《じっくり解説》プロセス神学とは?

プロセス神学とは?

スポンサーリンク

プロセス神学…

[英語]Process Theology.<復> 1.1960年代以後,K・バルトに代表される新正統主義神学の相対的後退と相まって登場してきた諸々の神学思想的立場の一つである.新正統主義神学がキリスト教信仰を人間に内在する普遍的宗教性に還元することを拒否したことは,その独一性の確保の企図とは裏腹に,結果的には超自然的キリスト教信仰と自然的日常生活や一般世界史との遊離を招来し,現実の社会生活に対するキリスト教信仰の有意味的関連性を喪失した.かかる状況下で,例えば神の死の神学などが神概念の後退化,懐疑,否定に一層拍車をかけた.これに対してプロセス神学は,英国の数学者・哲学者A・N・ホワイトヘッドの「過程の哲学」(Process Philosophy)に示された一種の形而上学的,統合的世界観を応用して,神概念と人間の社会生活及び歴史に対するその有用性とを再建しようと試みたのである.<復> 2.ホワイトヘッド(1861—1947年)は,神を含めたあらゆる事象の統一的な説明のための形而上学的体系の確立を意図して,哲学的思弁と自然科学的研究との相互作用を通して,「現実的なもの」(actual entities)あるいは「現実的生起」(actual occasion)と名付けられる,実在の基本単位の一連のモデルを発展させた.それによれば,全実在はすべての現実的なものの相互作用の過程である.おのおのの現実的なものは,半ば自己創造的であり,半ば他の現実的事物に影響される.それは物理的,及び精神的両極を持つ.そしてその物理的極において他の現実的なものの物理的現実性を,またその精神的極において永遠的対象を,それぞれ感得する.ホワイトヘッドは,あらゆる現実的なものの間のかかる相互感得や反応を「把持」(prehension)と呼ぶが,現実的なものはその把持的生起によって,世界の前進過程において相互に連関した契機として,他のすべての現実的なものの中に現存する.また現実的なものがその主観的目的を現実化するところの自己創造過程は,その過去の多くの把持を統一することと,それらに(宇宙の過程に対する自己の創造的寄与として)新しいものを加えていくことを含んでいる.このように宇宙の過程は有機的連関にあるもろもろの生起の継続である.<復> 神とは至高の現実的実在であり,現実的なもののすべての機能を含有している.神は宇宙におけるあらゆる現実的実在を完全に把持し,また部分的にはそれらによって把持される.ホワイトヘッドによれば,永遠的対象なしには,現実化さるべきいかなる合理的可能性も価値も成り立たず,しかも現実的なものに影響を及ぼすことができるのはただ現実的なものであるから,何らかの永遠的,超越的でしかも現実的なものが不可欠である.かくて神はその精神的,根源的性質によって,世界に神的秩序と価値を与え,世界をそれらに従って具体的に決定する制約原理,具体化の原理として機能する.<復> しかし神もまた二極的であるゆえ,その物理的性質に従って,すべての出来事の完成した現実性を把持し,それによってそれらに不死性を与える.また自ら把持した現実的なものを世界に与え返すことによって,世界の過程が継続し,過去のものによって高揚されるようにする.神は把持により,現実的生起の継続におけるあらゆる瞬間において,世界の中のすべての存在と相互に有機的に作用し合う.かくして神は世界過程に徹底的に内在し,それをより偉大なる価値へと導く.神はその精神的性質においては世界を超越するが,まさに現実的なものとして世界を自己の内に含み,その創造性を通して世界とともに苦しみ,発展していくのである.<復> 3.多くの神学者が実存論神学にくみしており,従って,上記のような哲学的,科学的思想に否定的であった50年代にすでに,それを自覚的に神学に応用したのはアメリカのチャールズ・ハートショーン(1897年— )であった.彼はホワイトヘッドの形而上学的体系を最も首尾一貫した現実的選択肢と考え,同様に存在(being)概念を含む生成(becoming)概念の首位性を強調した.<復> ハートショーンは両極性の法則を神に適用し,神の精神的極を神の抽象的性質,また神の物理的極を具体的性質とそれぞれ呼んだ.前者はあらゆる時代を通じて存在する神の抽象的自己同一性,永遠かつ必然的に神に当てはまる資質であるのに対して,後者は神が世界と相互に作用し合って得た特定の資質,特定の具体的状態においてそれまでに累積した世界の価値を伴った,現実的存在における神自身である.<復> ハートショーンによれば,神はその具体的現実性においては過程の中にある生ける人格であり,そのいのちは神的出来事と生起の永遠の継続の内に存する.神の完全性とは決して,被造物の相対性,偶然性,可変性などを度外視した絶対性,必然性,自存性,不変性などではない.神は過程の中にあり,被造物の自由な決断に依存する.ハートショーンは神の完全性を,神が社会的に関係付けられていることにおける陵駕不可能性と理解する.いかなるものも神を陵駕することはできない.しかし神は自己を陵駕することができる.すなわち神は現実的出来事を知り,世界によって創造された価値を経験して,世界を喜び,感応することのうちに成長する.神は自己陵駕的な万物の陵駕者である.<復> ハートショーンは,神をその全体性における世界自体であるとする汎神論(Pantheism)を拒否する.なぜなら神は一方では,超越的自己同一性を持っているからである.しかし神は他方,世界に対する知識と愛によって世界に関係付けられており,それを自己の内に包含し,その創造的出来事を把持する.万物は神の内にある.ハートショーンは,このような万有神論(Panentheism)の立場は現代の哲学者の神概念に対する懐疑ないし否定に有効に答え得ると考える.最高完全存在は,必然的に存在するか,必然的に存在しないかのいずれかでしかないが,自己矛盾したものは必然的に存在しないがゆえに,最高完全存在は必然的に存在することになるからである.<復> 4.プロセス神学は60年代,70年代に伸長するが,上記の根本的神理解がすべての神学的教説を支配している.この神学によれば,例えばキリストの神性は,彼がその生涯に与えられた神的目的を現実化したことにあるとされる.罪とは,人間による自己の主観的目的における神与の始源的目的の歪曲,あるいはそれからの逸脱にほかならない.キリストは行動において神の創造的愛の顕著な模範及び体現者となることにおいて,その神与の主観的目的を実現した(N・ペッティンガー).イエスは,神の内在が自己の自我を構成したほどに,神を把持した(J・コッブ,Jr.).それゆえキリストの神性は彼の永遠的先在性などではなく,彼の生涯における神の愛を指し示すのである.<復> 5.プロセス神学が聖書的教理を信奉する正統的,福音主義的神学とは全く異なることは今さら述べる必要はない.それは現代的世俗形態の自然神学,(世界史を神の自己実現の過程とする)ヘーゲル的汎神論哲学,さらに自然科学的方法論に規定される経験主義である.プロセス神学によれば,すべては神と世界の自己実現過程の途上にある.それは第一義的な強調と関心を神自身にではなく,この世界とりわけ人間の社会と歴史に置いている.<復>〔参考文献〕H・M・コーン『現代世界神学』聖恵授産所,1985;Cobb, J. B., Jr./Griffin, J. R., Process Theology, The Westminster, 1976 ; Pettinger, N., Process Thought and Christian Faith, Macmillan, 1968.(市川康則)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社