ギリシヤに伝わり,アレクサンドロス大王がこの方法を採用したと言われる.ローマ人は,カルタゴ人,フェニキヤ人を通して十字架刑を知り,死刑の手段としてこれを完成させた.しかしあまりにも残忍かつ野蛮で,非常な苦痛を伴う極刑であるところから,これが適用される者たちは限られていた.すなわち奴隷,強盗,刺客,謀反を起した属州人たちなどが対象とされ,ローマの市民権を持つ者がこの刑に処せられることは極めてまれであった.ペテロは十字架刑に処せられたが,パウロは打首にされたとする伝承は,このような事情をよく反映しているのかもしれない.多くのキリスト信者たちが十字架上で殉教の死を遂げたが,コンスタンティーヌス帝は,キリストの死に対する信者たちの信仰に敬意を表して,337年頃,十字架刑を廃止した.<復> 十字架の形については,初期の「罪人を縛り付ける単なる柱」(crux simplex)から,段々と複雑な複合十字架の形に変っていった.ローマ帝国の時代には,(1)ギリシヤ文字の「T」(タウ)の形をした,いわゆる聖アントーニウスの十字架(crux commissa),(2)主柱のてっぺんより少し下に横木(patibulum)が付けられた,「十」字形のラテン十字架(crux immissa)が一般的であった.イエスの「頭の上」に罪状書きが掲げられた,という福音書の記述(マタイ27:37,ルカ23:38)から見ると,イエスはこの(2)の形の十字架につけられたものと思われる.親柱には臀部のところに鞍のように木片が取り付けられていて,そこに腰掛けて体を支え,両手への負担を軽くするようになっていた.それがかえって死に至る過程を長引かせ,苦痛を増したので,時には死を早めるために罪人のすねを折ることがなされた(ヨハネ19:31).足をのせる台があったかどうかについては異論がある.エルサレムの墓で発見された,十字架にかけられたと思われる人物の遺骨では,両足はくるぶしのところで重ねて釘刺しにしてあった.普通考えられているのとは違って,十字架はそれほど高くはなく,3メートルぐらいで,足先の位置は地上から20センチ足らずだったと言われる.(3)やや後になって使われた「ギリシヤ型」十字架は,縦棒と横棒の長さが等しいものである.(4)「X」字形の聖アンデレの十字架(crux decussata,アンデレがこの形の十字架につけられたとする伝説から)も,後代のものである.<復> 十字架による処刑についての詳しい記述は,極めて少ない.それがあまりにも残忍な刑であったためでもあろう.それだけに,イエス・キリストの十字架についての福音書の詳細な記録は,その意義の重大さを示すものとして際立っている.<復> 2.イエスの十字架.<復> 新約聖書はイエスの十字架を,その事実と,象徴的意義の二面から描いている.<復> (1) その事実.何とも奇妙な裁判の後で,ピラトは「イエスをむち打ってから,十字架につけるために引き渡した」(マタイ27:26).イエスは御自分で十字架(=横木)を負って,ゴルゴタに向かって出て行かれた(ヨハネ19:17).横木は非常に重いというわけでもなかったが,イエスの弱った体には無理であったので,通りかかったクレネ人シモンに,無理やりイエスの十字架を背負わせた(マルコ15:21).<復> 刑場に着くと,その横木にイエスの手を釘付けにしてから(参照ヨハネ20:25),すでにそこに立てられていた親柱に,横木(十字架)を押し上げて取り付けた(ヨハネ19:18).イエスの頭上にはヘブル語,ラテン語,ギリシヤ語で書かれた罪状書きが掲げられた(マタイ27:37,ヨハネ19:19,20).<復> この十字架上で,イエスは息を引き取られた(マタイ27:50).それはイエス御自身がすでに予期しておられたことであり(マタイ20:18,19),しかも御自分では逃れることのできない死であった(マタイ27:40‐42).<復> (2) その意義.イエスの十字架は,歴史における神の贖罪のみわざの象徴となった(コロサイ1:20,Ⅰペテロ2:24).罪人たちを責め立てている債務証書は,神によって取りのけられ,十字架に釘付けにされ,無効とされた(コロサイ2:13,14).十字架による神との和解は,ユダヤ人と異邦人との間の隔ての壁を打ち壊し,救いは全人類のための普遍的なものとなった(エペソ2:11‐16).<復> ユダヤ人はローマ人とは違って,生きている者を十字架にかけることはしなかった.しかし処刑された者の死体を木につるし,その罰をより強烈なものとし,その恥を公にさらすことがしばしば行われた(申命21:22,23).それゆえイエスの十字架は,イエスがわれわれに代ってのろいを受けられたことをも意味した(ガラテヤ3:13).それはキリストの謙卑の頂点を表している(ピリピ2:6‐8).それだけに十字架は,「ユダヤ人にとってはつまずき,異邦人にとっては愚かで」あった(Ⅰコリント1:23).しかしキリストを信じる者にとっては,「神の力,神の知恵なので」ある(同1:24).<復> 3.キリスト者の十字架.<復> イエスは御自分の死について弟子たちに最初に語られた時,彼らも「自分の十字架を負い,そしてわたしについて来る」ようにと命じられた(マタイ16:21,24).当時,十字架刑はしばしば行われ,人々は十字架を自分で負って刑場へ向かう死刑囚を目にする機会も多かった.それゆえこのイエスのおことばは,まず第1に字義通りのものとして受け取るべきであろう.マタイ23:34には,イエスに従う者たちが師と同じ手段で殺されることが予告されており,この預言は教会の歴史の初期において,またその後にも,文字通り成就したのであった.<復> ルカ9:23ではイエスは,「日々自分の十字架を負い,そしてわたしについて来なさい」と言われた.これは比喩的な表現で,キリストに従う者たちの,主イエスに対する忠誠と献身,絶えざる自己否定の生き方を意味している.<復> 十字架はまた,キリスト者が主イエスのために忍ばなければならない恥と,へりくだりの象徴でもある(ヘブル12:2).キリスト者の「古い人」は,「キリストとともに十字架につけられ」ている(ローマ6:6,ガラテヤ2:20).それはキリストとともに,新しい復活のいのちにあずかる者とされるためである(ローマ6:4).それゆえキリスト者は,主イエスの十字架をこそ誇りとするのである(ガラテヤ6:14).<復> 「十字架につけられたイエス・キリスト」は,キリスト教の宣教の使信を要約するものとなった(参照Ⅰコリント2:2).そこで世々の教会は,十字架のしるしを,キリスト者の信仰の象徴として,高く掲げ続けてきたのである.→苦難(キリストの),受難日・受難週,贖罪・贖罪論.<復>〔参考文献〕L・モリス『新約聖書における十字架』聖書図書刊行会,1977;Schneider, J., “σταυρο´s,” Theological Dictionary of the New Testament, Eerdmans ; Brown, C., “Cross,” The New International Dictionary of New Testament Theology, Paternoster ; Burke, D. G., “Cross,” The International Standard Bible Encyclopedia (fully revised), Eerdmans.(島田福安)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社