《じっくり解説》聖徒,聖徒の交わりとは?

聖徒,聖徒の交わりとは?

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聖徒,聖徒の交わり…

1.旧約聖書における聖徒.<復> 旧約聖書において「聖徒」と訳されているヘブル語には次のようなものがある.<復> (1) 形容詞[ヘブル語]カードーシュとその複数形[ヘブル語]ケドーシーム.この語の語根の意味は「切る」「分ける」である.すなわち,神の用のためにこの世の汚れた人々または物から分離する,ということが強調されている.申命33:3では,主に「聖別された者」という意味で,「聖徒たち」と訳されており,主に聖別されたイスラエルを指している.ヨブ5:1では「聖者」と訳され,ダニエル8:13では「聖なる者」と訳されている.その他,詩篇16:3,34:9,89:5,7,106:16,ホセア11:12,ゼカリヤ14:5ではすべて「聖徒(たち)」と訳されている.<復> (2) 形容詞[ヘブル語]ハーシードゥとその複数形[ヘブル語]ハシーディーム.原語の意味は,神に対する敬虔の念をもって主を礼拝する人々を表す.Ⅰサムエル2:9,Ⅱ歴代6:41,詩篇30:4,37:28,50:5等で「聖徒(たち)」と訳されている.ダビデは詩篇においてこの語を多く用いている(詩篇30:4,31:23,37:28,50:5,52:9,79:2,85:8,97:10,116:15).また,この語は,詩篇18:25では「恵み深い者」と訳されているように,神のあわれみ([ヘブル語]ヘセドゥ)の概念から来る敬虔さが強調されている.すなわち,聖徒そのものが道徳的,人格的に聖い者というより,神の選びと恵みによって聖徒とされているということである.事実,旧約聖書中のどの人物も,神の前に全き者はなく,イスラエル民族自体もしばしば不信仰に陥り,神に背いて罪を犯したにもかかわらず,神は彼らを聖い民として,また聖徒として扱っておられる.それが神の意志なのである.詩篇85:8に「御民と聖徒たち」とあるように,聖徒は神の民と同意語である.<復> (3) [アラム語]カッディーシーン.「分つ」「分離する」「聖なる者」という意味.この語はダニエル書で用いられており,ダニエル7:18,21,22,25,27ではすべて「聖徒(たち)」と訳されている.特に7:18,27では「いと高き方の聖徒(たち)」という表現を用いて,主に対する信仰をもってこの世で戦っているイスラエルを強調している.<復> 2.新約聖書における聖徒.<復> 新約聖書において「聖徒」と訳されているギリシヤ語はハギオスとその複数形ハギオイである.この訳は[ヘブル語]カードーシュ(「聖い」という意味の形容詞)から来ており,人に用いられる時は名詞として扱われ,「聖徒(たち)」と訳されている.この名称は新約聖書においては61回記されている.マタイ27:52に言及されている「聖徒たち」以外はすべて,新約時代におけるすべてのキリスト者を指している(使徒9:13,32,41,26:10,ローマ1:7,8:27,12:13,エペソ1:1,3:8等).<復> 新約聖書では,信者たちは,その霊的,道徳的状態の善し悪しにかかわらず,すべて聖徒と呼ばれている(Ⅰコリント1:2,ピリピ1:1,コロサイ1:2等).パウロはコリントの信者たちに対して「あなたがたは…肉に属している」(Ⅰコリント3:3)と言明しているが,しかし同時に,「あなたがたは…聖なる者とされ,義と認められた」(Ⅰコリント6:11)とも言っている.また,この手紙のあいさつの部分でも,パウロはコリントの信者たちを「聖徒として召され,キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ」(同1:2)と呼びかけている.ヘブル人への手紙の記者は「イエス・キリストのからだが,ただ一度だけささげられたことにより,私たちは聖なるものとされている」(ヘブル10:10)と語っている.さらに主イエスは「あなたがたは,わたしがあなたがたに話したことばによって,もうきよい」(ヨハネ15:3)と明言しておられる.しかし,これは,新約の信者たちが罪を犯すことのない完全に聖い者であるという意味ではない.聖徒たちの聖さの原因は彼ら自身にあるのではなく,イエス・キリストの聖さのうちにあり,十字架の血による聖めによるのである(Ⅰコリント1:30,Ⅰヨハネ1:7).人間は自分できよくなることはできない.人間がきよくなるためには,神がその人をきよくされなければならない.だから,聖徒はその身分を自分で獲得するのではなく,神の召しによって与えられるのである(ローマ1:7).<復> 聖徒はこのように神の前に聖い者とされているが,一方で聖徒にふさわしく聖くなるようにと勧められている(Ⅱコリント7:1,エペソ4:12,5:3,ピリピ1:6,Ⅰテサロニケ5:23).それは,聖徒の聖さ(聖化)には,信仰(義認)と同時に与えられる瞬間的聖化と,次第に聖められていく漸進的聖化の両面があるからである.<復> また,聖徒は神に対しては「しもべ」(Ⅱテモテ2:24,黙示録1:1,2:20),または「奴隷」(Ⅰペテロ2:16)であるが,他の聖徒に対しては「兄弟」(マタイ12:49,50,23:8,使徒6:3,ローマ1:13)であり,また,他からは「キリスト者」(使徒11:26,26:28,Ⅰペテロ4:16)と呼ばれた.それゆえ,聖徒は兄弟,キリスト者と同意語である(コロサイ1:2).それは,聖徒はみなキリストの贖いによって罪と死から救われた者で,キリストにあってみな兄弟であることを表している.それゆえ,聖徒はいわゆる聖人君子,完全な人とは異なるし,ローマ・カトリック教会で言う聖人とも違う.聖徒はあくまでもキリストを信じる信仰によって,キリストの義と聖が転嫁された人である(Ⅰコリント1:30).聖徒が互いに兄弟であるのは,キリストの血により結ばれているからである.キリストの血は濃く,真実であり,永遠である.ここに真の意味での聖徒の交わりがある(Ⅰヨハネ1:6,7).<復> 3.聖徒の交わり.<復> キリスト者の交わりは,ヨハネが証言するように,御父及び御子イエス・キリストとの交わりである(Ⅰヨハネ1:3).それゆえ聖徒の交わりは,「天においても,地においても,いっさいの権威が与えられている」キリスト(マタイ28:18)との交わりであり,御父,御子,聖霊との交わりである(Ⅱコリント13:13,ピリピ2:1).聖徒の交わりは,地上的,天上的であり,生ける者と死せる者すべてにかかわる交わりである.それは,国家,民族,言語,習慣を超えた交わりである.この交わりの重要性を,使徒信条は「我は…聖徒の交わり…を信ず」と宣言している.これは,キリストを中心として,天国の栄光の教会と地上の戦闘の教会の信者が,神の恵みの中に信仰・希望・愛により堅く結ばれ,聖霊の一致をもって互いに信頼し,助け合う,聖徒の連帯的信仰の表明である.世界のキリスト者がこの聖徒の交わりの重要性を自覚し,時が良くても悪くても,常に聖徒の交わりを実践し,それを拡大するならば,戦争を防止し,世界平和に貢献する多大な力となる.なぜなら,聖徒の交わりは,単に一国家の下にあるキリスト者の交わりではなく,国家を超えた天地の主なるキリストを中心とした世界的交わりだからである.キリストにあってはユダヤ人もギリシヤ人もなく,奴隷も自由人もなく,男子も女子もない(ガラテヤ3:28).聖徒の交わりは,家庭,社会,国家,国際間に強化される必要がある.新時代に向けてそれを強化するのは,全世界のキリスト者の責務であり,特権である.→神の民,選び,キリスト者,しもべ,聖化,弟子・弟子づくり,対人関係.<復>〔参考文献〕H・シーセン『組織神学』聖書図書刊行会,1961;『聖書・キリスト教辞典』いのちのことば社,1961;『新聖書・キリスト教辞典』いのちのことば社,1985;『キリスト教大事典』教文館,1963.(国吉 守)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社