《じっくり解説》聖餐式とは?

聖餐式とは?

聖餐式…

教会において,洗礼(バプテスマ)式と並んで最も重要とされる儀式.古来,エウカリスティア(感謝)とも呼ばれる.イエス御自身が十字架にかかる前夜定めたもので,その意義は,配られたパンとぶどう酒を共に飲食することを通して会衆が何らかの意味でキリストとの親密な交わりを体験することにある.普通は主日礼拝の中で行われ,司式者のもとで配られたパンとぶどう酒を会衆が共にいただく.その際,制定語の朗読・祈り・賛美などが共になされる.<復> 1.変遷.<復> 聖書は,キリスト復活の後,極めて早い時期から信仰者たちが共に集まって「パンを裂いて」いたことを記すが(使徒2:42,46等),それが厳密な意味での聖餐を指しているかどうかは定かではない.しかし,最初の信仰者たちがたびたび共に集っては,「復活の主」の臨在を確信しながら愛餐を共にしていたことは疑いない.復活のキリストを覚えその再臨を熱望しつつ持たれた彼らのその食事の中で,やがて厳密な意味での聖餐が祝われるようになったと思われる.キリストとの交わりを求めつつ彼らは,イエスの定めた聖餐のことばと所作に従ってパンとぶどう酒にあずかるようになり,かくて普通の食事をいわゆる「主の晩餐」をも含めたものに変えていった.しかし間もなく聖餐と愛餐とが分離し始め,2世紀半ば頃までには,礼典としての聖餐と親睦の食事としての愛餐は別々に持たれるようになり,聖餐は少なくとも主日ごとに全教会で守られるようになった.普通の礼拝式の後,未信者を退席させてから聖餐式に移るというのが一般的な形であったらしい.一番最初の信仰者たちがパンとぶどう酒をはっきりとキリストの臨在と結び付けて考えていたかどうかはわからないとしても,ヨハネ6章の「いのちのパン」の教えなどから,すでに1世紀終り頃には信徒はパンとぶどう酒をキリストの肉と血そのものと見なしていたと考えられる.従って2世紀にはすでに,形式的にも内容的にも,今日の聖餐式のおおまかな基礎がほぼでき上がっていたと言ってよい.しかし,同時にこの頃から,聖餐式を基本的に「犠牲の儀式」と見る風潮が,つまり父なる神に対するキリストの十字架上での犠牲的自己奉献のわざを,ただ覚えるのではなく実際にそれを秘義的に繰り返していくのが聖餐だとする見解が一般的になり始め,それに伴って3世紀までには,パンとぶどう酒を実体的にキリストのからだ及び血と同一視する見方が教会の正統的教理となっていった.典礼自体も,特にローマ帝国のキリスト教公認以後,祭儀の行列・聖職者の祭服・交唱聖歌などが凝った形で導入され複雑かつ煩瑣(はんさ)なものになった.地域的にも多様な発展を遂げていき,典礼書もいろいろ編纂されていった.ところが中世初期になると,教父時代の煩瑣な典礼も簡素化されるようになり,普通にミサと呼ばれる,一人の司祭により執り行われる形のものに落ち着いた.しかし式の用語は依然ラテン語であり,しかも信徒のほとんどはラテン語を解さなかったため,聖餐式における会衆の役割は司祭が神に犠牲をささげるのを実質的にはただ眺めるだけという極めて受動的なものになりがちであった.また,実際に聖餐を受ける(陪餐)場合でも,一般信徒の場合には,パンとぶどう酒の両方によるいわゆる二種陪餐ではなく,キリストの血をこぼしたり汚したりすることのないようにとの理由からただパンだけにあずかるという形が次第に慣行となり,それがローマ教会では13世紀頃までに完全に定着したと見られる.その際,神学的な裏付けとなったのが,トマス・アクィナスを中心とするスコラ神学において教義的完成を見た化体説(聖餐のパンとぶどう酒は,司祭の聖別によって実体的にキリストのからだと血とに変化するという説)であり,相伴説(聖餐において,聖別されたパンとぶどう酒のそれぞれに,キリストのからだと血とが分離されることなく一つの統体として現在するという説)であった.こうした理解に立つ聖餐は,犠牲の反復によってキリストの功徳にあずかるという一種の功績思想に基づくものであり,初代教会の共同体的な晩餐とかなりかけ離れたものであって,やがて16世紀の宗教改革において当然きっぱりと退けられることになる.宗教改革者たちは聖餐を,犠牲的儀式というよりもキリストとの福音的な交わりの具体的場として理解し,犠牲の観念に基づく聖餐理解や化体説を否定した.ルターの共在説,ツヴィングリの象徴説,両者の中間的な立場としてのカルヴァンの聖餐論など種々の聖餐論が説かれたが,結局ほとんどのプロテスタント教会にとって聖餐は,一つの記念であり象徴であるか,あるいは信仰をもって受ける時に霊的な意味でキリストと一つになるという秘義的なものか,そのどちらかであった.いずれにせよ,「神のことば」に重きを置く宗教改革は,説教重視かつ会衆中心の新しい聖餐式の形をもたらした.信徒の二種陪餐や自国語による司式が奨励され,全体の雰囲気も,賛美と祈りを中心とした会衆者相互の交わりに重点を置いたものとなったが,教派により執行の頻度や式の内容及び形態は様々となり,現在に至っている.ローマ・カトリック教会も,第2ヴァチカン公会議以降,教理的には従来と同じ聖餐論に立ってはいるものの,実際には自国語使用のミサに切り替えたり時に応じて二種陪餐を許すなどして時代に即応した姿勢を見せている.<復> 2.今日的課題.<復> 宗教改革者が説教と聖餐の両方を礼拝の重要な柱と見なしたのに対し,その後のプロテスタント教会においては,説教に重点を置くあまり聖餐はともすれば軽視される傾向にあるまま今日に至っている.わが国のプロテスタント教会も同様であって,信徒の実際の意識においては,「説教だけで十分」といった思いの中で聖餐が礼拝の単なる付録のようになっている場合も多い.また逆に,聖餐を専ら内面的信仰の外的表現と確証の場として純粋培養的にとらえる結果,かえって妙な形式主義・保守主義に陥っている場合も少なくない.しかし長いキリスト教会の歩みの中で聖餐が担ってきた意味と役割を考える時,われわれは今一度聖餐の独自性と豊かさの復権を問うてみる必要があろう.今日の聖餐論は,対人関係・対社会関係・自然との関係といった様々の局面で苦悩している現代世界の重荷を反映したかたちで,「現代の聖書学が明らかにしたイエスの食卓の交わり,そのみ国の晩餐の根源的な開放性を反省するとき,もう少し開かれた方向で聖餐への招きが考えられるべき」(『聖餐』日本基督教団出版局)ではないかという視点に立っておのずと展開されることにもなろう.それは,われわれが教会という共同体的基盤に立って信仰的生を営むことの意味を問うことと決して無関係ではあり得ない.聖餐の式もまた,それに応じて,形式・内容の両面にわたって今後いろいろと試行錯誤がなされ変化していく可能性もある.例えば,現在一般には,聖餐の司式は按手を受けた正式の教職により行われ,陪餐にあずかり得る者は洗礼を受けた信徒とされ,式自体もその前提を踏まえた形になっている.けれども今後,聖餐の執行者は誰であり受領者は誰かという問題に関しても,今一度プロテスタント神学の原点に立ち返って反省がなされるならば,あるいは信徒による聖餐執行の可能性なども生れ得るであろうし,そうなると式自体の持ち方もまた変っていくと思われる.礼典というよりもむしろ初代教会的な愛餐の要素をもっと取り入れたものなども再び試みられるかもしれない.ともあれ,本来それを通して諸教会が一致すべき聖餐がかえって分裂と対立の一原因となっているという事実は,逆に聖餐及び聖餐式の持つ意味の深さと豊かさを暗示しているわけであり,聖餐式のこれからのありかたも,聖餐のその豊かさをより鮮明に具現化する方向で模索されることが望まれる.→礼典,聖餐論,聖餐の制定,主の晩餐.(角川周治郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社